<9> vs次元獣保存会

 厨房のある離宮別棟は、今まさに崩れつつあった。


 銃弾の如きものがヒミカの後方から、うなりを上げて飛んでくる。

 それは壁や床にぶつかると爆発し、虚無を生み出した。

 即ち光をも逃がさぬ暗黒の大爆発がいくつもいくつも発生し、風を吸い込んだ。その痕には何も残らず、建物の廊下はスイスチーズの如き穴ボコだらけになり、支えを失って内側へ崩壊していく。


「何あれ何あれ何あれ何あれ!?」


 ヒミカは崩れゆく建物に、自分の足音でトドメを刺しながら走った。

 おそらく足を止めた瞬間、自分もスイスチーズの穴になる。


「待て」

「うわ、出たぁ!」


 ヒミカは真っ直ぐ逃げていたはずなのに、前方の通路からシチューまみれの男が姿を現した。

 反射的にヒミカは、近くの廊下に置いてあった壺を投げつけた。壺は黒い弾丸を受け、囓られたように質量の六割を消滅させる。


 その隙にヒミカは踵を返したが、今度は天井に空いた穴を伝って、上階からシチュー被りデレラの男が飛び降りてきた。ほんの一瞬前までは背後に居たのに、あり得ない先回りだ。


「伏せて、ヒミカさん!」


 フワレの声を聞いてヒミカが反射的に伏せると、フワレの放った魔法の閃光が飛んだ。

 シチューデレラを狙ったもの、ではない。

 天井のあらぬ所に命中したかと思うと、辺りに爆発的な白煙が満ちた。


「むおっ!?」


 一瞬で廊下は真っ白になって、何も見えなくなった。

 もちろんこれではヒミカも動けないが、フワレが肉球ぷにぷにの手でヒミカの手を引っ張り、走り出す。


「防火設備を狙いました」

「ナイス」


 初期の防火スプリンクラーに似たような何かだろう。

 蝋のような、熱に反応して溶ける素材で蓋をしてあって、火災の際には勝手に中身が噴き出す仕組みだ。それをフワレが魔法で破壊してぶっかけたのである。


 白い煙を突き抜けて、二人は廊下を逃げ走る。


「この手口……

 おそらく次元獣保存会の刺客です」

「なにそれ!?」

「侵略的異界生物とされる、『次元獣』を不当に保護・利用する邪術師の一派です。

 なお、次元獣は極めて猫に近い液体として知られています」

「そりゃ猫は液体だけど!」

「彼らは次元獣の力で空間を渡り、次元交差を利用した事象崩壊弾を主武装とします。アレが当たったらどんな鎧を着ていても基本死にます」


 突拍子もなさ過ぎてバカみたいな話だが、相手の攻撃が洒落にならない威力なのは既に見ている。

 四階建ての離宮別棟は、既に半分ほどが、内側へ潰れるように崩れた瓦礫の山となっていた。


「先に説明するべきでした。

 殿下は魔王軍に加え、少なく見積もっても二桁の悪の組織に命を狙われていたんです」

「そんなアベンジャーズのリーダー張れそうな姫が、なんで食べ過ぎごときで死ぬの!?」

「恨みを買うほど暴れたから食べ過ぎで死んだんですよ!」


 はっとヒミカは、己の腹の贅肉を見る。

 食べるほどに力を発揮する異能。

 魔王との戦いはまだこれからで、勇者を決める儀式も済んでいない、ほんの16歳の姫様が、こんな身体になるまで力を使ったのだ。


「じゃあ、このふくよかボディは……我が身を省みず力無き人々のために戦った結果だったのね」

「いえ、主に気まぐれとワガママと気晴らしで暴れてらっしゃいました。

 力無き人々の恨みもたっぷり買っております」

「グレ方がメガトン級じゃねえか何やってんだ豚姫えええええ!!」

「敵対組織筆頭が、一昨日のサンタクロース・カルト。

 信者数100万人を超える、この世界最大の邪教です。それだけ巨大な組織なので殿下とぶつかることも多かったんです」

「やっぱりこの世界、一回滅んだ方が良いような気がした」


 直後、二人の前方の壁が横から吹き飛んだ。


「わーっ!」


 瓦礫がヒミカの行く手を阻み、壁の穴からのっそりと、シチューデレラが姿を現した。

 病的に細く、正義に酔った危険な笑みを浮かべている男だ。


 その男の腕には確かに、シチューではない何かがまとわり付いている。

 白黒茶の三色で、輪郭がグネグネしていて、スライムのように柔らかくて脊椎が存在するのかも怪しい有機的液体だった。

 あれがおそらく次元獣。どうやら三毛らしい。99.97%の確率でメスだ。


「ブチ殺……」

「≪念動テレキネシス≫!」

「おわっ!?」


 フワレが杖を振ると、今まさに男によって崩されたばかりの瓦礫がふわりと浮いて、男目がけて次々ぶつかっていった。次々と瓦礫が殺到して、押しくらまんじゅう状態で男の姿は見えなくなった。


 その隙に二人は踵を返す。

 だが、逃げ切れないのはもはや明白だ。こいつを相手に『距離を取る』ことに意味は無い。


「……フワレちゃん。

 次元獣って、本当に猫なのね?」

「猫に近い液体です」

「オッケー。

 いい手を思いついたわ。ちょっとお願いできるかしら」


 ニヤリと笑えば、すこしばかり息が落ち着いた。

 次元だの魔法だのの話は、地球出身のヒミカには分からない。だが、猫の話なら分かるのだ。


 * * *


 厨房は最初の一撃で半壊していた。

 魔法で火を噴く竈だの、その他諸々の機構が仕込んである場所だ。そこに攻撃を受けたせいで誘爆したらしい。

 火を使う場所だから燃えにくい構造になっていて、幸い火事にはならなかったが、厨房はすすけていた。

 きな臭いニオイに、さらに、食材の生臭いニオイが混じる。ぶちまけられた魚介類が床に散らばっていた。カラッポになった卵籠とともに。


 ヒミカは厨房に戻り、独り、そこで待ち構えていた。

 意味があるかは分からないが鍋を被り、意味があるかは分からないが麺棒を構えて。


 やがて、耳障りな音がした。

 ヒミカの目の前で景色が歪み、突然、シチューまみれで腕に猫を付けた男が姿を現したのだ。


「ふ、ふふふ、隠れても無駄だ……」


 今にも折れそうなくらい細い男は、ブツブツと、ヒミカが見えているのかも分からない調子で呟く。


「貴様のせいで……多くの次元獣が異界に帰され、てしまった……

 これ以上の悲しい、別れが、生み出されぬよう……悲しみの連鎖、を、断つ……」

「そりゃー一旦預かった猫は、責任を持って最期まで幸せに過ごさせてやるべきだけど。

 うん、それは人間にとって最も崇高な責務の一つだと思うけど」


 ヒミカはそこだけは同意する。

 イカレた暗殺者の言葉であろうと、それは確かな真実だ。

 ペットを捨てて野性に返すのは、セリヌンティウスを見殺しにするのと同じくらい罪深い。


 だが。


「あんた、猫を使じゃん。それ本当に猫ちゃんのため?

 私は事情をよく知らないから何とも言えないけどぉ、これを見る限りじゃ姫様のやったこと、正しかったんじゃないかって思うわねえ」

「な……だと!?」


 実際これは挑発のつもりの一言だったが、刺客の男はヒミカの想像以上に激昂した。

 ぎょろぎょろと目を血走らせてヒミカを睨み付け、唾を飛ばして怒鳴ったのだ。


「おおおお俺たちの絆をばば馬鹿にするなァ!!

 ぶち殺すぞ! い、行くぞ! ジンジャー!!」


 そして男は、腕に巻き付く三毛流体を撫でようと……


「させるか!」

「むっ!?」


 その瞬間、時を告げる声が厨房に響き渡った。


 大量の鶏が、厨房の窓から飛び込んできた。

 離宮には鶏舎がある。そこで卵を採り、老いた鶏は捌いて肉にしているのだ。

 フワレは鶏舎までひとっ走りして、哀れな鶏たちを借りてきた。そして厨房に投げ込んだのだ。


 鶏たちはパニック状態で、鳴き喚き、羽根を撒き散らしながら厨房狭しと駆け回る。

 それだけだった。


「な、なんだ、こんな脅かし……」


 刺客の男は一瞬あっけにとられていたようだが、ただ鶏が放り込まれただけだと気づくと、薄笑いを浮かべた。


 その男に、ヒミカは一歩近づく。


「な?」


 男は腕に絡みつく流体を撫でた。

 何も起こらない。


「なんだ?」


 さらにヒミカは一歩近づく。


「て、転移ができな……痛え!!」


 そして麺棒で男の顔面を殴打した。

 男の歯が二本、折れ飛んだ。


「猫様が人間ごときの思い通りになると思ってるの?

 馬鹿じゃねえ?」


 鼻血を流して顔面を押さえる男を見下ろし、ヒミカは冷たく言い放つ。


「魚のニオイに、入りたくなる器に、逃げ回るトリ!

 これだけお膳立てされて集中できる猫が居るか!」


 厨房には魚介類の生臭いニオイが満ちている。

 これはさっきの爆発によるものではない。ヒミカが冷蔵庫から食材を引っ張り出し、わざとぶちまけたのだ。

 さらに、ちょうど猫が収まりたくなりそうな鍋や籠をそこら中に転がした。猫は、寝る場所の好みも個体差が激しい。だがこれだけあれば一つくらいは気に入るものがあろう。

 さらにさらに、そこへフワレが鶏を放ったわけだ。鳴きながらせわしなく逃げ回り、羽根を撒き散らす鳥。活発で攻撃的な猫なら追いかけるだろうし、ビビリの猫なら恐れおののく。少なくとも飼い主どころではなくなるのだ。


「ジンジャー! おい! 仕事をしろ!

 俺とお前の仲だろう!? 俺びばが!!」


 男は全力で、腕の猫を撫でさする。

 その頭にヒミカは再び、麺棒カリバーの一撃。


 いい音がして男は崩れ落ちる。

 彼の腕に巻き付いていた三毛色流体は解き放たれ、にゅるにゅると宙を滑って鶏を追いかけ始め、いつの間にかどこかへ消えた。


「猫ちゃんを知らない奴が猫ちゃんを語るなんて、ちゃんちゃらおかしい」

「次元獣ですってば」


 ヒミカはどちらかというと犬派だが、保護猫カフェの常連でもあった。

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