<12> 農村訪問
翌日の夕暮れ時、ヒミカたちは街道を外れて脇道に入り、その先の農村に向かった。
そこで最初にヒミカが見たのは、土を練って固めたような高い塀だ。
3メートル以上はあるだろうか、という高い塀が延々続いて、農地全てを囲っているのだ。
「ふっしぎー。土の壁に囲まれてるんだ」
「魔法で土を盛り上げた簡易防壁です。城郭農村の基本形ですね」
珍しがるヒミカに、フワレが解説する。
「魔物の侵入はいくらか防げますが、強力な魔物や群れの侵入には対処できません」
「その時はどうするの?」
「神殿を避難所として、助けが来るまで立てこもります。だから、どんな村にも堅牢な神殿があるんですよ」
「へえー」
今更ながらこうして話していて、ヒミカはフワレの賢さを思い知る。
異世界人であるヒミカにとって、何が理解できて何を知らないか考え、ヒミカが分かるように一から解説してくれるのだから。
土の壁には一箇所、切れ込みが入っていて、そこには格子状の落とし門が設えてあった。
今は門が巻き上げられているが、夜間や、魔物だの盗賊だのが攻めてきたときは即座に門を落とすのだろう。
「メル、鈴を」
「はーい!」
メルティアが、まるで神楽鈴みたいなものを出し、一行の歩みに合わせて振り始めた。
高く済んだ綺麗な音が、夕焼け空に響き渡った。
「なんだなんだ?」
「巡礼だ巡礼だ」
門の脇の櫓に登っていた見張りとか、門の近くの畑で農作業をしていた人々が、鈴の音を聞いてわらわら出て来た。
そして、村に続く道の両脇に並ぶと、手を組み頭を下げる。
祈りのポーズでお出迎え。巡礼団を歓迎しているわけだ。
「ありがたやありがたや、って感じね」
「神殿や聖地を巡る者は、徳を積み、神々の恩寵を受けるとされます。
そしてそのお恵みはまた、巡礼によって分け与えられるそうです。
日々のお仕事に忙しく、お出かけなんかとてもできない皆さんは、巡礼団を拝んだり、もてなして寄進をすることで、その恩寵を賜るんです」
「なーる。よくできた概念だわ」
壁の門を潜ると、一気に視界が開けた。
広い農地のど真ん中を道が突っ切っていて、その先に、建物が集まった集落が見えたのだ。
その更に向こうには、反対側の壁が見える。ここは土壁で囲われた、ひたすら広大なお盆の中で、その中心に村があるらしい。
村へ続く道には続々と人が集まって、巡礼団に祈りを捧げる態勢になった。
もっとも、誰もが静かにそうしているわけではなかったが。
「でけえ!」
「なんだあのシスター!?」
「うちの豚よりデブだぞ!」
「おほほほ、相手がマジに太ってても、それを口にするのは失礼なのわよクソガキども☆」
農作業を手伝っていた子どもたちが、ヒミカを見て、驚いた顔をして、容赦ない感想を述べていた。
「こりゃ、馬鹿たれ小僧が!」
「いってぇ!」
「巡礼のシスターに失礼言ってると、神様が地獄に落とすぞ!」
雷親父のげんこつがクソガキどもに炸裂していた。
* * *
漆喰のような煉瓦のような、不思議な質感の家が並ぶ村の、その中心。
他の建物とは明らかに立派さも堅牢さも異なる、黒い石の大きな建物があった。
これが村の神殿だ。
僧服を着た人の良さそうな老人が四人を出迎える。
「ようこそいらっしゃいました。
このように、のどかな村の小さな神殿です故、碌なおもてなしもできませぬが、どうかごゆるりと」
「お気遣いは無用にございます、神殿長様。
我らは巡礼の身。その日一日の糧と、雨をしのぐ庇にて満ち足りましょう」
セラは殊勝な顔で挨拶を交わす。
「よく言うわ、こんな村まるごと買えるくらいお金持ってるのに」
「あはは……」
メルティアはセラを見て、呆れた顔をしていた。
「さあ、お入りください。部屋はもうご用意しております。
すぐに夕食に致しましょう」
「あ、あの!」
夕食、という言葉を聞いて、ヒミカは即座に手を上げた。
「でしたらメニューについてご相談させていただきたいのですが……」
* * *
神殿の食堂は、意外なくらい広かった。
なんでも祝祭の時に村人が揃って食事を取ったりするのだとか。収穫祭の宴席だの、結婚披露宴だの、その他諸々全部をここで行うのだ。
広い食堂の隅っこだけに侘しい明かりを灯し、長いテーブルの隅っこに巡礼の一行と神殿長だけが座ってディナーを取る。
この村の神殿は神殿長がワンオペで回しているようで、掃除だの料理だのの雑用は村人が代わる代わるやってきて手伝っているのだという。
そしてヒミカの夕食は、というと。
「豆だけ!?」
「野菜も食べてるよ?」
炒めた豆、そして炒めた野菜であった。
「食事制限中は、筋肉の分解を防ぐために定期的にタンパク質を採るの。
夕食をどんなに削ってもこれだけは食べないと」
エネルギー源は三種類。
炭水化物、脂質、タンパク質である。
これを取り過ぎれば太るし、削れば痩せるというのは、まあ誰でも分かることだろう。
だがそうして痩せるに当たって、いかにして筋肉を保存するかが重要だ。
なにしろエネルギーが足りなければ、身体は筋肉まで分解してエネルギーにしてしまう。
筋肉の分解を防ぐ手段は色々と研究されているようだが、単純で確実なのは、まず適度な運動で筋肉に刺激を与えること。……これは問題無いだろう。なにしろ一日中歩きづめだ。この身体では歩くだけでも凄まじい負荷。ヒミカはとっくに全身筋肉痛だった。
そしてもう一つ重要なのが、タンパク質を定期的に適量摂取し、筋肉のエネルギー切れを起こさせないことだ。筋肉は飢えれば自分自身を食い始める。
動物性のタンパク質は吸収が早く、運動前後のエネルギー補給に向く。一方で植物性のタンパク質は吸収が緩やかで、長く筋肉のエネルギーになるため、筋肉の分解を防ぐに適する。ダイエットプロテインと称して売られているものがだいたい大豆由来なのは、それが理由である。
「もっと食べなって!」
「朝ご飯にとっとく。どうせ後は寝るだけだし」
また、夜に食べ過ぎるのもダイエットのためにはよろしくない。
エネルギーを使い切れぬまま寝ても、腹の肉になるだけだ。
極論、夜はタンパク質とビタミンだけで構わないとヒミカは考えている。
「本当にそれで大丈夫なんです?」
「カロリー計算の結果ですから。
今日は朝と昼で十分カロリー取ってるんで、夕飯を削ってるんです」
「かろりい……ねえ」
まだこの世界に『カロリー』とか、それに類似した概念は無いようで、セラは困ったような顔で首を傾げていた。
* * *
その晩、四人は、神殿の客室にて眠った。
旅人や巡礼者、その他諸々を泊めるための部屋が、神殿には用意してあるものだ。
粗末だが掃除の行き届いた、寝台が並ぶだけの部屋。
初夏と言えど夜は存外涼しく、メルティアは勝手にヒミカのベッドに上がり込んできて、ヒミカの二の腕を枕に寝ようとしたが、流石にそれでは腕の血が止まってしまうのですこしズレていただいた。
「お腹の音うるさい」
「ごめん……」
本来一人用のベッドで、しかもヒミカは体積がでかい。そこにもう一人入るとなると、必然的にべったりくっついて、ヒミカのお腹に乗り上げる格好になった。
定期的に鳴る腹の虫を、メルティアは耳を付けて聞くことになった。
「やっぱりもうちょっと食べるべきだったんじゃ……」
「う、うん、まあ……空腹のせいで睡眠の質が落ちると、それはそれでダイエットに良くない……からね。
しょっぱいスープでも作ってもらえばよかったかな……」
筋肉の量と質を保つには、成長ホルモンが不可欠。成長ホルモンを分泌させるには、まとまった時間の良質な睡眠が必要だ。寝る前の暴食も、逆に苦しいほどの空腹も、睡眠の質を下げて筋肉に悪影響を及ぼすのだ。
温かくて塩気のあるスープは、空腹を誤魔化す。単純に身体を温める効果だけでも入眠に妙あり。
かつてのダイエットにおいてヒミカは、空腹で眠れぬ夜のお供に、インスタント味噌汁、コンソメスープ、果てはお茶漬けの素をお湯に溶いて飲んだりしていた。ひたすら省カロリーで空腹を誤魔化そうとしたのだ。
文句を言いながらもメルティアは離れようとしなかった。
ヒミカは、別にうっとうしがるほどのことでもないかと思い、深く考えずに放っておいた。
そしてだいたい10回目、ヒミカのお腹が鳴ったのと同時。
腹の虫とは比べものにならない騒音が頭上から響き渡った。
「なに!?
火事か何か!?」
ヒミカは腹をバウンドさせて跳ね起き、メルティアは一回転して床に転がり落ちた。
すぐ頭上で粗野な鐘が、滅茶苦茶に打ち鳴らされて響いている。
神殿には鐘撞き堂もあって、ここで鐘をついて時間を報せているのだが、今回の鐘は音が違うし、何よりひたすらけたたましい。
「この鐘は、魔物の侵入を報せるものです」
フワレが言った直後、そう遠くない場所から、おぞましい獣の咆吼が上がった。
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