12 『聖杯の儀』の責務を果たさぬ王など、お前が望む王ではあるまい


「いえ、大丈夫です。お気遣いいただき、誠にありがとうございます」


 従者のお仕着せも幸いさほど乱れてはいない。


 かぶりを振って答えると、アレンディスがようやくネベリス達に入室を許した。


 ネベリスとエルメリスが寝台のそばに椅子を運んできて、アレンディスと並んで座る。セレスティアを見やったエルメリスが申し訳なさそうに整った面輪をしかめた。


「まだ顔色が悪いですね。無理を言って申し訳ありません。いま、随行の神官に魔力切れに効く薬草を煎じさせていますので、後でお飲みください。ご心配なく。蜂蜜入りで飲みやすくしてお出ししますから」


 穏やかな声音と悪戯っぽい笑みに、セレスティアの口元も思わずゆるむ。


 険しい声を上げたのはアレンディスだ。


「エルメリス。セスは『聖杯の儀』の際に、聖杯に無理やり魔力を奪われたそうだ。いままでの『聖杯の儀』でも、このようなことがあったのか?」


 詰問するようなアレンディスの声音に、エルメリスが困ったように眉を寄せる。


「申し訳ございません。前王が『聖杯の儀』を執り行われたのは十六年前が最後。わたくしが参加したのは今回が初めてのため、過去にもこのような事態があったのかはわかりかねます。王都の大神殿で過去の記録を調べれば何かわかるかもしれませんが、いかんせん時間が……」


 ラグノール領から王都までは八日もかかる。しかも、そのあと膨大な記録を調べなければならないとなれば、どれほどの時間がかかるだろう。


「ですが、ひとつ推測していることがございます」


「何だ?」


 エルメリスの言葉に、アレンディスが即座に応じる。エルメリスが言葉を選ぶようにして説明した。


「前王様は何年も『聖杯の儀』を行われておりませんでした。おそらく、聖杯は長年空になって飢えていたことでしょう。乾いた砂地がどんどん水を吸い込むように、魔力を吸い込んだのやもしれません。ただ、この推測ではひとつせぬことがあるのですが……」


「解せぬこと?」


 アレンディスの言葉に頷いたエルメリスが、セレスティアとアレンディスを交互に見やる。


「わたくしの目は魔力の流れだけでなく、その者が持つ魔力の量もぼんやりと見ることができますが……。セスの魔力は陛下の魔力に遠く及びません。だというのに、なぜ聖杯は魔力の多い陛下からではなく、セスからだけ奪ったのか……。陛下は聖杯に魔力を奪われるような感覚を味わわれましたか?」


「いや、わたしはそのような感覚は味わっていない。むしろ、うまく聖杯に魔力をそそぐことができず……っ!」


 アレンディスが自分の不甲斐なさを嘆くように、膝の上の両の拳を固く握りしめる。


「わたくしも、その点が不思議でした。なぜ、魔力量の多い陛下からではなく、少ないセスから奪ったのか……。もしかしたら、魔力の流れの安定度が関係しているのかもしれませんが」


「魔力の流れの安定度……?」


 アレンディスの呟きに、頷いたエルメリスが、セレスティアとアレンディスを目を細めて見やる。


「はい。セスの魔力の流れは非常に安定していますが、陛下の魔力の流れは非常に不安定です。まるで、穏やかに流れる小川と、嵐で逆巻く海のように……。もしかしたら、その点が聖杯に魔力を奪われたかどうかの違いになったのやもしれません」


「では、わたしが魔力の流れを安定させることができれば、もうセスをこんな目に遭わせずに済むということか!?」


 アレンディスがエルメリスに身を乗り出す。


 同時に、セレスティアは小さく息を呑んだ。


 そうだ。『聖杯の儀』を行わねばならない聖杯は、まだ三つも残っている。


 明日にはラグノール領を出立し、次の聖杯へ向かわねばならないのだ。


 いまは身を起こすことさえつらいというのに、果たして次の聖杯に着くまでにセレスティアの魔力が回復するのか。魔力切れを起こしたことなど初めてなので、まったくわからない。


 それに、回復したとしても、『聖杯の儀』を行うたびに気を失っていては、早晩、疑いの目が向けられるだろう。


 エルメリスが困ったように眉を寄せた。


「陛下がおっしゃるとおり、今後の『聖杯の儀』を考えるに、陛下の魔力を安定させることが急務であることは確かです。ですが……。陛下はただでさえ多くの魔力をお持ちのため、なかなか安定させづらい上に、これまで、魔力の鍛錬を積まれてきたわけではございません。そのため、無茶をすれば魔力が暴走する可能性がないとも限りません」


「っ!?」


 エルメリスの言葉に、アレンディスが不意に刃を突き入れられたように端整な面輪を歪める。


 ちらりと物言いたげにセスを振り返ったアレンディスが、結局、何も言わぬままエルメリスに向き直った。


「ならば、どうすればよいのだ。わたしはこれ以上、セスに『聖杯の儀』のつらさを負わせる気はない。仮初かりそめの王になど、なってたまるものか。エルメリス、お前とてこのままでよいとは考えていないのだろう?」


 エルメリスに代わって低い声を発したのは、それまで黙していたネベリスだ。


「……今回の『聖杯の御幸』さえ終わらせられれば、次の御幸は三年後。それまでに対策を考えるということも可能ですが」 


 アレンディスの碧い瞳がきっ! とネベリスを睨みつける。


「ネベリス! わたしを祭り上げたお前がそれを言うか! お前が求めているのは、前王とは違う、オルディアン王国を正しく導く王だろう!? 『聖杯の儀』の責務を果たさぬ王など、お前が望む王ではあるまい!」


 刃のようなアレンディスのまなざしにも、ネベリスは動じない。


「陛下が現状に甘んじられる方ではないというのは、先ほどのお言葉だけでわかりましたから。ならば、いま為すべきことは、陛下の治世を盤石にすることに他なりません。そんな時に陛下の魔力が暴走するような事態があってはならぬのはおわかりでしょう?」


「そのためにセスを犠牲にしろと言うのか!?」


 アレンディスの激情を宿した碧い瞳と、ネベリスの冷ややかな湖水色の瞳がぶつかりあう。


 だが、どちらも一歩も引く様子はない。


 話題の中心は自分のことでありながら、従者の身ではどう口をはさめばよいかわからず、セレスティアが困り果てていると、不意にエルメリスがにこやかな笑顔でぽん、と両手を打ち合わせた。


「では、こういうのはいかがですか? 陛下がセスに魔力の扱い方を習うというのは?」


「エルメリス様っ!?」


 予想だにしていなかった提案に、すっとんきょうな声が飛び出す。アレンディスも驚きに碧い瞳を瞠っていた。


 表情を変えなかったのはネベリスだけだ。


 セレスティアとアレンディスの様子に頓着とんちゃくせず、エルメリスがにこにこと言を継ぐ。


「わたくしがお教えしてもよいのですが、王族の血を引く者とそれ以外の者では魔力の質が違います。わたくしより、セスが教えたほうが陛下も感覚を掴みやすいでしょう。それに、セスならば従者ですから、陛下のおそばにいて不思議なことは何ひとつありません。わたくしと異なり、不審な目を向けられることもないでしょう」


 エルメリスが言うことはもっともだ。


 だが、エルメリスの提案は、セレスティアには受け入れがたい。


 セレスティアの正体を知らぬアレンディスのそばにいるということは、いつ正体がばれるかと常に不安につきまとわれ、気を張ることになるだろう。


 セレスティアが自分の処刑した政敵の娘と知れば、アレンディスはきっと忌まわしく思うに違いない。セレスティアだけが疎まれるならまだしも、セルティンにまでるい及ぼすことは決してできない。


 だが、いまのセレスティアは従者の身だ。


 何と言って断れば、穏便に辞退できるのかと思い悩みながら、いかにも恐縮している様子を装っておずおずと口を開く。


「エルメリス様。私をご評価してくださるのはありがたいことでございますが、私とてちゃんとした修練を積んだわけではございません。私が陛下にお教えするなど、あまりに畏れ多いことで……」


「セス」


 セレスティアに向き直ったアレンディスが言葉を遮る。


 大きな手のひらが、ぎゅっとセレスティアの指を掴んだ。


「お願いだ。どうか、わたしに魔力の扱い方を教えてもらえないか? ……もうきみに負担をかけたくない。自分の手で『聖杯の儀』を執り行えるようになりたい、いや、ならなければならないんだ」


 熱意のこもった真摯な声。指先を掴む手にはすがるように力がこもっていて、告げるはずだった言葉が火にあぶられた雪のように融けていってしまう。


 碧い瞳に祈るように見つけられ、ついに根負けする。


「……私で、よろしければ……」


 アレンディスのまなざしから逃げるようにうつむき、ぼそぼそと答えると、両手でぎゅっと握られた。


「ありがとう! 感謝する!」


 ぱあっと顔を輝かせ、はずんだ声で告げるさまは、しっぽをぶんぶんと振る大型犬のようで、思わずずるいと思ってしまう。


 アレンディスはセレスティアと同じ十七歳のはずなのに、十歳のセルティンと同じような笑顔を見せるなんて。


「どこまでお役に立てるかわかりませんが、できる限り努めます……」


 アレンディスにつられて思わずゆるみそうになった顔を隠すように、セレスティアはあわてて頭を下げた。


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