11 どれほど詫びても詫び足りない
きらきらと、噴水の水が明るい陽光を受けて宝石のようにきらめいている。マスティロス公爵邸のよく手入れされた庭の中でも、セレスティアは噴水がよく見える
いや、好きな理由は噴水だけではなく――。
「セレスティア……」
セスとなってから、呼ばれるはずのない本当の名前に、セレスティアの意識がゆっくりと浮上する。
「うぅん……」
かすかな声を洩らし、まぶたを開けようとした途端、間近から切羽詰まった声が聞こえた。
「セス!」
聞き間違いようのない耳に心地よい美声。
驚きに重いまぶたをこじあけたセレスティアの眼前に飛び込んできたのは、真剣極まりないアレンディスの面輪だった。
「どうだっ!? 気分は……っ!?」
「へい、か……?」
なぜ、アレンディスがセレスティアの目の前にいるのか。
というか、気を失ってしまったが、『聖杯の儀』はいったいどうなったのか。
「あ、あの、『聖杯の儀』は……?」
身を起こそうとするが、身体に力が入らない。そこでようやく、セレスティアは自分が柔らかな寝台に寝かされていることに気がついた。
「無理をするな。血の気がなくて真っ青だったのだぞ」
寝台のそばに置いた椅子に腰かけたアレンディスが身を乗り出し、セレスティアの右肩を包んでそっと寝台に押し留める。
「まだ顔色がよくない。頼むから、ゆっくり休んでくれ」
肩から手を離したアレンディスの大きな手のひらが、壊れものを扱うようにそっとセレスティアの頬を包む。
その手のあたたかさに、自分の身体がどれだけ冷えているのか思い知らされ、思わずふるりと震えてしまう。
と、我に返ったようにぱっとアレンディスの手が離された。
「わ、悪い……。そ、その……っ」
あわてたように視線を揺らしたアレンディスが、小さく咳払いする。
「心配は無用だ。『聖杯の儀』は無事に終わった。それもこれも、きみのおかげに他ならない。いったい、どれほどの感謝を伝えればよいか……っ! いや……」
アレンディスの声が低く沈む。
「どれほど詫びても詫び足りない。気を失うほどつらい目に遭わせてしまうとは……っ! すまない。わたしがうまく魔力を扱えなかったばかりに……っ! 謝罪程度で許されるとは思わない。それでも……。本当に、すまなかった……っ!」
身を二つに折るようにして深く頭を下げられ、驚愕する。
まさか、国王であるアレンディスにこんな風に謝られるなんて、予想だにしていなかった。
「へ、陛下っ、おやめください……っ! 陛下が謝られる必要などございません! 私は、このために陛下にお仕えしているのですから……っ!」
鉛のように重い手を動かし、アレンディスの肩に手をかけ無理やり起こそうとすると、肩に届くより早く、はっしと指先を掴まれた。
「誰がどう考えても、わたしのせいだろう!? わたしが不甲斐ないせいで、きみを……っ!」
アレンディスが泣き出してしまうのかと、セレスティアは思わず心配になる。
それほど、アレンディスの面輪が苦しく切なげで。
セレスティアが知る貴族は皆、従者のことなど気にもしない
昨日、セレスティアを気遣ってお茶とお菓子をごちそうしてくれたことと言い、平民育ちだというアレンディスは、ふつうの貴族とは考え方が違うのかもしれない。
ともあれ、己を責めるアレンディスをこのままにはしておけない。
「陛下、お願いですから従者などに謝罪なさらないでください。宰相様が見られたら何とおっしゃるか……っ」
言いながら周りに視線を巡らせて、ここがラグノール侯爵の屋敷のアレンディスに割り当てられた部屋だと気づく。どうやら部屋の中にはいまアレンディスとセレスティアしかいないらしい。
気を失った後、いったい何があったのかわからないが、まさか国王陛下の寝台を奪ってしまうとは。
とんでもない事態に、ただでさえくらくらしている頭から、さらに血の気が引く。
「陛下、申し訳ございませんっ! あの……っ」
身を起こして寝台から下りたいのに、まるで鉛に変じたように身体が重くて動かない。
「セス?」
もぞもぞと身じろぎするセレスティアに、顔を上げたアレンディスが不思議そうな顔をする。
「陛下の寝台をお借りしてしまって申し訳ございません。すぐにでも下りたいのですが、その、身体がうまく動かなくて……」
聖杯に根こそぎ魔力を奪われたせいだろうか。身体が重くて仕方がない。上半身を起こすどころか、頭を持ち上げるのさえ難しいほどだ。
セレスティアの言葉に、アレンディスの美貌がふたたび苦しげに歪む。
「無理に起き上がろうとしなくていい。きみに割り当てられた部屋に無断で入っては悪いかと、わたしが勝手にこちらへ連れてきたんだ。寝台くらい、遠慮なく使ってくれればいい。体調はどうだ? 医師を呼んできたほうがいいか? 何かほしいものは……」
「い、いえっ、しばらく休ませていただければ大丈夫だと思いますので……っ」
少年従者に化けているのに、医師なんて呼ばれてはたまらない。
つないだ手にぎゅっと力を込めて身を乗り出すアレンディスに、セレスティアはあわてて告げる。
「おそらく、魔力が枯渇したせいで、身体が重いだけなのです」
セレスティアはいままで経験したことはないが、本で読んだ記憶がある。限界以上に魔力を使うと、反動で身体にまで影響が出てしまい、ろくに身体が動かせなくなるらしい。だがまさか、魔力切れの症状ががこれほどつらいとは、思ってもいなかった。
「魔力切れを起こすほど……っ! どうして、そこまで……っ!?」
かすれた声をこぼしたアレンディスに、「いえ、その……っ」とあわてて言を継ぐ。
「違うのです。聖杯に魔力をそそいでいると、私の意思を無視して、どんどん魔力が引き出されてしまったのです。まるで、聖杯に奪われているかのように……」
「聖杯に……っ!? 確かに、わたしの魔力はろくにそそげず、きみの魔力だけがどんどん聖杯に流れ込むのを感じたが……」
アレンディスがきつく眉を寄せたところで、扉がノックされる。
「陛下。入ってもよろしいですか? エルメリス殿もお連れいたしました」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ネベリスの声だ。アレンディスがわざわざ立ち上がって扉へ歩を進める。
「何用だ。セスが休んでいる。わたしに用事があるというのなら、別室で聞こう」
薄く扉を開けたアレンディスが応じる。セレスティアの位置からは、ネベリス達の姿は見えない。
「セスはまだ意識を取り戻していないのですか?」
穏やかな声で気遣わしげに問うたのはエルメリスだ。
「いえ、もう目覚めております」
かすかな声だったが、エルメリスに届いたらしい。
「ああ、よかったです」
と、ほっとしたような声をこぼしたエルメリスが、だが、すぐに声を硬くする。
「もし叶うなら、『聖杯の儀』で何が起こったのか、セスに話を聞きたいのですが……。可能でしょうか?」
エルメリスの言葉に、アレンディスが気遣わしげな表情でセレスティアを振り返る。
その顔は、セレスティアが望まないなら二人を追い返すと言いたげで、セレスティアはあわてて口を開く。
「大丈夫です。その、このままでもお許しいただけるならですが……」
身を起こそうと必死になるセレスティアの姿を見たアレンディスが、「少し待て」とネベリス達に告げると駆け足で寝台へ戻ってくる。
「頼むから無理はしてくれるな」
端整な面輪をしかめながらも、セレスティアの意を
「つらければすぐに言ってくれ」
身を起こすこともままならないセレスティアを、アレンディスが抱きかかえるようにしてそっと起こしてくれる。
身体に回された力強い腕と、抱きしめられた瞬間、かすかに
身を起こしているのが楽なように背中側にたくさんのクッションを置いてくれたアレンディスが、心配そうにセレスティアを覗き込む。
「どうだ? クッションの具合が悪いところはあるか?」
この上なく心配そうなアレンディスの様子に、どうしてここまで気遣ってくれるのだろうと不思議な心地になる。
従者であるセスのことなど、ラソルに任せておけばよいだろうに。
こんな風に親切にされては、アレンディスは親切で信頼に足る人柄なのだと、信じてしまいそうになる。
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