7 そうだ。国王命令だ


「陛下にお気遣いいただけるとは、光栄極まりないことでございます。確かに、慣れぬことばかりでご迷惑をおかけし、我が身の不甲斐なさを恥じ入るばかりでございます。ですが……。私は従者なのです。陛下のお手をわずらわせるわけにはまいりません。どうか、私のことなど、お捨て置きくださいませ」


 背筋を伸ばしてきっぱりと告げ、深々と頭を下げる。


 同じ庶子として、アレンディスに取って代わろうとしていると誤解されてはたまらない。


 セレスティアは王位につきたいなど、欠片も思っていないのだから。


 誤解されぬよう、丁寧に恭順の意を示す。


 だが、アレンディスから返ってきたのは、尊大な頷きでも安堵の吐息でもなく――。


「きみを捨て置けるわけなどないだろう!?」


「っ!?」


 テーブルに手をついたアレンディスが身を乗り出す。


 思いがけない強い口調に驚いたセレスティアの手がカップの取っ手に当たり、かしゃんと硬質な音を立てた。


 その音にアレンディスが我に返ったように気まずげに視線を揺らす。


「いや、その……っ」


 おろろとうろたえるさまは、言い訳を探す子どものようだ。


「従者を気遣うのは、上の者の務めだと聞いている。それに、明日は『聖杯の儀』があるだろう……?」


 言われた瞬間、セレスティアはようやくアレンディスの真意を悟る。


 つまり、アレンディスは、疲労のせいでセレスティアが明日の『聖杯の儀』で失敗したらどうしようかと不安に思っているというわけだ。


 やはり親切の裏には思惑があったのだと、安堵すると同時に、心がしんと冷えていく心地がする。


 が、口元に浮かべたのはさも真心がありそうな笑みだった。


「ご心配はいりません。私が随行しているのは『聖杯の儀』のため。必ずや、聖杯を魔力で満たしてみせます」


 たとえ、アレンディスが魔力をうまく扱えなくても心配はいらないのだと、にこやかに笑って伝える。


「もちろん、自分の功だと口外するようなことはいたしません。ですのでどうぞ、ご安心ください」


 告げた瞬間、アレンディスの端整な面輪が刃で貫かれたように歪む。傷ついた子どものような、どこか哀しげな表情。


「すまない……。わたしが不甲斐ないせいできみに……」


 深く頭を下げられ、驚愕する。


 まさかアレンディスに詫びられるなんて、思ってもいなかった。


「へ、陛下っ、おやめくださいっ! 国王陛下が一介の従者に頭を下げるなんて、そんな……っ! 宰相様が知ったら何とおっしゃることか!」


 泡を食ってアレンディスを押し留めようとすると、かたくなな声が返ってきた。


「ネベリスは関係ない。わたしがきみに謝りたいんだ。きみには申し訳ないことをしている。何と詫びればよいか……」


「いえっ、陛下にお詫びいただくことなんて何もございませんので……っ!」


 ぶんぶんぶんっ! と両手と首を必死に横に振る。


 なんというか、言動が読めなくて大いに困る。


 ネベリスが考えた設定では同じ庶子とはいえ、片や貴族や国民に待ち望まれた希望の新王。片やひっそりとアレンディスに仕える従者だ。


 だというのに、なぜ『セス』などに謝るのだろうか。セレスティアの感覚ではまったく理解できない。


 そこまで考え、アレンディスはつい三か月前まで貴族とは関わりなく平民として暮らしていたのだと思い出す。


 立派な衣装とラグノール侯爵への落ち着いた態度に、すっかり頭から抜け落ちていた。


 国王にふさわしくあろうと、他人の目があるところでは毅然きぜんとした態度をとっているものの、本来のアレンディスの性格はこちらなのかもしれない。


 だからといって、警戒を解くつもりはないが。


 と、恐縮するセレスティアに、アレンディスが不意に笑みを向ける。


「そんな風に言ってくれるなんて……。きみは、優しいんだな」


 甘やかな笑みに、なぜかぱくりと心臓が跳ねる。

 ごまかすようにセレスティアはふたたびかぶりを振った。


「私は、優しくなどありません。……『聖杯の儀』のお手伝いをさせていただくのは、私自身のためなのですから」


 セレスティアの望みは、マスティロス新公爵となった愛する弟・セルティンを守り、叶うならば自分自身も生き残ることだ。


 セレスティア達が平穏な暮らしを手に入れるためには、アレンディスの治世が一日も早く盤石ばんじゃくとなってくれたほうがよい。そうすれば、セレスティアやセルティンを旗頭に担ぎ上げようとする前王派もいなくなるに違いない。


「きみ自身の……?」


 アレンディスの端整な面輪がいぶかしげにしかめられる。余計なことまで言ってしまったと、セレスティアはあわてて話題を変えた。


 アレンディスの笑みに動揺してしまったとはいえ、迂闊うかつすぎだ。


「あの、本当にお気遣いいただきありがとうございます。ですが、あたたかなお茶と甘いお菓子に、たいへん癒されました。そろそろ失礼させていただこうと思うのですが……」


「まだクッキーを一枚食べただけじゃないか。それに、顔色もまだよくない。もしネベリスに何か言いつけられていたとしても、わたしがお茶につきあわせたのだと言えばいい。……お願いだから、もう少しゆっくりしてもらえないか?」


「……それは、国王命令ですか?」


 年齢も体格も違うというのに、まるでごほうびをねだる大型犬みたいな様子が、無邪気に慕ってくるセルティンの子犬みたいな雰囲気を彷彿ほうふつとさせる。


 思わずほだされてしまいそうになり、これではいけないと、セレスティアはあえて冷たく問いかけた。


 てっきり顔をしかめるかと思いきや、虚をつかれたように目を瞬いたアレンディスが、よいことを聞いたとばかりに唇を吊り上げる。


「ああ、それはいいな。そうだ。国王命令だ。ゆっくり休んで、茶と菓子を楽しんでくれ。これなら、否はないだろう?」


「……かしこまりました。謹んでお受けいたします」


 余計な入れ知恵をしてしまったと後悔するが、もはや手遅れだ。


 それに、理性はともかく、心の片隅が久しぶりの菓子と茶を確かに喜んでいる。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えていただきます」


 小さく笑みを浮かべ、セレスティアは二枚目のクッキーに手を伸ばした。


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