6 国王陛下とのお茶


「――セス? どうした?」


 アレンディスのいぶかしげな声に、ネベリスが屋敷を訪ねてきた三か月前のことを思い返していたセレスティアは、はっと我に返る。


 ラソルが退室し、二人きりになった部屋で、テーブルに着いたアレンディスが気遣わしげにセレスティアを見ていた。


 ああ、まただ。と、セレスティアは己の心がそわりと揺れ動くのを感じる。


 この旅の間、アレンディスの視線を感じることがやけに多かった。


 直接話しかけられるわけではない。国王であるアレンディスの周りには常に人が多く、できる限り目立たぬよう行動するようにとネベリスに命じられていたセレスティアは必要最小限しかアレンディスと接さないように気を遣っていた。


 だが、離れているにもかかわらず、ふとした瞬間にアレンディスの視線を感じるのだ。

 正体がばれてはいけないと気を張っているからかもしれない。だが、セレスティアの自意識過剰だと断じるには、あまりに視線が合うことが多すぎて……。


 気にしてはいけないとわかっているのに、どうしても意識せずにはいられない。


 セレスティアを見つめるアレンディスのまなざしが、あまりに優しく同時に切なげで。


 アレンディスの碧い瞳を見ていると、セレスティアまで胸の奥が甘くうずくような切ない気持ちになってしまう。


「大変申し訳ございません」


 一緒にテーブルにつくようにと告げたアレンディスの言葉が想像の埒外らちがいだったとはいえ、主人の前でぼんやりしてしまうとは何事だろう。厳しく叱責されても仕方がないところだ。


 動揺を隠して身を二つに折るようにして心から詫びると、


「そんなにかしこまらないでくれ」

 と、困ったような声が降ってきた。


「さあ、かけてくれ」


 優しい声音に戸惑いながら、「失礼いたします」と、言われたとおり席に着く。


 アレンディスに仕えることになったものの、いままで事務的な会話を交わしたことしかない。二人きりになったこと自体、初めてだ。


 平民育ちゆえか居丈高なところはないが、同じ前王の庶子というふれこみの『セス』にどんな感情を抱いているのかは、まったく想像がつかない。


 いつもセレスティアに向けられるあのまなざしが何を意味しているのかも。


 『聖杯の儀』を無事成就させるための道具だと思われているのなら、まだいい。


 だが、もし同じ庶子として、魔力をうまく扱えぬ自分の王位を狙う簒奪者さんだつしゃだと思われていたら……。


 自分の想像に、ぞっと血の気が引く。


 アレンディスは剣をいていないが、せ気味とはいえ長身のアレンディスと小柄なセレスティアでは、体格差がありすぎる。もし襲いかかられ、首を絞められたらろくに抵抗もできないだろう。


 ラソルを引き留めておけばよかったと悔やんでも後の祭りだ。仮にもネベリスが旗頭として選んだアレンディスが、目先の欲に目がくらんでセレスティアを手にかけるような愚か者ではないことを願うしかない。


「そんなに警戒しないでほしい。慣れぬ馬車の旅に疲れているのではないかと……。ただ、きみに少し休んでほしいだけなんだ」


 緊張に強張るセレスティアの様子をどう受け取ったのか、アレンディスが形良い眉を困ったように下げる。


「え……?」


 思いもよらなかった言葉に、呆けた声が洩れる。アレンディスの碧い目が柔らかな弧を描いた。


「ネベリスから、従者として仕えるのも、長い旅も初めてだと聞いている。ラグノール侯爵領へ着くまで、大変だっただろう? いまなら、ここにいるのはわたしだけだ。せめて、少しだけでも休んでほしい。さあ、冷める前に飲んでくれ」


 アレンディスの長い指先が、セレスティアの前のティーカップを示す。


 こんな風に気遣われるなんて、予想だにしていなかった。


 ティーカップから上がる湯気に誘われるように手に取り、口へ運ぶ。そそがれていたのは蜂蜜入りのカモミールティーだった。


 優しい甘さと林檎りんごに似たすっきりとした香り、胃の腑に落ちたあたたかさに、思わずほぅっと吐息がこぼれる。


 あたたかくて甘い飲み物なんて久しぶりだ。公爵令嬢の時には当たり前に享受していたもののありがたさを、失くして初めて実感する。


 もうひとくちじっくり味わって飲み、ふたたび息を吐き出すと、セレスティアの表情がゆるんだのに気づいたのだろう。アレンディスがほっとしたように小さく吐息した。


「甘い菓子もある。遠慮せずに手をつけてほしい」


 先に自分が食べねばセレスティアが手を出しにくいと思ったのか、アレンディスが何種類かのクッキーが盛られた皿に手を伸ばす。


 甘い香りに誘われて、セレスティアもジャムがのっているクッキーに手を伸ばした。


 口に入れるとさくりとした食感に次いで、バターの風味と蜂蜜の甘さ、木苺のジャムのほのかな甘酸っぱさが口の中に広がる。


 クッキーがほろほろと口の中で崩れていくのと一緒に、緊張までほどけていく心地がして、セレスティアははっと我に返ると気を引き締めた。


 小さい子どもでもあるまいし、菓子ひとつで懐柔されるなんて他愛なさすぎる。そんなことはあってはならない。


「……どうして、お気遣いくださるのですか?」


 セレスティアに優しくしてくれるアレンディスの意図が読めず、真意を探るようにじっと碧い瞳を見つめると、意外なことを問われたと言わんばかりにアレンディスが目をしばたたいた。


「従者を気遣うのは、当然のことだろう? それに……」


 アレンディスの形よい眉が心配そうに寄る。


「きみが、ひどく疲れた様子だったから心配だったんだ。すまない。もっときみを気遣うべきだった。旅の間、ずっとネベリスと同じ馬車というのは気詰まりだったんんじゃないか?」


 端整な面輪をしかめて告げるアレンディスは、純粋にセレスティアを心配しているように見える。


 だが、素直に信じるわけにはいかない。


 優しげな顔でこちらの警戒を解いた上で、隙を見せた途端、豹変ひょうへんする可能性もある。いまのセレスティアの立場は薄氷の上を歩いているようなものだ。


 一歩間違えれば、弟ともども処刑されかねない。最大限警戒しておくに越したことはない。


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