5 冷血宰相との取引


『幼い弟君を――。新しいマスティロス公爵を守るすべがあるとしたら、どうしますか?』


 約二か月前。逆賊として処刑されたゆえに、身内だけでひっそりと父の葬儀を終えた日。


 たったひとり護衛を従えただけで内密に公爵家を訪れたネベリスは、喪服に身を包んだセレスティアに悪魔のような問いを投げかけた。


 うっすらと唇を吊り上げたネベリスは、低い声で言を継ぐ。


『この話を聞けば、あなたは後戻りできません。ですが……。見事、務めを果たしてくださった時には、あなたの身と、弟君の身の安全。そして公爵家の未来をお約束しましょう』


 セレスティアに、最初から選択肢はなかった。


 前国王派の重臣として処刑された父の跡を継ぐのは、まだたった十歳の幼い弟セルティン。そして前王太子の婚約者だったセレスティアもまた、いつ逆賊として処刑されるか明日をも知れない身だ。


 セレスティアが死ぬだけならばいい。だが、セルティンが無事でいられる保証はどこにあるのか。


『……わたくしに、何をさせるおつもりなのです? いまをときめく新宰相様が人目を忍んで来られるなど……。真っ当な取引とは思えませんけれど』


 ひるみそうになる気持ちをおして、真っ直ぐにネベリスを見返す。


 前国王派は破れたものの、すべての貴族が新王アレンディスに忠誠を誓ったわけではない。処刑された前国王と戦場でアレンディスに打ち負けた王太子に代わる新たな旗頭を捜しているという噂も耳にしている。


 その場合、最も狙われるのは――。


 愛するセルティンの顔が脳裏をよぎり、セレスティアは無意識に唇を噛みしめる。


 セレスティアとセルティンの亡き祖母は、王家から降嫁した王女だ。


 前国王に兄弟姉妹はおらず、一人息子だった王太子も戦死したいま、王家の血を引いていると公的に認められているのは、セレスティアとセルティンの姉弟と前王の庶子というふれこみのアレンディスだけだ。


 セルティンを前王派の旗頭になど、させるわけがない。セレスティア自身もなる気など欠片もない。


 そもそも、まだ十歳で魔力の少ないセルティンが『聖杯の御幸』に耐えられると思わない。


『姉様、大好き!』


 と、まばゆいほどに純真な笑顔を向けてくれるセルティンを守るためならば、セレスティアはどんなことでもする。


『宰相様の先ほどのお言葉が真実ならば、どんなお話であろうともお受けいたしましょう』


 覚悟を決めてきっぱりと告げると、ネベリスが湖水色の瞳をわずかに見開いた。


『素晴らしい決断力ですね。では、セレスティア嬢の胆力に敬意を表して、わたくしも単刀直入に申し上げましょう』


 次いで、ネベリスが告げた言葉は、セレスティアが予想だにしていない内容だった。


『実は、現在アレンディス陛下は魔力が安定せず、『聖杯の儀』を無事に執り行えるか定かではありません。セレスティア嬢。王族の血を引くあなたならば、聖杯に魔力をそそぐことが可能ですね? もし、陛下がうまく魔力を扱えなかった時のために、あなたに身分を隠して陛下の従者となり、『聖杯の御幸』に同行していただきたいのです』


 と。


 聞いた瞬間、何の悪い冗談かと思った。


 『聖杯の儀』を行うことこそが、新王アレンディスの正統性を唯一示すことだというのに、それを行えないとは。


 セレスティアの顔に浮かんだ表情を的確に読んだらしいネベリスが肩をすくめる。


『ご安心を。アレンディス陛下が前王の血を引いていることも、我が領の聖杯に魔力をそそいだことも真実です。前王をしいしたわたくしでも、さすがに王家の血を引いていない者を王族だとたばかりはしませんよ』


 王太子を戦場で討ち取り、国王や主だった重臣を処刑しておきながら、何をいけしゃあしゃあと、と口をついて出そうになるのをかろうじてこらえる。


 が、ネベリスにはセレスティアが考えたことなどお見通しなのだろう。淡々とネベリスが言を継ぐ。


『わたくしは魔力を扱えぬゆえ、実感としてはわかりかねますが、神官長が言うには、魔力はなかなか繊細なもののようですね。精神的に不安定になると、それまで難なく使えていた魔力が使えなくなることも多いとか……。どうやら、現在のアレンディス陛下は、そういった状態のようなのです。突然の即位に、お気持ちがついていっていない状況のようでして……』


 セレスティアはアレンディスがどのようにネベリスに見出されたのか知らない。


 だが、それまで、平民として暮らしていた青年が、ある日突然、国王の血を引いていると言われ、一度『聖杯の儀』を成功させたことであっという間に旗頭に祭り上げられ、即位させられたのだ。


 想像もできない激変だったことはたやすく予想できる。


『アレンディス陛下の治世を盤石ばんじゃくにするためにも、『聖杯の御幸』を行わぬという選択肢はありません。貴族も民も、新たな王の祝福を待ちわびています。この『聖杯の御幸』は、決して失敗させるわけにはいかないのです』


『だから、アレンディス陛下がうまく魔力を捧げられなかった時のために、私を控えさせておこうと?』


『そのとおりです。――セレスティア嬢は、『聖杯の儀』の経験がおありでしょう?』


 ネベリスの問いかけに、とっさにごまかそうとして、失敗する。それでも、セレスティアは無駄と知りつつ抵抗を試みた。


『国王陛下が執り行うべき『聖杯の儀』を、私が代わりに執り行うなんて……。そんな不敬が許されるはずがございませんわ』


『ですが、ここ五年ほど、マスティロス公爵領は不作知らずでございましょう?』


『それは、マスティロス領の領民達の努力の賜物たまものですわ』


 セレスティアはにっこりと微笑んでネベリスに応じながら、脳内で素早く思考を巡らせる。


 おそらく、ネベリスはマスティロス領のここ数年の収穫量をすでに調べているのだろう。


 切れ者と噂のネベリスのことだ。今回、アレンディスの代わりに聖杯に魔力をそそげという話も、セレスティアが『聖杯の儀』を執り行えるという確信を得たうえで持ってきたに違いない。


 処刑された父から聞いたわけではないだろう。傲慢ごうまんで王家の血を引くことを鼻にかけていた父がネベリスと懇意こんいにしている姿など、逆立ちしても想像できない。


 むしろ、イルテンス公爵との取引を掴んでいたと言われたほうが納得する。


 セレスティアは小さく咳払いすると、できるだけ、落ち着きはらっているように見せかけながら、ネベリスを見返す。


『宰相様、よろしいのですか? 私にこんな秘密を打ち明けて。もし、私がアレンディス陛下の秘密を口外すれば、前王派が黙ってはいないでしょう。新王は詐欺師だと、屋台骨が揺らぎかねませんわ』


 あえて挑発的に告げると、ネベリスが薄い唇を吊り上げた。


『そして、セレスティア嬢とマスティロス新公爵が旗頭に祭り上げられぬよう、わたしが処刑の命令書に署名するというわけですか? セレスティア嬢のように聡明な方が、そんな愚かなことをされるとは思えませんが?』


 淡々と事実を告げたネベリスに、セレスティアは己の敗北を悟る。


 もしセレスティアがアレンディスの障害になることがあれば、ネベリスは一片のためらいもなくセレスティアとセルティンの死刑執行書に署名をするだろう。


『ひとまず、『聖杯の御幸』の準備が整うまで、セレスティア嬢には身を隠していただきましょうか。従者として仕えていただくとしても、ある程度の所作や知識は学んでいただく必要がございますし』


 セレスティアは唇を噛みしめてネベリスの言葉を聞く。


 ネベリスを客間に通した時から、いや、ネベリスがセレスティアを訪ねようと決めた時点で、セレスティアが選べる道はたったひとつしかなかったのだ。


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