第3章 終焉の八月編

第17話 心の中の黒いモノ

俺は遊びに来た四人を、玄関からリビングへと誘導する。Yは靴を脱いで綺麗に並べると、俺にこんな事を言ってきた。


「ちょっと家の中を紹介してよ」


俺は面倒臭いとも思ったが、しかし、結局紹介することにした。

遊びのときまで喧嘩はごめんだからな。



    *    *    *



これは、俺がまだ小学三年生になったばかりのころの話だ。

俺の小学校では二年に一回クラス替えがあって、Yとは三年生で初めて同じクラスになった。


これは今もなんだが、俺は今まで恋愛というものを強く意識したことはなかった。それは女子に対してただ否定的である、というわけではなくて、ただ単に愛情と友情の違いが分からないのだ。

だから、俺は女子でも男子と同じように接していた。特に好かれるような事も、嫌われるような事もしていないつもりだった。

ことなかれ主義をモットーに日常を過ごしていた俺は、そうして「普通」を演じてきたのだ。


平和な日常は、ある日突然崩壊した。

三年生一学期の始業式の日、なんと俺は同じクラスの女子に告白されたのだ。

その人の名前はYといった。


昼に学校が終わったのち、俺は突然見知らぬ女子から校舎裏に呼び出される。

俺は朝学校に来たとき、まだ移動したばかりの靴箱にある手紙が入っていることに気がついた。それは、可愛らしい丸い字が載ったピンクの小さな紙で、いかにもなラブレターだった。そこにはYの名前と、放課後校舎裏に来るよう催促する旨が書かれていた。

俺は断ろうと思って、放課後行くことにしたのだった。



Yとは今まで一度も話したことは無かった。

なんならYの存在と名前は、そのラブレターで初めて知った。一、二年生のときは全く関わりも無かったし、俺は特に女子と多く絡む人でも無かったからだ。

俺は、なぜこの俺にこんな手紙が来るのか不思議でたまらなかった。


俺は少しドキドキしながら校舎裏に着く。そこには、風に艶やかな髪をなびかせる、華奢な少女が遠くを見つめて立っていた。

俺は緊張して心臓の鼓動が早くなる。俺がこれからする事を思うと、罪悪感でその少女の顔を真っ直ぐ見れなかった。

少女はこちらに気がついて、振り向いて話し始めた。


「来てくれてありがとう」


少女は深呼吸をしてから、また続けた。


「私の事は知らないと思うけど、」


太陽が雲から顔を出し、その日差しがYの顔を明るく照らし出す。Yは不安そうな顔をしているが、それでもその顔は美しかった。


「好きです」


俺はその言葉を聞いて、ハッとした。

俺にはこの状況を断る事はできない。


俺には、嫌われる勇気が欠けていたのだ。




少しの間意識が朦朧としていた俺は、太陽が雲の後ろに隠れて辺りが暗くなって、気がついた。

そこに、もうYはいない。

俺は一生懸命あの瞬間を思い出そうとする。

Yは俺に告白した。

俺は自分のするべき行動が分からず、黙り込んでしまった。Yは俺の方を見ずに言った。


「君が私のことを好きじゃないのは知ってるよ。こんなの迷惑だよね」


Yは吐き捨てるように言った。するとすぐに、Yは俺の横を逃げるように走り去っていった。

Yが横を通るとき、彼女の目に涙が見えたような気がした。

俺は本心も言えないまま、放心してしまった。



次の日、俺はくまの目立つ顔をして教室に入った。始業式の次の日ということで、みんな教室の中でいくつかのグループに分かれて、笑顔で会話をしている。

それとは対照的に、俺だけはただひたすら暗い顔をしていた。


暗い顔をしていたのは俺だけではなかったようだ。教室の中のある一つのグループが、一人の少女を取り巻いて怪訝な顔をしていた。

おそらく昨日の告白のことだろう。

俺が断って無惨にもYを泣かせた、とか思われているんだろう。

俺だって色々考えていたのに。


そのグループから、二人の女子が怖い顔で近付いてきた。目の前まで来た二人を、俺は真顔で見つめる。


「なんでYを振ったのよ」

「てか、泣かせることはないんじゃない? Yちゃん何も悪く無いし」


心の中の良心が、氷のように冷たくなるのを感じた。その瞬間、俺はYを取り巻くクラスの女子全員に対して憎悪の心が生まれる。


お前らが俺の何を知ってるっていうんだ。

何も知らないだろ。

知らないなら、知らないなりにほっといてくれよ。


俺は、その二人を殴りたくなるのを我慢して言った。


「おれは、俺は、好きじゃなんだよ。しょうがないだろ。何も知らない奴が勝手な事言うなよ」


俺は初めて心の中の本音を言葉にした。

頭が冷えて、少し冷静になれた気がした。

しかしその相手は全く冷静でなく、目の前の女子の一人が胸ぐらを掴んでくる。


「あんたこそYちゃんのこと何も知らないくせに!」


俺は抵抗せず、ただ相手の目の奥を見た。

その瞳は、まるで墨汁かのように真っ黒だった。


俺はそのときから女子が嫌いになったのだった。




あの事件以降、俺は一度もYとは話していない。

あのあと、俺はクラスの一部の女子たちからは軽蔑の目を向けられるようになった。

まあ、そりゃあそうだ。Yを取り巻く女子たちからしたら俺はただの悪役でしかないし、実際、俺はYの返事に答えることは出来なかったのだ。

軽蔑されるのも、仕方ないとは思う。

しかし、中には俺と仲良くしようと話しかけてくれる人もいた。俺はそんな人たちには、優しく、男子と同じように接した。


授業中、たまにYと目が合う。

俺が目を逸らそうとすると、それより先にYが目を逸らす。その目は決して俺を睨んでいるわけではなくて、恨みは無さそうだった。

俺はそんなYの心の中が全く予想できなくて、不気味だった。



    *    *    *



俺はこんなことがあって、男子としか遊ばなくなったのだった。

そして今日も、この俺の家でまたYのことで喧嘩をするのは、どうしても避けたかったのだ。

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