第38話

 江戸市中は瓦版かわらばんが飛ぶように売れていた。

 なにしろ昨夜大名屋敷が賊に襲われた。しかも大名の奥方以下五十名以上が惨殺されたという。

 これは江戸の市民の関心を引き、また、恐怖を煽っていた。江戸の中に殺人鬼がいる。江戸市中の活気に陰りが見えていた。

町の中には同心や捕り手、重装備の与騎よりきが騎乗して動いている。与騎よりきも北町奉行、南町奉行所以外に大番頭おおばんがしらの配下も動いていた。

 書院番しょいんばん配下の江戸城警護職の武士や旗本はたもとは合戦の準備のような装いで城のすべての門を固め、出入りするすべての大名、武士関係無しに調べてから入城させていた。

 賊の目的が分からないため、各大名家は門を閉ざし、家臣に重装備を敷いていた。それは各中屋敷なかやしき下屋敷しもやしきまで及んでいた。

 当然、与騎よりきの岡崎達も吉原よしわらの前の番屋に詰めずに市中の見回りに駆り出されている。岡崎は合間をぬって時任ときとう家の【桂真之介かつらしんのすけ】に接触していた。


「桂殿、お忙しいとこすまぬ」


 岡崎が時任ときとう家の門の中で真之介しんのすけと話をしていた。時任ときとう家もまた例外ではなく重装備をした家臣達が屋敷の各所に立っている。


「いや、岡崎殿。してご用件は?」


 岡崎が人払いを願うと、岡崎を伴って自室へと向かった。

 剣術指南が場を離れるのは問題であったが、そこは剛の国である時任ときとう家、君主・時任兼房ときとうかねふさとおとよの方、それに古参の重臣達が嬉々として準備・警護に当たっていた。

 岡崎も、時任ときとう家の噂は聞いていたがここまでとは思っていなかった。


「しかし、御家はなにか他家とは違うな」


 岡崎は率直に感想を述べた。岡崎もまた若き頃、戦場を駆けた兵である。肌に感じる物があるのだろう。


「ははは、いやお恥ずかしい。正直ここまでする必要があるのかどうか。

しかし、先日の件、公にはなっておりませんが幕府の方々の耳には入っておるのでしょう。それでもこちらに警護を付けないのは、あえて……だと思っているのですが」


 真之介しんのすけは笑いながら答えた。岡崎の目が真剣な眼差しになる。


「ところで桂殿、先日の件と松風まつかぜ家襲撃の件、犯人は同じと思われるか?」


 岡崎は探るような眼で真之介しんのすけの眼を見た。圧迫感が真之介しんのすけを襲う。やはり戦を知る者は平時を生きる者よりも何かが違うと感じていた。そして質問の内容も真っ直ぐで寄り道をしない問いであった。


「正直申しますと、違うと思います」


 真之介しんのすけは岡崎の圧力を正面から受け止めた。互いの間に、探り合いの気配がうごめく。

先に均衡を破ったのは岡崎の方だった。


「いや、すまぬ。吉原よしわら時雨しぐれという太夫たゆうが桂殿のことをえらく評価しておったのでな。つい、やってしもうた。いや勘弁して欲しい」


 岡崎は頭を叩き、笑いながら真之介しんのすけに詫びを入れた。真之介しんのすけは時雨の名が出たとき微妙に動揺した。しかし、それはほとんど表には出なかった。

岡崎は感じ取ったかも知れないが。


「ほぅ、吉原よしわら太夫たゆうが。しかし、私は吉原よしわらにはとんと。なぜその太夫たゆうが知っていたのでしょうね」


 真之介しんのすけはなんとかはぐらかそうとしていた。岡崎もからかうのはここまでというように真顔に戻った。


「して、ここと松風まつかぜ家の襲撃犯が違うという根拠は何れからおきるのですかな?」


 真之介しんのすけの答えはこうだった。

 時任ときとう家を襲撃した賊は多人数であったこと、多種多様な武器を使っていたこと、指揮、命令系統がしっかりしていたこと、狙いがはっきりとしていたこと、隠密にはほど遠い仕掛け方だったこと。

これが今回の松風まつかぜ家を襲った賊との違いだと答えた。

 岡崎はうんうんと頷いている。

 松風まつかぜ家の襲撃者の情報と惨状は岡崎が尋ねてくる前に大目付おおめつけの使いから情報が来ていた。それをおとよの方と真之介しんのすけが分析して出した結論がそれだった。

 それ以前に、松風まつかぜ家を襲撃した人物に真之介しんのすけは心当たりがあった。

 そして吉原よしわらの事件の後、接触のあった岡崎が尋ねてくる可能性は十分にあった。そこで、当たり障りのない回答を用意しておいたのだ。

 岡崎は、今回の賊の正体を知らないはずだと真之介しんのすけは思っていた。しかし、それは岡崎も同じだった。唯一岡崎が知らないのは時任ときとう家と時雨しぐれの関係だけだ。


「では、あちらの賊とこちらの賊は全く違うということですね。しかしあながち関係がないということもありますまい」


 岡崎はしつこく喰らいつく。どうやら時雨しぐれのことに感づいているような気色けしきも見せている。


「さぁ、そこは私の承知いたしかねるところですので」


そこで、突然話は中断された。

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