第37話

 時雨しぐれは小声で尋ねた。女中は顔すら動かさない。仕方なしに太刀を太股へ突き刺した。女中は声にならない声を上げ身体を震わせる。着物がじわりと赤黒く染まってゆく。


「もう一度聞く、ここは松風まつかぜ家の奥方の部屋か?」


 やはり答えない。

 時雨しぐれは溜息をつくと女中の首を掻き斬った。女中の首から血飛沫が上がる。全身をぴくっぴくっと震わせながら命を失っていった。

 時雨しぐれは太刀を鞘に収めると、そっとふすまを開けた。中には女性が一人眠っていた。

中には他に誰もいない。天井にも気配はなかった。

 時雨しぐれはそのまま寝ている女性に近づき、いきなり口を塞いだ。驚いた女性は声を上げようともがくが、声は上がらない。何も言わずいきなり鳩尾みぞおち柄頭つかがしらを叩き込む。

 寝ていた女性の口からくぐもった声が漏れた。気絶はしない。咳き込もうとして身体を曲げる女を仰向けにしてもう一度同じ場所に柄頭つかがしらを叩き込んだ。

女は悶絶するが時雨によって身体の動きは押さえられていた。それは五回・六回と繰り返される。女が動かなくなると時雨しぐれはそっと口から手を離した。

女は咳き込むことしか出来なかった。苦痛に顔を歪めている。

 時雨しぐれは女の口の中に裂いたさらしを突っ込むと、胸倉を掴み手の平で頬を思い切り叩いた。何度も何度も。女は唇を切り、涙を流し、鼻血を滴らせた。それでも時雨しぐれは止めなかった。

女の意識が遠退きかけたとき、時雨は女の口からさらしを取り除いた。


「あんたの殿様はどこだ?」


 低い声が女の低下した思考を刺激する。それは女を錯乱状態にするのには十分すぎた。


「と、殿は、今朝方国元くにもとへ出立なさいました」


 女はくぐもった声で答えた。平手で打たれた頬は腫れ上がっている。


「では、江戸家老はどこだ?」


 江戸家老は出立した殿を見送りに外へ出たと答えた。

その後も時雨の質問は続いた。土蔵のこと、阿芙蓉あふようのこと、いなくなった女中がいないかということ。

しかし、女はどの質問に対しても首を横に振るだけだった。時雨は溜息をついた。


(無駄足だったか、まぁ目的の者の行方は分かったからよいか)


 時雨しぐれは掴んでいた胸倉を押して女を倒し、黙って立ち上がった。


「誰かある! 曲者じゃ……ぁ?」


 女の声が響いた瞬間、時雨しぐれの太刀が女の乳房を貫いた。そのまま体重を掛け押し込んでゆく。廊下から走ってくる音を聞くと、女の頭に足を掛け、太刀を引き抜いた。


「お方様!」


 入ってきた男の太股を骨まで斬り裂く。男はそのまま畳の上に転がった。次に入ってきた男は腹を突いた。勢いのまま腹を突き抜けもう一つ別の感触が伝わってきた。

 時雨しぐれは太刀を放し、腹を突いた男の脇差しを引き抜いた。そのまま二人が畳に倒れ込む。次々と入ってくる家臣を斬り捨て、殴り倒す。

三十は斬ったとき、現れる者はいなくなった。


ぴー・ぴー・ぴー


 外で鳴子の音が響く。見張りの中間が家臣を呼んだようだ。

時雨しぐれは自分の太刀を探し、引き抜くとそのまま屋敷の外に出て、土蔵まで戻り塀の上へ登った。直ぐには降りず、その場で姿勢を低くする。


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 松風まつかぜ家上屋敷の表門、裏門の付近は家臣と役人で埋め尽くされていた。役人や捕り手だけではなく、中屋敷なかやしきからも人が駆けつけてきたようだ。

かなりの数が屋敷内に入っていく。外の数が減ったとき、時雨しぐれは塀から降り、昼間探索した経路を頭に描きながら闇の中へ消えていった。


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 幕府は大騒ぎとなっていた。

 松風まつかぜ家の上屋敷かみやしきが夜半に襲撃されたためだ。すぐに幕府から参勤交代で帰国の途に着いている松風まつかぜ家当主に早馬が走った。

 また、これを機に大目付おおめつけ松風まつかぜ家の調査に入る。松風まつかぜ家当主の行列を見送って上屋敷かみやしきに帰ってきた江戸家老・大隅孝光おおすみたかみつはあまりの役人の多さに驚いていた。そして、昨夜の事情を聞き、その場に崩れ落ちる。


「な、なんということだ。奥方様が殺されたとは……」


 大隅孝光おおすみたかみつは動揺していた。対外的には死んだ奥方と、護衛の女中や家臣達の死を嘆いていた。しかし、内心は違っていた。


(なんだ、ここが襲撃されるとは……、もしや前回侵入した賊の仕業か?あれを探っているのか?)


 取りあえず主君が江戸上屋敷かみやしきに戻るまですべての屋敷の調べは大目付おおめつけの配下がすることに強制的に決められた。

 松風まつかぜ家の家臣や中間ちゅうげん、女中達はすべて中屋敷なかやしきと郊外にある下屋敷しもやしきへ移動するように触れが出た。

 大隅孝光おおすみたかみつは屋敷の中はこちらが調べると主張したが受け入れられない。

 将軍家光からの直々の触れもあり、大隅孝光おおすみたかみつ中屋敷なかやしきへと移動し、付き添っていた数人が主君の元へ状況を説明に戻った。


(まずい、あそこを無理に調べられたら……非常にまずい……)


 大隅孝光おおすみたかみつ中屋敷なかやしきへ向かいながらぬるい汗を背中と額に流した。そして、配下の者を呼び出し、指示を出した。

下屋敷しもやしきを焼いてしまえと。

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