第30話

 時雨しぐれは岡崎と別れた後、二階へ昇っていた。

東伯とうはく先生と話をするためだ。

 先程は手が回らないほど忙しそうで、話しかけることすら出来なかった。しかし、江戸中から医者が手伝いに来ており、今は自ら治療はせず、あちらこちらに指示を出しているだけだった。


東伯とうはく先生、お時間をいただいてもよろしいでござんすか?」


 時雨しぐれ東伯とうはくのそばでそっと囁いた。東伯とうはくは場所を移そうと言わんばかりに手招きし、隅の方へ移動した。


太夫たゆう、なにか重要なことかね。儂を呼び戻そうとしたのじゃからのぅ」


 時雨しぐれ東伯とうはくを呼び戻した経緯を話した。東伯とうはくは、その間じっと腕組みをして聴いていた。


「ふむ、針の痕……か、今の話の場所が本当だとすると、何かを体内に入れられたようじゃな」


 東伯とうはく時雨しぐれの言う通りの場所を、時雨しぐれの身体で確かめながら呟いた。時雨しぐれは少し恥ずかしそうな顔をして身体をくねらせた。


「おぉ、すまん、すまん、つい、はっはっはっ」


 笑いながら東伯とうはく時雨しぐれ襦袢じゅばんを元に戻す。しかし眼は笑っていない。


「こちらが一段落したら氷雨ひさめの身体を確かめてみよう。しかし、氷雨ひさめの処分がどう下されるのかはわからんがの」


それだけ言うと東伯とうはくはまだ治療を受けている負傷者の方へ歩いて行った。

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


 男と女の嬌声きょうせいが響く膳屋ぜんやの屋根の上に、八人の暮色くれいろの服の者達がしゃがみ込んでいた。それぞれが様々な得物えものを持っている。その暮色くれいろの服の者達はゆっくりと闇に紛れて、次々と膳屋ぜんやの中に入っていった。

暮色くれいろの服の者達はそのまま足音をさせず、一階へと降りてゆく。


「!」


 先頭を行く者が片手を上げた。

 全員の動きが止まる。膳屋ぜんやの番頭が客を迎えている。その場に二人が残り、残りは地下へ続く通路に入った。

 吉原よしわら見世みせにはほとんど地下室がある。それは、足抜けしたり、禁忌きんきを破ったりした者を罰するための場所だった。

 地下では二人の遣手婆やりてばば遊女ゆうじょを折檻していた。顔を水の中に押し込み、意識を失う前に引き上げる。そのようなことを繰り返していた。その三人に六人が忍び寄り、一瞬で三人を殺す。誰も声を上げられなかった。

 六人のうち二人が部屋の隅の奥まったところに何かを運んで、置く。そしてそれを中途半端に隠す。その作業が終わると六人は何事もなかったかのように地下室を後にした。


(とりあえず、一つ済んだな。早めに膳屋ぜんやを切れとの指示だからな)


 六人の中にいた籐八郎とうはちろうはひとまず胸をなで下ろした。しかし、これからが本番だ。

 殺害する予定者は、先程二人が監視を始めた番頭、そして、膳屋ぜんや籐兵衛とうべえ、若い者の頭、それと遣手婆やりてばばの頭の四人だ。

 籐八郎とうはちろうが片手で合図をすると普段、若い者の頭、遣手婆やりてばば頭がいるところに二人一組で移動を始めた。

 残ったのは籐八郎とうはちろうともう一人の手下だ。二人は壁伝いに籐兵衛とうべえがいる部屋へと向かった。

 籐八郎とうはちろうと手下の一人は籐兵衛とうべえの部屋の前に来ていた。部屋の中に気配は一つ。籐八郎とうはちろうと手下は顔を見合わせ、頷いた。

 部屋に飛び混む瞬間。

 突然、障子の奥から刀が突き出された。それは手下の喉を確実に貫いている。致命傷だ。

障子が蹴破られ、中から与騎よりきや同心が現れた。


「大人しく、お縄に付けぇい!」


 同心が十手を構え、籐八郎とうはちろうに向かってくる。籐八郎とうはちろうは手に握った刀で同心の一人を斬りつけた。

 斬りつけられた同心は口から泡を吹き、喉を押さえ身体を震わせて倒れた。もう一人、同じ運命を辿る。


「気をつけろ、刀に毒が塗ってあるぞ!」


 与騎よりきを中心に半円状になって籐八郎とうはちろうを囲う。籐八郎とうはちろうはすぐにその場を飛び退いた。飛び退いた場所に網が投げつけられる。


(何故だ? 何故襲撃がばれた?)


 籐八郎とうはちろうは混乱していた。

 耳を澄ますと膳屋ぜんやのあちらこちらで斬り合う音や悲鳴が聞こえてくる。完全に待ち伏せされていた。与騎よりきは重装備で、鎧を着けている。

 籐八郎とうはちろうの判断は早かった。懐から取り出した丸い物に火を付けそこら中にまき散らす。そして、そのまま侵入した場所へ後退した。

 途中、番頭が殺されているのを確認したが手下はいなかった。素早く二階へ移動する。緊急時の集合場所だ。

 二階に駆け上がるとそこにも与騎よりきが待ち構えていた。与騎よりき達は斬りかかっては来ず、三人で連動しながら突きを放ってくる。

 実戦慣れしている籐八郎とうはちろうであったが相手の方が実力が上だった。二合・三合といなしているうちに袋小路へと追い詰められていた。


(なんだ、こいつら。なぜ鎧を着てこれだけ動ける)


 籐八郎とうはちろうは一階で阿芙蓉あふようを使い切ったことを後悔しながら、与騎よりきへ斬りかかる。しかし、簡単にはじき返された。連続して襲ってくる突きが籐八郎とうはちろうの身体を次々と擦り、徐々に出血を強いて行く。


(くそ! なんだ? なんだ?? 強すぎる!)


 渾身の一撃を放つも軽く受け流され、確実に浅い一撃が打ち込まれる。

 しかし、決して深く踏み込んでくることはない。籐八郎は一撃当たれば勝てるという思いが強く、刀を振るう動作が徐々に大きくなっていることに気がつかなかった。

 三人の連撃が動きの鈍った籐八郎とうはちろうの刀を絡め取った。

籐八郎とうはちろうがしまった!と思ったときにはすでに首元に切っ先が当てられていた。同時に熱いものが両腕を襲う。目線を落とすと両腕の肘から先が完全に切断されていた。

 籐八郎とうはちろうの口から雄叫びが漏れた。叫びを上げた瞬間、口の中に布が押し込まれる。

ほんの一瞬で籐八郎とうはちろうは完全に自害することすら出来ない状況に置かれていた。


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 膳屋ぜんやから、三人が与騎よりきや同心に囲まれ連れ出された。一人は両腕がない。三人とも力なく歩いている。いきなり両腕がないものが地べたに這いつくばった。立っていた二人には棒手裏剣が次々と刺さる。

周りを囲んでいた同心や岡っ引き達も被害を受けた。次々と泡を吹きながら倒れてゆく。


「屋根だ、見世みせの屋根にいるぞ。見世みせの中に逃げ込め! 毒が塗ってあるぞ!」


 与騎よりき達が前面に出て、棒手裏剣を弾き、鎧で受け止める。

そしてそのままゆっくりと後退してゆく。

何かが弾け、焼ける匂いが漂った。

 轟音が、下がってゆく役人達を襲った。数人が吹き飛ばされる。

屋根の上にはゆらゆらと紫色の煙が立ちのぼっている。すぐに大量の矢が降り注ぎ始めた。


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時雨しぐれは太刀を握り膳屋ぜんやの方へ走っていた。

そこへ突然、轟音が響いた。膳屋ぜんやの反対側にある見世の屋根から紫色の煙が上がっている。そして上から弓を引いて、射かけていた。


(不味い)


 時雨しぐれは、すぐ横にある見世みせに駆け込むと、そのまま一気に屋根まで駆け上がった。十人くらいの者達が次々と矢を放っている。時雨しぐれは全速力で屋根の上を走った。

 矢を放っていた者の一人が時雨しぐれに気づいた。慌てて時雨しぐれの方へ弓を向ける。しかし、すでに時雨しぐれは通り過ぎた後だった。最初に斬られた者の上半身がずり落ちてゆく。

 奥にいる三人が刀を抜き放ち、時雨しぐれの方へ向かってきた。時雨しぐれは一番手前の者の腕を斬り落とすと、屋根から蹴り落とした。大きな音を立て地面に激突する。後ろから現れた二人は見事な連携で時雨れに襲いかかった。

 時雨しぐれは一人の刀を受け止め、そのまま弓を放っている者達の方へはじき飛ばした。二人が巻き込まれ、屋根の上から落ちていく。もう一人の斬撃をかわすと首の後ろへ肘鉄を入れる。

鈍い音がして、そのまま屋根の上に倒れた。


「引けっ!」


 残った四人は言葉と同時に大通りの反対側に飛び降りた。時雨しぐれも続いて飛び降りる。そこには一人が待ち構えていた。鼻につく異臭がする。待ち構えていた者は手の中に赤い炎を持っていた。それを突然地面に投げた。

 投げ放たれた火は、黒い水の中に落ちた。火が一瞬にして炎に変わる。熱風が時雨しぐれの髪を軽く焼いた。待ち構えていた男はいつの間にか姿を消していた。時雨しぐれは炎を飛び越え後を追った。

臭水くそうずの臭いを追って。


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 炎はすぐに建物に燃え移り、煙を上げ始めた。表通りに人が集まっていたので吉原の大通りは大混乱となった、


かんかんかん・かんかんかん・かんかんかん


 すぐに半鐘が響き渡る。逃げ出す者、水を掛ける者様々だった。大門はごった返したがすぐに役人に鎮圧され、奉行所によって出入りが管理された。

 江戸中から火消し達が集まってくる。すぐに、見世みせが解体され始めた。しかし炎の勢いは収らず、次々と延焼を起こしてゆく。

 見世みせが、火元から四件崩されたところでようやく炎の広がりが収った。しかし火力は生きている。火消し達が打ち壊した瓦礫がれきに燃え移らないようにどかして広場を作ってゆく。客や同心、岡っ引きも加勢しての作業だった。


二刻後、炎は完全に鎮火する。


 最終的に五つの見世みせが潰れることとなった。辺りには焦げた匂いと、異臭が漂っている。

 そして、もう一つ不幸なことが起きていた。捕らえていた最後の両腕を落とされていた者が死んでいるのが見つかったのだ。首筋に一本の棒手裏剣が刺さっていた。


「折角待ち伏せまでしたのに、すべての賊が殺されてしまうとは……」


「待ち伏せがばれていたというよりは、膳屋ぜんやに押し入った賊を仲間が始末したという感じだな」


岡崎ともう一人の与騎よりきが現場の状況を話し合っていた。

怪我人達は喜瀬屋きせやで治療に当たっていた医者達がそのまま受け継ぐことになった。ほかの見世も間口を解放している。


「岡崎様、ちょっとよろしいでしょうか?」


 両腕を切り落とされた者を検分していた者から呼びが掛かった。

岡崎は同僚との会話を打ち切り、そちらの方へ向かう。そこには手配書の人相書きと同じ人物がいた。


「ああ、証人に死なれちまったか」


 岡崎は大きな溜息をつく。

そこに同心から3つの筒が渡された。蓋を開け、中を覗くと赤い液体が入っている。匂いを嗅ぐと一瞬、頭の中がくるりと回転した。慌てて頭を左右に振り、気を張り詰める。


「おい、東伯とうはく先生を呼んできてくれ」


呼ばれた岡っ引きはすぐに東伯とうはくを探しに走っていった。


(杞憂だと良いがなぁ)


岡崎は心の中でつぶやき、これ以上面倒にならないように祈る。

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