第28話

「岡崎殿、お主何を投げた……」


 東伯とうはくは何となく分かったような顔はしていたが念のために聞いてみた。


「秘密です」


 素っ気ない返事が返ってくる。岡崎にはまだまだ余裕が十分にあるようだ。

東伯とうはくの頭を岡崎が反射的に押さえる。

二人の頭上を何かが通り過ぎ、物を砕くような音が響いた。

岡崎は刀を鞘に収めると、脇差しと十手を引き抜いた。

 すぐに別の方向から同じような音が近づいてきた。それを器用に受け止め、うまく脇差しに絡め、思いっきり引っ張る。

屋根の上から一人落ちてきた。受け身も取れずそのまま地面に激突する。

落ちてきた者の耳の裏側に素早く脇差しの切っ先を差し込み、ひねる。

そのままの格好で二・三度痙攣すると動かなくなる。


ぴー・ぴー・ぴー


「引け!」


 鳴子よびこの音が近づいてきたのを確認したのか、屋根の上から声がする。

 岡崎はまた東伯を抱え真後ろに飛んだ。轟音と共に賊の身体が飛び散る。後にはばらばらになった死体のみが残っていた。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


 町方や岡っ引きが大勢集まっている。

東伯とうはくと岡崎はそのまま集団に合流した。

東伯は町奉行所の検死医なのでそのまま検死を始めた。辺りには異様な臭いが立ち籠めている。それは一月程前に江戸に立ち籠めた臭いだった。


臭水くそうずか……、派手にやりおって」


 東伯とうはくは死体の一部を木のへらでつつきながら呟いた。

岡崎が倒した暮色くれいろの服の者達はすべて火を付けられていた。水を掛けても中々消えない炎は遺骸を黒炭へと変えた。


臭水くそうず? 聞き慣れないものだな?」


 突然、頭上から滅多に聞かない者の声が聞こえてきた。馬に跨がった男がいる。


「おや、お奉行様、お珍しい」


 東伯とうはくは立ち上がって挨拶をする。馬上の男はひょいと降りてきた。


「で、臭水くそうずとはなんだ?

一月前の東雲とううんの診療所が焼き討ちに遭ったときもこのような臭いが立ち籠めていたと記憶しておるが?」


東伯とうはく臭水くそうずのことを話し始めた。


 臭水くそうずとは江戸近郊や他家の領地など様々な所で時々沸きだしている黒い水のことだ。臭いは惨く、飲料することは出来ない。

 この水から出る湯気やこの水を少し加工したものに火を付けると爆発的に燃え出す。しかも中々消えない。

 東伯とうはく東雲とううんも油代わりに使えるかと研究をしてみたがあまりにも火力が強すぎ、無駄だと判断し放置していた。まさか、このような使い方があるとは思ってもみなかった。


「大体このようなものですな。

しかし、こうなると検死するのは難しいですなぁ。なにか、特定できる物が燃え残っていれば良いのですが」


 東伯とうはくは溜息をつきながら立ち上る。その時、吉原よしわらからの使いが追いついてきた。


東伯とうはくせん……、うぁ、なんだこりゃあ」


 吉原喜瀬屋よしわらきせやの若い者も結構惨いものは見ているが、さすがにここまで焼け焦げた遺骸は見たことがなかったようで目を背けていた。


「どうした、氷雨太夫ひさめだゆうになにか変化があったか?」


 慌てた様子で近づき、遺骸を見て目を背け、遠巻きに立ち尽くしている喜瀬屋きせやの若い者に東伯とうはくは声を掛けた。

 若い者の顔色は悪い。

無理もない。

ここまでなる遺骸はそうあるものでも、見るものでも無いからだ。


「あ、すみません、ちょいとびっくりしやして。

ところで喜瀬屋きせやの方へ戻ることは出来ますか?

うちの勘左衛門かんざえもんが呼び戻してくるようにとのことでして」


 喜瀬屋きせやの若い者は無理だろうなという顔をして、取りあえず用件を伝える。

 居心地が悪そうだ。

焼けた遺骸のせいではなく、どちらかといえば役人の多さだろう。とくに奉行まで出張ってきている。

しかも、捕り手や同心だけではなく、与騎よりきの数が異常に多い。

明らかに斬り合いを想定した人数だ。


「お奉行、ちょっと気になることがありましてな。

この者達について吉原よしわら喜瀬屋きせやに行ってもよろしいですかな?

ここまで酷いとすぐにはどうにもなりませんので、同心達にいったんこの場を任せようかと」


明らかに含みを持たせた言い方だ。

吉原よしわら喜瀬屋きせやと周りにいる者に聞こえるように言った。与騎よりきや同心達が顔を見合わせる。一月前に起こった事件を思い出したようだ。


「……関係があるのか?」


 奉行は重たい声を発する。

吉原よしわらでの乱心騒ぎは聞いていた。

吉原よしわらには一切関知しない奉行所も、あのときだけは介入した。

それに今回の江戸市中での十匁筒じゅうもんめづつの類いの事件だ。吉原よしわらには不介入が原則だが鉄砲の類いの話となると別になる。

東伯とうはくはなにも答えない。しかし表情が物語っていた。


「わかった。

ここは与騎よりき・同心達にまかせてよい。

岡崎、こちらから連れてきた与騎よりきの中から腕利きを5人つける。

東伯とうはく先生を守れ。

わたしは城に行き、老中と大番頭おおばんがしらに会って今後の協議をする」


 奉行はそう言うと、数人の与騎よりきを呼び指示を与えて城の方へ移動し始めた。

東伯とうはく、岡崎の近くに5人の与騎よりきが集まっている。みな五十の者達だが、他の与騎よりき達とは目付きが違う。全員が人斬りの眼だ。


「久しぶりだな、岡崎。

東伯とうはく先生、私たちが警護いたしますのでご安心を。

それに近くに素破すっぱもきておりますゆえ」


与騎よりきの一人がにっと笑い移動の指示を待つ。


「ほれ、早う先導せい」


東伯とうはくが完全に飲み込まれている若い者をせかす。

若い者は顔色が真っ青だ。

言葉も発せず、ただこくこくと頷くと早足で歩き出した。その後ろを東伯とうはく与騎よりき六人が吉原を目指して歩いて行った。


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「失敗しただと!」


 膳屋ぜんや籐兵衛とうべえは怒鳴り声を上げた。

横に座っている籐八郎とうはちろうも今回は表情が硬い。

すでに使える手駒の七割を失っている。雷白らいはくは小さく震えていた。膳屋・籐兵衛ぜんやとうべえが怖いのではない。その横の籐八郎とうはちろうだ。


「ふぅむ、雷白らいはく。今回は失敗が過ぎたな」


さすがの籐八郎とうはちろうも今回は許せないという雰囲気を出している。


「あ、う……」


 雷白らいはくは言い訳をしようとしているようだが全く言葉が出ていない。

そこへ突然、天井から紙が落ちてきた。中に石が包まれ落ちやすくなっている。籐八郎とうはちろうはそれを拾うと中に目を通した。微かに手が震えている。


雷白らいはく、町中で十匁筒じゅうもんめづつを使ったのか!」


 いつも声を荒げることのない籐八郎とうはちろうが顔を真っ赤にして怒っている。雷白らいはくの顔色が青から白に変わった。


膳屋ぜんやさん、今回は少しまずいことになりそうです。

北町奉行所と南町奉行所が動き出しました。老中と大番頭にも話がいったようです」


 そこで一度言葉を切った。

膳屋・籐兵衛ぜんやとうべえも今回は真っ青だ。

いくら吉原が隔離されているとはいえ、老中まで話が行くと別だ。当然公儀こうぎからの調べも入る。

籐八郎とうはちろうは暫く腕組みをしていた。そして突然言葉を放った。


雷白らいはく、お主死んでこい」


 雷白らいはくは動かない。


「「きき・せせ・やや・をを・おお・そそ・いい・しし・んん・でで・ここ・いい」」

「「じじ・ゃゃ・まま・もも・のの・はは・すす・べべ・てて・けけ・せせ」」


 籐八郎とうはちろうの口からゆっくりとした言葉がでる。今度の言葉は二人が同時に話しているような声だ。そして懐から三本の筒を取り出し、雷白らいはくの前に並べた。


 雷白らいはくは無表情で一つずつ筒の中身を飲み干してゆく。それは赤い液体だった。最後の一本を飲み干すと何かに取り憑かれたようにふらふらと部屋を出て行った。


「さて、少し荒っぽいですが喜瀬屋きせやを襲撃させます。

ちょうど数名、与騎よりきが喜瀬屋に向かっているようですから喜瀬屋きせやを半壊させたところで死んでくれれば御の字ですねぇ」


籐八郎とうはちろうは薄気味悪い笑いを口元に浮かべ、膳屋・籐兵衛ぜんやとうべえの方に向き直った。

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