第27話

 喜瀬屋きせやに呼ばれた医者は診療所への帰路についていた。先程診察した、喜瀬屋きせや氷雨ひさめの症状について考えている。


(ふぅむ、痲薬まやくにしてはちと強すぎるがのぅ……)


東伯とうはく先生!」


 思案しながら歩いていた東伯とうはくに後ろから声が掛かる。東伯とうはくは後ろを振り返った。見知った顔がそこに立っていた。


「あぁ、岡崎おかざき殿ではないですか」


 吉原よしわら大門おおもん前番屋で仕事をしている与騎よりき岡崎兵庫之助おかざきひょうごのすけが立っていた。50を過ぎた彼は、最近滋養の薬を東伯とうはくのところにもらいに来ている。


「いやぁ、ちょうど先生のところをお尋ねするところだったんですよ」


 岡崎はそう言いながら東伯とうはくの横に並んだ。


「嘘をつけぃ。どうせ喜瀬屋きせやのことを聞きに来たんじゃろ」


 東伯とうはくはさらりと言う。岡崎は自分の頭の後ろに手を伸ばすと、ぱんぱん叩きながら笑い出した。


「やれやれ、先生には敵いませんな」


悪びれもなく岡崎は笑っている。


氷雨太夫ひさめだゆうがの、何かの中毒を起こしているようじゃ。一応診察はしてみたが阿芙蓉あふようではなかった。

そこは勘左衛門かんざえもんも疑っておったがの。

正直なところ、たけに当たったのだと思う」


 東伯とうはくはそこで一息ついた。先程考えていたことを岡崎に話す。


「ここからは独り言じゃ。

どうも、上方かみがたで蔓延している特殊な痲薬まやくが江戸に流れ込もうとしているような気がする。喜瀬屋きせや東風こちという女も、あれは阿芙蓉あふようの症状ではない。

東雲とううんの行方が知れたら何か分かるかも知れんがの。しかし、問題はなぜ喜瀬屋きせや遊女ゆうじょばかりが……ということだ」


 そこまで言ったとき、岡崎が突然東伯とうはくを抱え、思いっきり跳躍した。

大きな音が辺り一面に響き渡る。それは東伯とうはくと岡崎がいたところを抉り取っていた。


(む、十匁筒じゅうもんめづつの類いか……、では元込めではないな)


岡崎はそう判断し、上半身を起き上がらせた。そこに棒手裏剣が飛んでくる。

岡崎は抜き払った刀で棒手裏剣をたたき落とした。

次々と飛んでくる。

どうやら狙いは東伯とうはくのようだ。あまり時間は掛けられない。

特に先程の十匁筒じゅうもんめづつは問題だ。


東伯とうはく先生、走ります。私の前をお願いします」


 岡崎はそういうと、東伯とうはくの背中を押した。

飛び道具だけには気をつけようと周囲を警戒しながら、東伯とうはくの走る速度に合わせ走り出す。

 すぐに棒手裏剣が後を追って来た。二十本ほどはじき飛ばすと、相手はいっきに距離を詰めてきた。反射的に刀で一人を叩き斬る。

相手は暮色くれいろの、少しだぶついた服を着ている。

二人が前方を塞ぐように立ちはだかる。

 岡崎は急に加速し、一人を斬り捨て、もう一人の両腕を斬り落とす。そのまま倒れないように掴み、東伯とうはくの後方へと蹴り出した。

 二発目の十匁筒じゅうもんめづつが蹴り倒された男に直撃し、男の身体はバラバラにはじけ飛ぶ。

 東伯とうはくと岡崎の二人は同時に大通りへ続く道を曲がる。そこにも3人の暮色の服の者達が配置されていた。

思わず二人は立ち止まった。上で瓦を伝って接近する音が聞こえる。岡崎は東伯とうはくをかばいながら建物の柱を背にした。


ぴー・ぴー・ぴー


 遠くで呼び子の音が聞こえだした。段々と音が大きくなる。後ろで荒い息をしている東伯とうはくに岡崎が声を掛けた。


「先生、申し訳ないがあとひとっ走りできますか?」


 東伯とうはくは少しだけ呼吸を整えると走れると答えた。

 柱側に寄りながら、相手に包囲されないように身体の位置を微妙に変える。岡崎は懐から何かを取り出すと無造作に相手の一人に投げつけ、東伯とうはくの腕を引っ張り、もと来た道を戻り始めた。追っ手の一人は自らに飛んでくる物を払いのける。

 小さな破裂音とともに、そこら中に真っ赤な粉が舞い散った。3人の賊はそれぞれがごほごほと咳き込み、また眼を押さえながら苦しみ出す。

屋根を走っていた者のなかにも犠牲者が出たようで、瓦ごと地面に激突する音が響いた。

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