第9話

 夜が明けると診療所はすでに炭化した木材しかなかった。

少し離れたところに十五程の戸板が並び、その上には真っ黒で、様々な形をした炭が乗せられている。それを検分する役人が大勢いた。

 派手な火災だったが、もともと診療所の敷地が広かったことと周りの建物を崩したことが功を奏し、延焼は最低限に限られていた。

それでも七件は全焼している。

 また、近くでは奇妙な事件も起きていた。五町ほど離れたところに惨殺体が二体在ったことだ。その二体はこれもまた、炭となっていた。しかし片方は肩口から袈裟けさに斬られ……、正確には切断されていた。もう一人も首の裏に深い傷が確認されたが、取りあえず検屍けんしは後回しにされた。


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「すまない、逃がした。地下を開けて欲しい」


 明け方に帰ってきた時雨しぐれは、人を一人担いでいた。

帰ってきた時雨しぐれはそれだけ言うと、担いだまま地下の入り口へと降りていった。

それから時雨しぐれは沸いていた風呂に入り、焦げた匂いと鼻につく匂いを落とそうとしたがそれは中々落ちなかった。

 風呂から上がり、長襦袢ながじゅばんを着て、胸元に匂い袋をねじ込んでいたほどだ。

喜瀬屋きせやの二階、時雨しぐれの部屋には、時雨しぐれと、床に眠っているお美津みつ、それに勘左衛門かんざえもんが座っている。


臭水くそうず(原油)に火薬?」


 勘左衛門かんざえもんは信じられないという顔をした。

昨夜の話を時雨しぐれから聞いた第一声がそれだった。

それより驚いたのは火薬が使われたということだった。

江戸は各関所で厳重な審査と検査が行われ、鉄砲と二尺三寸以上の刀、女の出入りは管理されている。火薬自体も江戸では江戸城で管理されているものだけのはずだ。それが昨日の夜使われていたのだ。時雨しぐれの話を聞く限り、相当な量が使われた形跡がある。


「連れてきた女だが、死ぬ前に尋問したい。腕を斬り落としたからそんなに保たないはずだ」


 時雨しぐれは数人の若い者といくつかの品を用意して欲しいと勘左衛門かんざえもんに頼んだ。勘左衛門かんざえもんは分かったと言い、一度下へ降りていった。

床には、まだ目を覚まさないお美津みつが眠っていた。

無理矢理気絶させたのでもう暫くは目を覚まさないだろう。その時までに黒幕を聞き出し、お美津みつの側にいてやりたかった。

少なくとも二人を連れ去られたのだ。不覚としか思えない。

美津みつが目を覚ましたときに経緯を説明しなくてはならないのは時雨しぐれ自身だと自覚していた。


私が逃がしてしまった。


時雨しぐれの心には後悔の念が渦巻いていた。

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