第7話

 寄合場よりあいじょには十数名の男達が集まっていた。すでにおやじ殿から今回のいきさつについての話は済んでいる。


「しかし、不可抗力とはいえ喜瀬屋きせやさんともあろう大見世おおみせ阿芙蓉あふようの中毒患者を出すとはねぇ」


 ちくりとした嫌みを言ってきたのは膳屋籐兵衛ぜんやとうべえ

膳屋ぜんやはこの吉原よしわらで四指に入る大見世おおみせだ。規模だけなら吉原一である。

なぜか喜瀬屋きせや及び勘左衛門かんざえもんに対して張り合ってくる。

 それは遊女ゆうじょ達も同じで、道で出会たびにいがみ合う。大見世おおみせ喜瀬屋きせや遊女ゆうじょとしての矜持きょうじがあるので勘左衛門かんざえもんも無視して済ませとは言えない。

そしてここでもまた、被害者である喜瀬屋きせや遊女ゆうじょ東風こちが嫌みの的になっている。


「いやいや、先日の痴態ちたいは凄かったらしいですなぁ。なんでも見世みせの外まで響き渡るほどの派手な嬌声きょうせい三刻さんこくも上げ続ける、優秀な遊女ゆうじょがおるそうで……。

もしかしてその者が阿芙蓉あふようの中毒者ですかなぁ。あれは、妙に昂揚こうようするらしいので」


 にやにやと笑いながら、先程から話しまくっている。他の見世みせ楼主ろうしゅたちもうんざりとした顔だ。しかし、膳屋ぜんやに口を出せる者はごくわずかしかいない。


「……そろそろやめにしねぇか、膳屋ぜんやよぉ」


 寄合場の上座に座っているおやじから声があがる。

それは静かな声であったが膳屋籐兵衛ぜんやとうべえを黙らせるのに十分な効果があった。腹の底から響く声が、頭ごなしでは無く安心感と大きな懐に抱かれる、そんな錯覚を覚えさせるような感覚を思い起こさせる。

 吉原一の実力者であり、吉原の創始者でもあるおやじの言葉に膳屋籐兵衛ぜんやとうべえはただ黙るしか無かった。


「とりあえず、阿芙蓉あふように関しては、今、東雲とううん先生が調べてくださっている。内容については結果待ちだ。男の風体ふうてい、容姿については明日以降、喜瀬屋きせやの者に協力してもらい人相書にんそうがきを作らせる。出来次第、各見世みせに配るので見つけたらすぐに源五郎げんごろうに知らせろ」


 寄合いに参加していた源五郎げんごろうも頷いている。

彼らは明日以降、すべての手下を投入し、その半数ずつがさらに組に分かれて吉原よしわら中を見廻みまわることになった。源五郎げんごろうの手下は五十名近くいるのでかなりの人数が歩き回ることになる。しかも十二刻休み無しだ。

吉原よしわらに来る客を威圧しないように、客を装い見世みせに入ることで話は付いていた。もっとも事をするのでは無く、店に入ったら休息と食事が出されることになっている。


「さて、あとは番屋ばんやの方だが、しばらくは伏せておく。

東雲とううん先生の調べがついてからでも遅くはあるまい」


 そこは満場で一致した。阿芙蓉あふように関してはばれても東雲とううん先生が処方したと言い訳も出来る。しかも、番屋ばんやの役人には大量の鼻薬はなぐすりを嗅がせてある。

原因が分かっていなくても吉原よしわらで動いているのが分かっていれば、同心どうしんや岡っ引がすぐに職務で吉原よしわらを歩くことはない。

もともと殆ど吉原よしわら前の番屋が介入してくることはないし、積極的に関わる気も無いようだ。


「では、夜も更けてきたのでこれにて閉会といたしやしょう。

皆々様、お忙しい中今日に集まってもらい済まなかった。だが、こうやって吉原よしわらを守っていきましょうや。では、今宵はお開きということで、散会!」


 おやじの一言で寄合いは解散となった。各々が帰路につく。

最後におやじと勘左衛門かんざえもんが残った。


「おやじさん、今日は無理を言って申し訳なかったです。今後はなるべく気をつけますので。また後日改めてお礼に参ります」


 勘左衛門かんざえもんはおやじに頭を下げた。


「なぁに、いいってことよ。

それに遊女ゆうじょ達が安心して仕事をできるようにするのが、俺たち楼主ろうしゅの役目なんじゃないかぃ」


 そう言って今日はお開きだと言わんばかりに立ち上がった。そのまま勘左衛門かんざえもんも立ち上がり、帰路につくのであった。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


 時雨しぐれとお美津みつは布団の中で抱き合っていた。

二人の微睡まどろみは突然の半鐘はんしょう呼子よびこの音で覚醒する。


ぴー、ぴー、ぴー

かん・かん・かん  かん・かん・かん


 呼子よびこの音と半鐘はんしょうの音が響く。

盗賊などなら呼子よびこ

火事ならば半鐘はんしょうなのだが今回は両方が鳴っている。

時雨しぐれはぼんやりと聞いていた。

美津みつは抱きついていた時雨しぐれから離れ、長襦袢ながじゅばんを着込んでいる。


「見に行く?」


 上体を起こしながら時雨しぐれはお美津みつに問いかけた。時雨しぐれ吉原よしわらから出ようと思えば出れるし、お美津みつ遊女ゆうじょではないから関係ない。二人は顔を見合わせて微笑んだ。


「やめとこ」

「やめましょ」


 二人はまた床の上に横になった。時雨しぐれはこのような床になれてはいるが、お美津みつは初めての体験だった。

手触りを確認したり、顔を埋めてみたり色々と試している。

その様子を妹を見るような目で時雨しぐれは見ていた。


どたどたという音と共に、突然邪魔が入る。


時雨しぐれ、入るぞ」


 ふすまが開き、勘左衛門かんざえもんが入ってきた。かなり慌てているようで服も髪も乱れていた。しかし、部屋の中を見て勘左衛門かんざえもんも動きが止まっていた。全裸の時雨しぐれが、長襦袢ながじゅばん姿のお美津みつにじり寄っていたのだ。


「きゃぁー、きゃぁ、きゃぁ」

「父様、きちんと伺ってから入っておくんなまし」


 お美津みつはあわてて床の中に潜り込んだ。時雨も着物を羽織はおりながら睨み付けている。勘左衛門かんざえもんもさすがに部屋から出ようとした。しかし、その足はすぐに止まり、そこで振り返った。


「それどころじゃない。東雲とううん先生の診療所が火事だ! 

しかも茂蔵しげぞうが殺されていた!」


 時雨しぐれとこから顔を出したお美津みつは互いに目を見合わせ、勘左衛門かんざえもんの方を凝視した。

美津みつは五尺ほど飛び上がりそのまま部屋から駆け出そうとする。

凄まじい速さだ。

 しかし、その動きを時雨しぐれがあっさりと押さえ込む。

美津みつの目は、昼間警戒していた眼に変わっていた。殺気はもっと酷い。


「お美津みつ、落ち着きなさい。このまま出ても何も持ってないでしょ」


 殺気立っているお美津みつは肩を掴んでいる時雨しぐれの方を振り向いた。

早く行かせろと眼が訴えている。

が、その眼はすぐに裏返った。そのままお美津みつはその場に崩れ落ちる。

時雨しぐれが片手でそれを支え、そのままとこに横たえた。

勘左衛門かんざえもんも金縛りに遭ったように動けなかった。時雨しぐれの眼をてしまったから……。


勘左衛門かんざえもんさん、お美津みつを頼みます。

いいですね、頼みましたからね」


 勘左衛門かんざえもんが頷く事も出来ず立ち尽くしているのを尻目に、部屋の片隅に立てかけてある琴の方へ歩いて行く。時雨はいきなり琴の真ん中を蹴り飛ばした。

鉄を叩き合わせたような音が部屋に響いた。

ことは切断されたように【くの字】に折れた。

中から長い太刀たちが二振り出てくる。

それをそのまま掴むと羽織はおった着物に帯を結びながら階段を駆け下りていく。

 後には、とこに寝かされたお美津みつ勘左衛門かんざえもんが部屋に取り残された。

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