第30話
日が沈む方の空が赤くなってきた。周りの時間は普通に流れている。このスキルを発動したところで景色が止まるわけではない。風に木の葉や草が揺らぐ。
風を感じないのは、このスキルのせいだろう。体は動かせないし、音は聞こえなくなった。チクチクとしたおケツの感触も無くなった。俺の時間の流れと周りの時間の流れが違うというか。俺と周囲が干渉しないようになっているという認識で良さそうだ。
小一時間ほどぼーっとしてたと思う。ゴム長はすぐに消えたが、まだ見た目に大きな変化はない。少し若くなったかな。若い頃から体重がほとんど変わらなかったので、さっぱり実感がない。オッサンとして無駄に過ごした時間が長かったことを理解した。鏡でもあればわかりやすいんだが・・・この異世界にも鏡ぐらいあるよね?
今日一日だけでいろんなことが起こりすぎた。回想してまとめようとしたが、考えがあっちにいったりこっちにいったり。情報が全く整理できない。忘れないうちにメモなりスマホなりパソコンなりに記録しておきたいのだが、そのどれも持っていない。オッサンの脳みそのメモリーでは昨夜の飯でさえ忘れてしまう。俺は生き延びることができるのだろうか?
思考の迷路に彷徨いながらどうでもいい妄想に突入した頃、ふいに体が小さくなっていくことに気が付いた。周りの草木が徐々に大きくなっていったのである。成長期に戻ったな。毛深かった手足もツルツルだ。
股間もフランクフルトからポークビッツへと変わっていった。・・・ちょっとだけ悲しい。
ここでふと不安に襲われた。
記憶や知識、知能の問題である。
人の脳も体に合わせて成長する。脳も巻き戻ってしまったら、何もわからない赤ちゃんになってしまうんじゃないか?この状況で本当に何もわからない赤ちゃんになってしまったら、誰かに見つけてもらう前に獣とかモンスターに襲われて死んでしまうのではないか?あまりにも危険すぎる。
やばい。必死に難しいことを考えた。
「サインコサインタンジェント、サーコイコイサーコイコイサーサー、一夜一夜に人見頃、人並みに奢れや、すいきんちかもくどってんかいめい、水兵リーベ僕の船、ありおりはべりいまそかり・・・」
大丈夫だ。今のところ、記憶も知識も失われていないようだ。こちらに転移する前に取った資格「第一種衛生管理者」の要点も、何となく覚えている。この異世界で役に立つとはちっとも思わないが。
きっと肉体と魂は別なんだ。記憶も知識も脳で学び、魂に刻まれていたのだろう。だから脳が若くなれば記憶力も学習力も復活し、魂をさらなる高みに導くに違いない。
そうやって都合のいい解釈をすることにした。だってオッサンの記憶力と学習力じゃ、いくら赤ちゃんに戻っても無理ゲーだろ?
そろそろ赤ちゃんになると思ったが「赤ちゃんを通り過ぎて、精子になったらどうする?」と別の不安がよぎった。
しかしそれもすぐに杞憂に終わった。生まれたての0歳で、スキルが自動停止したのである。
しゃがんで体を巻き戻していたのだが、突然「コロン」と後ろに倒れたのだ。俺の意思とは無関係に、大声で泣きだす。「オギャアオギャア」という赤ちゃん特有の泣き方で。動かせなかった手足が動く。
スキルが止まったのは、限界まで体を巻き戻したということなのだろう。まるでカセットテープのように。体感で理解した。
よ~し、この異世界で新たな人生を0歳から始めるぞ。
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