第43話 海岸線


 曲が終わり、マイクをテーブルに置いた私に、駿介が拍手した。

 カラオケルームのテーブルとソファは黒く、壁紙は白と黒の幾何学模様だった。室内は暗い色調で統一されていて、照明も薄暗いので、時間の感覚が無くなってくる。


「まさか、『桃太郎侍の歌』を歌うと思わなかった。全然分かんなかったよ」


「今そういう気分で」


「どういう気分?」


「いいでしょ。別に」


 オレンジジュースを飲む。氷が溶けて味が薄くなっている。気分がどんどん落ち込んできた。これではいけない。


「私もどこか、旅行に行こうかな」


「旅行いいね。春だし、伊豆とかいいんじゃない」


 今は伊豆には行きたくなかった。駿介は私の気も知らず、穏やかに話し続ける。


「南伊豆に別荘あるよ。子どもの時、よく行ったなあ」


「現実世界で別荘持っている人、初めて見た。いいなあ。夏休みとかに行くの?」


「うん。でも、俺より森の方がよく行っていたかな」


 雪間くんの名前が出て、胸がひりつくように痛んだ。


「雪間くんは伊豆に思い入れがあるみたいだったけど、それでかな」


「そんな事言ってた? むしろ、あんまり良い思い出じゃないと思ってたけど」


「何で?」


「叔父さんも忙しいから、長い休みになると、休みの間中、森はおばあちゃんと別荘に行ってたわけ。おばあちゃんも悪い人じゃないんだけど、厳しくて子どもを甘やかさないし、一緒に遊ぶタイプじゃないからさあ。俺の家族がいる時以外は、結局、ずっと一人だったみたいなんだよね。暇だった、って前に言ってたよ」


 浜辺に一人でいる男の子が頭に浮かんだ。周囲で家族連れが遊ぶ中、その子は一人なのだ。一人で、砂山を作ったのかもしれない。

 いつか見た夢は曇天の海だった。濁った灰色の波。目にしているのが、あんな海なら淋しい。


「うわっ、どうしたの?!」


 駿介のぎょっとした声がした。

 袖で涙を拭い、鼻をすする。


「大丈夫? 花音ちゃんも泣くんだねえ」


 駿介がティッシュを差し出す。片手が使えず、自分のものはすぐにバッグから出せなかったので、有難く受け取った。


「そんな鬼の子みたいに。ひどい言われ様……」


「そこまでは言わないけど、でも意外だよ。そんなに泣かなくても。森の話が駄目だった? 様子もおかしいし、もしかして振られた?」


 無言の私に、駿介はにこやかに微笑む。


「図星? 森が駄目なら、俺とつきあえば?」


 私は鼻をかむと、駿介を睨んだ。


「……駿介は、誰でもいいみたいに言いながら、本当は、駿介のことを好きな子が好きなんでしょう。私のことなんて好きじゃない」


 駿介は、ぱっと目の奥を輝かせ、嬉しそうに、にやりと笑った。


「さすがだね。俺は、花音ちゃんのそういうところが大好きだよ」


「何それ」


「花音ちゃんは、森のどこがいいの」


「聞いてどうする」


 泣きすぎて頭がぼうっとしてきた。間近でこちらを覗き込む、駿介の質問をかわす気力もない。


「多分、色々大変だし、それによるかと思ったんだけど。まあ、その様子なら問題無いか」


 落ち込むチームメイトを励ますように、私の肩を叩く。


「悪い事したなあ。ちょっと反省した。だから最初に謝っておくよ。ごめんね」


 ティッシュを取ると、私の顔をぐしゃぐしゃと拭う。


「泣いてても可愛いね」


「馴れ馴れしく触るんじゃない。何なんだ、あんたはさっきから」


 腹が立ち、身を引いて手を押しのける。駿介はにっこりと笑った。


「飲み物買ってくるね」


 ガラス扉を押し開け、部屋を出て行った。


 駿介が何か気になることを言っていた気がするが、疲れてしまって頭が回らない。ソファの上で膝を抱えて、涙が出るのにまかせた。

 飲み物なら、カラオケの受付に注文するのではないかと気づいたのも、しばらく経ってからだった。

 

 涙が乾いてきた頃、ドアが開く音がした。顔を上げて、息を呑む。

 そこにいたのは、駿介ではなく、雪間くんだった。

 肩で息をしている。私を見て、疲れたようにうなだれた。





「な、何で? 駿介は?」


 あまりに驚いて、声がかすれた。雪間くんは、ため息のような小さな声で言った。


「多分、帰りました」


「どういうこと」


 彼は私の隣に腰掛けると、コートのポケットからスマホを取り出した。


「とりあえず、連絡先を教えてください。スマホが壊れて買い替えたんです」


「そうなの? 北海道に旅行に行ってたんでしょう?」


「駿介から何も聞いてないわけですね。旅行ではない、あれは連行です。祖母に連行された」


「連行?」


 物騒な響きの言葉に、眉をひそめる。


「あなたのと似たような案件で。知り合いが困っているからと、北海道の僻地に連れて行かされました。そして、スマホが湖に水没して壊れた」


「え?」


「僻地にいたので何もできなくて。九日間もかかってやっと解放されて、戻ってきてから買い直したんですけど、LINEのデータ移行がうまくいかなくて。データが消えました」


「大変だったねえ。霊障じゃないの」


「またそういう適当なことを……あなたの電話番号とかを、聞いてなかったでしょう。それで、駿介にあなたの連絡先を聞いたら返事が来なくなった。それが二日前です」


 何だか、話の雲行きが怪しい。


「駿介に電話しても出ないし。どうしようかと思っていたら、急に連絡が来たのがさっきです。あなたがいるから、ここに来いって」


「何それ。何だってそんなことを」


 喋りながら、はたと気づく。そもそも駿介は、雪間くんのふりをして私を呼び出したり、勝手に転職エージェントとの面接を取り付けるような奴だった。

 つまりは、私をからかって楽しんでいたわけだ。


「あいつ……」


 怒りで震えてきた。


「だったら、あいつが全部悪いんじゃないか」


 雪間くんと目が合った。心配そうに、こちらを見ている。


「目が赤いです。鼻も赤い。泣いてました?」


「何でもないよ」


 慌てて手で顔を隠したが、遅かった。


「何があったんですか」

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