第34話 幽霊屋敷

「絶対買ってね。買ったら写真送って。でないと、安心できない」


「そこまで心配しなくても」


「心配にもなるよ。前から言っているけど、もっと体を大事にして」


「……はい」


 雪間くんは少し目を見張ると、大人しく頷いた。髪に手をやり、ぐしゃぐしゃと搔き回す。


「そういえば花音ちゃん、森に話があるんじゃなかったっけ? この前、そんなこと言っていたじゃん」

 

 私が持ってきたシュークリームにかぶりついた駿介は、手についた粉砂糖を払った。

 

「ああ、あれは……今はいいよ」


「この前っていつですか?」


 先週、ガタラで駿介と会ったことを話すと、雪間くんはあきれたように私達を見比べた。


「君たち、仲良いですよね」


「二人で飲んだんじゃないよ。よく会うおじさん達も一緒だから。幹子さんと仲良くなったから、あの店、時々行くの」


「あそこ、いい店だよね。常連の人達も面白いし。今度、森も来ればいいのに」


 絶対に断ると思ったのだが、不思議な目で私を見ると、


「まあ今度」


と小さく呟いた。行くのか。意外だ。


「それより、何の話なんですか?」


「いいの、気にしないで。ちょっと、相談してもいいかなって事があっただけ。でも雪間くん、今大変だから」


「気になります」


 しかめ面で睨まれる。話さないと許してもらえなさそうな雰囲気だった。


「……本当に、気にしないでね。高校の時の先輩のお父さんが、幽霊屋敷を買おうとしちゃっているみたいなの」



***



 先輩の名前は元木もとき愛理あいりという。高校の部活の先輩で、部長を務めていた。


 先日、部員の一人が結婚し、その二次会で、久しぶりに愛理先輩と再会した。


 元々は明るく面倒見の良い人だったのだが、痩せて活気が消えていた。笑ってはいたが、無理に明るく振る舞っているように見えた。


 帰るタイミングがたまたま同じで、乗る路線も一緒だったので、愛理先輩と二人で帰途についた。道すがら近況や、他の部員が今何をしているかといった事を話す。

 心配だったので、それとなく体調のことを聞いてみたが、ちょっと色々あってね、と力無く笑ったきり何も言わなかった。触れられたくないのだと思って話を変えようとしたところ、愛理先輩から話題を戻した。


「花音なら、笑わないかなあ」


 先輩は去年、仕事を辞めた。職場の人間関係のストレスが主な原因だったが、母親に癌が見つかり、手術が必要になったことも理由にあった。同時期に、父親の会社で人員整理を行い、父親は早期退職の対象になった。

 先輩は両親との三人家族で、賃貸のマンションに住んでいる。

 父親は再就職先を探していたが、中々決まらないようだった。苛々しているので心配していたところ、ある日、突然、家を買いたいと言い出した。


「中古の家なんだけど、滅多にない掘り出し物で、破格の値段なんだって言うの」


 家は確かに相場よりかなり安かった。父親は、不動産屋が自分だけに特別に教えてくれたと息巻いていた。


「でも何だか私、そこが嫌で。確かに、広くて、築十年のわりには綺麗だし、水回りはリフォームされているから設備も良いんだけど……上手く言えないんだけど、すごく暗い家だと思ったの」


 母親も気乗りがしない。しかし、父親は話を全く聞いてくれなかった。退職金をつぎこめば買える。このまま家賃を払い続けるより余程良いと言う。


「幸い、お母さんの術後の状況も良くて、私もそのうちまた働こうと思っている。焦って家を買わなくてもいいんじゃないって説得したんだけど、全然、耳を貸してくれないの」


 二度目にその家を見に行った時、愛理先輩は、自分がその家を嫌う理由をはっきりと知った。


「雨の日で外は暗くて、私だけが二階にいた。二階には部屋が三つあるんだけど、階段に近い手前の部屋を見ていたのね。そしたら、廊下から音がしたの。荒い息遣いと、服が床にこすれる音。誰かが這って、必死に前に進んでいるみたいな。廊下を進んで、だんだん近づいて来て、私がいた部屋の前で止まった。何かあったのかと思ってドアを開けたら、誰もいなかったの」


 両親と不動産屋は一階にいた。誰も二階には来ていないと言う。


「すごく怖くて、買うのは絶対に止めようと言ったのに、お父さんは気のせいだって話を聞かないの」


 過去に事件でもあったのではと調べてみたが、特に情報は出てこなかった。近所の人に聞きまわれば何か分かるのかもしれないが、その勇気が出ない。

 今は父親に、手付金を払うのを待ってもらっている状態なのだという。


「でもお父さんは苛々しちゃって、誰かに取られるかもしれないから、早く、手付金を払って押さえたいって言ってる。不動産屋も、そろそろ期限だって急かしてもいるみたいで。私は絶対に止めた方がいいと思うんだけど」


 愛理先輩は昏い目で呟くと、こんなこと話してごめんね、と申し訳なさそうに謝った。


「ちょっと心配で参っちゃって。誰かに話を聞いて欲しかっただけだから。気にしないで」


 電車が滑るように私の降りる駅に着いた。


「じゃあ、またね」


 愛理先輩は、これまでの様子と打って変わった明るい笑顔で、小さく手を振った。


 ホームに降りた後、気がかりで振り返る。電車の窓越しに、疲れた顔でぼんやりと宙を見つめる愛理先輩が見えた。電車が動き出した瞬間、吊革をつかむ細い手が、糸に引かれたみたいにがくんと揺れた。



***



「もしかしたら、雪間くんがその家に行けば何か分かるのかもって、ちょっとだけ思ったの。でも、肋骨にヒビが入っている人に頼むことじゃないから」


 私はおずおずと付け足した。

 雪間くんは、剣呑な顔をして私の話を聞いていた。何も言ってくれないので、不安になってくる。


「だったら、俺が行こうか?」


 横でスマホをいじっていた駿介が、いつも通りの軽い口調で言った。画面から目を離して微笑む。


「え?」


「だって、すごく困っているじゃん、その人。俺が行けば、何か聞こえるかもよ?」


「でも、駿介、大丈夫なの? 何がいるか分からないんだし、危ないんじゃ」


「俺がやばくなったら、その時は花音ちゃんが止めてよ」


「そんなの、できるかなあ」


「急がないと、そのお父さん、手付金払って契約しちゃいそう。幾らかは知らないけど、まず百万は超えるでしょ? 後から止めたいって言っても、お金返ってこないよ。とりあえず、行くだけ行ってみてもいいんじゃない。明日は俺、暇だよ?」


 駿介の言葉に気持ちが揺れた。愛理先輩は困っているし、急がなくてはいけないのも確かだ。確かに、何もしないよりはいい。

 しかし、もし駿介がまた暴れだしたら、私一人で止められるのだろうか。

 腕組みして考え込んでいたら、駿介がにやりと笑った。


「じゃあ、決まりで。明日はデートだね」


「どう考えても違う」


 黙って私たちのやり取りを聞いていた雪間くんが、深いため息をつく。諦観の漂う表情で言った。


「僕も行きます」

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