第35話 ハイウェイ

***


「肋骨折れてるのに大丈夫? 申し訳ないなあ」


 翌日、雪間くんは私の家の近くまで、車で迎えに来てくれた。


「折れてはいません。あなたと駿介だけで行かせる方が心配だ。サメのいる海にウサギを放り投げるみたいなもんです。確実に皮を剥がれる」


「因幡の白兎だね」


 笑っていたら真面目な顔で睨まれた。


「笑い事じゃないですよ」


「すみません……でも、こんな良い車、勿体無い」 


 雪間くんが乗ってきた車は、車高の低い綺麗な赤い車だった。流線形の颯爽とした外見をしていて、こういうミニカーがありそうだと思う。助手席に座ったが、計器やシートが明らかに普通の車と違っており緊張する。


「用事的には、廃車寸前の軽トラとかで十分なのに」


「軽トラだと俺の乗る場所ないよ。荷台?」


 後ろの席から駿介が言った。そういえばそうか。


「実家の車を借りただけです」


「運転は森がやるよ。俺、免許無いから」


「駿介、免許持ってないの? それは意外」


 驚いて後ろを振り返る。シートにもたれてスマホを見ていた駿介が、顔を上げた。


「あえて取らなかったんだよね。車を運転している時に何か聴こえて、キレちゃったら怖いかなと思って」


「なるほど」


「花音ちゃんは免許持ってるの?」


「免許はあるよ。身分証として便利だよね」


「ペーパードライバーなんだね」


「草野さんは運転しない方が、世の中、平和なんじゃないですか」


 雪間君がハンドルを切りながらぼそりと言った。先程から、急停車をすることもなく、運転が上手だ。運転には性格が出るという。自分の運転を顧みると、反論できない。


「でも最近は前よりあの発作を抑えられるようになってきたし、免許、取るだけ取ってもいいかと思ってるんだよね。教習所に花音ちゃんも一緒に行かない? 誰か事情知ってる人がいたら心強い。花音ちゃんはペーパードライバー講習受ければいいじゃん」


「それはありかもしれない」


「あなた達、本当に仲良いですよね」





 高速に入り、山の中を車は軽快に走って行く。


「森ははるかちゃんの式には出られるんだよね?」


 思い出したように駿介が言った。


「三月だろ? それは大丈夫」


「良かった。森が出ないと遥ちゃんはがっかりするから」


「誰か結婚するの?」


「従姉がね。お見合いして、来月、結婚式」


 それを聞いて、ふと疑問が頭に浮かんだ。


「不思議なんだけど、雪間くんは結婚したいから、マッチングアプリやったんだよね。お見合いができるなら、何でそれをやらなかったの?」


 彼の性格からして、不特定多数の人と会話しなくてはいけないアプリより、お見合いの方が向いている気がする。

 雪間くんは前方を向いたまま、あからさまに顔をしかめた。


「お見合いなんて、もし一言でも言おうものなら……」


「親族の女性一同が大張り切りで、断る選択肢はないまま、式まで一直線だよ」


 駿介が、運転席と助手席の間に手をかけて身を乗り出す。


「遥ちゃんも見合いの時点で、すでに式場が予約されていたっていうもんね」


「だって、会ってみたらイマイチとかあるじゃない」


「そういう意見は聞いてもらえません」


「特に森はね。可愛がられているから。お見合いとなれば、おばあちゃんやうちの母親が嬉々として相手を探すね。俺、姉が一人いるんだけど、やっぱり森を構うのが好きだから、姉さんも出張ってきそうだなあ」


「親族の女性陣は強くて、本当に恐ろしいんです」


 雪間くんはげんなりした顔をしている。


「すごい愛されてるね」


「それは理由があります。うちには母親がいないんです」


「そうなの?」


「両親は僕が小さい頃に離婚して、母は家を出ました。僕は一人っ子ですが、父も仕事が忙しくてあまり家にはいなくて。代わりに祖母や伯母さん達が世話を焼いてくれて、母親代わりが何人もいるような感じで育ちました。感謝はしてますが、一方であの人達は勢いが怖い。誰も止められない」


 淡々とした口調だが、本気で怯えている気配が滲んでいた。一体、どんな人達なんだろう。

 最初に会った頃の、女性に対しての奇妙なひねくれ具合は、育った環境のせいもあったのかもしれない。


 雪間くんは喉が乾燥したようで、声がかすれ、苦しそうに咳をした。左手をハンドルに添えたまま、右手をドリンクホルダーのお茶に伸ばす。


「森は親戚に決められた相手じゃなくて、好きな人と結婚したいんだもんね」


 笑いを含んだ駿介の声が響いた。

 ドリンクホルダーに伸ばした手は宙をかすめた。

 ハンドルを掴むと、後ろを振り返り、きつく駿介を睨む。


「雪間くん、前!」


「大丈夫です」


 軽く舌打ちし、苦々しい顔で正面を向いた。

 駿介はにやにやと笑っている。


「だって、最初にそう言ってたじゃん」


「すごい。少女漫画のヒロインみたいだね」


 心から感心したのだが、雪間くんはこちらを見ずに嫌そうな顔をしていた。茶化されたと思って怒ってしまったのかもしれない。


「ちなみに花音ちゃんの家は? どんな感じ?」


 駿介が私の肩をつつく。


「うちは一般庶民だから、そういう華々しい設定は何もないよ。縁談も来ないし、将来を約束した幼馴染も、親に決められた許婚もいない」


「そういう事は期待してないから大丈夫。家族構成とかだよ」


「会社員の両親と、大学生の妹がいる」


「ああ、花音ちゃんはお姉さんって感じだね。そして妹の方がしっかりしてそう。花音ちゃんが妹の服を間違えて着て、怒られたりして」


「怖い。何で分かるの。いつのまにか、うちに来てた?」


「当たってる? やっぱりね」


 駿介と他愛無い話をしているうちに、車は高速を降り、国道を走っていた。

 脇道を曲がってしばらく走り、やがて目的地に着いた。

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