第3章 “愚者”と“女神”

「オレの名前は慎次しんじキセイだ。覚えとけ、雑魚邪神」


 そう言い捨て、青年――キセイは炎の邪神を見下ろす。

 尻餅をつき口の端から血を流す邪神あくまを、睨み付ける。


「……ひ、ヒヒヒ」


 すると邪神は突如として笑いだし、その場で立ち上がる。立って、同じように拳を握って。


「ジブンの名前はアツマだ。そっちこそ覚えとけ、雑魚人間」


 炎の邪神――アツマはついに名を名乗り、立ち向かってきた。


「っ!」


 キセイめがけ地を蹴り、全力で殴りかかる。


「来いよ、やってやる」


 横で『氷剣』の女神が顔面を黒焦げにしながら見つめる中、キセイも殴りかかる。


「うぉォォオオ――!」

「死ねぇぇえェ――!」


 キセイとアツマ。2人の拳は勢いよく衝突し、その余波で周りは衝撃波に包まれる。

 地面に転がっていた瓦礫は粉々に崩れ、とても拳同士が当たっただけとは思えない威力の波が生まれる。


「なっ!」


「ヒヒヒ。なんだオマエ、こんなんで驚いてんのかぁ?」


 キセイは、いま初めて黄色の石の効力を発揮したのだ。

 発揮し、驚愕した。自身が繰り出した拳の威力に。


「これが、石の力……」


「あぁ、そうだ。オマエが触れたラガルの石の効果だよ。どうだ? 強いだろ? だからこそ返してもらう」


 アツマはイヤらしく笑みを浮かべながらそう言い、再び足を動かす。

 今度は炎を纏った拳を前に突き出し、キセイを燃やそうと試みる。しかし。


「やられてたまるか」


 キセイはそれを回避し、自身の右足でアツマの左足を蹴る。

 そうすることでバランスを崩した邪神は転げそうになるが地に手を付けることでなんとか耐え、そのまま残る右足を宙に上げる。

 上げられた足はキセイの顔面へ向かい、直撃しそうになるが。


「喰らうかよ」


 咄嗟にキセイは膝を曲げ身を低くし、蹴りを回避する。

 アツマはそれに対して驚きを見せ、その隙にキセイは力を込めた拳を邪神の腹部に叩きこむ。


「が、はァ」


 全力で殴られたアツマは涎を溢し、勢いよく背後に吹っ飛ぶ。仰向けで地に寝転がり、呼吸を乱す。


「く、くそがッ!」


 雑魚人間と思っていた存在に一発喰らわされたことが悔しかったのだろう。邪神は歯を食い縛り、拳を強く握りながら立ち上がる。


「なん、なんだよ。オマエは」


 そしてそんなことを言い、聞かれたキセイは目を見開き、


「ただの人間だ。お前たち邪神を倒す、ただの人間だ」


 そう言いきった。堂々と。

 だが実際のところ、それはハッタリに近い。何故なら、キセイが戦い始めた理由は別のことだから。


「――――」


 そのままキセイは斜め下を見下ろし、地に転がり込んでいる女神を視界に入れる。

 キセイが戦い始めた理由。それは彼女だ。彼女はキセイのことを見てくれていた。キセイのことを、しっかりと認識してくれていた。


 だから、彼女を守りたいと思った。今だけは家族の悲しみを忘れ、女神の命を守りたいと思った。


「だから戦う」


 彼女を守るために。


「――――」


 キセイからの視線を感じた女神はハッとし、未だ顔の所々を黒くさせながら立ち上がる。そして小さく笑みを浮かべて。


「ミライよ」


「……へ?」


「私の名前、ミライって言うの。よろしくね、慎次キセイくん」


「――――」


 突如として名乗られ、キセイは何も反応できずにいる。

 言い返せず無言のまま、数秒間が過ぎると。


「ヒヒヒ。上等だ」


 目の前から声が聞こえてきて、その声の主であるアツマは笑う。


「邪神を倒す、か。えらく大層なことを言い切ったもんだなぁ雑魚人間。……いや、慎次キセイ」


「――――」


「良いぜ。その覚悟が本物かどうか、見極めてやる。ただそれは今日じゃねぇ。また今度だ」


「……は?」


 その口調や勢いからしてキセイはこれから邪神との戦いが再開するのかと思ったが、彼はそんなことを言いだし拳を降ろす。


「な、なに言ってんだお前。に、逃げる気か!」


「ヒヒヒ。そんな慌てんなよ、慎次キセイ。今はまだオマエを殺すタイミングじゃねぇってことだ。こんなところで殺すには惜しい」


「惜しい、だと?」


「あぁ。だからこそ、また今度お互いが絶好調な時に殺り合おうぜ。正真正銘、命の掛けた戦いを」


 笑う。邪神は笑い続け、その笑みにキセイもミライもどこか不気味な気配を感じる。

 しかしアツマはそれでも口を緩め続け、ついには。


「――『ラキア』」


 その場から消えた。

 突然、キセイでもミライでもアツマでもない声がその場に響いたと思った瞬間、彼は姿を消した。

 影も形も残らず、目の前から消え去った。


「なっ! あ、あいつはどこに!」


 キセイは周りを見渡すが、どこにもアツマの姿は無い。


「消えたのよ。きっと、タナトの神能しんのうによってね」


 かと思えば、ふと横にいるミライがそんなことを言い始める。

 いつの間にか顔の焦げも治り、元通りの状態になったところでキセイを見つめる。


「タナトの……しんのう? な、なんなんだよそれ」


「神能っていうのは、神だけが使える魔法みたいなもの。体の中にある神核しんかくから神力しんりきを取り出し、それをエネルギーとして発散させ……」


「ちょ、待て待て! 一気に色々言うな! 余計混乱してくるから!」


 説明されたはいいものの、実際キセイには何のことか全く分からない。


「というか、分からないことだらけだ」


 邪神のことも。ミライのことも。魔法のことも。黄色い石のことも。

 全てが意味不明で、理解できない。

 だが、そんなキセイの考えを察するかのようにミライは口を開く。


「分かってる。本当にこんな状態になって謎よね。キセイくんも困惑してると思う。だからちゃんと説明するわ。私たちや神に関する全てのことを」


「――――」


「説明する。するから、協力してほしい」


「……え?」


「私たちに。私たち清神せいしんに協力して、一緒に邪神を倒してほしい」


 そう言ってミライは手を伸ばす。

 キセイに握手を求め、右手を差し出す。


「――――」


 その手を、キセイは取るかどうか悩んだ。

 先ほども言った通り、分からないことだらけだ。何もかもが理解できてなく、明確な目標といったものもない。

 アツマとは、ただ『彼女を守る』という想いがあったからこそ一時的に戦えたわけで。


 だから。だからこそ、慎次キセイは同じように右手を伸ばして――。


「……え?」


 手を交わさず、ミライに背を向けた。

 何も言わず、喋らず、そのまま歩き去ろうとする。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 そんなキセイの態度に驚いたミライは急いで駆け寄り、肩を掴む。

 今にもその場から逃げ出そうとするキセイの体を引っ張り、声をかけるが。


「オレにはそんな大役無理だ」


「た、大役?」


「あぁ。邪神を倒すなんて凄い役目、オレには向いてない。だから協力できない」


「っ! そ、そんなこと言わないで! さっき戦ってたあなたはカッコよかったわよ? だからほら、一緒にやりましょうよ!」


「違う。さっきのは違うんだ。オレは英雄になりたくて戦ったんじゃない。ただ、自己満足のために戦っただけで……」


「だとしても戦うべきよ! 確かに、つい数十分前までただの人間だったあなたには荷が重いかもしれない。とても背負いきれないかもしれない。けど、決してこれは偶然じゃない! あなたの元にイエローストーンが現れたのは、決してたまたまなんかじゃない!」


「――――」


「運命なのよ! きっとこれはキセイくんの運命で、だからこそ……」


「だとしたら、そんな運命願い下げだ」


「っ!」


「ごめん。本当に申し訳ないと思ってる。こんなオレを頼ってくれて、その上で断ったりなんかして。ほんとの本当に申し訳ないとしか思わない。けど、それでもやっぱり」


 ――無理だ。ただの人間キセイに、そんな大事なことを一瞬で承諾できる度胸なんてない。

 ただの愚者キセイに、そんな役目を引き受けられる志なんてない。


「他の誰かを頼ってくれ。オレは……お前の望むような人間じゃないから」


 ミライの望むような、素晴らしい人間じゃないから。


「だからごめん」


 そう言って、今度こそキセイは歩きだした。

 ミライがいる所とは別の方向に足を進める。何も言わず、表情を暗くさせ。


「――――」


 ミライも、今度はそんなキセイを止めることなどしなかった。


 伸ばしていた腕を降ろし、ただ無言で見つめる。

 背負わなくてもいい荷を自身への罪として体に張り付けている、人間の背中を。

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