第2章 “名前”
突如現れた、名も知らぬ銀髪の女性。
彼女は手に持つ氷の剣を、青年の目の前にいる邪神へ向かって投げ付けた。
「ぐッ、がぁ!」
それにより邪神の心臓部分には『氷剣』が突き刺さり、途端に血が吹き出て苦しみだす。
「大丈夫? どこか致命傷を受けたりしてない?」
邪神が苦し気に胸を押さえる中。銀髪女性は青年の元へ近づきそう心配をしてくるが、肝心の青年は状況を掴めずに困惑し続けている。
「だ、大丈夫だけど……お、お前は何も――」
「ヒヒヒ。良いスリルだぜ」
女性に対し存在を問おうとした瞬間。邪神は『氷剣』を引っこ抜き、致命傷を負っているのにも関わらず笑う。
狂気的な笑みを浮かべ、なんと血が吹き出ていたはずの箇所が。
「……治ってる?」
そう。いつの間にか傷は完治し、胸の穴は塞がっていたのだ。
青年は邪神の再生を見て驚くが、それよりも銀髪女性は『氷剣』を構え口を開く。
「あなたたち邪神の横暴もそこまでよ。これ以上、この人間を傷つけるのは私が許さない」
「ヒヒヒ。許さない、だと? オマエみたいなやつに何ができるってんだ。なぁおい、雑魚女神さんよぉ!」
『炎拳』を操る邪神。『氷剣』を携える女神。
2人はそんなことを言い合い、互いの能力をぶつけ合う。
「――っ!」
青年が圧倒される前で、炎と氷が激しい交差を始める。
「はぁぁ――っ!」
「ヒヒヒ――っ!」
女神が『氷剣』を振り下ろすが、邪神は一歩後退り回避。そのまま片足を上げ攻撃を繰り出し、それは直撃して女神の口から血が吹き出る。
だが女神も負けじと邪神の片足を掴み、驚きの力で振り回してみせる。
「まだまだぁ!」
回された挙げ句に邪神は勢いよく背後の壁に激突し、その隙を突いて再び女神は『氷剣』を相手の心臓に突き刺す。
「ぐッ」
邪神はまたも苦しみ体から大量の血が流れるが、それでも笑い続け、自身の心臓に剣が刺さったままの状態で女神の顔面を両手で掴む。
「なんべん刺しても無駄だぜぇ? 核はそんなとこに無ぇからなぁ!」
「――っ」
瞬間。邪神は『炎拳』を発現させ、女神の顔は次第に焦がれていく。
「が、ぁぁ――ッッ!」
苦しみ、叫び、先ほど黒焦げになった青年の両腕と同じように、次は女神の顔中が焼かれていく。
「く、ぁぁっ、あぁがァ、ッ」
女神はなんとかしてその場から離れようと足を動かすが、それでも邪神がそうはさせない。
力いっぱい抑えつけ、彼女の皮膚を焼き続けていく。
「ぁぁぁ――がぁぁッッ!」
悲鳴。絶叫。それらが女神から放たれ、痛々しい惨劇が繰り広げられる。
とても見ていられない状態に女神はなっていき、その真横で青年は何をしていたかというと。
「やめろぉぉ――おおッッッ!」
頭を抑え、跪き、同じように悲痛な叫び声をあげていた。
その絶叫の理由は、肉体的に痛みを味わっているからではない。
思い出したからだ。過去の出来事を。
「もうやめてくれぇぇええっ!」
思い出した。というより、思い出してしまった。
そう。青年の家族を殺したのは、この目の前にいる炎の邪神だったのだと。
父親も母親も妹も。この赤髪の邪神から同じように焼かれ、死んでいったのだ。
父は体を貫かれ即死。母は喉を焼かれ数日後に死亡。そして妹は――。
「あぁぁァァあああッッ!」
女神と同じように顔面をじわじわと焼かれ、そのまま体中も黒焦げになり死んだ。
まだ14歳だった
青年はその時、何もできなかった。
「もう、やめでくれ!」
その場にいた。実際に妹が焼かれていく瞬間を目撃していた。
だが、何もできなかった。
『おにい、ちゃん!』
足を動かすことができなかったのだ。
妹の前に自分も邪神から攻撃を喰らってしまっていて、両足を傷つけられた。だから助けられなかった。
『だずっ、け、て!』
だが、そんな言い訳をしようと妹は還ってこない。
アイリは、何をどうしても戻ってくることなどない。
『あづ、いこわいい、たいよ!』
焼かれ、苦しみ死んでいった家族。
焼かれ、生き残ってしまった青年。その事実が耐えられなかった。
どうして自分は生き残ったのか。どうして家族が死んだのか。死ぬべきは自分だったのではないか。生き残るべきは家族だったのではないか。
『ぉに、いちゃん!』
そう思い続け、毎日夢を見た。
家族が殺される夢を見続け、しかし青年はそれに耐えられず詳細を忘れることにした。
自分を庇って死んだ父親。最期まで青年のことを気にしてくれていた母親。頑張れば助けられたかもしれない妹。
その詳細を忘れることで、『死んだ』という事実だけを残すことで、青年はなんとか自我を保ってきた。
そうすることで、生きることも死ぬこともできない愚かな
意味もなく、ただ何もせずにいた。
「もう、嫌だ。もう、こんなのっ!」
大好きだった家族を見殺しにしたという自らの罪を思い出してしまった青年は踞り続け、ついに現実そのものを放棄する。
『――待たねぇよ、こっちの番だ』
思い上がっていた。調子に乗っていた。
あの黄色い石にさえ触れてしまえば何かが変わると思ったんだ。力を手に入れ、邪神をも倒せると思ったんだ。
だが、現実はそう甘くない。特殊な石に触れて黒焦げだった腕が元通りになろうと、青年そのものは何も変わらない。
『さぁ、やってやる』
何を言ってる。ふざけるな。
何もやれてないではないか。何も成せてないではないか。
ファンタジーのような大いなる力を、そんな簡単に手に入れられるわけがない。
実際、黄色の石に触れた後も銀髪の女神に助けられたじゃないか。邪神に一矢報いることもできなかったじゃないか。
自分の力ではなく正体不明な石に頼ってしまったことこそが、青年の『弱い』部分だ。
「いやだ。こんな……こんなの……」
情けない姿を露にし、ついにその精神を崩壊させようとする。耐えられないと嘆き、放棄したいと喚き、忘れたいと願った、その瞬間。
「――まだよ」
声が聞こえる。
絶望しきった青年の耳元に、銀髪の女性の声が響く。
「まだ、よ。まだ諦めては、ダメよ」
聞こえてきた声に驚き、青年は彼女を見る。
未だ顔を焼かれ続けている女神のことを見る。
「まだ……終わってない。むしろ始まってすらないのに、絶望しないで。戦うことを、諦めないで」
痛いはずだ。今にも絶叫したいほど熱いはずだ。
既に顔だけでなく喉も焼かれていて、喋ることは不可能なはず。だが、彼女は必死に青年へ声をかける。
「あなたは凄いわ。何も力が無いのに邪神に立ち向かって、石に触れた。その後も戦おうとした。『石頼り』なんて思わないで。腕を犠牲にしてでも戦おうとしたそれは、間違いなくあなた自身の力よ」
「――っ!」
言葉が響く。青年の脳内に響く。
しかし、数秒後には。
「ヒヒヒ。良いこと言うじゃねぇか。だが、それもいつまで続くかなぁ!?」
「ぎゃゃ――ッッァァ!」
邪神は更に火力を高め、今度こそ女神の苦しみは再開する。
痛々しげに叫び、もう声を発する余裕はない。
「て、てめぇ! よくも!」
青年はついに立ち上がり、なんとか拳を邪神へ当てようとするが。
「引っ込んでろよ」
「ぐっ!」
飛び付いた矢先に炎を当てられ、反撃を喰らう。
体が燃え、全身が熱くなる。
「が、ァァ、っ、ぐ……そ!」
――無理だ。もう、勝つことは無理だ。
邪神と似たような力を持つ女神でさえこの有り様なのだ。青年がどう頑張ったって、どう足掻いたって、倒すことは不可能。
――だけど、諦めきれない。
「うぉぉォォっ!」
諦め悪く、青年はまたも飛び付く。
「だから引っ込んでろって」
しかしまたも邪神に炎を当てられ、背後に吹っ飛ぶ。
「く、まだ……まだっ!」
それでも、立ち向かい続ける。
燃え、体が悲鳴をあげているが、しつこく喰らいついてみせる。
「なんなんだよ、オマエは」
邪神はそんな青年に対し舌打ちをし、幾度となく炎を放ち続ける。
放ち、放ち、放って。だが青年は負けじと足を動かす。
「なんなんだ! さっきまでみっともなく踞ってたくせに。急にウゼェんだよ、雑魚人間!」
苛立った邪神はついに女神のことを放し、青年へ焦点を当てることにした。
両手を青年本人に向け、殺そうとする。
「何回やっても勝てなかったくせによぉ! 諦め悪ぃんだよ!」
確かにその通りだ。
邪神の言う通り、何回やっても青年は勝てない。勝てる未来が見えてこない。
だが、それでも立ち向かう。
「いい加減死んどけよ!」
青年自身だってそう思ってる。自分なんか死んだほうが良いと思ってる。
だが、だとしても。
「その人だけは……」
「は?」
「その人だけは、死なせたくない!」
そう思ったのだ。
しっかりと『自分』を見てくれていた彼女だけは死なせたくない。傷つけさせたくないと、本気でそう思った。だから青年はまたも戦うことを選んだ。
「っく!」
邪神からすれば突然だっただろう。
先ほどまで跪いていた人間が急に攻撃を始め、疑問を持っただろう。だが、捨てられなかった。
今だけは
「来るんじゃねぇ!」
邪神は何度も炎を放つ。
拳から放たれるそれは青年の体に全て当たるが、青年本人は足を止める気配がない。
ずっと歩き続け、次第に邪神との距離は縮まっていき。
「はァァ――っ!」
ついに腕を振り下ろす。
青年は拳を前に突き出し、邪神の顔面めがけぶつけようとする。
それに対し邪神も咄嗟に炎を繰り出し抵抗。しかし青年の拳は突き破り、そのまま前に進み。
「なっ!?」
ようやく、
勢いよく殴られた邪神は後ろに吹っ飛び、尻餅をつく。そして頬を押さえたまま青年のことを見上げる。
「っ!」
見られた青年は赤くなった拳を握り、大火傷を負った体に力を込め、
「――慎次キセイ」
「……は?」
「オレの名前は
そう言い放った。
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