第45話 決戦の朝

 透哉さんがため息をつく。


「でもとりあえずやれることはやる。そして、どう落とし前付けてもらおうか。警察の後に森さんの家に怒鳴り込みに行ってもいいなあ」


 その光景を想像したのか、彼の口角がにやりと笑った。少し怖い顔に見える。相当怒っていると見た。


 だが私はそれを止める。


「もしかしたら、もう用済みだから捨てられているかもしれません。そしたら、証拠もないのに透哉さんが森さんを疑った、ってことになります」


「伊織に身に覚えのないメッセージが届いて、それを伊織が送ったってあの女が嘘をついたんだ。間違いなく犯人だろ」


「状況証拠だけでは、上手く言い逃れられる可能性もあります」


 透哉さんが苦い顔をした。


「確かにあの女怖すぎるからなあ……逆に名誉棄損だとか言ってきそう。動くならちゃんと証拠がないと、か。一度俺のスマホから位置情報探してみる? あれって確か、向こうのスマホのGPS設定してないと出来ないんだよな。切られてそうだな。そういうサービスは入ってたりする?」


「ああ……入ってないです……入ってればよかった」


「こんな悪用のされかたがあると普通思わないからね」


 そう言って透哉さんのスマホから位置情報を探してみたが、やはりGPSが切られているようだった。ちゃんと考えてるなあ、なんて変に感心してしまう。


 私ははあと大きなため息をついた。スマホを使ってこれほど手がこんだことをするなんて、想像していた以上のことだった。


 そこまでして、私と透哉さんの邪魔をしたいのはなぜなんだろう。仕事を辞めさせたいって言ってたけれど……。


「どうした?」


 しばらく黙って俯いていた私に気が付いたのか、彼が心配そうな顔で覗き込んでくる。私は素直に気持ちを伝える。


「まさか、こんなことまでしてくると思ってなくて……一体どうしてここまで嫌われてるのか分からないし、やっぱりショックで」


 別に森さんと仲良くなりたいと思っていたわけではないし、あの子のことを好きかと言われれば違う。でもここまでのことをして私を排除したいと思われるのは、さすがに辛いと思った。


 すると透哉さんは、真剣な声色で私に言う。


「伊織。伊織の、誰にでも平等で優しいところは、君の長所であるのは間違いない。俺はそういうところに惹かれた。でも、それがたまに心配にもなる。いい? 世の中には自分と絶対に分かり合えない人間が必ずいるし、それに対して落ち込むことはない」


「でも」


「今までの伊織をちゃんと見てきた。森さんに対して優しい態度だったし、あの子が変質者に狙われてるって相談受けた時は、泊まらせることだってしてあげた。伊織に非はまるでない。それでも、こんな方法を取ってまで嫌がらせをしてくるのは、ただ相手が異常なだけだよ」


 透哉さんの言葉の節々には、怒りが込められていた。彼はなおも続ける。


「だから俺はあの子を許せない。これはれっきとした犯罪だよ。子供じゃないんだ、自分がやったことの責任は取ってもらう。伊織も、優しいだけじゃなく、人に厳しくなれる部分も必要だよ」


 彼の言葉は真剣だった。それが私のために言ってくれているんだと、もちろん気が付いている。


 そう、その通りだ。世界中の人みんなと仲良くやるなんて、不可能なこと。そこにいちいち落ち込んでいたらキリがないし、赦すことは相手のためにもならない。


 しっかりと私も受け止めなくてはならないのだ。


 透哉さんが頭を掻きながら考える。


「さて……じゃあしっかり証拠から掴まないとだな。まずは」


「透哉さん。一つだけ、お願いがあります」


 私の決意の声を聞いて、彼は目を丸くした。










 慣れ親しんだ会社に足を踏み入れ、エレベーターに乗り込む。長い廊下をつかつかと歩き、いつもの場所を目指した。


 下を見ることなく、堂々と胸を張っている。怖いものなんて何もない、そう思っている。


「おはようございます」


 はっきりとした声で挨拶をしながら、私は中に入った。すでに数名の仲間たちが出社してきている。その中に、知った顔があった。


 今日も綺麗に髪を巻き、艶のあるリップを塗っている森さんは、私を見て愕然とした顔になった。やや顔色が悪いようにも見える。すぐに、森さんは近くにいた三田さんを見た。彼はその視線に気づかず、目を真ん丸にして私を見ている。


 私はにこりと笑いかけ、まずは自分のデスクに向かった。


 カバンを置いてデスクの上にあった資料を手に取り振り返ると、未だ森さんが私の方を見ている。そんな彼女に歩み寄り、私は声を掛けた。


「森さん、朝一の会議の準備、手伝ってもらえますか?」


「え? ……ああ、はい」


 森さんは渋々頷き、私についてくる。そのまま二人ですぐ近くにある会議室へ入り込んだ。中央にデスクと椅子が向かい合わせで並んでいる。


 扉をそうっと閉め、私はデスクに近づき、持っていた資料の束を置く。ふと後ろを見てみると、扉の前では、森さんが動かずじっと私を睨んでいた。


 やや緊張で体がこわばる自分を必死に奮い立たせ、しっかりと彼女の視線を受け止める。


「……来たんですね、会社」


「来たよ。やめるつもりだってないし」


 私の発言に、彼女は驚いた顔をした。私は淡々と続ける。


「透哉さんとも会って話したよ。森さんがやったことはもう全部わかってるし筒抜けだから、もう何を言っても私は信じないよ」


 森さんはぎゅっと拳を握りしめる。


 この休みの間、知り合いを通して三田さんにメッセージを送った。『やっぱり透哉さんと会うのが辛いので、このまま退職します。落ち着いたら三田さんに連絡します』という嘘の内容だ。


 そして、三田さんから森さんへと伝わったのだろう。私が出社してきたのは完全に予想外だった、というわけだ。

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