第37話 信じていない

「あ、あれ、森さん? 奇遇だね……」


「あー違うんです違うんです! 私伝言を伝えに来たんです!」


「伝言?」


「柚木さんです。ここに先輩いるからって聞いて。なんかー仕事で大きなトラブルがあったから、今すぐには離れられないって。連絡しても全然既読にならないし返事もないから、様子見てきてって言われたんですよ。もしかしてスマホ持ってないんですか?」


「あ……」


 なるほど、彼から伝言されてきたのか。


 だがすぐに、違和感を覚える。透哉さんがよりにもよって、森さんに伝言を頼むかなあ……? お泊りのときは、二人きりになると気まずいだろうからって、久保田さんに連絡してくれたぐらいなのに。


 じっと考え込む。やっぱり、森さんに伝言を頼むのは不自然極まりない。もしかして、嘘をついている?


 とはいえ、私がここにいることも、スマホを失くしたことも知っている。透哉さんも実際来ない。それは紛れもない事実だ。


 ふと失くしたスマホの事を思い浮かべたが、もし森さんにスマホを拾われたとしても、ロックされていて中身は見れないはず。彼女が盗み見たりするのはさすがに不可能だろう。


 ということは、森さんは本当に透哉さんから伝言を頼まれたという結論になってしまう。森さん以外に頼める人がいなかったのかな。彼女は新人だから帰りも比較的早いので、帰り際に私に伝言をしやすいのもある。


「そうなんだ、ありがとう」


「ちょっとお店に来るのは難しそうだけど、終わったら行くから、会社で待っててくれって言ってましたよ」


「会社で……?」


 何時に対応が終わるか分からない中で、店に居座るのは確かにいい案とは言えない。会社で待っていた方がいいだろう。そこで集合して、どこかへ移動すればいい。


「分かった、ありがとう」


「なんか取引先で色々あったらしいですよー会社から走って出て行っちゃいましたもん。じゃ、私はこれで」


「あ、わざわざありがとう!」


 私がお礼を言うと、森さんはひらひらと手を振ってすぐに去っていった。彼女は本当に伝言を伝えてきてくれただけなのか、と分かりほっとする。


「さて……予約までしてドリンク一杯で帰るのもなあ」


 しかも三十分以上居座ってしまった。私は自分だけでも軽く食事を取ろうと思い、料理を注文した。恐らく透哉さんはかなり時間がかかるようだから、食べたらもう一度自分のスマホを探しに行こう。そう心に決めて。


 来た料理を急いで食べた後は、もう一度会社に戻って探してみた。やはりどこにも見当たらなかった。自分のデスクに戻って周辺を探してみたが、ない。自分の番号に掛けてみたが誰も出ない。その時には残業で数人残っているだけで、透哉さんの姿は見当たらなかった。


 社内で落としたことは確実なのでどこかにあるはずだ。誰かが拾って悪用したり? だとすれば、一旦止めた方がいいのだろうか。あ、そういえばスマホってGPSで場所が分かるんじゃなかったっけ? でも、止めるにしろ調べるにしろ、それをするための手段はどうすればいいのだ。もう一台スマホが必要じゃないか。会社用のものを私用で使うのはいいのかな、緊急事態だしなあ。もう少し探して無ければ、そうしよう。


 そんなことを考えながら探しているうちに、仲間は一人、また一人と帰宅していった。


 すっかり遅い時刻になってしまった。気が付けば、残っているのは私一人になっていた。トラブル対応が落ち着かないのだろうか、何か手伝えることがあればいいのだが……。


 しかしそこでふと、透哉さんがこれほど時間がかかるトラブルがあったのに、上司を含めて他の社員が誰もいないのは不自然だということに気が付いた。もっと残っててもいいのでは?


 そう思い始めるとやもやとした気持ちが心で渦巻く。森さんが嘘を言っていたら? いや、元々透哉さんと約束していた待ち合わせに、彼は確かに来なかった。何かあったのは間違いない。


 彼は理由もなくすっぽかしたりするような人じゃない。


……そんな人じゃない。


「本当にまだ待ってたんですかー?」


 誰もいなくなったオフィスに、高い声が響き渡る。ハッとして顔を上げると、入り口に森さんが立って私を見ていた。どこか勝ち誇ったような顔をしてこちらを見ているのが、私の恐怖心を煽った。


 あの子のこんな顔を、前も見たことがある。そう思って。


 私はゆっくり立ち上がる。森さんはつかつかとこちらに来ると、にっこり笑った。


「もうこんなに遅いのに。終電無くなっちゃいますよ?」


「……透哉さんが待ってる、って言ったの、森さんじゃない」


「あーそっかあ。あは、ごめんなさい。あれ嘘です」


 笑ってあっさりと彼女はそう言った。愕然とその顔を見つめる。


「嘘、って」


「まあ、半分嘘、ですね。本当は柚木さんは『今日はキャンセルした』んです。だからここには来ませんよ」


「……どうして?」


「私がどうしてもって誘ったから」


 しっかりリップの塗られた唇からそんな言葉が出てきたが、私はそれにショックは受けなかった。森さんの言葉より、透哉さんのことを信じていたからだ。

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