第36話 待ち合わせ



 それから店に予約を入れて透哉さんに送った。彼からは『楽しみにしてる』と返事が返ってきていて、私も浮足立っている。


 いつも通り仕事をする日々だが、三田さんが関わってこなくなったのでほっとしていた。ただ、どこか恨みがましそうな視線で私を見ていることがあったが、気付かないふりをしている。透哉さんが絞めた、と言っていたが、一体どんな方法だったのだろう。


 仕事が終わると透哉さんに送ってもらうか、遅くなる日は久保田さんと食事に行きがてら泊まらせてもらったりした。特にあれから関わってもこないので、もう心配いらないのかもしれない。


 そしてようやく一週間を乗り越え、楽しみにしていた金曜日が訪れた。




「気合入ってるねー伊織ちゃーん」


 にやにやして久保田さんが言った。私はうっと言葉に詰まる。


 来る金曜日、絶対に残業してたまるものかと、普段より気合が入っていたのは事実だ。だって、ずっと楽しみにしていたんだ。


 外回りからも時間通り帰ってこれてほっとしている。残業はしなくても大丈夫そうだ。食事の時間には問題ない。


 ちらりと透哉さんの席を見てみると、彼はまだ戻っていないようで誰もいない。もしかしたら、すでに待ち合わせ場所と時間は決めてあるので、直接向かうかもしれない。でもここ最近忙しそうにしていたけど、大丈夫だろうか。


 私は仕上げの仕事を手早くこなし、あと少しで上がれそうだ、というところで、もしかしたら透哉さんから何か連絡が来ているかもしれない、と思い、スマホをカバンから取り出そうとする。


 そこで、異変に気付いた。


「あれっ」


「ん、どしたー?」


 カバンの中を何度も漁る。スマホが見当たらないのだ。


「あれ、スマホがない……?」


「え、ないの?」


「そんなはず……最後に使ったのいつだっけ」

 

 必死に頭を巡らせる。外回りから帰ってきた時、少し見たはずだ。あれが最後だろうか? 急いでいたし、見た後カバンから落としたのかもしれない。


 久保田さんが心配そうに訊いた。


「大丈夫? 柚木さんとご飯行くんでしょ?」


「多分落としたとしたら社内だと思うんです。受付に行ってみます。透哉さんとは、もう時間も場所も連絡済みなので、そのまま会えると思うので」


「そっか、社内で落としたなら届いてるだろうね」


「行ってそのまま帰ります」


「うん、お疲れさま!」


 私は荷物をまとめ、慌てて廊下へ飛び出した。外でないのなら、どこかに必ずあるはず。誰かが拾って、落とし物として受付に届けている可能性が一番高い。


 エレベーターで下まで降り、受付に声を掛けた。スマホの落とし物、と伝えたが、相手は小さく首を傾げる。その様子を見て、届いていないんだ、と分かった。


 調べてみます、と言われて少しの時間待ったが、返ってきた言葉はやはり想像通りのもので、スマホの落とし物は一つも届いていないとのことだった。


 がっくりと肩を落とす。今の時代、スマホがないと大事だ。ロックがかかっているのですぐに悪用されることはないかもしれないが、いろんな情報があり、財布代わりにだってなる。落としたのなんて初めてのことだ。


 とりあえず、今日通った場所や使った場所を回って見てみた。廊下や会議室、トイレまで。でも、目当ての物は見つけられなかった。


「時間がないなあ……」


 腕時計を見てみると、約束の時間が近づいている。仕方ない、一旦スマホ探しは諦めて、まずは店に向かおう。透哉さんと会って相談したら、何かいい案をくれるかもしれない。


 そう思って、私はとりあえず予約していた店へ向かった。





 店にたどり着き予約の名前を告げると、席へ通してくれた。半個室のゆったりしたお店で、以前友達と来たことがある。やや緊張しながら席に座った。彼と静かに話すなら、どんなお店がいいかなと必死に探した結果、ここに落ち着いた。


 時刻は待ち合わせ丁度だ。そろそろ彼が来る頃だと思う。


 心臓がどきどきして持たない。とりあえずメニューを開いてみるが、何も頭に入ってこなかった。スマホもないので気を紛らわす術がない。透哉さんがこの前言いかけた何かを、今日は話してくれるんだろうか。


 二人きりの食事なんて始めてではないのに、最初の頃よりずっと緊張してしまっている。それはやはり、自分の気持ちを自覚してしまっているからだ。

 

 そわそわ周りを見ながら彼の到着を待つ。早く来てほしいけど、緊張も凄いのでまだ来てほしくない、そんな複雑な思いでいっぱいだった。


 ところが、だ。


 十分、十五分経っても、彼は現れなかった。ついには三十分も経ってしまい、店員さんがちらちらとこちらの様子を見てくるようになったので、まず自分のドリンクだけ注文してしまった。


 届いたドリンクを少しずつ口にしながら、彼がこんなに遅れるなんておかしいな、と思い始める。いやきっと、仕事でトラブルがあっただとか、予期せぬことが起きたのだ。それをきっと、透哉さんは私に連絡してくれているのだろう。でも、スマホがないのでそれを確認できないのだ。


 何があったのかな、あとどれくらいかかるんだろう。しまったなあ、どうして失くしてしまったんだ。


 一度会社に戻ろうかとも思うが、すれ違いになってしまっては困るし、下手に動かない方がいい気がする。でももしこれなくなった、とかだったらどうしよう。


 脳裏に誕生日の日がよぎる。行けなくなった、なんてことになっていたら。


 ため息をつきながらどうしていいか困っていると、突然明るい声が耳に届いた。


「あ、岩坂先輩!」


 驚きで固まる。顔を上げてみると、やはり森さんがテーブルの隣に立ってこちらを覗き込んでいたのだ。つい身構えてしまう。

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