第35話 次の約束



 結局、森さんはそのまま寝てしまい、朝早く一人で帰っていった。もうストーカーについては怖がっていなかった。


 久保田さんはそのまま私の家でゆっくり過ごし、朝から二人でだらだらと楽しく語り合う時間になったので、昨晩、三田さんに待ち伏せされていたことを説明すると、ホラー映画を見るかのような反応をして叫んだ。お隣さんに聞こえていないか心配になった。


 それは引っ越した方がいいのでは、と助言されたが、せっかく透哉さんも近いし、家自体はバレていない(と思う)のでとりあえず保留にしている。


 とはいえ、しばらくは一人で帰宅するのは危ないから、透哉さんに送ってもらうか、時間が合わなければ久保田さんの家に泊まりに行くことになった。何から何まで感謝だ。


 ちなみに森さんについて、久保田さんは『つかストーカーとか嘘じゃない? だとしたらあの女まじでヤバイよ』と一人で疑っていた。


 嘘じゃないと信じたいが、もし嘘だとしたら、私と透哉さんが嘘の交際をしているという証拠を掴むために、こんな手が込んだことをするだなんて、ある意味感心してしまう。





 月曜日になると、私は出社してすぐ、透哉さんにこっそりお礼を言いに行った。一応ラインで何事もなく解散したことは伝えたが、直接話したいと思ったのだ。人気のない場所へ移動し、私たちは小声で話した。透哉さんはほっとしたように私を優しい目で見ている。


「あれから何もなかった?」


「寝てそのまま帰りました! 久保田さんが来てくれて本当に助かったんです。透哉さん、連絡してくれてありがとうございます」


「よかった。もしかして、俺との仲を根掘り葉掘り聞いてきて、伊織が困るかと思って」


 ご名答。


「まさにその通りでした……。写真を見せてとか、誕生日はいつだとか、歯ブラシが置いてないとか色々言われて、困ってたところに久保田さんが」


「なるほどねえ。さすが、そういうところには頭が回るんだなあ。でも、おかげで俺たちの演技の穴が見つかってよかった。これからはバンバン写真も撮って、もっとお互いのことを知っておかなきゃだね」


 そうにやりと笑ったのを見て、背筋が伸びてしまった。胸が痛く感じるほどにドキドキしてしまった私に、さらに透哉さんは言う。


「とりあえず……今週食事にでも行かない? まずはお互いのプロフィールを細かく教え合おう」


「あは、今更プロフィールですか」


「そう。金曜でもどうかな」


 彼とまた二人で食事が取れる。理由は何であれ、私にとってはとても嬉しいことだった。つい勢いよく頷いてしまい、恥ずかしくなった。


「よかった。それと、三田についてだけど……昨日俺からも再度絞めといた。が、正直何をするか分からない」


 透哉さんが真面目な表情で言う。絞めといた、って一体何をしたんだろう……突っ込んでいいところだろうか。


「あ、あの、締めたって」


「俺たちに入る隙間ないから諦めろ、これ以上やるならストーカーとして報告するって」


「ひゃあ……」


「でも安心できない。仕事終わったら、なるべく俺が送ろうと思う。ただ、今週は結構忙しいんだよな。伊織を待たせるのも申し訳ないから、そういう時はタクシーで帰った方がいいかも」


 透哉さんは営業部の絶対的エースで、忙しさが私とは比べ物にならないくらいだと分かっている。


「ありがとうございます、実は久保田さんが泊まりに来た時、その話になりまして……一人になりそうなときは、泊まらせてくれる約束になってるんです。引っ越しの話も出たけど、家バレはしてないだろうから、そこまでは必要じゃないかなあって」


「そっか久保田さんか。よかった、それなら安心だ。とりあえずそれで様子見をしようか」


「はい」


「三田とのことは目を光らせておくけど、やっぱりずっとは無理だから、伊織も気を付けて。小さなことでも、何かあればすぐに言うように」


 心配してくれる彼の気持ちが嬉しくて、私は温かな気持ちで胸が満たされた。頼っていいんだ、という安心感とともに、彼への想いが溢れそうになる。


「じゃあ、金曜の店は何か探しておく」


「あ、今度は私が予約しておきます。いつも透哉さんが予約してくれてるし……私のおすすめでもいいですか?」


「ほんと? 嬉しい。じゃあ今回はお願いしておくよ。楽しみにしてる」


 そう言って去りかけた彼は、何かを思い出したようにぱっとこちらを振り返った。そして、囁くような声で私に言う。


「できれば、静かな店にしてもらえるとありがたい。この前言えなかったことを、ゆっくり話したいから」


「え……」


「じゃあ、また」


 そう言って透哉さんは今度こそ去っていった。彼の声が耳に残っている気がして、顔が熱くなる。


 透哉さんの家で言いかけていたこと、一体何だったんだろう。その続きを、ようやく訊くことが出来る。


「……静まれ、心臓」


 私は一人で小さく呟いた。自分の言うことを全く聞いてくれない胸の高鳴りは、やっぱり収まってはくれない。


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