第38話 いなくなってほしいんです

 彼が私との約束まですっぽかして、森さんとどこかへ行くなんて考えられない。


 私が驚かなかったのが意外だったようだ。森さんは目を少し丸くした。


「あれ、案外平気そう?」


「透哉さんがそんなことするなんてありえないと分かってるから。本当のことを言って」


「本当なんだけどなあ」


「わざわざ私との約束を破って森さんの所へ行くなんて、信じてない」


「これ見てもそんな余裕でいられるかなあ」


 そう言って彼女はスマホを取り出し、私に何かを見せつけた。その写真を目にした時、自分の息は一瞬止まった。


 ホテルの一室と思しき場所にいるのは、間違いなく森さんと透哉さんだった。狭い部屋で向かい合い、何かを話している。日付は……今日だ。


 瞬きすら忘れて固まった私を見て、森さんは嬉しそうに言った。


「最初は先約があるから、って断られたんですけど、どうしても困ってるんですって泣いたら、男性は大概こっちに来てくれるんですよ。二人きりがいいって言って、付き合ってもらいました」


「……」


「こんな場所で男女が二人でいたら続きはどうなったか分かりますよね?」


 首を傾けて私に尋ねてくる。ぐるぐると混乱する自分の脳を必死に落ち着かせ、それでも私は震える声を出した。


「会ってたのは本当だって分かった……でも、きっと何か深い事情があって」


「あは、彼女がいるのに他の女と個室で二人きりになる事情って何ですか? 彼も期待してたから来たんですよ」


「そんなわけ」


「下心がなければ先輩も連れてくればよかったじゃないですか。でも柚木さんはそうしなかった、これがどういう意味か分かるでしょ」


 ありえないと思いつつも、森さんの言うことはもっともで、何も言い返せなかった。


 何かただならぬ事情があったとして、だったら私を連れて行ってくれたらよかった。いやそもそも、ただならぬ事情ってなんだろう。こんな場所にどうしていくことになったというの。


「先輩、教えてあげますね。男の人は好きじゃない女相手でも、平気で寝れるんですよ。彼女がいようがいまいが関係なし。その気にさせたらこっちのものなんです。今までだって、そうだったでしょ?」


 『今まで』という言葉がずんと重くのしかかる。基弘だって三田さんだって、簡単に彼女にとられた。三田さんはその場の雰囲気に流されて一夜を共にしたと言っていた。


 ……いや違う、透哉さんは違う!


「そんなわけ……!」


「いい加減分かったらどうですか。信じても無駄ですって。三田さんだって、周りから両想いってあれだけ言われて仲良かったのにあっさり。男の人は結局、あなたに一途になんてならないんです」


「やめて!」


「まあ、柚木さんは後悔してましたけどね。『こんなことになって伊織に申し訳ない』って何度も言ってました。今すぐ別れるのは無理だから、とりあえず先輩とは徐々に距離を置いて別れに持っていくって言ってましたよ。私とは割り切った関係で会ってくれるって」


 信じたくない言葉が次々と出てくる。嘘に決まっていると言い聞かせても、その言葉たちの刃は恐ろしく鋭利だった。二人が会話しているシーンを勝手に想像してしまう。


 森さんはスマホをしまいつつ、私に言う。


「あーあ、先輩とすぐに別れてさえくれれば、柚木さんと私は堂々と付き合いだせるんですけどー」


「……なんで、どうして? なんでこんなことするの? 偶然じゃないでしょう?」


 基弘に、三田さん、それから透哉さんにまで近づいて、この子は一体何がしたいのだろう。偶然なわけがない、わざと私を陥れようとしているのだ。


 目に浮かんだ涙で目の前がぼやける。そのまま森さんの方を見てみれば、彼女は目を細めて笑った。


「いなくなってほしいんです。サークルの時みたいに」


「……え?」


 愕然として聞き返す。森さんはなお繰り返した。


「先輩、部長の仕事を引き継いだら一切来なくなったじゃないですか。あんな風に綺麗さっぱり消えてほしいんです。先輩にとってもそれがいいと思うんです。今度は柚木さんまで私にとられた、って、さすがにみんな気づいちゃいますよ。それにあなたの存在が、今柚木さんを苦しめてるんです。このまま働いてたら、かなり気まずいと思いますよ」


「会社を辞めてほしいってこと?」


「そうです。先輩なら頭いいし違うところすぐ見つかりますってー。そうすれば万事解決! 私も柚木さんも幸せになれるし、先輩も心の傷が浅くてすみますよ。何も言わずいなくなってください。あなたが一人急にいなくなっても、全然会社は困らないですよ」


 信じられない言葉だった。私を追い出したくてわざと嫌がらせをしていたなんて。


 だから三田さんにも、次に透哉さんにも近づいたのか。やっぱり偶然なんかじゃなかった。


 全身が震えてくる。衝撃的な情報ばかり頭に入ってきて、まるで整理出来ない。


「そういうわけなんで。まあ、柚木さんに問い詰めて貰ってもいいですよ。結末は同じですからねーわざわざ揉めて別れるか、穏やかに終わるかです。でも先輩、サークルの時だってあれだけ穏便に済ませようとしてたし、今回も賢い行動を期待してますよ」


 森さんはそう言うと、私の顔を覗き込んだ。嬉しそうで高揚しているような、そんな顔だった。


「あなたが私に勝てるわけないんです」


 言い捨てた後、さっさとその場からいなくなってしまった。


 

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