第12話 秘密の関係

「……はい?」


 涙が止まってしまうほどの衝撃のセリフ。


 今までのショックや悩みも、一瞬吹っ飛んでしまった。脳内が疑問符で溢れかえっている。


 柚木さんは頬杖をつきながら、私の顔を覗き込んでいる。


「……あの、ええっと、言っている意味がよく分からないんですが……?」


 ぽかんとしながら答えると、彼は補足した。


「とりあえず、俺と付き合ってるってことにしておけばいいんじゃない。今、周りの人たちが岩坂さんに注目してるのは、三田を好きだったはずって思ってるからだ。じゃあ、その前提をぶち壊してやればいい。俺と付き合ってるってことにしておけば、岩坂さんは『失恋した可哀そうな子』から、『元々三田を好きだというのは周りの勘違いで、今は他に交際相手もいる子』と変わるわけ」


「あ……フリ、ってことですか?」


 彼は頷いた。なるほど、とようやく理解する。そりゃそうだ、絶食系で、しかもこんなに出来た柚木さんが私と本気で付き合うわけがない。


 しかし私は俯いた。


「そんな嘘をつくようなこと……それに、柚木さんに迷惑が掛かります」


「確かに嘘だけど、このままじゃ岩坂さんも働きにくいだろうし、周りも気を遣うだろう。こうしておくのが一番いい方法だと思う。嘘も方便、ってね。あと、俺は俺で助かるんだ」


「どうしてですか?」


 彼ははあとため息をついて顔を歪める。


「俺の噂知ってる? 絶食系だって」


「あ、はい、聞いたことあります」


「俺は付き合うとか全然考えてなくて、だからあの噂はありがたいと思ってた。でも残念なことに、あんな噂があるのにまだ女は寄ってくる。誤算だった、もうあきらめるかと思っていたのに」


「……はあ、モテる人の悩みですか……」


 私には一生理解できない悩みだろう。だが彼は本当に嫌そうに言った。


「がつがつしてる女は特に嫌いなんだ。わざとぶつかってきて接点を作ろうとしたり、家の近くで待ち伏せしたり、頼んでもないのに手作りの菓子作って、その場で食べろとか言ったり」


「あ、それは確かに」


 嫌かもしれない。初めて柚木さんの立場に少し同情した。


 モテるっていうのも大変なんだなあ。


「だから困ってた。そして今思いついた、いっそ彼女がいるってなった方が、攻めてくる女は減るんじゃないかって」


「つまりは女よけですか……」


 そういわれれば、確かにお互いメリットはある気がする。そう思いかけ、すぐに首を振った。流されそうになったけれど、よく考えろ自分。相手はあの柚木さんだぞ。


「でも、私が相手じゃ周りも不審に思いますよ。もっといい人がいると思います!」


「ずいぶん自己評価が低いんだね。岩坂さんは真面目で仕事もしっかりするし、人当たりもいいから評判いいよ。普通にみんな納得すると思う」


「そんなの納得しな」


「可愛いしね」


 柚木さんから発せられたとは思えない言葉に、急停止した。あの柚木さんが? 可愛い? 私のことを???


 ぽかんとしたまま見上げる。彼はからかっている様子なんかなく、じっと私を見ていた。


「……視力大丈夫ですか」


 出てきたのはそんな言葉だった。すると柚木さんは吹き出して笑いだす。彼は普段のきりっとした顔と違い、一気に幼い感じになる。クールに見えて、笑うと少年。そんな二面性を持っている。


「面白いね。言っとくけど俺は視力めちゃくちゃいいから。思ったことを正直に言っただけ。どうかな、悪い話じゃないと思うよ。お互い利益があるなら、乗らないのは勿体ないと思う」


「それは、まあ」


「決めるなら今すぐだ。嘘をつくのは岩坂さんの性格上、辛いかもしれないけど、これはもっともみんなを平和にするやり方だよ」


 言われて考える。確かに、自分だけの問題じゃなく、周りの人も気まずいだろう。失恋した私をどう扱おうか、と悩ませるのは申し訳ない。だったら柚木さんが言うように、失恋自体していません、とアピールすれば、みんなもほっとするのかもしれない。


 まあ、同時に、あの柚木さんと付き合ってるなんてなれば、女性社員たちに睨まれることはありそうだが……親しい人を困らせるより、知らない人に睨まれた方がずっといいかもしれない。


 気持ちが傾いていく。今の状況を誤魔化すにはこれ以外方法はないと思った。

 

 ちらりと柚木さんを見る。彼はじっと私の答えを優しく待ってくれている。


 普段見てきた柚木さんと、どこか雰囲気が違って見えるのは、気のせいだろうか。


「本当にいいんですか、私で」


「最高の相手だと思ってる」


「じゃあ……お願いします」


 私が答えると、彼は一つ頷き、ゆっくりと立ち上がる。


「話はまとまった、じゃあ今からそういうことで。俺たちのことは誰にも言っちゃだめだよ」


「あ、あの! 久保田さんにだけは言ってもいいですか? いつも話を聞いてくれていて、色々応援してくれたから」


 これまでの三田さんへの気持ちを、彼女の前では一度認めてしまっている。突然柚木さんと付き合いだすといえば驚かれるだろうし、あれだけ話を聞いてくれた久保田さんに嘘をつくのは忍びない。


 柚木さんはすぐに答えてくれた。


「ああ、久保田さんね。仲いいよな。別にいいよ、律儀だね」


「あ、ありがとうございます」


「じゃあ戻ろうか。昼食い損ねたね」


「柚木さんもですよね? すみません」


「後で外回り行きつつどっかで買えばいい」


 私もようやく立ち上がり、柚木さんの隣に並ぶ。ふとそれを見上げ、整った彼の顔立ちを見て、こんな人が私の彼氏役なんて、やはり釣り合ってなくてすぐにばれるのでは? と心配にもなった。


 ちゃんと彼女っぽく振舞えるのかな。でももう引き下がれない。


 二人で歩き出すと、彼が小声で言った。


「岩坂さんはいつも通りにしててくれればいいよ。俺が適当に周りに言うから」


「は、はい」


「とはいえ、付き合ってるんだからそれなりに頑張ってね」


「は、はい!」


 返事をしたはいいものの、全く自信がない。すでに不安でいっぱいになりつつ、私たちはようやく会議室を後にした。

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