第11話 提案

 真実が明らかになると同時に、肌に突き刺さる視線に既視感を覚えた。ああ、あのサークルの時と一緒じゃないか。


 可哀そう、どうして、気になる、でも触れない方がいいよね、何があったんだろう、振れられちゃったのか。


 言葉には出さないみんなの心の声が伝わってくる。三田さんと森さんが付き合いだしたというショックに加え、その声がなお自分を苦しめた。


 ああ、またーー私が好きな人は、あの子を好きになる。


 ずっと一緒に仕事をしてきても叶わなかった恋を、あの子はたった一週間そこらで手に入れた。いとも簡単に、私が欲しかった場所に入り込む。


 そして同時に、周りの人たちにまた腫物を扱うような態度を取られるだなんて、これではあの時と状況が酷似してしまう。


「……ね、ねえ、伊織ちゃ」


「ランチ、また今度でもいいですか。ごめんなさい」


 私は耐えられず、短く言うとその場から立ち去った。背中にひしひしと伝わってくる、みんなの憐みの感情。苦しくて、気まずくて、いたたまれなかった。


 廊下に出て、足早に進む。ぶわっと目に浮かんだ涙がこぼれないように必死になりながら、とにかく人がいない場所を目指した。すぐ近くの会議室は、昼のこの時間空室になっており、誰もいなかったのでそこに入り込んだ。


 電気が消えて少し薄暗い部屋の隅っこにしゃがみこみ、膝に顔を埋めた。乱れた息は収まることなく、どんどん息苦しくなってくる。


 三田さんと森さんが、付き合いだした。


 昨日から。楽しみにしていた私の誕生日の日から。


 やっぱり私が選ばれるだなんて、おこがましかったんだ。


「……情けない……」


 元々、私と三田さんは単なる先輩と後輩で、付き合っていたわけでもない。だから、彼が誰と付き合おうと自由なのだ。私が勝手に片思いをして、それを周りの人にも気づかれていたせいで、こんなみじめな結果になっている。


 失恋しただけではなく、居心地のよかった職場が、気まずい場所に変わってしまうのが何より辛かった。これでは、あのサークルと全く同じ道を辿ってしまう。そりゃそうだよね、みんな気を遣うよ。二年以上も片思いしていた私が哀れで、どう接していいか分かんないよ。  


 そうやって周りに迷惑をかけてしまうのが、何より苦しい。


 ぼろぼろとあふれ出る涙が洋服に落ちていく。自分の押し殺した嗚咽が会議室に響いていた。

 

 そのとき、扉がかちゃりと開かれた音に気付いた。


 心配した久保田さんか、それとも会議室を使用する誰かか。私ははっと顔を上げると、そこに立っていたのは意外な人だった。


「柚木さん……?」


 呆然と見つめる。彼は厳しい顔で私を見つけると、つかつかとこちらに歩んでくる。私は立ち上がる気力もなく、ただ涙まみれの顔で彼を見ていた。


「こんなとこにいた」


「あ……すみません」


「どうして謝るの? 今は昼休みだし、何をしててもいいんだよ。ただ、どうしてるか心配になっただけ」


 柚木さんにまで心配をかけてしまっただなんて。恥ずかしくて情けなくて、死んでしまいたいと思った。私は俯いて顔を隠す。


 彼はゆっくりと私の正面にしゃがみこむ。そして、苦々しい表情で言った。


「昨日のドタキャン、ああいう理由だったとはね」


「……しょうがないです、彼女がいるのに、他の女の誕生日を祝うなんてできませんから」


「入ってたった一週間そこらの新人と付き合いだす三田の気がしれないな」


「恋愛は、自由ですから」


 擦れた自分の声がする。柚木さんは黙り込んだ。私は涙を拭き、彼に謝る。


「職場の雰囲気を悪くしてしまってごめんなさい」


「悪くしてないよ」


「みんな気まずそうにしてました。きっと私の気持ちをみんな知ってたから。隠しきれなかった私がいけないんです」


「岩坂さんの気持ちっていうか、三田も……いや、なんでもない」


 困ったように呟いた柚木さんに、私はポツリと言った。


「また……あの時みたいになっちゃう」


「あの時?」


「サークルで部長してた時……彼氏が森さんに乗り換えて、周りがすごく気まずそうにしてて……腫物に触るような接し方されて。その視線が辛いけどやめられなくて一年頑張って……凄く大好きな場所だったのに、苦痛でしかなくなって。またあんな風になっちゃう」


 小さく手が震える。これから職場に戻るとき、一体どんな顔をして戻ればいいのだろう。堂々と笑っていた方がいいのかな、私から気にしてませんって説明したらいいのかな。片思いしてたけど振られちゃいましたーって、ネタに出来るほど自分に勇気があるとは思えない。


 しばらくあって、納得したように柚木さんが言った。


「なるほどね。大体の流れは掴めた。はっきり聞いておきたいんだけど、三田の事、好きだったんだね?」


 真剣な声色だった。どきりと心臓が鳴る。


 私は隠すことなく、大きく頷いた。


「好きでした……本当に、ずっと好きだったんです」


 口から出してしまうと、止まっていた涙がまた溢れてくる。失恋ごときでこんなに駄目になるなんて、社会人失格かもしれない。でも、涙が止まってくれない。


 優しくて、一緒にいると楽しい三田さんが好きだった。もしかしたら、なんていう馬鹿な希望を持つくらい、ずっと好きだった。サークルで恋愛に懲りた後も、自然と好きになってしまった人だった。


 私が選ばれることはなかった。


「そう……それと同時に、その気持ちが周りに知れ渡っていることにより、職場で気まずい立場になるのが辛い。そういうこと?」


「……はい。でも、どうしようもないから、何とか頑張るしか」


「よし」


 決意したような声がしたので、顔を上げる。あったのは、いつもよりどこか柔らかくて、優しい顔をした柚木さんだ。そして彼は、


「とりあえず俺の彼女になればいいんじゃない」


 にっこりと笑って、目を真っ赤に染めた私にそう言ったのだ。

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