第6話 心の傷がうずく

「岩坂さん? どうした?」


 固まって動けなくなっている私に、柚木さんが心配そうに顔を見てくる。それに返事が出来ないくらい、私は混乱していた。


 そんな私に気が付かないようで、近くにいた久保田さんが感心したように呟く。


「めっちゃ美少女ー! 芸能人並みじゃん」


 どきっとした。そう、そうだった。サークルに入ってきたときも、あの子はこうやって周りから一目置かれていた。誰もかなわないほど華があり、目立つ存在なのだ。


 自己紹介も一通り終わり、上司の挨拶も終わったところで、森さんの視線が私とぶつかった。そこで彼女は、大きな声で私を呼んだ。


「えー! 岩坂先輩だあー!」


 嬉しそうな声に圧倒され、ただ萎縮した。愛想笑いすら出来ない私にかまわず、森さんは近づいてくる。


「すっごい偶然ですねえ! 同じ部署に知ってる先輩がいるなんて、私嬉しいですー! しかも尊敬する岩坂先輩だなんて」


 にこにこしながらそう言った彼女に、少し間が空きつつも、私はようやく小さな声で答えた。


「森さん、久しぶりだね……」


 隣に立っていた柚木さんが、私に尋ねる。


「知り合い?」


「……はい、大学の頃、同じサークルで……」


 私がそう言ったのを、久保田さんがぎょっとして聞いていた。あのエピソードを丁度話したばかりなので、この偶然に驚くのは当然だ。


 まさか、あの子が同じ部署に入ってくるなんて。


 この世には会社だって部署だって数えきれないほど選択肢はあるというのに、なんて偶然なんだろう。


 トラウマがぶわっと蘇る。


 そんな私をよそに、森さんは隣に立つ柚木さんを見た。そして弾んだ声を上げる。


「もしかして柚木さんですか? わー! さっき課長から噂を聞いたところなんです。営業部を引っ張るエースで、さらにすごくイケメンだって!」


 そんな私たちに、周りの人たちも話しかけてくる。


「えー大学のサークルの後輩だったの? すごい偶然だねー」


「知ってる人がいるなら心強いな」


「こんな可愛い後輩いたんだ、岩坂さん!」


「色々岩坂さんに聞いたらいいんじゃない、岩坂さん凄くしっかり者だし」


 口々にみんなが言ってくる。どう答えていいか分からず混乱していると、久保田さん、そして柚木さんの声が割って入った。


「ま、まーとりあえず、指導係もいるから、その人中心に聞けばいいからね、森さん」


「今から指導係の紹介もあるだろうから、とりあえず向こうに戻ったら?」


 二人に言われ、森さんは頷いた。そして私に小さく耳打ちしてくる。


「先輩。ここでも、よろしくお願いしますね」


 眩暈がして倒れそうだった。


 森さんが去ったあと、久保田さんが慌てたように私に近寄ってきた。久保田さんは小さな声で訊いてくる。


「も、もしかしてあれって? まさか!?」


「……そのまさか、ですね」


「嘘でしょう!?」


 そんな私たちの会話に、心配そうに柚木さんが入ってくる。


「なんかあったの? てか、岩坂さん顔真っ青なんだけど、大丈夫?」


 彼の質問に、私は即座に答えた。


「いえ、なんでもないです! いきなり知り合いが入ってきてびっくりしただけです。すみません、資料すぐに探してきますね」


 私は一息に言うと、素早くその場から立ち去った。久保田さんが追いかけようとしてくれたが、気をつかったのか一人にしてくれた。


 廊下に出て、ひとまず深呼吸を繰り返した。落ち着け、落ち着くんだ自分。


 私は森さんより先輩なんだし、しっかりしなきゃ。過去のことは忘れて、どんと構えておかなければ。


 そう思うのに、速まった呼吸がもとに戻らない。サークルで過ごしたあの日々が蘇ってくる。あれからそれなりの時間が経ったというのに、まだ私はこんなに弱いのか。


 せっかく手に入れた平穏な毎日、大事な場所。今度こそは失いたくない。





 幸い、森さんの指導係は私ではなかった。だが人懐こい彼女は、私を含めいろんな人に質問を重ねる。


 特に男性社員は、あの子のビジュアルや、可愛らしいその性格に、すぐに虜になったようだ。士気が上がっているのを感じ取れる。あの子がいると、パッと周りが明るくなる。


 久保田さんは何かを言いたそうにしていたが、周りに人がいる中で詳しい話も出来ず、どこか不満げにその光景を見ていた。私はといえば、なるべく彼女と関わらないように静かに過ごした。でも話しかけられれば答えないわけにもいかず、必死に笑顔を作っていた。


 終業時刻になり、新入社員である森さんは上がる準備をしていた。新入社員はまだ残業はしないのだ。


 そんな彼女に、待ってましたとばかりに周りの人たちが声を掛けた。


「初日はどうだったー?」


 森さんはにっこりと笑い返し、心地いい声で答える。


「皆さんすっごく親切で安心しました! 岩坂先輩もいたし、本当に心強いです!」


「同じサークルだったんだって?」


「はい。岩坂先輩は、しっかり者で部長だったんですよー! 私みたいな頼りない人間と違って信頼されてて、本当に憧れちゃいます」


「へえー岩坂さんイメージ通り」


 話している人たちが私の方を見て、視線で会話に誘ってくる。だが、わいわいと盛り上がるその中に、入っていく勇気はなかった。私は仕事に集中して聞こえないふりをしながら、必死にパソコンを操作している。


 男性社員の誰かが訊いた。


「てゆうか、なんかのモデルとかできそうな感じだよね」


「えー! 全然そんなことないですよー! モテないし彼氏もいないんですよー」


 その言葉を聞いて、ぴたりと手が止まる。


 サークルの時付き合いだした、私の元カレとはもう破局したのだろうか。それもそうだ、何年前の話だというのだ。男女の付き合いに別れはつきものだから、そうなっていてもおかしくはない。


 それでもどこかーー戸惑ってしまう自分がいる。


 いつ別れたのだろう。四年に上がると、私はサークルの集まりに一切行かなくなった。みんな色々な飲み会や遊びに誘ってくれたけれど、忙しいのを理由に断っていた。周りも理由を察していただろう。だから、二人の行く末をまるで知らない。


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