第12話 ファールス領:2

  軋みながら、激しく揺れる馬車内で何とか全員が身を起して座る事は出来たが、喋れば舌を噛みそうな揺れにグラハムでさえ口を開かない。お互いに支え合いながら停止するのを待つが、何時間経っても止まる気配がない。流石に我慢しきれずにほぼ全員が失禁をしてしまい、中には異臭が立ち込める。揺れと、異臭と、空腹感で意識が飛ぶんじゃないかとリョウが心配をし始めた頃に馬車は減速を始めた。


 思えば、とんでもない加速をしてからはずっと真っすぐか、限りなくそれに近い道だった。自分たちは砦にいた。そこと都市などを結ぶ主要街道があってもおかしくはない。そこから降りたのだろうか?目的地にはまだ到着しないで欲しいと切に願うリョウであった。


 彼の心配とは裏腹に、さらに小一時間揺られてからようやく馬車が停止した。外から号令が聞こえてきて、馬車の幌が一気に引き上げられた。外は既に暗くなり始めている。外にでるよう促された一行が長時間の移動でなまった手足を精一杯動かしながら降りると、そこは森と畑の境目にある小さな窪みの中だった。そんなに深くはなく、畑の向こう側に道がかろうじて見て取れた。周りを見ると、意外な事に、あれだけあった馬車は一台も見当たらなかった。自分たちの乗ってきたものだけここで野営するのか?積み荷がダエモンだから、くらいしかリョウには思い当たらなかった。


 傍では女性陣がもぞもぞしている。それもそうだ。リョウも体を洗いたかったし、腹も減っていた。自分たちを外に引っ張り出したのはマーズと同じような装備の二人組で、こちらを警戒し、離れた所から槍の穂先を向けている。奥の方では何人かが馬たちの世話を始めている。森に入っていく者、サドルバッグの中身を広げ始める者、スコップを手に穴を掘る者。数十人の男たちが慣れた様子で野営の準備をしている光景だった。


「ボス!そこのお二人さん!旦那!なぁ、腕の縄を解いても良いかい?血が止まってヤベぇんだって。何もしやしないよ、仲良くしようぜ?」


 どうしたら良いか分からずに立ち尽くすリョウたちの中でカストールがしびれを切らせて声を上げた。突然の呼びかけに、自分たちの警備にあたっている二人が一瞬体を強張らせたが、叫ぶだけでカストールが動かないのを見て肩の力を抜いた。


「ダメだ、隊長が来るまで待て」、そう返事をしたのは立派な髭を蓄えた中年の男だった。もう一人はリョウと変わらない年で細めの若者。細かく穂先を動かしたり、唇を舐めたりと落ち着きがない。まるでOJTか、配達の通区だなとリョウは思った。先輩が若造を鍛えている。


「へ、へへ。そうかい、分かったよ。隊長さんを待てば良いんだな?大人しく待つさ。だからその物騒な物をこっちに向けるのを止めねぇか?刃物は苦手なんだよ、俺は平和主義なんだ」

「ダメだ、隊長を待て」、中年が同じ事を繰り返したが、ちょっと考えて付け加える。「大人しくしてるなら飯もちゃんと出る。お前たちが馬鹿な真似さえしなければ平和だ」

「そいつぁ、ありがてぇ。で、その隊長が来るまでの間に水だけでも飲ませてもらえないか?女子供にジジィまでいるんだよ、なぁ、頼むよ」食い下がるカストール。牢屋の中に居た時とは別人のように饒舌だ。ここを異世界だと受け入れて本来の自分に戻ったか?


 「ダメだ」、中年の口調が固くなり、槍を握りなおす。若い方も見習って槍を構えなおすと空気が険悪な物に変わり始めた。ここは自分が割って入ってカストールを止めよう。そう決めたリョウが口を開こうとした時に、立派な兜を小脇に抱えた男が足早に近づいて声をかけてきた。


「フリック!バザン!ダエモン達に水と食料をやれ!腕は解いてかまわない。足だけしっかりと結んでおけよ。第2小隊がそのままダエモン達の警護だ。ここに陣取れ。明朝、すぐにダエモン達を積んで出られるようにしておけ。以上だ、かかれ」


 それだけ言い放って、隊長と思しき男は去った。代わりに兵士が数人やってきて焚火を起し、手早く食材を温めてリョウたちに食べさせた。牢で出された水スープとは違い、しっかりとした粥のような物だった。兵士たちの野戦食をそのまま分けてもらったようだ。アニータは体を洗う水を求めたが断られ、代わりに飲む方は十分にもらえた。リョウからすれば上々の晩飯である。離れたところにある穴まで用を足しに一人一人が連れて行ってもらった後は足を縛られて馬車の横に座らされた。疲れ切っている女性陣とグラハムは身を寄せ合い、そのまま横になってすぐさま眠りに落ちていた。リョウとカストール、10代のケステスは互いの近くに座って焚火の方を眺める。日が落ちると流石に肌寒い。


 焚火に背を向けて一人の兵士が見張り役としてついた。他の連中は武器の手入れが終わると火を囲んで何やらゲームを始めていた。カードとサイコロを使った賭博に見える。見張り役も参加したいのか、後ろで時折上がる小声の歓声を聞く度に振り返っている。実に暇そうに見えるので、リョウが近づいて話しかけようとしたら無言で槍を突き出して追い払ってきた。カストールも無言で首を横に振る。次の見張りを待て、と言わんばかりだ。カストール本人は見張りよりも焚火の方が気になる感じだった。もっと良く見える位置に移動してじっと凝視している。


 暫くして、先ほど中年男と一緒に自分たちを見張っていた若いのが焚火を離れて見張りの所にやってきた。一言二言喋ると肩をポンと叩かれ、焚火を背に座り込む。腰から下げている袋を紐解いて中を覗き込んでため息をつく。やはり、焚火の所では博打が行われていて、コイツは負けたのだとリョウは思った。


「あんちゃん、あんちゃんよ!ツイてなかった、なんて思っちゃいないだろうな?」

 突如カストールが若い見張りに声をかけた。

「俺は見てたぜ。あんちゃん、ヤバいのと囲んじまってるよ、間違いねぇ」


 見張りが顔を上げて怪訝そうにこちらを見た。

「なんだ?今何て言った?」

 手にした袋を腰に戻し、槍を構えて立ち上がる。

「おいおい、乱暴はよしてくれよ。俺はただあんちゃんが不憫でよ、つい口を出しちまっただけさ」、腕を上げて、開いた掌を相手に見せてカストールが後ずさる。「俺のおふくろがいつも口を酸っぱくして言ってたよ。カストール、ヤベぇ先輩方とサイコロを振る時は給料を賭けちゃだめよ、って」


 こちらに向けられた槍の穂先が下がり、若い見張りは困惑したように焚火とカストールを交互に見やった。眉間にしわを寄せて考え込んでいる。

「何が言いたい?」

 槍を構えなおした見張りがリョウたちに向けて一歩を踏み出すと、さっきは下がったカストールが今度は身を前に乗り出して、しきりに辺りを気にしながら手招きする。これは、何か考えがあるのだろう。リョウは何もせずに成り行きを見守る事にした。


構えた槍の穂先が胸に触れそうな位置まで見張りが来ると、カストールは声を低くして喋り始めた。

「やられたんだよ、あんちゃん。お前さん、カモにされてるんだよ。俺には分かる。おふくろの忠告を無視してヤベぇのと囲んだことがあんだよ、俺も。初仕事のお祝いだ、なんて言ってよ。ここでは皆が一度は参加する、って。仕事の稼ぎが全部パァさ。違うかい?あんちゃん、財布の中を風が散歩してないかい?」、喋りながら彼は手を穂先に当て、ゆっくりと横にそらしていく。「サマだよ、イカサマ。搾り取られて、通過儀礼とか何とかって言われたんだろ?」


 自分がカモにされた。そう告げられた若い見張りは穂先がどんどん下ろされていくのも気にせずにじっと聞き入る。それを見ているリョウは悪い予感がし始めた。まさかとは思うが、このまま見張りを襲って逃げ出そう、なんて考えているなら止めなきゃ。無謀過ぎる。リョウは妙な動きを見たら飛びかかれるように足を組みなおしたが、そんな心配とは無縁にカストールが熱くしゃべり続けている。


「こっから良く見えるんだよ、俺くらいになると。良くある手口さ。今回が初めてでも無いだろ?どうだい、そんなのに終止符を打ちたいと思わないか?」

 完全に槍を下しきった見張りも声を潜める。

「サマやってるなら許せねぇ。今思うと確かにおかしい。いつも俺は負けている。ダエモン、お前、何とか出来るのか?」

それを聞いたカストールが満面の笑みを浮かべる。

「そう来なくちゃ!そうさ、サマの手口を教えてやるよ。今夜はもうしょうがねぇ、終わった勝負にケチをつけるのは筋が通らねえよ。通らねえけど、次は大逆転さ。俺が必要な事を教えてやる。でも、ただって訳にはいかないな」


 最初の言葉で一瞬明るくなった見張りの顔が曇っていく。

「金ならない。あってもダエモンには何も渡すなって言われている。今、ここで教えろ」

「そうはいかないよ、あんちゃん。おふくろがいつも言ってたぜ。カストール、タダほど高い物は無いから、相手の為にも対価を要求しなきゃダメよ、って。まぁ、待て」、カストールが離れようとする見張りの槍を軽くつかんで引き留める。「話の対価は話だ。安心しなよ、ヤベぇことは聞かないさ。俺たちはこの辺りが初めてなんだよ。なぁ、色々教えてくれるだけで良いんだ。ガキでも知ってるような話でもさ。どうだい?暇もまぎれて、お得な事も教えてもらうのに、あんちゃんはちょいとこっちの話に付き合ってもらうだけさ。悪くないだろ?」

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