王都

第11話 ファールス領:1

 自分史上二番目に悪い目覚めだった。リョウにとって床は固く、茣蓙越しに体温を奪われ、松明の炎が目にチラついてなかなか寝付けなかった。ようやく浅い眠りに落ちたかと思うと、悪夢を見ては目覚める。この繰り返し。班長がガズンの棒を片手に追いかけまわしてきたり、逃げ切ったら今度はマーズが副班長の声で「誤配、するなぁ」って叫びながら追ってきたり、それも振り切ると、バイクにまたがってニヤニヤしているフォーク中尉が指で自分の首に開いた穴をほじくったりと、全く休まらない一夜を過ごしたリョウ。牢屋の中は寒かったので、彼は起きるなり少しでも温まろうと冷えた手足をブンブンと振りながら周りを見渡した。他の人たちも起きているようだ。皆の表情は良く見えないが、部屋の雰囲気は暗かった。


 まだ名も知らない男にも軽く会釈をして、他の人たちとあいさつを交わし、体操をしていたら体も温まってきた。飯がもらえるのか気になり始めた頃にマーズと看守二名がまた水っぽいスープとおがくずのパンを持ってきた。急かされながらとりあえず食べきると、部屋の全員は再び拘束されて連れ出された。再びここに戻ってくる事も無いだろうが、リョウは一応どこをどう歩いたかを覚えようとした。牢屋からならフォーク中尉が死んだ中庭くらいまでは行ける気がするが、中庭の先はまた似たような廊下ばかりが続き、ようやく明るい外に出られた時にはどこをどう来たがさっぱりだった。


「どうやら、あれに乗っていくようだ。見たところ普通の馬車だが、あの動物はなんだね?」

 フォークの死や今後の不安など消し飛んだかのようなグラハムの明るい声に、ずっと一人で過ごしていた無愛想な男が顔をしかめながら答える。

「何だって良いだろう、朝からうるせぇな。んなことより、自分がどう役に立てるかを考えた方が身のためだぜ、学者先生よ。フォークみたいになりたくなかったらな」


 リョウも男の言う事に同意だった。アルティーナの言葉から察するに、召喚と言うのはコストが高い。差し出した領民の代わりを期待されているようだが、伝令など不要らしい。フォークは召喚された自分たちが役に立たない事を見せるためだけに殺された。自分も馬車らしきものに繋がれている奇妙な動物の事は気になるが、今はそんな場合じゃない。着いた先で何が待ち受けているかは知らないが、自分たちをゴミとしか思っていなさそうなアルティーナが歓迎パーティーを開く事は無いだろう。これは、移動中に逃げ出す算段を付け始めた方が良いのかも知れない。


 男の言う事を意に介さないグラハムが嬉々として毛深い馬(馬に肉食獣のような牙が生えていたのなら)に近づこうとして、明らかに機嫌の悪そうなマーズに殴り倒されていた。マーズはグラハムを引っ張り上げると一番近い馬車の中に放り込んで、他の者も急がせた。後ろ手に縛られているので荷台に登るのが大変だったが、マーズともう一人が悪態をつきながら下から押したりして全員を乗り込ませた。続いてマーズも上がってきて、全員を座らせて首の縄を解いた。


「いいかぁ、ダエモンども。降りて良いと言われるまでぇ、じっとしてろ。便所行きてぇやつぁ座ったまましろ。逃げようとしたらぁ、見つけ次第殺す。腕の縄ぁ、解いた奴も生まれた事ぉ、後悔すっぞ。いいなぁ?」


 無言で自分を見上げる連中からの返事が無いと悟ったマーズは唾を吐き捨てて降りていった。リョウたちが登ってきた所に上から布が下ろされ、中は薄暗くなった。簡単な木の骨組みに帆のような布を被せているだけの質素な乗り物だ。リョウがイメージしていた米国の西部開拓時代に人々が好んで使った物に似ている。


 乗り込むまでに慌ただしく走り回る人も結構リョウの目に入ったが、どいつもガズンや自分たちが着せられているのに酷似した服装だった。自分たちと違って流石に靴を履いているが、アルティーナやその取り巻き達とは雲泥の差だ。ガズンに初めて会った時にリョウが感じた通り、ここは中世ヨーロッパと同程度の発展レベルにあるとの考えが確信に変わる。思えば、フォーク中尉もその様な事を言っていた。発展レベル?開拓レベル?いずれにせよ、それが3程度だと言った時のフォークは明らかに上から目線だった。まぁ、プラズマ銃に宇宙艦隊が存在する世界から来たのなら21世紀の日本も遅れていると感じただろうけど。


 準備が整ったらしく、間もなくして馬車は軋みながら動き出した。あらゆる地面の出っ張りを確実に踏みに行っているとしか思えない揺れに面喰いながらも、この中で中世ヨーロッパに近い所から来ているのは誰だろうかとリョウは考えた。潜在的に味方はこの6人だけ。できる事なら目的地に着く前に一緒に逃げ出しておきたい。その為には狩りなどで自然に慣れ親しんでいる人間が必要だが、教授と、新聞配達と、本屋に奴隷の娼婦では一日も持たないだろう。よし、中には見張りも居ないし、まだ正体を知らない男が一人いるから、先ずはそいつに確認を使用。そう思ったリョウの所に無愛想な男の方から寄ってきた。


「なぁ、リオ。お前は頭がキレるだろ?あの女のところに辿り着かない方が良いのは分かるよな?」

 何かを確かめるように男がリョウの顔を覗き込みながら囁く。リョウが頷くのを確認すると、さらに身を寄せて熱い口調で続ける。

「そうだよな、ヤバい匂いがプンプンするぜ。俺はカストール、ここがポイニャーじゃねぇのは分かったからもう隠さないが、俺は情報屋だ。ヤバい連中との付き合いも長い。ああいうお高く止まってる人間はヤベぇ、俺らをゴミとしか思っちゃいねぇよ」

 

 リョウ自身が感じた事をこの男は口に出してきた。近くで見ると、鋭い目つきをした、30代に見える男だ。洗っていないぼさぼさの金髪が少し目にかかると煩わしそうに頭を振ってのける。袖なしチュニックから覗く腕は筋肉質で、フォークの持っていた軍人らしい雰囲気とは違うが、どことなく力強い印象を受ける。痩せこけた頬とは対照的だ。まずはこの男の話を聞こう、何か考えがありそうだ。


「俺もそう思う。歓迎はされないだろうな」、この男と組もう、そう意を決したリョウが答える。

「それで、カストールさん、あんたには何か考えがあるのかい?」


 カストールはにやりと笑ってから素早く周囲に目を走らせ、声を低くして早口になった。


「思った通り、お前とは上手くやれそうだぜ。女子供とジジィは当てにならねぇ、俺たちがヤベぇ橋を渡るしかねぇんだ。そこで、だ。お前もこことはおさらばしたいだろう?やろうぜ。あの女のところに着く前に逃げるのよ」


 リョウが思った通りの提案ではあった。問題は現実味をどれ程帯びているのか、この一点だ。


「逃げるのには賛成だ。だが、俺は都会育ちで森や野原で生きていける自信は無い。あんたはどうなんだ?情報屋なら都市に住んでいたと思うが、自然もいけるのか?じゃなかったら、上手く逃げ出しても長くは持たないだろう。人里に降りれば異世界から来たってバレるしな。俺はここの事を知らない、このままじゃ俺たちは溶け込めない」


 リョウの言葉でカストールの表情がどんどん曇っていく。


「ちっ、まぁ、そうだな。俺も森とかは知らねぇし、間抜けな村人たちを煙に巻く自信もねぇ。町ならそうでもないがな。で?どうすんのよ?黙って待つのか?着いてからどんなヤベぇ事をされるかも、どう拘束されるかも分からないんだぞ。今なら腕の縄だけだ。向こうで鎖にでも繋がれてみろ、どうしようもないぜ?最初に停止した時に周りの様子をうかがって、二度目の停止の時に一気に逃げ出した方が良いんじゃないのか?」


 カストールの言葉はもっともだ。だが、リョウは同じ博打を打つなら、ほぼ確実に失敗する今より、もっと準備に時間を使える後の方が良いと感じていた。サバイバル面でカストールに期待はできない。だが、都市で活動した情報屋なら色々聞き出すのも上手いだろう。


「逃げおおせる確率を上げたいだけだ、縄を解いてしまったら後戻りはできない。ここは全員で出来るだけ行先の話とかを聞き出しておく方が良いと思う。飯くらいはもらえるだろうしな」、鼻で笑ってリョウは続ける、「今逃げるか、着いてから逃げるかはその時に聞ける話で決めよう。どうだ?」


 黙って考え込み始めたカストールが急な加速に踏ん張れずにリョウの上に倒れ込んできた。もつれて転がる二人は他の人たちも巻き込んでいく。7人は一つの大きな塊となって最後尾の板に押し付けられる形となり、何とか身をよじって這いずり出ようとするリョウにグラハムの声が届く。


「すごい!あの動物たちがこんなに早いとは!」

 興奮して楽しそうだ。いや、楽しいのはアニータとフィフィに挟まれているからなのかも知れないが。

「これならあっという間に着いてしまいそうだね!」


 案外、何も悩まなくても道中に逃げ出す事は不可能なのかも知れない。悪態をつきながらやっと膝立ちになれたカストールを肩で支えながらリョウは思った。

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