第10話 長い一日の終わり

 倒れて動かなくなったフォークを横目にアルティーナがバルバスに歩み寄り、汗を拭くのに使っていた布を取り上げると剣先の血を拭った。それまで静かだった取り巻き達が歓声を上げて彼女に駆け寄る。口々に剣の腕前やダエモンに立ち向かう勇気を褒め称える。血で汚れた布をバルバスに突っ返すと、アルティーナは彼の目を真っすぐに見ながら、ゆっくりと、剣を鞘に納めた。


「これで分かったでしょ。真似できないか、使い物にならないか。軍属のダエモンなど、研究室の外に一切の興味が無い研究狂にとってしか価値を持たないものよ」、バルバスの返事が無いのを確認して、彼女は落ち着いた静かな口調で続ける。

「残りのダエモンは協定の通りにファールス家が預かる。明朝には出発できる状態にしておけ。それと、今から目を通すのでヴァール砦の現状についての書類を一式、風呂と一緒に私の部屋に用意せよ。ダエモン達の報告書も挟んでおけ。歓迎の晩餐は不要、食事は私が呼んだ時に部屋に持ってこさせろ。以上だ。取り掛かれ」


 言い終えると、アルティーナはそれ以上バルバスに注意を払わずに出口に向かい始めた。ガヤガヤとうるさい取り巻き達も後に続いた。後に残されたのは気をつけの姿勢で微動だにせず固まっているマーズたち。突っ返された布を握りしめてワナワナと震えるバルバス。地面に横たわるリョウ。その近くにフォークの死骸と血の水たまり。すすり泣くフィフィを何とか小声で慰めようとするアニータ。無言で立ち尽くすリョウの牢仲間。そして、それらを無関心に照り付ける太陽。


 フォーク中尉の死体をいつまでも眺めていたくないリョウがもぞもぞと起き上がり始めると、それを合図にバルバスがマーズ達に指示を出し始めた。一名に片づけを命じ、マーズともう一人にはダエモン達を牢に戻してから明日の移動の準備をするよう命じる。リョウは一気に引っ張りあげられ、他の者たちと元来た方向に向かって急かされ始めた。ふと気になって振り返ったリョウは、何かをブツブツ言いながらアルティーナが去った方向を睨むバルバスを見た。視線を感じ取ったのか、バルバスが突如こちらに顔を向けたので慌てて前に向きなおる。視線を戻す前に一瞬だけ目が合った。取り乱していたとは思えない、とても冷たく、奥に邪悪ささえ感じられる目だ。リョウは身震いをした。あんな目で自分を見るものが居たらボディーガードを雇うだろうな。怖くて夜も眠れる気がしないと思わせる目であった。


 来た道を戻りながらリョウはぼうっと考えていた。今日はやたらと人と目が合う。ガズン、アマネウス、マーズ。アルティーナにバルバス。死んだフォーク中尉。命が血と共に流れ出る様を思い出し、再び身震いをするリョウ。どうしても頭から離れない。牢に着いて、怒鳴られながら中に押し込まれた後も考え続けた。名前と顔を知っている人間が死んだのは初めてではない。だが、その瞬間を見たのは初めてだった。


 局員になって2年。職場仲間が3人死んでいた。3班のミネギシさんと言うおばちゃんはトラックにはねられ、道路を渡った先のフェンスの上に落ちた。骨盤粉砕。内臓破裂。意識が戻ることなく病院で息を引き取った。孫が生まれたばかりだった。二人目は10班に入ってわずか一月の同い年の子だ。彼は配達の要領が悪く、大型バイクの免許を持っていて1000ccのバイクにプライベートで乗っている割には遅かった。ストレス発散か、峠を攻めるのが好きだった彼はある週末、単独事故を起こして死んだ。結局名前を覚えられなかった。3人目は組合のボス、ヤマダさん。面倒見が良くて、自分がやらかした時に庇(かば)ってくれたし、飯も食わせてもらったことがある。それがある日、組合室の窓からノーロープバンジーをキメた。後で分かった事だが、組合の金を相当使いこんでいたらしい。どの人も死んだと聞いた時には言いようのない虚しさと悲しさを感じたが、やっぱりどこか他人事だった。中庭に連れ出される前にも、すでに他に一人殺されていると聞かされたが、それも他人事のように遠くに感じた。目の前で命が尽きたフォーク中尉の姿はリアル過ぎる。


 他の連中もショックが大きかったようで、それぞれが何かを考え込んでいた。しばらくするとマーズと一緒に居た看守の一人が大きな鍋と人数分の木の皿、そして人数分のパンの塊を運んできた。期待してはいけないと思いながらも、腹が減っていたリョウは喜んだが、受け取った皿を見ると落胆した。何かの切れ端が数枚浮かんでいるだけの、ほぼ水に近いスープ擬きだった。パンも大きさだけは拳一つ分とそんなに小さくもなかったが、おがくずとしか思えない代物がその半分を占めていた。こんな飯では長く持たない。だが他には何もない。


 無理やりパンをスープ擬きで流し込み、他に倣(なら)って皿を鉄格子の外に出したリョウは自然の呼び声を感じた。香りが強い角に行くと床に穴があった。女性もいるからどうしたら良いのか分からずに立ち尽くしているとグラハムが茣蓙を持ってきて目隠ししてくれた。大の方じゃなくて良かったと思いながらリョウはグラハムに感謝を述べ、自分の定位置と化しつつある所へ戻った。グラハムは何か喋りたそうだったが疲れたと振り切った。今日はもう何も起きないだろう、いや、起きないでくれと願いながらリョウは横になる。


 一日の要約をして、今後の方針を何となしにでも決めて、それから寝よう。そう決めるとリョウは目覚めてからを振り返った。異世界に召喚され、ガズンに殴られ、アマネウスに適当に審問され、マーズに殴られ、その後またマーズに殴られ、目の前で人が死に、くそ不味い飯を食った。うん。最低の一日だ。それも本当に異世界に召喚されたとして、だ。ここまで来たら疑う余地は無いだろうが、信じたくはない。鉄格子の向こう側で松明を新たな物と換える音を聞きながらリョウはため息をついた。異世界云々は考えても仕方ない。確かめようがないからな。それより、今後どうするかが問題だ。


 囚われの身でできる事は少ない。情報を集め、隙を見て逃げ出すなり、解放してもらう他はないだろう。何も知らない場所と何も知らない初対面の人間に囲まれた状態で。自分にできるだろうか?そんな弱々しい考えをつぶすためにもリョウは自信になりそうな事柄を振り返り始める。何もかもが初めての状況は初めてじゃない。それが救いになると感じた。確かに、牢屋の中で目覚めたり、獣扱いされたり、命が安いという事を目の前に突きつけられた経験は無い。でも、自分はこれまでも生き延びてきた。


 子供の頃は数回転校をした。両親が14の時に離婚してからは母親と住んでいたが、15の時に彼氏が出来た母親が近くに部屋を借りて帰ってこなくなった。飯が無いので万引きしたり、コンビニの廃棄弁当を貰ったりして飢えをしのいだ。毎日のように翌日の飯代として1,000円を母の所に受け取りには行っていたが、貰った瞬間に小説と煙草を買っていたので残りは100円とかだった。それでも何とかなった。周りの友人たちは次々に停学や退学処分を食らっていたが、自分は回避できた。ただ、流石に午前3時に取調室に呼ばれた母親は、これ以上我慢がならんと、自分を違う土地の高校に放り込んだ。3年間の寮生活。一度は寮を追い出されたが、先生の所で居候させてもらって何とか卒業できた。大学には行かずに違う町で黒服をやったりした。その時はライバル系列と戦争が始まりそうで、一触即発の空気だった。寝る時に携帯の電源を落とすな、呼ばれたらすぐに来い。向こうがその気ならこっちだって後には引かない。なんて事を朝礼で聞かされ、豊か過ぎる想像力が裏路地で腹を刺され、ネズミに齧(かじ)られながら息絶える自分の姿を脳裏に描いてくれた。「俺は一体何をやっているんだ」と感じたので黒服を辞め、知り合いの元暴走族のつてで郵便局員になった。その時もまた違う町で、だ。


 そう考えると、年齢の割には、生き抜く経験がそれなりにある気がしてきた。リョウは少しだけ気分が晴れた。ここまで何とかなったのだ、ここからだって何とかしてやる。俺は死なない。必ず自由になる。そして、日本に帰ってコンビニのティラミスを食う。そう決めるとリョウは下に敷いた茣蓙を少し丸めて頭の下に持ってきた。無いよりはマシな枕だ。不思議と煙草を吸いたい気持ちにはならなかったが、コンビニのティラミスが脳裏に浮かんだまま、リョウは浅い眠りに落ちた。

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