第9話 品定め:2

 リョウは心臓の鼓動が早まるのを感じた。こちらに向かって歩いてくる女性はあまりにも美しく、自身のみすぼらしい恰好が恥ずかしく思えた。真っ赤な口紅に、ほんのり高揚しているのか、淡いピンクの頬。真っすぐに伸びた、高貴さすらうかがえる鼻筋。半月を描く眉の下でエメラルドの瞳が凛と輝いている。ラテン系とも、アラブ系ともつかない顔立ちはリョウにとってドストライクであった。身長180センチの自分より彼女がほんの少しだけ低いのも、運動が得意そうな、バネのある歩き方をしているのも惹かれるポイントであった。こんな女性が居るのなら、この異世界とやらも捨てた物じゃない。無意識に胸を張って自分を格好良く見せようとするリョウに彼女の声が届いた。ハスキーな、それでいてメロディアスな声。目を閉じていつまでも聞き続けていたい。そんな衝動と戦うリョウは言葉の意味を理解するのに少し手間取ったが、一度理解が追いつくと自分を狙って矢を放ったキューピッドをぶん殴りたくなった。


「ゴミにしか見えぬが、これで全員なのか?間抜け面で私をみているこれ」、綺麗に手入れされている短い爪の指がリョウの方を指した。「交尾の事しか頭に無さそうだが、これで成功例の一つなのか?」


 慌てて後ろから付いて来ていた彼女の取り巻き達、その中でもひときわ太った男が手に持った布で汗を拭いながら、リョウを蔑む目で一瞥すると前に出た。


「恐れながら、申し上げます。アマネウス2等級審問官の報告によると、最後にナントイ・デザン殿が召喚なさった、珍しい見た目の若い男こそがもっとも課題に即している、との事でございます。恐らく、ではございますが、不敬にもアルティーナ様を眺めているその個体がそうでございましょう」


 見た目の滑稽さとは裏腹に、良く通るバリトンで個体呼ばわりされたリョウが顔をしかめると、マーズが槍の石突きでわき腹に強烈な一撃を入れてきた。本日何度目か、崩れ落ちながらリョウは遂に殺意を覚えた。地面に転がって咳き込んでいる彼を横目に美の女神と恰幅の良い男の会話は続く。


「そもそも、課題が伝令特化の時点で使い物にならないじゃない、どんな3級ダエモンが現れても。報告書は他になんて書いているの?有用な特技を持つ者は?居ないでしょ?」

「恐れながら、アルティーナ様……」


 リョウの頭上で二人が言い争いを始めている。アルティーナと呼ばれた女性の声からは怒気が感じられた。今回の召喚の結果に対して怒っているのか?リョウは腹の痛みを我慢しながら聞き耳を立てた。召喚の課題は伝令特化だったらしい。グラハムの仮説とも合致すると言えば合致する。ここの人たちは伝令役が欲しかったのか?そう考えると確かに自分が一番近い事をしていたと言える。だが、何故この女性は怒っているのだろう?その理由次第で自分の未来が大きく変わる。そんな気がしてリョウは一言も逃すまいと意識を集中させた。


「分かっているわ!フローディウス猊下が今回の試験に我がファールス家の領地をお選びになられたこと、それ自体はファールス家にとって名誉である。だが、この課題では召喚されたダエモン達の使い道が無いではないか!試験用に提供した領民の代わりになれる者が一匹たりともおらん!これはファールス家にとって損害であると、そう感じる事に何の不思議があろうか?バルバス、ヴァール砦を預かる者として、この責任をどう取るつもりか?」

 リョウの頭をかすめてブーツを履いた足が目の前に現れた。

「お、恐れながら、アルティーナ様……」焦りが混じる声でバルバスと呼ばれた男が何か反論をしかけたが、すぐに遮られた。

「そうだ、バルバス、恐れろ」、声のトーンを落として、歯の間から絞り出すように続ける。「試験は弟子任せでここに居ないフローディウス猊下より、私を、ファールス家を恐れろ。今回の課題を試験前に知らされていればこうはならなかった。違うか?エーン草と、お菓子と、若い男の子の事しか頭にないのはこれまで大目に見てやった。それが間違いだったようだ。エーン草の吸い過ぎで脳みそが流れ出てしまったようね。叔父様がいつまでも尻拭いをしてくれると思ったら大間違いよ」


 中々に険悪な雰囲気になってきたところで、呼吸も落ち着いたリョウがチラリと上を見やった。下唇を噛み締めてわなわなと震えるバルバス。そしてバルバスと変わらない視線の高さなのに、険しい顔で彼を見下している華奢な女性。怒っている表情も美しい。思わず見とれてしまいそうになる自分を心の中で叱咤するリョウ。この女も自分を獣か何かとしか思っていない。位も高そうだ。今回の課題とやらがお気に召さないらしい。今にもバルバスに掴みかかりそうな雰囲気すら感じ取れる。


「め、滅相もございません、アルティーナ様!私めは課題を知ったその瞬間に早馬を走らせてお知らせ申し上げました!」

 

 耳に心地よいバリトンはどこへとやら、徐々に甲高い声になっていくバルバス。吹き出る汗の量も増え、飛び出そうな程に目を見開いている。汗を拭くのに使っていた布を固く握りしめた手もはっきりと分かるくらいに震えている。


「ふん、貴様は言い訳だけは得意であったな」、鼻で笑いながら、アルティーナは二人のやり取りに気圧され、無言で立ち尽くしているダエモン達を眺める。「それで?報告書には何と書かれている?何か無いのか?」


「は、はい。一匹が軍属でして、これは我が方の民兵たちにダエモンの戦い方を……」バルバスが言い終わらないうちにアルティーナが指を鳴らして制止する。

「それが貴様の答えか?ダエモンの戦い方など、特殊すぎて役に立たぬか、当たり前すぎてとっくに知られているものしか無いでしょう。でも、良いわ、この場で私が計ろう。一太刀でも私に触れることが出来たら役に立つと認めてやろう」

「…え?」


 呆気にとられ、アルティーナとダエモン達を交互に見比べるだけのバルバスには目もくれずに彼女は腰の剣を抜いて数歩下がった。黙って成り行きを見守っていた、バルバス以外の取り巻きたちが一斉にざわついたが、誰も止めようとはしなかった。動けずにいるバルバスを見てアルティーナが眉をひそめる。刀身でブーツを叩くと金縛りが解けたようにバルバスがテキパキと指示を出し始めた。


 一斉に動き始めた看守たちは、地面に転がされたまま忘れ去られたリョウが感心するくらい早く準備を整えた。あっという間にフォーク中尉の縄は解かれ、手に長剣を持たされた彼はアルティーナから数メートル離れた所に立たされた。リョウから見ても剣を扱いなれていないのが分かる手つきで数回素振りをすると、フォークは剣を地面に投げ捨てて腕を後ろに組んだ。


「俺の専門はプラズマ突撃銃と電子戦だ。ナイフならいざ知らず、剣などという時代遅れの武器は使えない。フェンシングの大会に出たいなら他をあたれ」


 そう言い放つフォークの言葉に頷くとアルティーナは左手を横に伸ばした。すぐさまその手に看守がナイフを置くと、彼女は手首の返しだけでそれをフォークの足元に投げつけた。


「ナイフでも構わん。ダエモンの戦士の力量が見られればそれで良い。2本目も渡してやろう。後で実は二刀流だったと言い訳されぬように、な」


 彼女の言葉に合わせて二本目のナイフが手渡されると、それも同じようにフォークの足元に投げつける。


「アンタを一度でも掠(かす)めれば良いんだな?それで満足だな?」


 ナイフを拾いながらフォークが確かめるとアルティーナは頷く。無造作に剣先を地面に向けたまま、左手指し指で手招きする。


「どこからでも……」


 聞き終わらないうちにフォークが右手を下から振り上げ、そのまま上体を沈めて突進した。金属同士がぶつかる音と共にアルティーナの持っていた剣が彼女の顔の前に現れたかと思うと、左腕でガードしながら、身を捻ってかわそうとするフォークの喉元へと切っ先が滑らかに滑り込んだ。もっと良く見ようと身をよじっていたリョウには一瞬何が起きたのか分からなかった。気が付けばアルティーナが大きく右足を斜め前に踏み出しており、ピンと伸ばした右腕からまっすぐにフォークの首を剣で貫いている。手首を捻って、剣先をフォークの首から抜くとコポッという音と共にフォークが前のめりに倒れた。剣先に引っ張られる形でフォークの顔が横を向いた状態で横たわる。丁度リョウと目が合う位置に。


 首から流れ出る血がゆっくりとフォークの下に水たまりを作っていく。あまりの事にリョウが目を離せずに見つめる中、何か言いたそうに口をパクパクさせたフォークは数回痙攣をすると、そのままこと切れた。辺りに金属臭が漂い始める。

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