第二章11 夕食

「何度もすみません。こうして運んでもらって」


「構わないさ。それに、提案をしたのは俺の方だからね。これくらいは当然さ」


 キコキコと、長い廊下を進む車椅子。身を預けるラルズと、車椅子を押すミスウェル。目指す場所は一階の食事場だ。


「通路は問題ないとしても、階段が少しね。懸念事項がある以上、大人の力を素直に借りようとしたシェーレ君と、ラルズ君が正しいと思うよ。レル君とノエルには悪かっただろうけど」


 ミスウェルが連れて行く間、シェーレたちは既に席に座ってラルズの到着を待っているらしい。往復させてしまうのは大変申し訳ないが、彼の言う通り、親切心とは別で不安が勝ったために、致し方ない。


「早く歩けるようになれば、こんな迷惑もかけずに済むんですけど……」


 足元へと視線をやり、膝を手でさする。座っている間の痛みは皆無に等しいが、地に足を付けようとすると、未だに激痛が主張を訴える。無理をするなと、痛覚や神経は肉体の可否具合を真っ当に突きつけてくる。


「ラルズ君の気持ちを考えると、早く治したいって思う焦りはわかるけど、何かに追われてるわけでも、期日があるわけでもないんだ。ゆっくりで大丈夫だよ」


 病人として迷惑をかけている自覚。それが、ラルズの焦りに一興を及ぶ。心配してくれ、配慮してくれる点とは別に、人の優しさが身に沁みて、要らぬ罪悪感が湧き上がってしまう。


「本当に、ミスウェルさんにはお礼が尽きません。必ず、いつかこの恩は返しますから」


「恩だなんて、大袈裟だよ。俺はただ、当たり前のことをしているだけだよ」


 怪我を治してくれただけでなく、こうして治るまでの間、無償で衣食住を提供してくれているのだ。これで恩を感じるなと言うほうが無理な話である。


 更に自分の行動を棚に上げるどころか、当然のことをしているだけだと言える善性。ミスウェルという人物は、ラルズからしたら、神様に近い存在だ。


「ミスウェルさんが良くても、俺が恩を返したいんです。いつになるかはわかりませんけど、いつの日か必ず、この恩は返しますっ」


「そう、かい? じゃあ、未来に期待しておこうかな。なんて」


 軽い口調でラルズの恩義を受け止めるミスウェル。少なくても、ここまでされて恩義を感じないほど、ラルズは傲慢な人間ではない。対価には対価を、である。


 ・・とはいえ、受けた恩が莫大すぎるために、返礼として何が相応しく、受けた恩に見合っているかに関しては、時間と共に要相談である。主に、自分自身との。


「――っと、失礼するよ」


 会話を続け、気付けば階段へと車椅子が到達。


 ミスウェルは車椅子の車輪部分――底の方へと屈むと、そのままひょいっと持ち上げる。ラルズが乗ってることすら何のそのといった具合で、ミスウェルは軽々と持ち上げると、階段を一段一段、丁寧に降りていく。


 微かな浮遊感を感じていたのも、十数秒の間のみ。段差を下り、一階の廊下に躍り出る。持ち上げていた車椅子(ラルズ)を地面へと下ろして、車輪が地面と接して大地の有難みを味わう。


「ありがとうございます」


「お安い御用だよ」


 再び車椅子を押し、通路を進んでいく。暖色系等の絨毯を車輪が撫でていき、通路に等間隔で置かれた、価値のありそうな花瓶や骨董品など、飾り物を横目に抜けていく。


 一定の速度で進んでいく車椅子。設けられた大き目の窓の外へと視線を動かせば、先まで記憶に残っていた太陽は既に一日の役目を終え、対となる存在に主役の座を譲っていた。


 ――もう、こんな時間なんだ


 意識が覚醒し、目を覚ましたのが昼前付近。まだ一日が終わるには早いと言える時間だが、一日の踵の終わりを予感するには十分過ぎるほど、月という天空物は象徴している。それは太陽も逆として成り立っているだろう。


 交代で世界を彩る光の提供者。陽光、月光。性質は異なろうとも、世界に光を届けている役割は同じであり、遥か遠くから地上全てを見下ろす。


 そんな天上の天創物を、こうして落ち着いて見れたのは久しぶりであり、吸い寄せられるようにしてラルズは窓の外へと視線が固まっていた。


 ――と、夜の光源物に意識を向けていると、


「ラルズ君、少しいいかい?」


「はい、何ですか?」


 切り出したのはミスウェルだ。彼はラルズに許可をもらうと、


「ノエルとはどんな調子だい? さっき見た感じとしては、仲良くなれてると思って安心していたのだけど、そう捉えても大丈夫かな?」


 口を開いたミスウェルが問いかけた事柄は、ノエルについて。


「はい。向こうがどう思ってくれているかはわからないですけど、俺はノエルと一緒にいて楽しいですよ」


 多少――……というより、かなり我が儘ではあるし、自分本位な部分が角を立てそうな性格ではあるけれど、温かい目で見れる可愛さが先行する。

 彼女の自由さや周囲を巻き込む行動性には頭を抱えたりもしそうだが、一緒にいて不快だったり、遠ざけたりするような拒絶的意思は微塵も湧かない。


「そうか、それなら良かったよ。いや、ラルズ君が目覚めてない間、レル君とは仲良くしてくれているんだけど、シェーレ君とは難しいみたいでね」


「あー……そうみたい、ですね」


 歯切れの悪い同意を聞き、ミスウェルは「やっぱりか」と薄い気苦労を笑って誤魔化す。


「出会って日が浅いこともあるけど、それ以上に相性が悪いとしか」


「ノエルの素直さ――もとい自己顕示は、ある意味敵を作りやすいとも言えるからね。むしろ、ラルズ君とレル君が仲良くなれている事実の方が、案外珍しいのかもしれないね」


 逆説の例。親しみが芽生えている事実の例の方が多いとして、ラルズとレルの名前を挙げるミスウェル。三人中、過半数の呼吸が合うという事例は、ノエルの性格を考慮した結果、意外という感想を生むらしい。


「レル君とのように、シェーレ君とも仲良くして欲しいと、切に願うよ。お兄ちゃんであるラルズ君からも、関係を取り持ってくれるように頼んでくれると、助かるかな」


「それは勿論。俺も、シェーレにはノエルと仲良くして欲しいと思っているので、尽力しますよ」


 ラルズとミスウェルの意向は同じである。彼の頼みを受けて、ラルズも目指す先は同じであると返してから、強く頷いて見せる。


「ありがとう、ラルズ君。・・やっぱり、君たちがいてくれた方が……」


「へ?」


「ああ、ごめんごめん。こっちの話。――と、着いた着いた」


 若干気になるミスウェルの態度。が、それを詳しく聞き出そうとする前に、目的の場所へと到着。


 大きな扉が目の前で閉じられており、その向こうから、複数人の話し声が貫通して耳へと入り込む。何を話しているのかは、くぐもっているために把握し切れないが、声音からしてシェーレ、レル、ノエルの三人であることは間違いない。


「前、失礼するよ」


 体重を前に寄せ、ラルズの後ろから手を伸ばして扉の取っ手を掴むミスウェル。


 開かれ、ラルズの視界に映るのは大きな一室。食事場と称するには随分と広く、それでいて高さも。ただ食事をするだけの場だけでなく、催し物や、何十人が一同に集まって会食――パーティでも開けそうなぐらいに、上にも横にも視界が広がる。


「あ、兄貴来たっ!」


「遅いわよ、二人とも。もう、お腹ペコペコなんだから、早くして!」


「少しぐらい我慢できないんですか、全く……」


 大きな丸机を中心に、等間隔に設けられた椅子。全席、勘定は五席。三席は既に埋まっており、残りの二つの空席は、食事の参列者が座るのを待っている状態。


「――お待ちしておりました。ラルズ様、ミスウェル様」


 歩み寄る一人の老執事。丁寧に一礼し、出迎えてくれたのは、ミスウェルを主として仕えている、執事のアーカードだ。


「待たせて済まなかったな」


「とんでもございません」


 慣れ親しんだであろう、主人と従者のやり取り。目線を主から外し、膝をつくと目線の高さを合わせる。


「ラルズ様。参列されたということは、お加減のほどはよろしいみたいですね。魔石を渡しておいたのは杞憂だったみたいで、逆に安心しました」


「いえ、そんなこと。わざわざ心配してもらって、ありがとうございます」


 有事の際の連絡用として渡されていたが、使う機会こそなかった魔石。使わないに越したことはないとして、無用の長物と化してしまったが、それでも持っているのとないのとでは、緊急時の心持が段違いである。


「ラルズ君は俺が案内しておくから、アーカードは料理の方を頼むよ。これ以上は、ノエルが暴れ出しそうだ」


「かしこまりました」


 軽く一礼し、指示を受けてアーカードは食事の場の奥の扉へと進む。隣接しているのか、その扉の先からは、美味しそうな匂いが漂ってきており、空腹感が刺激されて思わず唾を呑み込んでしまっていた。


「よし、行こうか」


「はい」


 案内された、空席続きの二つの席。その内の真ん中――中心の席が主であるミスウェルの位置。彼の席から右回り順に、シェーレ、レル、ノエルと続いている。ミスウェルとノエルの間に挟まれた席が、ラルズの席である。


「立つのもまだ厳しいだろうから、俺が持ち上げるよ」


 車椅子から席に移動するには、当たり前の話だが、立たなくてはならない。ここまで運んでもらったのだから、最後くらい自分の力で――……と言いたいが、無理をして悪化でもすれば最悪である。


 情けない気持ちを顔に浮かばせながら、ミスウェルに力を借りて着席。彼にお礼を伝えて、周囲を見やる。


「ご飯ー♪ ご飯ー♪」


「楽しみなのはわかるけど、食器同士でカチャカチャ物音を立てるのは、行儀が悪いから辞めなさい」


「注意の仕方とか言葉の刺々しさとか、シェーレったらまるでお母さんみたい。こんだけ口うるさいんだから、将来の結婚相手は苦労しそうね」


「どういう意味ですか? というよりノエル、後半部分に関して、貴方に言われたくありませんけど」


「はー!? ノエルはシェーレみたいに口うるさくないもん!」


「さっき言った通り、貴方の場合はレルと同じで行動がうるさいんです」


「はは、違いない」


「ミスウェルも何を同意してるのよっ。ムカつくわ、あんたらー!!」


「――てか、またさり気なくあたしも馬鹿にされてる!?」


 同じ卓に座り、互いの顔が向かい合う机の構造上、会話という橋は色々な方向に繋がっていく。一人が口を開けば誰かが応じ、また別の誰かが会話を拾えば、再び声と声が飛び交う。


 様式美と化しているやり取りを見せるシェーレとレル。横から野次を飛ばすノエルと、一歩引いた距離で会話に相槌を混ぜるミスウェル。


 日常の一部。何てことなければ、特別さも見当たらない。至って普通で、どの家庭にも見られる一風景だ。


 ――それでも、


「お待たせ致しました」


 やや、懐かしい感慨に身を包んでいたラルズ。アーカードの声に皆が反応をし、やり取りも中断され、自然と意識が引き寄せられる。


 配膳台を押しながらこちらへ近付いて距離を縮めるに比例して、料理の美味しそうな匂いが、空腹を加速させる。


「美味しそう!」


 皆を代表するように、運ばれる料理にレルが純粋な感想をこぼす。作り立てを示唆する白い湯気。煙と共に鼻孔を通り抜ける芳醇な旨味の香り。早く実食したいと舌は涎を分泌し、唾液を呑み込む音が自身の中で大きく響き鳴る。


 主であるミスウェルから順に配膳が行われる。レル、シェーレ、ノエルと続いて、最後はラルズのもとに料理が運ばれる。


「お熱くなっておりますので、お気を付けください」


「はい」


 優しい音を立てながら、目の前に運ばれてきた料理。


 下処理をされた野菜と魚。それらを贅沢に、一緒くたに煮込んで味を凝縮させた煮込み料理。惜しまず注がれた牛乳のクリーミーな香りが食欲を引き出させ、強い存在感を放つ魅惑の一品。


 小麦と水をこまねき、生地として仕立てて切り分けられた代物。一段並べた生地の上から、挽かれた黒胡椒とチーズが層を振りかけられ、最後に多種混合のミックススパイスと、再びチーズを振りかけられて完成された品。


 そして最後。中央の大皿に、肉食動物の丸焼きが派手に登場。雑にこそ映るその姿だが、でかでかと視界に入り込む、桁違いのボリュームとスケールの大きさが、食欲を暴力的に訴えてくる。


「こ、こんなに豪勢な料理、初めて目の当たりにしました……っ」


「凄いよね、兄貴っ! あたしも最初、凄すぎて目ん玉飛び出そうだったもんっ」


 目が飛び出てしまう感想も頷けるというものだ。森で暮らしていた頃に出された料理の数々。それらと比較しても、これは正に圧巻、圧倒される暴力性を誇っている。


「普段と比べても、今日のは一段と気合いが料理に乗り移っているな、アーカード」


「皆様方が料理をお楽しみにしているご様子でしたので、腕に縒りをかけさせていただきました。是非とも、堪能していただければと思いまして」


 自らの腕を振るった料理の数々。主であるミスウェルですらも、今宵の料理は熱が注がれていると称賛し、従者であるアーカードは遺憾なく腕を振るったと告白する。


「もうお腹限界なんだから、早く号令しなさいよ、ミスウェル」


「あたしも、早く食べたーい!」


 待ちきれずに食事を急かすノエルと、仕草が手に映って、食器を手に取るレル。そんな二人の反応を受け、ミスウェルは「そうだね」と口にし、全員に目配せする。


「じゃあ、冷めないうちに頂こうか」


「はい」


 各々、両手をそれぞれ合わせる。祈りを捧げる構えを取り、両の目を瞑る。先んじて食器を手にしていたレルは元の場所に戻し、慌てて全員の所作を真似る。


「――いただきます」


「「「「いただきます」」」」


 主であるミスウェルの挨拶の後に続き、ラルズたちも食事の挨拶を唱えた。


 


 


 




 








 







 


 


 


 

 


 

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導きの愚者 ひじきの煮物 @hijiki-no-nimono

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