第二章10 妙案
柔らかな雰囲気を纏って入室をしてきたシェーレ。それも束の間、ノエルを視界に収めた瞬間に和やかな空気は崩れ去り、途端に辛みを帯びた空気へと状況が変化する。
「姿を見ないと思ったら、兄さんの部屋に居たんですねっ」
姿を見るや否や、いきなり強い口調でノエルに声を飛ばすシェーレ。普段はお淑やか振る舞いが先行することもあり、聡い人であろうとなかろうと、機嫌度合いが窺える。
――この場合は十中八九、ご立腹な様子だ。
「べ、別にノエルがどこにいようとシェーレには関係ないじゃんっ」
「確かに関係ありませんが、兄さんは現在療養中の身です。安静第一、怪我の経過を見守ること。ミスウェルさんからも、念を押されてお願いされたはずですけどっ」
「うっ……」
「それに、ノエルのようにやかましい人が傍にいれば、休まるものも休まりません。・・見たところ、随分兄さんと一緒に時間を過ごしていたみたいですが、ノエルのことですから、兄さんの意志も無視して、無理矢理遊びに付き合わせていたのでは?」
「う、うぅ……」
図星である。つらつらと厳しい言葉を投げられ、ノエルは反論も口に出せず小さくなる始末。実際、ノエルと知り合ってから今の今まで、安らぎや静養といった言葉とは無縁の時間を過ごしてはいた。
加えて、苛烈な物言いがノエルを襲う理由としては、初対面の悪戯が尾を引いているのだろう。普段よりも語気に責め気が宿っているようにさえ感じる。
「ま、まぁシェーレ。そこまで強く言わなくても」
「兄さんは甘いんです。こういう子は、一度許してしまったら最後、調子に乗り続けて今後も同じことを繰り返します。だからこそ、最初が肝心なのです」
場を宥めようとするラルズであるが、最もな理論を口にされてしまった。
成功体験を覚えたからこその弊害。まるで親から子に対する注意のような言い分を受け、ラルズも内心「確かに……」と、ほだす口とは別で得心してしまっていた。
「べ、別にラルズの療養の邪魔なんかしてないし。むしろ、楽しい時間を提供してあげてただけよ。おかげでラルズは退屈しなくて、ノエルに感謝してるくらいなんだからっ」
「・・本当ですか、兄さん?」
「えっと……」
冷たい視線。シェーレの瞳から注がれる冷ややかな眼差しが、芯にまで届いて寒気を覚えさせる。
その瞳からは、「ノエルを庇わないで、正直に答えて下さい」という、無言の圧力が滲まれていた。嘘をつけば、お説教される数が一人から二人へと増えるであろう。
一方で、ちらりとノエルの方に視線を移すと、期待を込めた温かい視線をラルズにぶつけている。シェーレとは対極的な瞳の熱から、「ノエルを庇いなさいっ」と、こちらも無言の圧力を滲ませている。
ラルズからすれば味方とも敵ともそぐわない、両者の意見。一方を支持すれば、もう一方から責められる状況。意見を求められる立場からすると、どう答えるのが一番穏便に済むかを考慮するため、かなり難度の高い分岐点だ。
――とはいえ、ここは正直に……
「・・シェーレの言う通り、俺は大人しくしてないといけない身だけど、ノエルと一緒だと、ね」
濁した言葉尻。ノエルを知る人物からは、濁した言い方でも内容の把握には十分だろう。
ラルズの意見を受け、シェーレは「ふん」と鼻を鳴らす。
「ほら見なさい。兄さんもこう言ってますよ、ノエル」
「ラルズ……っ!」
「でも――」
このまま終了させれば、ノエルからは恨みにも近い感情を差し向けられるだろう。
なので、ラルズは返答を続ける。
「ずっとベッドの上だと退屈だったろうし、話し相手がいてくれて、俺は助かったよ。悪戯や遊びに付き合わされたのは本当だけど、結果的にノエルのおかげで楽しい時間を過ごせたから、そこまでノエルを責めないであげて欲しいな」
「――! ほら、聞いたでしょシェーレ。助かった、楽しかったって、他でもない本人がこうして答えてるのよっ。これでもノエルが悪いと思うっ?」
見放されたと勘違いされてから一転。自身を支持する意見を受けた途端、表情はパッと明るくなり、更には踏ん反り返ってシェーレに威張り散らしている。ラルズの意見に乗っかって態度を大きくするその姿は、虎の威を借りる狐のようだ。
「兄さん、本当ですかっ。ノエルのことが可哀相だからって、庇ってるんじゃないですか?」
「嘘なんかじゃないし、庇っても無いよ。最初に言った通り、抑えて欲しい旨も含んでるし、庇ってるのとは違うでしょ? それを含めた上で、ノエルとの時間は楽しかったってだけ」
勿論、この言葉は嘘ではない。ラルズの心の内そのものである。読書を楽しんでいたことは伏せていたが、ノエルとの時間はラルズにとって、退屈を忘れさせてくれるスパイスであったことは本当だ。
スパイス部分が強すぎるというのも事実でもあるし、本音を言えばもう少し読書に耽りたかったという部分もある。が、彼女との時間において、「苦」しかなかったというのは誤りであるし、楽しかった点は真実だ。
「・・はぁ、わかりました。兄さんがそう言うなら、これ以上は追求しません」
色々思うところは残りつつも、シェーレも兄であるラルズの言葉に耳を傾けてくれたことで、ノエルへの言及は打ち止めに。
――と、二人の小さい剣幕が落ち着いたところで、
「兄貴、入るよー!」
入室の文言を言い終わるのと、扉が勢いよく開かれたのは一緒のタイミング。
朗らかな笑顔と大きな声。元気な陽気さが声から伺える女の子、レルだ。
「レル、部屋に入るときはノックをしなさいっていつも……」
「あ、そうだった。えへへ、うっかり」
何度も忠言されている、入室に際してのマナーもこの通り。シェーレはそんなレルの姿にため息を隠さず、指摘されたレルは頭をかきながら可愛らしく舌を見せる。
「――って、ノエル。見ないと思ったら、兄貴と一緒だったんだ。・・あれ、兄貴の部屋にノエルがいるってことは、兄貴とノエル、一緒に遊んでいたの!?」
ラルズの部屋に居座っていたノエルを目にし、一緒にいたのかと問いを興す。遊んでいたのかと聞いてくるところが、いかにもレルらしい。
「遊んでたって言うと少し語弊があるけど、数時間ほどは一緒にいたよ」
「え、ずるいっ!」
「――? 何がずるいのよ」
突然、卑怯者のレッテルを張られるノエル。彼女が言葉を返すと、
「だってそうじゃん! あたし、兄貴と一緒にいたかったけど、怪我を治すのに安静にしてないといけないって言われたから、一緒にいたいのを我慢してたのに!」
しっかりと言い付けを守っていたレル。時間を共にしたい欲を抑え、回復に向かって欲しいというレルの気遣いは、本人の意思とは別で偉いと評したいくらいだ。
が、言い付けを守っていたレルに対し、言い付けを破っていたノエル。前者と後者、どちらが良いか悪いかは明白だが、一方が縛りを破っている事実は、レルからしたら面白くないのだろう。
「私はともかく、ノエルとレルはうるさい部類に当てはまるんですから、傍にいたら兄さんの気が休まりません。私はともかく、二人が傍にいるのは推奨できません」
「なーにをさりげなく自分のことを持ち上げてるのよっ。しかも二回っ!」
「てか、うるさい部類って言い方酷くないっ!? ムカつくんだけどっ!」
「事実、ですからね。ノエルもレルも、落ち着きが無くてかないません。兄さんは気を遣ってくれているからあれですが、傍に二人のような騒がしいのがいたら、休まるものも休まりません」
「何よー!」「何をー!」
文句が重なり、シェーレに対して矢印の向きが揃うノエルとレル。そんな二人の姿に、「ほら見なさい」と流し目を送る。
「三人とも、落ち着いてよ……」
シェーレとレルに関して、こういった些細なことから言い合いになることは珍しくもなんともない。同じ血を分けた家族であっての所以か、小さい衝突は頻繁に起こりえる。
また、ノエルに関しては傲慢気質なその性格が災いとなってしまっている。初対面の悪戯さえなければ、もう少し穏やかな関係性へと続いていただろうに……。第一印象が人を作るとは、良く言ったものだ。
部屋を訪れに来たのは理由があってだろうに。これ以上ヒートアップし過ぎると、収拾がつかなくなりそうな勢いだ。口論ならまだしも、手が出るほどの取っ組み合いになられては、今のラルズでは間に割って入ることすら難しい。早い段階で鎮静化を試みたほうが良さそうだ。
ラルズは数回、両手を叩いて意識を自身に向けさせる。
「ほら、それぐらいにして。病人の前で喧嘩はやめてよね」
激情が頂点に達する前に宥めに入る。間にラルズが割って入ったからか、沸々と煮え滾っていた怒りの温度は常温へと下がっていく。
「・・うん。仲良しが一番なんだから、ね」
偶然の縁とはいえ、折角森の外で出会った年の同じ子なのだ。この出会いを大切にしてもらいたいものだ。
「ラルズに免じてあげるわ」
「こっちの台詞です」
「むむむー」
尚も火花が激しくなりそうな飛び交いだが、それでも冷静さは取り戻してくれたみたいだ。ひとまず、この現場は収まったと見ていいだろう。
とにもかくにも、これで次に会話を進められる。
「それで、シェーレとレルは何か用件があって部屋に来たんだよね?」
「――そうでした」
コホン、と一度咳を交えるシェーレ。空気を持ち直してから、薄く微笑を浮かべると、
「ミスウェルさんから、夕食のご準備が終わりそうなので、その連絡を。加えて、もし兄さんさえ良ければ、食卓を一緒に囲まないかとの提案です」
「え、一緒に?」
「はい。もし動かれるのが厳しいみたいでしたら、昼食のとき同様に運ばせてもらいますとも。ですが、折角同じ屋敷に身を置いているのですから、顔を見合わせてお食事した方が」
「一緒に食べようよ、兄貴!」
「・・人が話している最中に、話を遮らないで下さい、レル」
確かに、全員が一同に介して食事をしている中で、ラルズだけが別室で一人だけというのは、特別な理由でもない限り、かなり寂しい食事模様だ。
「そ、うだね。うん、折角のお誘いだし、俺も同席させてもらおうかな」
「わかりました」
「やた!」
参加を表明して、シェーレは短く頷き、レルも小さく喜ぶ。
「じゃあミスウェルさんに力を貸してもらう頂くようお願いして――」
「え、いいじゃない別に。私たちで運べば」
話は纏まったとして、シェーレは階下のミスウェルへ報告しようと、廊下へと足を向けた直後、ノエルの発言を受けて足がピタリと止まる。
「・・通路は良くても、階段がおっかないです。残念なことに、車椅子に座った兄さんを運べるほど、私に力はありませんから」
「一人じゃ厳しいなら、二人で運べばいいじゃない」
「じゃあ、あたしとノエルで運ぶよ。それならいいでしょ?」
「余計心配です」
「何でよ!?」「何でさ!?」
一人で駄目なら二人で。立候補としてレルと、助手役として挙げたノエル。が、その二人に役割を委ねたくないのか、シェーレは本人であるラルズを差し置いて却下を申し出る。
「二人に任せたら、階段で滑って転がる……なんて可能性が浮かびます。怪我をされているのに、新しい怪我を増やさせては、本末転倒でしょ」
食事場は、現在の二階から階段を下って一階に位置する。なので、下に降りる必要があり、それにはどう足掻いても階段を使用する他ない。
段差も急とは違い、そこまで警戒心を向けることもないのだが、如何せん車椅子と、運び役が子供という条件が加わると、幾ばくかの不安が入り混じれる。
「大丈夫だって。こけたりなんてしないってば」
「そうよ。いくら車椅子の分の重さが加わっても、二人なら平気よ」
心配するシェーレとは対極的に、レルとノエルは問題ないと自信大有りといったご様子である。ただ、そんな自信満々な二人とは別で、件のラルズ本人の意思はと言うと、
「・・俺もちょっと心配、かな。シェーレの言う通り、ミスウェルさんかアーカードさんに頼むのが一番安心かなって」
「えー、二人とも心配性なんだから」
「そうよ。たかが連れていくだけなのに」
「そうかもだけど、一応……ね」
運んでもらう身で厚かましいかもしれないが、今回は不安が勝る。転ばない心配というよりも、万が一バランスを崩して、レルやノエルが車椅子の下敷きになってしまったりと、事故を鑑みた結果の判断である。
「じゃあ一度報告しに戻りますね。レルとノエルも、一緒に来なさい」
「え、いいよ別に。待ってる間、兄貴と話してるから」
「そうよ。連絡だけならシェーレ一人でいいじゃない」
「・・一緒に来なさい」
声の調子を落とした二度目の通告。おざなりに返事をしていたレルとノエルが、眼力に圧され、文句を口にしつつも、渋々シェーレの後をそれぞれ着いていくことに。
「それでは兄さん、また後ほど」
「後でね、兄貴ー!」
手をぶんぶんと元気良く振るレルを最後に、扉は閉められる。
車椅子を引いてくれる大人の力を待つ間として、室内に取り残されたラルズ。
ふー、と息を吐き捨てながら、寝台に少し身体を預ける。
「・・うーん。シェーレとノエルには、もう少し仲良くしてもらえると嬉しいんだけどなぁ……」
一人きりとなり、独り言をぼやくラルズ。悩みの種としては、出会って直ぐに険悪なムードが流れた、シェーレとノエルの間柄だ。
シェーレとノエル。タイプがまるで違う女の子同士。馬が合わないのか、一度口火を切ると中々に収まりが見当たらない。
「レルとノエルは波長が合ってるみたいだけども」
今回こそ、レルもあわよくば参戦しかねない状況であったが、そもそもレルとノエルはそこまで相性が悪いわけではない。ノエルと数時間共にしたついでがら、二人との関係を少し尋ねてみた。
調査の結果、苦手意識を感じているのはシェーレに対してのみであって、レルの場合、壁という壁は形成されていないようだった。
「多分、悪戯が尾を引いてるんだろうなぁ。それも――」
推測するに、何も悪戯をされたことが関係の悪さを悪化させているのではない。ラルズが考えるに、「初対面で失礼なことをされた」というのが、シェーレの中で大きな根を張っているのだろう。
ある程度仲が深まったうえで悪戯を仕掛けられれば、ここまで問題は大きくならないはずだ。初対面の印象が人を象るとは良く言ったもので、シェーレの視点からしてノエルは、「失礼・無礼な子」としての見方が強いのだろう。
「ノエルが一言でも謝ったら、それで解決する簡単な問題でもあると思うけど」
溝は生まれても、底は浅い。雰囲気的に、普通に会話が繋がってるからして、本気で互いを嫌っているのではない。多分、仕掛け人のノエルが一言でも謝罪を口にすれば、それで解消される程度の不和なのだ。
――が、ノエルが自分から謝るというのは、かなり望みが薄い願望だろう。
「俺のときとは状況が違うから、そこもまた……」
大きな悩み所と言える。
先に謝ったのは、ノエルに明確な他者を傷つけたという意識が芽生えているからだ。言ってしまえば、挨拶代わりの悪戯で、シェーレが心の底から傷ついた――とはなっていない。そこが、ノエルにとっての線引きであって、大きな差であろう。
この手の問題は、時間が長引けば長引くほどに気まずさを生んでしまう。早い話、切っ掛けは何でも構わない。あとは、流れがそのまま互いを取り持ってくれる。その程度で済む話なのだ。
「何かいい案でも……」
ないだろうか。夕食まで間もなくだ。できれば、この瞬間に名案が浮かんでくれればいいのだが、生憎とそんな都合の良いことは――、
「・・あっ」
都合の良いことは起こらないと、そんな考えとは裏腹に、一つ良い案が浮かび上がった。
「閃いた――……けど」
名案――とは言い難いし、他でもないノエルが飲んでくれるかはわからないが、
「そこは、ノエルの情に訴えるしかないかな」
可能性は低いかもだが、望みが無いわけではない。十分、勝算はある。
妙案が思い付き満足気味のラルズ。あとは、タイミングの問題だろう。できれば、今日中には実行したい。
――幸運なことに、再び扉がノックされたのは、妙案が思い付いた数十秒後であった。
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