第二章5 魔道具


「じゃあ、俺はこれで一旦失礼するよ。夕刻近くになったら容態を伺いにくるから、それまでは部屋の中で安静にね」


「我が儘を何度も聞いてもらって、ありがとうございます」


 屋敷の大部分に関して案内が終わり、ラルズは再び自身の療養部屋へと連れていかれた。


「部屋の中で一人きりだから退屈だろうけど、そこは我慢してもらうしかないかな」


「我慢だなんてそんな……。こうして本も貸して頂いたので、むしろ有り難い限りです」


 ベッド脇の小さな小机に積まれた数冊の本。ラルズがセレクトして持ち帰った代物たちだ。


 自室に戻る前、最後に訪れた書庫から数冊を拝借したおかげもあり、夕刻までの時間においては、退屈という概念から解放されるであろう。


「気を遣ってくれているわけじゃないんだろうけれど、そう言って貰えると俺も助かるよ。じゃあ俺はこれで――……っと、思い出したっ」


 部屋を後にしようと、扉の方へと足を向けて踏み出したミスウェル。だが、その足が一歩目から中断される。


 ふと、何かを思い返したのか、再び身体はラルズの方へと向けられた。


「ミスウェルさん?」


「いや、渡しておいてくれって頼まれていたことを思い出してね」


「渡す?」


 ミスウェルは「ああ」と答えながら、自身の胸ポケットに手を入れる。ごそごそと何かを探す仕草を行うと、


「――はい、ラルズ君」


 ミスウェルは取り出された代物をラルズの方へと差し出す。恐る恐る、ラルズが反応して両手を差し出すと、掌の上に乗せられたのは……


「・・これ、リングですか?」


 差し出された小さくて丸い輪物。指でつまみ、こねるようにを確認するが、何て変哲もない普通の指輪だ。


「アーカードからラルズ君に渡しておいてくれってことでね」


「・・あの、これは一体……?」


 ラルズの反応は、未知の代物に遭遇した、というのが妥当だろう。だが、それは決して、差し出されたリングそのものに疑問を抱いているわけではない。重要なのはその意味。


 手渡されたリングを前にして、ラルズに渡して欲しいという意図がさっぱりであり、説明を求めるようにしてミスウェルへと視線を向ける。


 ただ、そんな初々しい反応をするラルズを見てからミスウェルは――、


「――もしかして、【魔道具】を見るのは初めて?」


「魔道具?」


 反芻される単語。言葉の響き具合から疑問の意味合いが強く含まれていると感じたのか、ミスウェルは少し頷くと、


「魔道具ってのは、魔力を通わせて扱う道具の名称を指すんだけれど、その様子だともしかして、【魔力】や【魔法】とかも聞き覚えがないかい?」


「――えっと、魔道具……っていう言葉は初めて聞きましたし、現物を目にするのもこれが初めてです。けど、魔力や魔法に関しては少しだけ知ってます」


 魔道具――それは、ラルズにとって未知の響きだ。


 今の説明を受けてどういった代物なのか、大よその理解が及んだが、形として目にするのも、実際に手にするのは初めてのことであり、初見の戸惑いと困惑が著しく仕草と態度に表れてしまった。


「少しだけって言うと?」


「魔法という事象に関しては、両親が使っていたのを見たこともあるので、その際に少しだけ。魔力……っていうのはほとんど単語だけで、あまり深くは知り得なてないです」


「知識が全くのゼロではなくて、部分的には周知している――といった具合か」


 ラルズの説明に、ミスウェルが補填を効かせて状態を把握する。


「魔力の認識は曖昧って感じか……。だとしたら手渡したこれも不要に――いや、試してもらうのが一番手っ取り早いかもしれないな」


「あの、今の説明からして、この渡された物体が魔道具……というのはわかるんですけど、これを渡した理由がピンとこなくて」


「それも含めて、少しラルズ君に頼みたいことができた」


 ミスウェルは再び自身の胸ポケットに手を入れると、先に手渡された代物と類似した、同一のリングが掴まれていた。


「ラルズ君。そのリングを握ってもらってもいいかい?」


「――? はい、わかりました」


 意味もわからないまま、指示された通りにラルズはリングを握りしめる。


「これで、いいんですか?」


「大丈夫だよ。よし、じゃあ俺も」


 ラルズが握ったのを確認してから、ミスウェルもラルズと同じようにリングを握り始める。同じ行動を互いに行う必要性。それに対してラルズが疑問を抱いていると、数秒後――、


「・・あ、れ?」


「気付いたかい?」


「なんか、手の中が熱く……?」


 手の中――と口にしたが、先の行動の賜物か、変化の詳細について、敏感且つ俊敏に納得がラルズの内を包み込んだ。


 握り絞めていたリング。そのリングが、無機質で冷たい感触とは変わり、確かな熱を帯びていることが一瞬でラルズに伝わる。


「え、え? 何で急にリングが……」


 自身の掌の中にあるリングと、同じ行動をしただけのミスウェルを交互に見やる。熱源の震源地でもあるリングはラルズの掌の中に位置しており、触れられるどころか、何かをされた感触すらも、ましてや違和感すらも覚えていない。


 手の中に生じた熱という違和感が初めて事象として発生し、ラルズの肌を明確に訴えて知覚させる。


「て、手品ですか?」


「手品……か。面白い表現をするね、ラルズ君は」


 卓越された手技による妙象。考えられた一つの案としてラルズの中に浮かんだのは、手品の様な類。が、ミスウェルの反応を見るに、その解答が間違いであることは確実であり、唯一浮かんだ答えが不正解であることは言うに及ぼない。


「不思議だろう? 初めて体験した人なら、誰だってそういう反応をするだろうし、訳が分からないっていう感想も当然だよ」


「さっきの説明と今のリングの熱現象。関係があるんですよね?」


「正解。ラルズ君は鋭いね」


 今度は的を得ているとして、正解の二文字をラルズに送るミスウェル。先の話の内容的に、ラルズの手の中に握られたリングに、魔力と呼ばれる力が何かしらの作用を受けて事象が引き起こされた、という見解は正しいのだろう。


「今渡した魔道具は【共熱輪】って一般的に呼ばれているもので、魔力を流すことで、対の関係に該当する代物が反応し、熱を生むリングなんだ」


「共熱輪、ですか。それがこのリングの名称で、魔道具と呼ばれる代物……」


 一般的にというニュアンスを受け、ラルズは魔道具と呼ばれている種類の数々が、人々に広く普及している且つ、認知されているのだろうという事実を飲み込む。


「対の関係ってことはつまり、俺が今持っているこのリングと、ミスウェルさんが取り出したリングがその関係に位置しているって認識で?」


「それも正解。ラルズ君は頭の回転が速いんだね」


「直前の説明があっただけで、平時で同じ経験をしたら、驚きで完結してますよ」


 実際、何も知らない状況で同じ体験をしたならば、驚愕と疑問が発生し、納得が生まれる以前に脳内を支配して埋め尽くしていただろう。お膳立てとは違うが、それまでの会話が納得の材料に一役買ってくれているのは間違いない。


「簡単に纏めると、魔力を流すことで効果を発揮するのが魔道具だ。用途も様々だし、種類も豊富。魔力を込めるだけで使用できるという手軽さも相まってか、随分と人々はお世話になっているよ」


 便利な代物が出回っているんだなと、ラルズは再びリングに目を落とす。森の中で生活をしている頃では、こんな道具があることなど知らなかったからこそ、驚きの深さもかなりなものだ。


 ただ――、


「・・あの、これを渡した理由がイマイチ……」


 魔道具の存在に注力していたが、肝心な代物をラルズに手渡したミスウェルの――いや、正確には頼まれたという文言から、アーカードの真意が未だに掴み切れていない。


「話題が逸れたし、少し回りくどかったけど、ここからが本題。・・ラルズ君、そのリングを握ってもらっていいかな?」


「握る……。さっきのミスウェルさんのようにで?」


 ミスウェルは頷きをもって返答とする。先程の動作と同じように、とは言われたが、それはつまりこの魔道具――共熱輪と呼ばれるリングに魔力を流して働きを促してもらう、という考えで合っているだろう。


「それはいいんですけど……」


 ラルズが不安視しているのは、先の話にもあった魔力についてだ。


 ラルズは魔法こそ両親のを見たことがあるので、完全な無知とは違う。が、それはあくまで実例を前にして周知しているだけであって、己で魔法を発現させたことも無い。


 且つ、魔力と呼ばれる神秘的な力に対しての認識はふわふわとしており、それを肌で感じたり、あるいは自分の意識で正確に捉えたりといったことは一度としてない。


 ラルズは魔法関連の知識に関して浅すぎるというのが何よりの事実であり、端的に纏めてしまうと、「魔力を魔道具に込める」といった動作を、どのように行えばいいのかわからない状態である。


「・・深く考える必要は無いさ。握って、力を込める。それだけでね」


「や、やってみますっ」


 無言でリングを見つめ続けるラルズに対し、柔らかな意見を投げるミスウェル。彼の言う通り、あれこれ考え続けても致し方ない。


 気負う必要はないという助言をもらい、そのアドバイスに従いラルズはぎゅっとリングを握る。


「・・・・・・」


 正常に起動するならば、これで反対のリング――ミスウェルが所持しているリングに熱が発せられるはず。それを確認して何を狙っているのかは不明だが、後ほど説明はされるだろう。


 強く、固われた握り拳の中で、リングに変化を灯そうと握力を加え続ける。先の実例ぶりを前に、そろそろ――……


「――ラルズ君」


 握り拳の内側――リングに意識を注いでラルズに声をかけ、視線を上に持ち上げれば、視界に飛び込んできたのは、ふわりと緩い軌道で放じられたリング。


「――わ、わっ!?」


 突如として視界に舞い込んだリングを前に、ラルズは慌てて自身の握りを解いて、もう片方のリングを出迎える。


「び、びっくりしまし――って……」


 驚きつつも反応できた点から、投じられたリングはキャッチすることに成功。いきなり投げないで欲しいと口にするよりも先。ラルズは手にしたリングの変化に意識が奪われていた。


「あ、熱が……!」


「うん。無事に起動している証拠だよ」


 リングの変化。それが示すのは、魔道具が無事に効力を発揮している何よりの証明であり、無意識的にとはいえ、成功という結果に。


「ふ、不思議です。魔力なんて感覚、手応えも微塵も感じなかったのに」


「魔力と一口に呼んでも、目には見えないからね。混乱したり、納得したりするのは、各々個人差があるから仕方がない話だよ。加えて、ラルズ君は聞くところによると、あまり魔法と密接に関わってこなかったみたいだしね」


 目には見えない。非可視化できない存在というのは、見えないだけでそこには存在している。見える、見えないの観点というのは大きく、実態を掴み切れないのは致し方ないのかもしれない。


 発現こそしたが、魔力の核心も依然として迷子状態。明瞭を帯びず、始点と終点の間をそのまま線で繋げたような、過程の概念を飛び越えてしまっている。


 ――とはいえ、結果的に成功したことは疑いようもない。残すところは……


「・・それで、ずっと気になっている魔道具を渡した理由なんだけど」


「はい」


 ラルズが口に出すよりも先に、先回りしてミスウェルが言葉を紡ぐ。


「今のラルズ君の状態だと、誰かを呼んだりするために部屋を出るのは難しいだろうって。そのために、アーカードがそれを寄こしてくれたんだ」


「――成程、つまり連絡用ってことですね」


「そういうこと」


 いざ理由を聞けば、単純なことだ。


 ラルズの身体は、傷こそ綺麗に修復されているが、痛みは未だに肉体に蔓延り、定着している。全く肉体を動かせないわけではないにしても、移動の面に関しては難儀な状況であり、人の手を借りなければ室内を出るのも一苦労だ。


 なので、万が一が起こった際の保険としての役割として、採用されたのが魔道具ということ。確かにこの道具があれば、異変が生じたときに他者へと知らせる手段として、手軽さの域はかなりなもの。怪我人のラルズからしたら、これ以上ないくらいに。


「この共熱輪は一つ、ラルズ君に授けておくよ。もう片方はこの後アーカードに渡しておくから、何か異変以外にも、用件があったりしたときは使って欲しい」


 ラルズからもう片方のリングを渡し、残った一つは寝台の傍に備えてある小さな丸机の上に。手を伸ばせる距離に準備しておけば、仮に最悪の事態に見舞われてもどうとでもなる。


「これで用件は完了だ。じゃあ今度こそ、俺は失礼するよ」


「わかりました」


 頼まれていた文言を伝え終え、代物も確かに渡し終えたとして、ミスウェルは室内を後にしようと足を扉へ向ける。


 その足の動きは先と違い中断されず、扉に到達するとそのままドアノブを捻り廊下の姿が映り込む。


「じゃあラルズ君。また後でね」


「はい」


 扉を静かに閉め、ミスウェルは廊下へと消えていく。こうして、室内にはラルズ一人だけが取り残される形となり、途端に静かな空気が室内を覆い尽くす。


 ラルズは視線を扉から脇へと移らせ、再び手を伸ばす。


「・・魔道具、か……。外にはやっぱり、知らないことが沢山だ」


 閉鎖的な環境下に身を置いていたからこその、未知の発見。魔道具なんかは、未知の遭遇に対しての象徴として、これ以上ないくらい大きい。そのためか、ラルズは関心が残りリングを指でこまねいていた。


 この共熱輪以外にも、魔道具の種類は豊富とのことだし、恩恵にあやかっている人々は沢山いるとのこと。ラルズも今し方その一人に数えられる。需要度はかなりなものであることは確かだ。


「――って、これでも魔力が通ってるのかな。迂闊に触りすぎるのも、誤作動を起こしそうで迷惑をかけそうだし、今はやめとこう」


 興味が指へと伝播し、あれこれ触れていたラルズであったが、誤作動の可能性を考慮してリングを机の上に置く。


 用件も無いのに呼び出してしまえば、無駄足を運ばせてしまう。心配をかけている相手に対し、それだけで失礼だ。あくまでも、緊急時の保険としての産物。


 気になりはするが、関心の種を広げるのは今でなくていい。


 身体を治すこと。それが、今のラルズに課せられた至上命題だ。しかし――、


「魔道具が機能したってことは、俺にも魔力があるってことだよね」


 自分の掌を見つめ、そんな言葉をこぼす。


 魔力があって初めてその特恵に感謝できるとの説明。


 ミスウェル曰く、魔力に関しては生命全てに等しく流れているとも言われた。逆に、流れていない方が異質に繋がるのだが、魔法とは接点が少ない暮らしをしていたからか、実感は他者よりも著しく薄い。


「魔法……。魔法、か」


 口の中で同じ単語を復唱するラルズ。魔法という単語は、その現象ぶりも総じてか、魅惑の意を孕んでいるように感じてしまう。


――ラルズが魔法と初めて邂逅したのは、物心がつき始めたころ。瀕死に近い重傷を負った今とは違い、シェーレとレルと遊んでいて転び、軽い怪我をしたのが始まりの糸だ。


 怪我を負い、治療として父さんに治してもらったのが、ラルズが魔法という事象を初めて目にした機会。


 掌の先から淡い光が生じて傷面を包み、気付けば痛みは完全に引いており、傷も塞がり元通りの状態に。


 当然、子供の好奇心ということもあり、ラルズは目の前の奇跡のような出来事に目を輝かせていた。それは、一緒に眺めていたシェーレとレルも同義だ。


 無論、その力の正体に迫ろうと、両親に質問攻めをした。次いで、どうやったら自分たちも魔法を使えるのかと。しかし、


「結局、教えてもらえることはなかったな……」


 在りし日の記憶。魔法についての説明はされたが、両親が目の前で実演したように、ラルズたちに魔法の使い方を教えてくれることはなかった。・・正確には、教えてもらう機会と時期を失った、というのが正しいだろう。


 それに対して、不満があるんじゃない。まったく抱いていないと言えば嘘になるかもだが、不幸続きでそれどころではなかったし、その頃には魔法に対しての意識も薄れつつあり、記憶の端っこへ追いやられていた。


 錆びれていく知意識の狭間の奥底。今日、ミスウェルとの対話で魔法という単語を受けて、響きが起因となって扉が開かれた感覚。


「・・今度、教えてもらおうかな」


 忘れかけていた求心。魔法という名の知恵の果実を、再び知りたいと思うぐらい、心を刺激されている自分がいる。


 今ではない先の時間。過去では、機会を奪われて聞けずじまいとなり、更には永遠という前語が付随する。


「俺にも、使えるのかな」


 使えるならば、使いたい。自分のためではなく、最愛の二人の妹のために。


 ・・シェーレとレルを、護るために……。


「――って、また色々考えこんでる……。療養なのに、これじゃあ身体が休まらない」


 首をぶんぶんと左右に振り、自制を効かせる。


 昔から、あれこれ考え込んでしまうのはラルズの悪い癖だ。一度思考を費やしてしまうと、長い間没頭してしまう。


 これでは、療養として貰っている時間が意味を成さない。魔法への熱が肥大化していく過程の中、これ以上は一度お開きとし、魔法への思考を一度区切り、熱を霧散させる。


 代わりに、


「よしっ」


 趣味という名の、娯楽の時間に興じよう。身動きが取れず、時間を潰す手段として、ラルズにこれ以上最適な活用法はない。


 リングの置かれている丸机。そこへ一緒に乗せられているのは、書庫から借りてきた数冊の本たち。


 一度思考をクリアにし、趣味の時間に心を弾ませる。


 身体の休養。そして、心の休養。ラルズは手を伸ばし、最初の一冊を手に取ってから、一ページ目を捲るのであった。


 




 










 

 


 




 

 




 


 




 

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