第二章6 悪戯好きの少女

 寝台に身を預け、ゆったりとした姿勢を保ちながら、ラルズは夢中になって読書を続けていた。


 右端から左端まで、なぞられ続けている文字の羅列。見る人が目にすれば、文字ばかりで埋め尽くされて完成された本を、「つまらない」「退屈」「何が面白いの」などといった、否定的な意見も一定数現れるだろう。


 ラルズは読書が好きな人種であるために、仮に読書の魅力を伝えようとするならば、本には本の中にしかない世界観がある、と答えるだろう。


 一口に本といっても様々ある。実話や歴史を基にした、後世に伝える名目にも当てはまる伝承本。何かをテーマ、題材とした、子供らに読み聞かせる為に作成された童話集。ゼロから生み出して、それが一つの物語として読者の熱狂を誘う架空の物語。


 本の数だけ、無数の世界が存在している。本とは正に、その世界に旅立つ許可を与えられた認可証。


 表現は大袈裟かもだが、ラルズからしたら読書は、その人物が記した世界を味わうことができる、「独創世界への入門書」だと考えている。


 一つ一つの文字の羅列に込められているのは、ただの文字ではない。文字に万力が備わっていたり、人の意識を惹き付ける特殊なパワーを感じる――などとは言わないが、一度本を開いてしまえば、ラルズは本へと意識が釘付けにされてしまっている。


 没入感が人より強いのか、はたまた最初の本との出会いが琴線に触れたのか。理由など、好きになったラルズ自身ですら、好きの理由を聞かれても、上手く答えられない。


「・・・・・・」


 静かな空気が取り巻く室内。無言で、ただただラルズは本へと目を通す。


 右から左。捲って、右から左。また捲って、最初の位置に目線を移動――これの、繰り返し。何度も何度も、ページの数だけ同じ行為を反復していく。


「・・ふぅ……」


 無限に続くように思えた単純動作。それも、ページ数という限界が存在する。終わりのページに差しかかってしまえば、読書は物理的に終焉を迎える。


 本を閉じ、ラルズは息をこぼしながら、ぐいっと身体を伸ばす。長い間、同じ姿勢で閲覧をしていた弊害か、身体の中に鈍重なコリが溜まっている感覚を自覚する。


「久しぶりに読んだからか、つい夢中になっちゃった……」


 半年間――いや、正確には一年近くに差し当たるだろう。


 最初に手をつけたこの本は、子供が読むには中々重く、ぶ厚さが目立つ。そのため、読み終わるのに休憩を入れたり、間を空けるざるを得ないかと思ったのだが、どうやらそれは杞憂に終わった。


 久方ぶりに、純粋に趣味に時間を注げた愉悦ゆえか、目の疲れも神経の渇きも無視し、丸々一冊を読破し終わった。


 ――嘘みたいな実話だけど、いざ読み始めると壮大さに心を奪われてたな……。


 ラルズがたった今読み終えた本。それは、遠い昔に世界を滅ぼしかけた最悪から世界を救ったとされる、お伽話のような類に位置する英雄録。


 実話をもとに記された内容とのことだが、内容が内容なだけに、スケールが違いすぎてどこか現実感を感じられない。が、いざ読んでみると、本物か偽物なのかといった違いなど気にも留めず、あっという間に完読だ。


「冒険録もそうだけど、こういった英雄録も吸い込まれちゃうな」


 好きのきっかけを生んだ誰かの手記――冒険録も勿論記憶に強く刻まれているが、こういった子供の童心をくすぐるような、英雄譚の類も好きな部類に。初見で拝読した結果として、現にラルズの心を鷲掴みにしてしまっていた。


 王道という素直な面白さ。ありきたり……と言われればそうだが、それが逆にロマンに溢れており、英雄録に敷き詰められている魅力の一つだと、個人的には思う。


「よし。まだ夕刻まで時間も残ってるし、次の本を――」


 読了時間もさることながら、ミスウェルが様子を見に来る夕刻まで、時間は随分と残されている。多少の疲れはあるものの、楽しみが疲れを凌駕しており、別の本の世界を体験しようと、ラルズは傍にある丸机へと本を交換しようとしたのだが……、


「――あれ? リングが……」


 共熱輪と呼ばれる魔道具。魔力を流すことで起動し、対の関係に相当するもう片方のリングに熱が発生する代物。万が一の連絡用にと、いつでも発動できるように寝台近くに置いていたと記憶していたのだが、肝心なリングが見当たらない。


「変だな。読む前、確かにここに置いてたはずなんだけど……」


 リングが勝手に一人で動いた――などということもないだろう。部屋の扉も、ましてや窓すらも開いてないのだから、風の類で転がったという線は有り得ない。触った感じ、内蔵されている素材には鉄系統に数えられる、重く分類される材質も含まれているだろうに、余分にその線は否定を生む。


「置き所が悪かったかな。とにかく、探さないと……」


 支えが甘くて、時間経過と共に一人でに転がってった……ぐらいしか浮かばないが、理由はともかくとして、早急に見つけなければ。


 幸い、転がっていったとして、この室内から出ていった――なんてことはまず有り得ないだろうし、大方寝台近くに落ちているのだろう。


「よい、しょっと」


 痛覚を刺激しないよう、配慮しながら慎重にラルズは身体を動かす。行方不明となった魔道具を捜索しようと、一番落ちてる可能性があるとして、本が積まれてる机付近を確認する。


「・・机の傍に落ちてると思ったけど、想った以上に転がっていったのかな」


 丸机の傍には見当たらず、当てが外れたとして捜索活動は継続。身体を普通に動かせれば苦労はしないのだが、なにぶん、負傷を抱えているこの身ではそれすらも厳しいと言わざるを得ない。


 サイズは小さく、小物に近い。落ちた衝撃が思いのほか強く、あられもしない方向へと移動している線も考慮して、遠くの床へと視線を飛ばす。が、見当たらないことから、その線も不正解のようだ。


「まさか、反対側かな?」


 あと、見ていない地点としては反対の場所。丸机と丁度反対の床だ。可能性としては限りなく低いが、寝台の底は隙間が設けられており、その隙間を綺麗に縫うように転がっていった――というのも完全に否定はできない。


 反対側を覗こうとし、身体を反転。視線を変え、這うようにラルズは反対箇所へ。


 すると――、


「あった!」


 内心、あるわけないだろうと己の考えに諦観を抱いていたが、予想とは異なり現物がラルズの視界に収まる。


 落ちた衝撃が思いのほか強くて、あんなところまで転がっていったのだろう。憶測だけであれこれ判断するのもよくないなと、ラルズは己を反省する。


 とにかく、無くし物を見つけられたので一安心だ。


「よ、っと」


 左手の肘をベッドに預け、半四つん這いに近い状態。獲物という名のリングを目指して、右手を伸ばして回収しようと試みる。


 そのまま掴むことに成功し、冷たい感触が指先を伝って――


「わあぁぁぁぁぁ!!」


「うわぁぁぁぁぁ!?」


 突然の大声。意識外から浴びせられた不意の爆音。


 突如として室内に轟いた声に身体が大きく反応し、次いでその反応は四肢に影響を与えた。


「ちょっ、落ちっ――!」


 身体を固定していた肘が前へとずれ、ラルズはバランスを失う。身体の前半分がベッドから支えのない空中に剥き出しとなり、


「――いったぁぁ……っ!」


 ラルズは無謀な姿で顔面から床へと落下。突然のことで受け身も取れず、鼻先が鈍い痛みを味わい、若干の熱を帯びる。更に付け加えると、落ちた衝撃で全身に抱えていた傷が、痛覚を通して存在を主張してきた。


 二重の痛みに顔を歪ませるラルズ。だが、それ以上に――、


「あっはっはっは! 今の反応、百点満点! ノエルが期待した以上の反応っ!」


 身体を起こし、ラルズは視線を上げる。見上げた先、先程まで横になっていたベッドには、見知らぬ少女が立っており、盛大に笑っていた。


「だ、誰っ!? っていうか、いつから室内に!?」


「その反応も最高っ。貴方、思った以上の反応をしてくれて嬉しいわ!」


 疑問、困惑、混迷、狼狽。近寄った感情らが揃って態度に現れ、ラルズは決まり文句のような台詞を口にするので精一杯だった。


 そんな絵に描いたようなラルズの反応を前にして、少女は更にご機嫌度を増していく。


 目を瞬かせ続けるラルズ。そんなラルズに対し、彼女は笑いの余韻が残りつつある目元の涙を指で払いながら、一度大きく息を吸ってから、


「ミスウェルから聞いてるだろうけど、自己紹介してあげるっ」


 ――言葉を再開し、ラルズの質問に答える少女。


「世界が産み落とした可愛いの権化であり、万人から否応でも寵愛を与えられてしまう罪深き乙女――」


 少女は名乗り前の口上のような台詞を並べた後、両手を腰に添え、


「世界一の美少女、ノエルよ!」


 名前だけ聞いていた、シェーレとレルと同い年の少女。


 初めての邂逅は衝撃度最大であり、ラルズは暫く唖然と彼女――ノエルを見上げて固まってしまっていた。


 






 

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