第二章1 見知らぬ場所と絶叫


 目覚めの兆候。覚醒を促すのに必要な要素は多種多様であり、人によって目覚めの規則が備わっているとラルズは思っている。


 外気の気温が低下し、肉体が気温低下を囁いて目を覚ます人。鳥の鳴き声や外部の音が起因となり目を覚ます人。眠気が肉体から完全に霧散してパッと目を覚ます人などなど、覚醒の条件は人それぞれ。


 ラルズの寝起きの良さは普通な部類。目を覚まし、眠気がまだ身体中を包んでいることを自覚、把握しても、布団を再び大きく被って再び夢の中、もとい二度寝としゃれこむことは基本的には無い。


 真夜中に何かの拍子に目覚める、強い衝撃で呼び起こされるなどの事例を除けば、そのまま世界に挨拶をして一日を始める。


 規則正しい生活を心がけるように両親から――主に母親から叩きこまれていたラルズは、その教え通りに順応。身に染みた習慣がそのまま連動され、起床という事象が完了したわけであるが、


「・・・・え?」


 目覚めて困惑したことなど、これまでの人生の中で初めての体験だろう……。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

「・・知らない、天井……」


 何かのお約束のような一言。が、それをまさか自分が口にする日が来るとは思わなんだ。


 瞬きを何度か繰り返すラルズ。が、しかし、どれだけその回数を増やしても、視界に映る景色は変わらず、ラルズに「知らない」という情報を与えてくる。


「・・えっと……」


 視界から有せる情報量には限りがあるために、収集できるものにも限りがある。気になることは多々あるのは勿論だが、まずラルズは自身の置かれた状況を確認してみることに。


 まずは身体の状態。ラルズはどうやら横になっており、先までの通り眠っていたという形に間違いは無いだろう。


「枕に、ベッド……?」


 横になっている事実。加えて、頭を支える柔らかな枕の感触と、身体全体を柔らかく受け止めてくれるベッド。ふかふかで、思わずずっと横になっていたいと思うほど、上質な品質を保った代物。普段、ラルズが眠っているベッドの質よりも数段上の代物であると直感する。


 極上の温もりと包み加減。それらに気を取られて本質を見誤るよりも前。状況確認が最優先事項として、次にラルズは肉体の状況を把握しにかかる。


 横になっている分には始まらないとして、身体を起こして細かく調べようとしたが、


「――っ!?」


 途端の激痛。身体を持ち上げて起き上がろうとする行為を、痛覚が静止を促す。


「く、ぅぅ……!」


 どこか懐かしい痛覚の主張を受けながら、ラルズは奥歯を噛み締めて上体を引き上げる。宿主の気合いを汲み取ってくれたおかげか、肉体はベッドの力を借りて叩き起こすことに成功。


「はぁ、はぁ……っ」


 起きるだけでも一苦労。僅かに視界の位置が高くなり、ラルズは荒い呼吸を吐きながら激痛に身体を慣らしつつ、視線を肉体へ飛ばす。・・と、肉体に視線を飛ばした瞬間、ラルズは――、


「あれっ!?」


 動揺。次に驚愕。それもそのはずだ。


 ラルズの肉体に、あるべきはずの代物が見当たらないのだ。いや、正確には見当たらないというよりは、数が減っていると答えた方が正しいだろう。


「傷が少ない。・・あんなにあったのに……」


 ラルズ本人が名乗って志願した、三人分の肩代わりとして刻み付けられた傷の数々。既にこの世を立ち去ったであろう悪辣な男――ラッセルから受け続けた、玩具遊びという名の趣味快楽が織り成す暴力の痕。


 その痕が、全てとは言わないにしても、明らかに数が減少している。傷跡のない部分を探す方が手間がかかってしまうラルズの全身は、嬉しいことにその比率もひっくり返っている。


「治療……されてる」


 回復、治療、療養。当てはまる単語は様々だが、今わかっている確かな事実。それは、ラルズの身体は意識を失う前と比べ、遥かに容体が快癒傾向にあるということ。


 現実味のない――というよりも、現実とは思えない現実。いっそ、まだ夢の中で眠っていると言われた方が、遥かに現実的と思える。


 だが、今ラルズが意識している世界が夢ではなく現実であるということは、先程の激痛が証明してくれている。傷は綺麗に拭われても、痛覚の具合は著しく好調。宿主に知らしめ、まだ貴方の元を離れていないと、望まない痛みが傍を離れずに存在――警告を続けている。


「傷の治療と寝台。客観的に見れば、俺は――」


 誰かに助けられた。そう考えるのが妥当と言える、だろうか……。説得力は他でもない、自分の身が材料としては十分。これ以上の新規の材料、もしくは根拠など求めても仕方が無いだろう。だが、それ以上に、


「一体誰が……? それに、シェーレとレルも……っ」


 疑問が膨れ上がる。目覚めたばかりの反動もあるが、ラルズを包む大きな疑問の種は大きく分けて二つ。


 まず、最愛の妹でもあるシェーレとレルの存在。二人が無事に生きてくれているのか、それがラルズにとって最も重要。だがこの一点に関しては、


「シェーレとレルは……多分生きてるはず」


 そう判断するのは、憶測の域こそ飛び出ないが、己の肉体がその説を強めていると言っても過言ではない。


 三人とも、魔獣たちに追い詰められて死を覚悟した。そこまではラルズたちに共通していた絶望の顛末。普通に考えれば、あの時点で命の拾える可能性など万に一つも無く、そのまま殺されるのが容易に想像がつく。


 そんな命の行く末が分かり切っている中に加えて、ラルズの肉体は壊死も同然。生きていたこと自体が軌跡と言える、腐敗して崩壊真っただ中の肉体だ。


「俺が生きてるってことは、二人も当然……」


 そんな死地の沼に漬かり切っていたラルズが、こうして命を拾い切れているのだ。一番生存確率が低いラルズが生きていて、シェーレとレルが逆に死んでいるとは思えなかった。


 一種の願望にも近いのは認める。しかし、それでもラルズが縋る代物に関して言えば、望みの薄さはあれども期待の強さは負けていない。導き出した推論に変わりはないが、真実味の強い仮定と言っても過言ではない、はずだ。


「シェーレとレルも、きっと無事だ。無事に、決まってる……」


 あくまで推論。不安に駆られるが、事現在に至って、ラルズは身動きを取ること自体が難しい状況。この部屋から出て二人の安否を調べることもできない重症者であるために、今はただ自身の提説を信じるしかない。


 一度シェーレとレルの無事に関しては保留として、残っている一番の謎。


「・・誰が、俺たちを助けてくれたん……だろう?」


 正体不明の命の恩人。目覚めてこの方、ラルズはただ自己分析をするだけで、誰が助けてくれたりだとか、救ってくれた人がどんな人物なのかは毛ほども知り得ていない。


「・・今気づいたけど、豪華そうな部屋。もしかして、お偉いさん……だったりするのかな」


 視界だけは痛覚に苛まれることなく動かせるので、ラルズは視線を肉体から周囲――部屋内へ向ける。


 改めて見渡せば、随分と広い部屋。何不自由することないどころか、かえって気苦労が生まれて落ち着かないぐらいに広い室内。


 天井に備えられた、見知らぬ結晶の集合体。見た目と雰囲気からして光源体なのだろうと勝手に想像は付くが、太陽の昇っている時刻のためか、稼働はしておらず天井で存在感を放つに終わる。


 高価そうな印象を抱く調度品や、壁に取り付けられた絵画が数点。窓際に設置された四角調の大きめの机と、座り心地が良さそうな椅子。空の棚にクローゼット、観葉植物なんかも添えられている。


「スケールが違いすぎる。貴族が一番しっくりくる……かな」


 最初にお偉いさんと口にしたが、存外その線は間違いっていない気がしてきた。


 貴族や上流階級などの高い位に位置する人が住むような、衝撃度合いが激しい一室。社会に貢献し、恵まれた者のみが使用できるような、滞在しているラルズの場違い感が凄い部屋模様。


「・・ますます、頭がこんがらがってきた……っ」


 経緯がさっぱりだ。何故、こんなことになっているのか、具体的な説明を今直ぐ求めたい所存だ。


 最悪、今はシェーレとレルが無事であるのかどうかという一点だけでも構わない。とにかく、今は新しい情報が――状況を説明できるような事態に進んでくれないかと、ラルズは切に思う。


 そんなときだった――。


 ――ガチャっ。


 扉が開かれる音が、室内に薄く響く。


「――! 良かった、目が覚めたんだねっ!」


 扉が開かれ、ラルズはそちらへ視線を送る。送った先、扉を開いた主が、ラルズの姿を前にして笑顔で駆け寄る。


「あ、あの――……」


「身体は平気かい? 傷は、まだ痛むかい? どこか、気持ち悪かったりする?」


「え、ええと……」


 傍へと早足で近寄り、ラルズに心配の眼差しを向ける男の姿。連続の質問攻めと、突然の状況の変化に上手く対応できず、しどろもどろな状態に。


 ラルズの身を案じる男性。身長はかなりな高身長で、百八十……いや、百九十近くあるのではないだろうか。


 綺麗に整えて揃えられた長めの黒髪に、自身の髪色と同じ黒の双眸。肉体を包み込む、白を基調とした仕立ての良さそうな服装。煌びやかな装飾も無いにも関わらず、男の魅力を更に引き立てているようにさえ感じる。


 身を包むその肉体は細身であるものの、弱々しい印象は覚えず、しなやかと形容するのが相応しい立ち姿。


「――っと済まないね、急に。目覚めてくれたのが嬉しくて、つい詰め寄ってしまったよ。どうか、許してほしい」


 謝罪をし、男はラルズに微笑を差し向ける。顔立ちも整えられており、女性であればクラっとするのではないかと思うぐらいに爽やかな表情。物腰の丁寧さもあってか、雰囲気も柔らかくて強い空気感を感じない。


「こ、こちらこそすみません……。先程目覚めたばかりで、何が何だかわからなくて、戸惑ってしまっていて……っ」


「ラルズ君――が謝ることはないよ。眠っていたとはいえ、一室にノックも無しに入り込んだ俺に非がある。浅慮な身であったゆえ、申し訳ない」


 ラルズにも問題があるとして男に謝罪をするが、男は全く気にも留めていない。どころか、自身に非があるとして、頭を下げられた。


「あ、頭上げて下さ――、あれ? ・・今、俺の名前……」


 頭を上げて欲しいと言おうとした瞬間、ラルズは名前を呼ばれた点に先行して気を取られ、そちらへ反射的に話題が進んでしまった。


 男は「知っているよ」と前置きし、


「ラルズ君。それが、君の名前で合っているよね。シェーレ君とレル君から聞いていたはずなんだが、間違っていないよね?」


「――! シェーレとレルを、知ってるんですか!?」


 名前を耳にし、瞬間的に反応する。血相を変え、ラルズは男にシェーレとレルについて尋ねる。


「勿論、その証拠に――」


 男が扉の向こうに指を向ける。開かれた扉の先の廊下。赤い絨毯が見える廊下の先から、騒がしい足音が段々と大きくなり、


「――兄さんっ!!」「――兄貴っ!!」


「あっ――……っ」


 いの一番に知りたかった、愛する妹の安否。愛称を呼んで、そのまま無事と裏打ちされる姿を確認して、急速にラルズの瞳に涙が溜まる。


「シェーレ、レル……っ!」


「兄さ、ん……兄さんっ!」


「兄貴、兄貴ぃ……ぃ!」


 ラルズと同じように、目元に涙が生まれるシェーレとレル。互いの視線が絡まり、命が繋がれている事実を再確認することができ、三人とも喜びに溺れる。


「よ、かった……っ。ほん、とうに――!」


「よがっだぁぁぁっ!!」


 シェーレとレルが涙で顔をくしゃくしゃにしながら、兄であるラルズの方へと走り出す。


 ――そこで、ラルズは気付いた。


「あ、待って二人とも――」


 この後の予想図。そしてそれは恐らく予想を違えず、確実に起きるであろう秒読み確定の未来。途端、冷や汗が額に生まれ、顔が少し青ざめるが、時既に遅し。


「俺、身体がまだ――!」


「兄さん――!」「兄貴ぃ――!」


 喜びを体現する仕草――ハグ。両手を広げて、シェーレとレルもラルズの元へと一目散に走り向かう。


 静止の意思には気付かず、シェーレとレルはそのままラルズの身体へと飛び込んでくる。シェーレとレルの広げた腕の中にラルズが誘われ、そして――、


「――いったぁぁぁぁぁいいっ!!」


 抱き着かれた衝撃が容赦なく全身に伝わり、肉体が悲鳴を上げる。


 広すぎる室内に、ラルズの絶叫が響き散らかれた……。


 




 


 


 

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