第一章17 三人の少年少女
「一体何なんだ、この家は――?」
リビングに倒れている男の遺体。それを確認してから行動を再開。他に生存者、もしくは魔獣の被害に遭った人物らがいないかと、失礼を承知で家内を捜索したミスウェル。
男の死体があるリビングから始まり、他の室内をくまなく調べてみた。しかし、いざ調べてみると、この家からは不審な点が多々発見され、冒頭の言葉に疑問の全てが集約されている。
十数分程度の短い探索。収穫物など少ないだろうと考えていた脳みそは、その過程で情報量の過多に塗り替えられていた。考えを張り巡らせ、適切な説を提唱することが難しい、疑問の連鎖。
「この家で、一体何が……?」
そう疑問に縛られてしまうのも仕方がない話だ。頭の中を冷静にするために、ミスウェルは頭の中に蠢いている疑問の数々を紐解いていく。
廊下を進んだ先の一室。恐らくは倉庫部屋だ。拝見したところ、大半の代物は強い力によって粉々に砕かれており、中は随分と荒れていた模様。扉も玄関口と同様に破壊されてその形を失い、扉を遮っていたであろう木板も、前述通りで語る必要もない。
「単なる倉庫部屋――として片付けていいのかは、一考の余地があるか……」
簡易的な鍵の役割でもある木板。外側から内側を塞ぐ名目であり、鍵の役割を果たしていると考えるのが妥当。が、室内を軽く見て周ったが、乾いた血痕が壁沿いに幾つか見て取り、血の状態から考えても、長い間封鎖されていた場所にしては不自然として瞳に映った。
「・・さっきの部屋の件もあってか、嫌なものの考えをしてしまうな……」
倉庫部屋の血痕具合も無視できない問題であるが、後に覗いた室内に比べれば、まだ疑問の種としては小さい代物だ。ミスウェルが一番、この家に対して不信感を抱いていたのは、寝室と思われる部屋。そこに映っていたのは――、
「――あんな部屋、何かの拷問部屋として思えない……っ」
その室内を一言で表すならば、「惨状」以外には似つかないだろう。それほどまでに、扉を開けた瞬間、静かにミスウェルは両眼を見開き、愕然に震えた。思い出すだけでも息を呑んでしまう。
壁や床、果てに天井。ベッドに簡易的な机、他にも様々。血で赤く染まっていない面積箇所の方が少ないと思われ、大量の乾いた血痕を付着していた。
絶句。言葉を失うとは正にこのことだった。言っては何だが、リビングに転がっていた死体よりも、数倍衝撃が強い光景であり、情けない話だが、思わず室内から一歩足を引いてしまったぐらいだ。
「あんな部屋……普通では考えられない。本当に、まるで拷問でも行われていたのかと思うほどに、凄惨すぎる」
こと子供や大人関係なく、人が見るような世界ではない。まるで別次元の世界であると告げられたほうが、かえって現実味があると言える。
「この男も、ただ魔獣の被害に遭っただけの存在として片付けるには、疑問が優先されるな」
眼下に倒れている男の死体に再度目配せし、ミスウェルは自らの口元に指を当てる。部屋の実情ぶりを閲覧するまでは、ただの魔獣の被害者として男を断定していたが、それで片付けてしまうには少々抵抗が生まれてしまう。
「当事者がいれば、詳しい話も聞けるのだが……」
当事者――あるいは、関係者。それらの存在が周囲にいれば、詳しい話も聞くことができる。が、捜索した限り、男以外の生命はなし。生者もいなければ、既にこの世を去った連れ添いの死者も見当たらない。
壁に仕舞われている食器や道具類からして、一人で住んでいたとは思えない。室内に設けられているベッドの数を見ても、最低でも残り二人はいると思われる。
誰かこの男の他にも入居者――ざっくり言えば、家族のような人物がいるのではと思ったのだが、その予想は残念ながら間違いに終わった。
「もしくは――」
あるいは――この家から立ち去ったあと。
「・・これ以上は個人の憶測だな。物的代物は点在しているが、それを糸口へと繋げる根拠や理論は発見されていない」
残念ながら、疑問を解決してくれるであろう存在はここにはない。ミスウェルの中に疑問だけを残し、それ以上の進展は見込まれないといったのが、この場の調査の報告として完了を生む。
「一度、屋敷へ帰還してから、改めてお邪魔する形となるか……。竜車も用意しなければ、この男の遺体も供養してあげることができない」
手持ち無沙汰であり、一度準備をしなければいけない。
オルテア森林へは――屋敷からは徒歩で向かった次第、今の状態では男を屋敷まで連れ帰ることもできない。アーカードに伝えてこの森まで来てもらうことも視野に入れたが、謎を残す形にもなるからして、できれば同時進行で諸々を解消しておきたい所存だ。
「申し訳ありませんが、貴方のご遺体は暫くここに。必ずまた――」
戻ってきて、そのときは責任を持って供養すると、動かない死体に言伝を残すミスウェル。その言葉の途中で、
――ドサッ!!
「――っ!」
瞬間の反応。音を機敏に捉え、ミスウェルは瞬時に腰の剣へと手を伸ばし、そのまま姿勢を低くする。
確かな物音。幻聴とは程遠い、耳という機能が正確に捉えた、外部の大きな音。まるで、何かが倒れるような音を耳にし、警戒心はすぐさま頂点へと到達。
――魔獣、か……?
腰の剣に手を伸ばす力を強めながら、ミスウェルは戦闘態勢を整える。一挙手一投足、戦いの歴史で刻み込まれた肉体が呼応した、戦闘の空気感。体現し、切り替わったミスウェルは五感の全てを活用して音の正体を把握しようと努める。
「――さんっ……! ・・きてくだ、さ……っ!」
「起きて――、起きてよぉ――っ!」
耳を、疑った。
腰に握られていた力が、声音を捉えた矢先、指先からじんわりと力が消失していった。先までの磨かれた鋭い空気も霧散していき、気付けばミスウェルは鞘から手が離れていた。
・・子供の、声……?
間違いなく、子供の声だ。ただの声ではなく、その声には悲痛さが宿っており、喉の奥から振り絞って発している泣き声。悲しみに染まった、絶望に囚われているであろう情景が目に浮かぶ類の代物。
――瞬間、ミスウェルの記憶が襲われる。その襲われた記憶の影響か、低い姿勢を保っていたミスウェルは、気付けば上体を起こしていた。
そして、そのままミスウェルは無防備な状態を晒しながら、音の方向――玄関口へと足を向ける。注意力散漫であり、おもむろに自らの身体を晒し出そうとする浅い行動。過去の自分であれば信じられない行動。が、しかし――、
――この声を二度と聞きたくないと、俺はあの日に誓ったはずだ。
自らに課せた信条。それに従い、ミスウェルは廊下へと身体を曝け出す。軽はずみな行動に違いないが、それ以上に肉体は意思とは関係なしに、ひとりでに動いてしまっていた。
廊下へと躍り出たミスウェル。ミスウェルを待ち構えていたのは――
「起きて、起きてよぉ、兄さんっ――!」
「兄貴、兄貴ぃ……っ!!」
咽び泣く、二人の少女の姿。
そして、少女らが声を届ける、少年の姿。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この日だけで、どれだけ驚けば事足りるだろうか。
家の存在に驚き、リビングの死体に驚き、家内の惨状具合に驚き、数えてみても今日だけで四回近くは驚き続けている。
驚愕、愕然、連続で引き起こされる感情。振り幅は常に振り切られ、信じられないといった情緒が先行してミスウェルの脳内を駆け回る。
「兄さん、お願いだから――目を覚ましてっ……!」
「嫌だよ、兄貴ぃ……。兄貴まで、死なないでよぉ……っ!」
咽び泣き、瞳からは涙が止まらない二人の少女。心配を口に出し、目覚めて欲しいと何度も懇願する。が、少女二人の懇願を受け続けても、少年は目を開かない。
空色の髪の少女と、灰色の髪の少女。そして、涙を受け止める黒髪の少年。
年の頃は恐らくだが、六、七歳前後と見て間違いない。二人の少女の外見は、整えられた容姿とは正反対に汚れている。泥と水で顔も衣類も汚れていることに加え、強い風の名残か、木々から千切れた葉っぱも付着していた。
「いや、嫌ぁ……っ!」
「あたしたちを、置いていかないでよぉ……っ!」
必死な祈り。そのあまりの必死さは、背後にいるミスウェルにすら気を回せないほどであり、ミスウェルの存在に欠片も気付いていない。それほどまでに、今の彼女らには少年に全意識が集中している。
「――はっ」
そこまでつぶさに観察して、ようやくミスウェルの止まっていた時間が再生される。泣き崩れる少女らの姿に思考が停滞を生み、固まった思考が再燃して肉体を再起動。目覚めた暁として、口からは意味のない吐息がこぼれた。そして、
「「――ぇ?」」
ミスウェルの小さな吐息が起因し、少女らが初めて視界を下から別の場所へ。同時に振り返り、そこで初めて少女らとミスウェルは邂逅する。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
言葉に詰まる。涙で水分が抜けきった乾いた瞳と、衝撃で生命具合に満ちられ見開かれた瞳。互いの視線が交錯し、短いようで長いような沈黙が空気を支配する。
いたたまれない空気が両者の間に流れ、ミスウェルは一言目を慎重に選ばなければいけないと模索した。適切な言葉を選び、正解と思われる言葉を、泣き崩れている少女二人に優しく届けてあげなければと。
が、言葉を頭の中で組み合わせている途中で――、
「――た、すけ……てっ」
「兄貴を、助けてっ……っ」
組み上がったあらゆる言葉が、一瞬にして瓦解した。
声をかけるべき言葉の端端が、頭から足まで崩壊し、気付けばミスウェルは少女らの傍へと向かっていた。
「ごめんね、失礼するよっ」
急ぎ早足で向かい、ミスウェルは少女らの腕に抱かれた少年の様子を確認する。
「――なっ!?」
本日五度目の衝撃。そしてその衝撃具合は、これまでで最高潮に位置する代物であり、ミスウェルの瞳はわなわなと震えていた。
――こんな傷、有り得ない……っ!
少年の容体は、もはや生きているとは思えなかった。
全身に植え付けられた裂傷の数々。服の隙間からでも容易に度合いを把握でき、全身余すことなく痛め付けられ、思わず瞳を細めてしまうほど。切り傷に終わらず、火傷跡に打撲箇所に加え、体内で血が固まって変色している肌色。四肢のいずれにも損傷が目立ち、その傷の平等具合が、より一層少年の悲惨さを可笑しく映し出す。
顔面には魔獣のものと思われる、鋭い爪の一撃。斜めに振り下ろされたのだろう。綺麗な軌跡が傷跡として少年の顏に刻み込まれ、軌道の始発点でもある左目の眼球は、他の被害とは別の意味で、最も最悪な被害を受け持っているかもしれない。
――何をしたら、七歳前後の幼子がこんな傷を負う羽目になるのか、逆の意味で理解に苦しむ。
まるで、戦地に無理矢理投入された、無垢なる子供。力も武器も与えられず、命だけを糧として戦場に紛れ込んだ人間。
「お願いします、兄さんをっ……!」
「兄貴を、助けてっ……!」
兄さん、兄貴という呼び名からして、この少年は二人の少女らの兄ということになるだろう。この三人は、兄妹という間柄。
麗しき兄妹愛。命が危ぶまれる兄を、心の底から助けてほしいと懇願する二人の妹。その心配に応えて、期待を遵守したいとミスウェルも考える。が、しかし、
「――これは、もう……っ」
――残酷な言葉を、少女らにぶつけるしかないのかもしれない。
少年の肉体は、完全に壊死している。そこまでならまだ手の施しようがあるかもしれない。肉体の損傷はまだどうにか清められるとしても、別問題――魂の方は誰も手が付けられない。傷の治療は行えても、魂までは修復することは叶わない。
「いや、まだ……っ」
ミスウェルは少年の胸元に手を伸ばす。伸ばされた箇所は、丁度心臓のある位置。命の応答を示す鼓動音が確認されれば、まだ救える可能性が僅かでも残っている。
最後の望み。か細くても、少年の生命反応を感じ取ることができれば、魂はまだ肉体に定着してくれている。肉体から隔離されず、魂があの世へと旅立っていなければ、まだ望みは繋がってくれている。
――頼む、どうか……っ
少女らの願いと同等に、ミスウェルも期待を右手に宿す。少年の心臓に手を置き、息を呑んで拍動を拾い上げようとする。結果は――、
「・・・・・・だめ、か……」
数秒の沈黙。際して、心臓に置かれた手は、心音を感知してくれない。
駄目。その短い言葉に、少女らが深く絶望する。虚ろな目で少年を見つめ、再び大粒の涙が瞳の奥から決壊する。
「・・少年は――君たちのお兄さんは、もう……」
宣告するのが、この場に居合わせたミスウェルの使命だろう。偶然とはいえ、踏み込んだ森の奥地で出会うこととなった、命の終着の報せ。その責を担うべきは、迷い込んだだけの存在であるが、大人であるミスウェルの――、
・・ン、・・クン……トクン……ッ
「・・・・! まさか――っ!?」
瞑目し、少年の命が尽きたことを口にしようとしたミスウェル。が、その目は唐突に見開かれ、手では不足だとして片耳を心臓に当てる。
半ば諦観し、生命は既に終了したと決定づけたミスウェル。その判断は恥ずべき判断であると、少年の身体を通して己の反省を叩かれる。
「まだ、鼓動が……っ!」
耳に流れる小さな脈動。手では一切も感じ取れなかった生命の起伏音。上下し、振動し、音を近付く者へと届ける、命の鳴動。
鼓動が、心音が、鼓膜に流れる。耳を直当てしなければ感じ取れなかった。それ程までに弱々しい、命の咆哮。しかし、
弱々しくも、確かな命の主張が、そこには――、
「まだ、間に合うっ!!」
ミスウェルは少年の身体から離れ、右手を少年に、左手でポケットに手を伸ばし、対魔鏡を開いて起動。
自身を映していた鏡面に反応が灯り、鏡面に映し出されるのは、絶大な信頼を向けている屋敷の従者。
『いかがなさいましたか、ミスウェル様」
「済まないが、竜車を連れてオルテア森林へっ。それと、グラムにも連絡を回してほしい! 理由は後で説明するっ!!」
『かしこまりました』
突然の連絡にも動揺せず、間も置かずに用件を聞き届けてくれる。本当に、頼りになる男だ。
「兄さん、起きてくれる……?」
「兄貴、生きてるんだよね……っ?」
「大丈夫、大丈夫だっ!」
伸ばされた右手に魔力を流し、魔法を行使して治療を行う。自身の使える魔法が水魔法であることに、今以上に感謝する機会など無いだろう。
「死なせない。君を、絶対にっ!」
命に対する責任宣言。巡った命の看取り場。偶然でも何でも、構やしない。今はただ、この少年を助けてあげることに全力を注ぐ。
――まだ、間に合うかもしれない。いや、絶対に間に合わせてみせるっ!
目の前に現れた、小さな命の火種。決して絶やさせず、必ず拾ってやると己を鼓舞し、水魔法の輝きを強める。
・・オルテア森林の奥地で出会った、二人の少女と一人の少年。
この出会いは、偶然か。それとも……
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