第一章16 オルテア森林


「ふぅ……随分と奥地にまで踏み入れてしまったな」


 額の汗を腕で拭い、ミスウェルは天を見上げる。


 木と木の間の空間の割れ目。天を見据えられる小さな隙間の間に視線を縫わせ、手の届かない空の果てに位置する太陽の存在を確認する。


「森に入ってから数時間は経過したか。夢中になると、時間はこうもあっという間に過ぎていくもんだな」


 森に入る前は、太陽の位置は割と低い位置に滞在していたと記憶していた。曇りがかっていた空模様でもあり、太陽の光加減はそれほどの印象だったはずだ。


 現在は快晴も快晴。天高く浮かび上がった熱源体は、腕で日光を防御しないと直視できないほど、明るい光を地上に届けている。


「前日は大荒れだったからな……。天候が回復した分、反動も大きいか」


 前日雨模様。翌日晴れ模様。雨から晴れの景色変動は、人々に与える情緒にも大きな影響を及ぼす。一人で勝手にそう結論付け、太陽が照らす日光具合に納得を示す。


 前日は凄まじい程の大荒れ状態。正に悪天候――果てには嵐と形容するのに相応しく、外出する人など露知らず。最も、昨日の段階では、ミスウェルも森の中へと入ろうと画策はしていた。


 なのだが、捜索途中で陽が落ちることも考え、危険が大きいと判断したこともあり、大事を取ってその日の素材集めは頓挫する形に。翌日へと回す羽目になったのが、昨日の出来事だ。


「予想通り――いや、それ以上か。随分と自然形態が荒れ果てている。これは、前日に無茶をしなかった自分の判断は英断だったかな」


 前日に森に入る選択をしなかった過去の自分に、賞賛を送りたい。素材目当てに無理をすれば、下手をすれば自然に牙をむかれることも考えられる。


「帰る日程がずれて、ノエルに小言を言われるのは目に見えているが、アーカードに上手く窘めてもらうことにするか……」


 本来なら、昨日の段階で屋敷に戻っている計画。その日程は天候の影響でずれてしまっている現状。屋敷に戻ってからの流れが、容易に頭に浮かぶ。同時に、自身に対して文句を言い続けるであろう少女の姿も。


 ノエルのことだから今頃、不機嫌まっしぐらなのだろう。彼女への対応を考えると、自然とため息が口からこぼれていた。


 事情を話せば納得はしてくれるだろうが、本人が直ぐに了承してくれるかは微妙なラインだ。そうなると、またノエルの遊びや悪戯に付き合わなければならない。が、致し方ないとして片付け、今の内に未来の自分に謝罪しておくことに。


「素材も随分と集めたし、ここらが潮時かな。帰り時間が遅くなれば、それだけノエルのご機嫌取りが忙しくなる」


 独り言を繰り返し、果てに帰りを待っている少女との時間に頭を抱える。約束を破ったのはこちら側なので、それに関しては言い訳は紡げない。潔く、少女の機嫌が回復するまで、付き合うことにしよう。宥める算段は、帰り途中にでも頭を回して。


 必要な代物の大半は集め切れた。日程の不備も考慮し、納品前に余裕をもって散策に出かけたのも、幸運だったと言える日程調整だ。イレギュラーこそ発生したが、全体の予定に狂いは生じていない。


「さて、もう奥地も奥地だろうし、そろそ……ろ?」


 森の奥地にまで踏み込んだ報酬はしっかりと籠の中に。あとは無事に帰路に着けば任務完了。遠出してきた甲斐があったというものだ。


 そろそろ退散――しようと考えが纏まる途中、足が止まった。


「・・・・家? こんな、森の奥地に……?」


 自分で言っていて不思議な感慨に襲われる。この森――オルテア森林は、外界とは随分と離れている森だ。


 周囲に村は点在していても、距離は随分と離れている。極端なことを言えば、人の手が及んでいない辺境の森。内にも外にも、人間が作用する箇所が位置していない、天然の自然群生地。


 言ってしまえば只の森。その成り立ちは至ってシンプルであり、普通や平凡という評価が適切な森地帯。


 ここでしか取れない珍しい素材だったり、ここにしか生息していない、世にも珍しい生物がいる――なんてこともありはしない。コレクターや商人の類の人種も立ち寄ることなどなく、森という存在自体は認知されているが、そこ止まりで放置されている寂しい場所。


 それが大陸の最南地に存在し、立ち寄る人なぞおらぬ、オルテア森林の実態。


 ミスウェルも例外ではない。訪れるのは実に何十年ぶり――などではなく、一度も訪れたことがなく、本人からすれば未開の地。今回のような特別な用件も無ければ、踏み込む選択などしない場所だ。人が寄り付かない理由は先の理由で全て事足りる。


「誰か、住んでいるのだろうか。でも、こんな森の奥地じゃ……」


 生活が不便すぎる。自然の土地を好き好んで生活するものを否定するわけではないが、ここでは何かと日常生活に苦労するはずだ。


 食料に関しては自然に生きる代物で繋げられるとしても、衣類や食器、日常で沢山使用するであろう代物らに関しては、森の外へ向かわないと入手は厳しいだろう。

 加えて、今回ミスウェルは一度も目にしてはいないが、魔獣が生息していても不思議ではない。人の手が無いも同然のこの森では、魔獣の格好の繁殖地――拠点としての役を担うはずだ。


「いくらなんでも、不便が勝つ立地場所だ。それに、魔獣のことも踏まえると、リスクが高すぎる。・・だけど――」


 近付きながら、冷静に家の状況を分析する。


 木造建築の民家。大きさはそこそこで、外装状況を見るに、損傷や劣化具合も幼い印象だ。


 新しく建てられたにしては年月が経過している。かといって、人が最近まで住んでいなかった印象も抱かない。外からでも生活の痕が家から伝わり、無人の住宅とは到底思えなかった。


 つまり、この家は現在も生活拠点としての役目を全うしていることの証だ。


 推察し、自分自身に唱え続けながら、ミスウェルは家へと向かって行く。近付くにつれて、家の姿かたちは輪郭を形成し、積み上がっていく感想とは別に疑問は膨れ上がっていく。


「・・玄関は――壊れている……というより、壊されているのか?」


 不思議なことに、玄関の扉はぶち壊されていた。何か大きな鈍器で無理矢理壊したのか、入り口周辺には木屑が散乱していた。剥き出しの扉から外と中の様子が互いに伺え、悪い意味で風通しが良くなっていた。


「失礼かもしれないが、少し調べてみるか……」


 家の傍へと到着し、失礼を承知で家を調べてみることに。


「すみませんっ! だれかいらっしゃいますか!?」


 既に家の敷地内には入っているだろうが、改めて大きな声を上げて人の存在の有無を確認すると同時に、自らの存在を匂わせる。が、返答は無し。


「・・留守……の線は低いだろうな」


 人が寄り付かないとはいえ、扉を半壊にしたまま外出というのは考えにくい。


「修理するために材料を集めている最中――も考えられるけど……」


 その線も無いだろうと、直ぐに首を振って選択肢から除外する。それで言えば、留守にしておくこと自体がそのまま解答として成立してしまっている。留守も材料集めも、人が在住していないことに変わりは無いし、同一の理由として除外するには十分だろう。


「仕方ない……か」


 反応がないことを気がかりに、ミスウェルは一度お辞儀をしてから玄関前の小さな段差に足をかける。低い段差を登り、人の出入りを迎える玄関口へと身体を向けて足を交互に前へと出していく。


 登り切り、剥き出しの玄関口から中の様子を確認しようと――、


「――っ……」


 扉の先の廊下。廊下の全容を視界に収め、ミスウェルは素早く玄関の壁へと身を隠す。気配が無いことを悟り、半身だけをゆっくりと壁に押し当てながら、中の様子を窺う。


 血痕……っ。時間は随分と経っているか? 血飛沫の流れ具合と咆哮から察するに、廊下の向こう側――か。


 先までの空気から一転し、緊張感が全身を取り囲んだ。無意識化の内、昔の習慣として得ていた事態への対応策が、腰に据えた剣の鞘を持つ行動に表れる。


 息を殺し、気配を完全に断つ。勝手で申し訳ないが、血痕を確認できた以上、このまま無言で立ち去ることもできない。


 失礼なのは重々承知だが、この家の様子を改めさせてもらおう。


「――ふぅ……」


 一度、自身の身体の中に戦闘の空気を取り入れる。甘い空気を満たしていれば、瞬時の対応に誤差が生じる。間違えた対処を行わないように、自身の中の空気を一新する。


「・・・・・・」


 最大限の警戒を引き上げ、音を消して静かに玄関口から家の中へと侵入する。窃盗や泥棒の所業のように、足音を限りなく無にして空気に溶け込む。


 ・・生き物の気配は感じられない……。この場から既に立ち去ったか、あるいはもう――。


 血痕の様子からしても、相当な出血量だ。もぬけの殻という線は低いだろう。この状況下における、最も有力な説は即ち、


 血痕の主は、もう……っ。・・いや、それでもだ。


 考えたくはないが、その可能性が高い。が、決めつけに至るには少々早計である。


 踏み込んだ以上、関わった以上無視はできない。思い過ごしの可能性もあるため、確かな事実をこの目で見るまでは、思考を決定付けてはいけない。


 巧みに足を運び、音も気配も殺してミスウェルは血痕の傍の廊下に到達。依然として自身以外の生き物の気配は感じないが、万が一もあるために油断は侵入時に捨ててきた。


 ・・よし――っ。


 意を決し、ミスウェルは腰の剣を引き抜く準備を整える。有事が広がっていれば、いつでも剣を行使できるように心構えと行動を完了。


 音に気を配りつつ、大丈夫であろうと自らの長年の勘を信頼してから、


「――っ」


 踏み込み、血を辿る――必要も無かった。


「・・やはり、か」


 半ばその考えには至っていた。が、それでもこの目で見るまでは、事実を仮として見定め、猶予を自らに課していた。


 しかし、ミスウェルの目の前に広がっていたのは、残念ながら悪い方の予感の的中。


 リビングに倒れていたのは、大量の鮮血をぶちまけ、既に生者としての生涯を完全に終了しており、遺体としてそこに存在していた。


「・・失礼します」


 死者に手を合わせ、ミスウェルは哀悼の意を捧げる。当たり前だが返事はなく、目の前の死体はうんともすんとも言いはしない。


 死者への敬意を行動で表し、それからミスウェルは腰を曲げて地面に膝をつく。


「遺体の損傷具合からして――魔獣だろうな」


 昔の話とはいえ、魔獣とは何度も相対してきた。その経験則からして、男のやられた原因を瞬時に見抜くことは造作も無かった。


 牙や爪で抉られ、弄ばれた形跡。四肢の至る所、腹から飛び出た内蔵にまで被害が及んでいることからも、体内を喰い破られ、無理矢理臓器を外に排出されたのだろう。死体となってからも魔獣たちの行いは止まらず、見るも無残な姿をしている。


 惨い殺され方であり、人としての原型も保てていない。顏部分も酷く損傷しており、誰であるか判別も厳しい状況。顏の造作と筋肉の具合から、男だという性別情報が読み取れる。それ以外は、残念ながら綺麗にしたとて、得られる情報源はごく僅かだろう。


「この家は恐らく――この人の自宅だったのだろう。魔獣に入られて、そのまま絶命。そう考えるのが、自然か」


 探偵というわけでもなく、ただの一個人による勝手な見解。だが、この見解は正しいだろう。前述通り探偵でもないし、かといって戦医とも違う。自己完結に至るが、それでも経験則からくる判断に自信はあった。


「殺されたのは……昨日の時点で、だろうな。まだ腐臭が漂っていないし、虫もたかっていない。殺されたのは、昨日の嵐の最中か?」


 激しい豪雨であった。風も吹いていて、雷も。嵐の中での犯行……だろうか。


 家具や周囲の状況が暴れたにしては綺麗すぎる。戦闘という戦闘も行われていない様子を見るに、魔獣の侵入に気付くのが遅れて、そのまま殺された――と考えるのが妥当だろうか。


「・・遺体は、こちらで預かって供養しよう。それが、関わってしまった俺の役割だ」


 素材を集めに森へ入ったが、まさか遺体を見つけてしまうとは思わなんだ。が、このまま放置するには後味が悪すぎる。責任を持って持ち帰ることにしよう。


「・・一応、他の室内も調べてみるか。殺された人が、この男だけとは限らない」


 立ち上がり、ミスウェルは再度家の中の捜索を開始した――。


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