第一章7 運命の日


「――。・・雨……」


 閉ざされた檻の中では、時間帯の把握も難しい。窓もなく、壁の隙間に顔を張り付けにして目元に力を集中させても、大きな収穫は得られない。目を酷使するよりも、別の機能を用いて収集した方が、回収できる情報は遥かに大きい。


 具体的な例として「耳」。基本的にラルズは壁に背中を預けて楽な態勢を維持している。背中に刻まれた傷が擦れて痛いことは痛いが、数多ある創痕と比較すれば、その中でも背中の傷は軽傷の範囲内だ。


「……風も強いし、おまけに雷も……。相当荒れてる」


 耳は勝手に音を拾ってくれる。意識的に集中したりする以前に、耳という機能は宿主に無許可であらゆる音を教えてくれる。時間帯も正確に測れない檻の中で、唯一外に出なくても理解が及ぶ者の代表として、外の天気模様が挙げられる。


 ゴウッ――と、建物が横殴りにされている錯覚を覚える暴風。屋根に打ち付けられる天然の恵み。追加でゴロゴロと雷が轟き、音の激しさは衰えることなく、天気の神様はご乱心状態だ。


 嵐と評するのが相応しく、音だけで規模の大きさを見識できてしまう、凄まじい荒れ模様。外出禁止令が発令される以前に、誰しもが外に出ようなどという愚かな行為に走らない、天からの与令。


「・・外の様子なんて、俺たちには関係ないのに……」


 冷静に外の様子を分析するラルズ。そんな行動に意味は無いと、己を憐れむ。


 外の荒れ模様など、ラルズたちにとっては何の関係も無い。出ることもできない外の世界。天候が良いか悪いかなど些事でしかなく、及ぼす影響は皆無だ。


「いっそのこと、強風で建物ごと吹き飛ばしてくれたら……。・・なんて、そんな都合の良いこと起こるわけないよね」


 いくら最大級の悪天候とはいえ、それで家々が木っ端微塵になってしまう事例は少ないだろう。築年数が随分と進み、建物の劣化が大きい民家の場合、その可能性も無くはないかもしれない。


 が、生憎とこの家は創立されてから十年と経っていない。退廃具合に期待はできそうにない。


 それに、世迷言を口にしておいてあれだが、家族の思い出が詰まっているこの家が壊れることをラルズは望まない。両親と一緒に過ごした唯一の場所だ。今はラッセルに汚されているとはいえ、この家を失えば、本当に何も残らない。それは酷く寂しい。


「・・眠ろう。今日もまたあいつが来るんだ……。俺も、それまでは夢でも見ていたいかな……」


 口にした虚言を忘れるように首を振り、ラルズは現実逃避として夢の世界への脱出――もとい侵入を試みる。


 逃げ口でもあるその夢が悪夢であれば笑えないが、そこは良い夢を見れることに期待するしか他ならない。


「・・お休み。シェーレ、レル……」


 既に数時間前から眠っている少女ら二人に挨拶を交わし、ラルズもそちらの世界へと旅立つ準備を行う。


 目を瞑り、意識を闇の中へと放り込む。自慢ではないが、ラルズは寝起きと寝付き、両方の面で良い方と自負している。


 ラルズが眠りにつく時間は精々十分弱。疲労困憊、満身創痍な肉体も相まって、ものの数分で意識は堕ちていくだろう。好都合なことだ。


 好都合の使い方が間違っている気もするが、そんな小さなことなど些細な問題。ラルズはそのまま溶けるようにして熟睡姿勢に入る。


 次に目を覚ますときはきっと、悪夢に等しい時間がやってくるとき――


 ――バキィっ……!!


 ・・閉じたばかりの瞼が、微かに拾った音によって強制的に開かれた。


「・・・・何だろう、今の音……?」


 聞き間違いかもしれないし、無視して問題ない類の音かもしれない。でも今、確かに何か大きな物音が聞こえた。音の詳細は掴めないが、何かが壊れた……という確信はあった。


 普段ならそこで興味や関心は消え失せる。大方、ラッセルが衝動を抑え込むのに家具や道具を壊している音なのだろうと、ラルズはそう結論づけた。しかし、


「けど、今日が三日目だ……。周りの道具なんて使わないで、俺を呼び出せばいいのに……」


 唱えた可能性を自らで否定する。


 前回から三日目。ラルズの脳内時間がずれている可能性もあるが、それは傷具合が直ぐに答えを示唆している。今日が間違いなく期日であり、玩具遊びを楽しみにしているラッセルが、日数を数え間違えることなど有り得ない。


 ――いや、考えすぎだろう。


 外に出なくても風の強さは音から想像がつく。風が吹きすさぶ音が、落下する雨粒の音が、壊れた音に化けたのだろう。


 肉体、精神共に極限状態。死の一歩手前であり、なんなら死の世界に片足を突っ込んでいる状態。幻聴、誤聴を始めとした失調症。その他諸々の機能不全が発生しても、なんら不思議ではない。


 新たな説を真の説だと決めつけ、ラルズは再び目を瞑ろうと瞼の力を緩める。が、


「・・さっきから、音がずっと続いてる……。何の音なんだろうっ?」


 どうにも気になってしまい、瞼を下ろすことができなかった。


 一度噛みついた好奇心は簡単に拭えない。暴風雨と雷雨が重なり、壁に耳を密着させて音の正体を窺うが、音の明細に対する保証を得られず、確実性に欠ける。


 ・・割れる音……? それに、暴れているような気配も感じる?。小さい音は、、、天候のせいで聞き取れないや……。


 直接両方の瞳で捉えられないことにやきもきしながら、ラルズは音に意識を集中させ続ける。右耳を潰れるほどに押し当て、強引に謎音を聞きわけようと善処していると――、


 グシャッ—―!!


 ・・何かが、潰れた音が聞こえた。


「……何か、嫌な予感がする……っ」


 致命的な音。鳴ってはいけない音が聞こえたような気がして、ラルズは微かに震え始める。見えない音は、見えないという要素が恐怖を増進させるが、正にそれだ。


 ラッセルから貰う恐怖とは少し度合いが違う。人から与えられる物理的恐怖とは毛色が異なっており、誰しもが産まれた瞬間に備えている、生物的本能の予感。


 本能が警告を発令し、生存本能が鋭敏に反応。危機的状況であることを刺激が全身を駆け巡り、絶えず警鐘が鳴り響く。


「――……は、」


 呼吸を忘れるほどに焦りが生まれる。心臓の鼓動がうるさいぐらいに躍り狂い、当たり前に行っていた呼吸という行為自体も難しいほどに焦燥感に駆られる。


 壁の向こうに存在する「不可解」がラルズの心を乱暴に手中に収め、行動に移す時間が数拍も遅れてしまう。


「し、シェ……れっ! れ、れ、ぇルっ、起きてっ!」


 口が嫌に絡まる。冷や汗が全身に走る。喉が渇く。息が苦しい。


 本人の慌てぶりがそっくりそのまま口へと流れて、最愛の妹の名前すらも真面に紡げず、しどろもどろ。二人の身体に手を伸ばし、がしがしと乱暴に揺すり起こす。


 一分一秒を争う。火急の事態。直感的にラルズはそう思った。


 それほど、状況が差し迫っている気がする。数秒の遅れがそのまま致命的になるような……。対処が遅れればそれこそ――


 死に、繋がる。


「起きてっ……! 起きてっ――!」


「・・んぅ……?」


「――あに、きぃ……?」


 配慮の欠片もない、力任せの優しくない起こし方。効果のほどはあり、シェーレとレルは程なくして目を覚ました。目元を擦りながらの起床。気分の程は、あまり良いものではないだろう。が、


「起こしてごめん二人ともっ。でも、急いで隠れてっ!」


「・・隠れる……? 兄さん、何をそんなに慌てて――」


 言い終わるより先に、突如として家中に響き渡ったのは、耳をつんざくような獣の咆哮。


「――――ッ!!!!」





 ――……


 ――――……


 ――――――隠れないと、いけない。


 鼓膜を振るわす音が、それを自覚させる。自覚させるには、十分すぎる。十分すぎた。


 眠気気味のシェーレとレル。目覚めたばかりの二人の眠気が、夢見心地のまどろんでいた心が瞬く間に逆転。ゆったりと刻まれていた秒針が、加速度的に速さを増して時を刻み始める。


 震えも、心臓の叫びも、同じように後に続いていく。兄であるラルズに対しての疑問も、一瞬で弾けた。後回しにするべきだと、今は動くべきであると、即座に魂が理解を示した。


 弾けた拍子に応じて天啓が降り注ぎ、三人とも周りに視線を飛ばす。


「ど、どこに隠れますかっ、兄さん!」


「隠れられそうな場所は……っ」


 隠れろ、と指示を出したラルズであるが、明確な避難場所は定め切れていない。


 倉庫部屋で隠れそうな場所など限られている。ラルズは必死に首を動かし、同時に頭の中をフル回転させて、一番身を隠すのに最適な場所を探す。


 使わなくなったテーブルの下。収納棚の傍の物陰。積み上げられた樽に、大きめの木箱の中。選択肢はそう多くない。


 室内の薄暗さも相まって、暗闇に潜むこと自体は難しくない。しかし、できれば姿を完全に隠すことができる場所を選びたい。この点を一番に鑑みるのであれば、選択肢は恐らく二つ。


「樽の中か、木箱の中っ」


 一つは樽の中。一人入るのが限界の小さめのサイズであるが、積み上げられて放置されている樽の数は全部で四つ。全員隠れられる数は揃っている。


 もう一つは木箱の中。先に選択肢に挙げた樽と比べればかなりな大きさ。子供であるラルズたちの体躯ならば、狭いことを度外視すれば三人とも入れる。


 いずれも蓋は残っている。上から蓋を下げれば剥き出しの状態には陥らず、完全に姿を隠せる。


「――! 音がっ……」


 選択肢を悩んでいる最中にも、状況は悪い方向へと傾いていく。ギシギシと廊下を進む音。音の大きさは段々と強くなっていき、壁に直接耳を当てずとも、壁を伝って室内に反響を運ぶ。音が強くなるのに比例して、焦燥感を強く煽られる。


 音の正体は恐らく足音だ。が、音の大きさからしてラッセルのものではないのは間違いない。細身の彼とは違う、鈍重で力強さを感じ取れる足音。


 ・・加えて、何かを引きずる金属質な音と、水滴が垂れる音も同時に奏でられている。連続で奏でられる不規則な旋律は、徐々に監禁部屋へと近付いている。


「・・時間がない。二人は木箱に隠れて」


「兄貴はっ!?」


「俺は樽に隠れるよ。もしシェーレとレルに何か起こりそうだったら、俺の方で注意を逸らせるかもしれない」


 どういった事態に発展するか予想が付かない。万が一ではあるが、シェーレとレルに危険が及ぶ場合もある。そうなった場合には、ラルズが物音を起こすなりして二人の危機を回避。注意を自身の方へと移せる。


 一緒に隠れていたんじゃ、万が一に備えられ――


「嫌だ、兄貴と別々は嫌だっ!」


「レル、でも……っ」


「兄さん、私からもお願いです……っ」


「シェーレも……っ」


 ――二人とも、震えてる……。怖いんだ。危険が差し迫っていて、状況の変化に心が追い付いていない。拠り所が傍にいないと、決壊してしまうかもしれないんだ。最悪、悲鳴を上げてしまう可能性も。


 安心させる人物が隣にいないといけない。その役目は当然、


「・・わかった。俺も木箱に隠れるよっ」


 本音を言うと、やはりラルズは最悪の事態に備えて別の場所に隠れたほうが得策のはずなんだ。木箱を調べられれば、その時点で三人ともアウトだ。が、不安に潰されそうなシェーレとレルを放っておくことはできない。


 一抹の不安を残す形となるが、もう時間も無い。


「急いでっ」


 物音を立てないよう慎重に、素早く木箱の方へと移動。シェーレとレルを先に誘導し、そそくさと足の方から順番に木箱の中へ。その途中で、


 ――バキっ!!


「――っ!?」


 檻の入口。そこに、大きな音が生じる。初めにラルズが耳にした、何かを壊す音と酷似している。


 扉の外には木板が挟み込まれており、簡単に取り外せる。わざわざ壊したりする必要もない。木板を外せば済むだけで解決する簡易的な鍵。


 鍵を設置した本人――ラッセルならば、そんな面倒なことをする必要はない。・・つまり、扉の外に立っているのは、扉を壊そうとしているのは……。


「兄さんっ」


「兄貴っ」


 妹に呼ばれ、ラルズはハッとする。気を遣って空けてくれたスペースの間に潜り込むよう、物音を立てないよう最大限注意しながら入り込む。

 身体を丸めて小さく努めるが、やはり窮屈気味。どうにかこうにか三人とも無事に入ることに成功したが、狭苦しい状況。


 行動した後だ。今更もう、うだうだ言っても仕方がない。


「いい? 音は出さないように静かにねっ」


 ラルズの注意に、シェーレとレルが黙って首を縦に振る。


 ラルズたちは木箱の中から扉の様子を確認する。蓋を上から完全には被せず、僅かに外を覗ける程度の隙間を確保。そして――、


 ――ドゴォっ!!


 大きな破壊音。何か鈍器のようなものでぶっ叩かれたような破裂音が炸裂し、破壊の副産物で木屑が生成。


 ――ベキっ!!


 一度目に続き、二度目の破壊音。衝撃に耐えきれず、扉が原型を保てなくなっている。扉がその形を維持することすらも限界に近付く。


 思いきり体をぶつけても、歪むことも動じることもなかった扉。その扉が、ラルズたちの目の前で、ついには――、


 ――バキィッッ!!


 ・・・・崩壊、した。


 廊下の光が室内の入口を照らし、扉だった代物は粉々の残骸に変わり果て、入り口に散らばる光景は、破壊の痕。


 あれ程開いて欲しいと願っていた扉は、ラルズたちの目の前で跡形もなく砕け散った。外の世界を断絶していた忌むべき扉は簡単に崩壊し、扉という名の檻は、檻を改め出口として口を大きく開けていた。


 待ち望んでいた扉の先。幾度も求め続けた、世界への道。


「兄、さんっ……っ」


「兄、きっ……」


「大丈夫。大丈夫、だから……っ」


 その扉の先に広がるのは、待ち望んでいた希望か。はたまた更なる絶望か。


 ――その答えは、運命のみが握っている。

 




 


 


 


 

 


 


 

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