母さんが亡くなったとき、俺は何もできなかった。動けなかった。

 

 己の無能さ、知識のなさ、そういったものがもっとあればとしばらく自身を呪った。


 母さんが残してくれていた俺と真由に対する学費は、奴によってギャンブルと女に消えて行った。


 そう。

 

 俺には明確な殺意があった。

 一分一秒でもあいつがこの世にいることが許せなかった。

 真由を守るためではあったが、殺せる機会が巡ってきたことに僅かな安堵感と殺意の高揚がなかったかと言えばウソになる。


 俺は、人殺しだ。


 いきあたりばったりの偶然で殺したとか、交通事故の加害者とかそういった類のものではなく、明確な殺意を原動力に殺人を実行した……


 俺はクズだ。


 人殺しだ。


 ずっと逃げてきた。


 避けてきた。


 異世界にきたことで、その業から、罪から、遠ざかった気でいた。


 今、またこうして人を殺した。今度は10人近い人を。


 殺意を持って襲って来た相手であるなら仕方がない、そう自分に言い聞かせようとしている自身の保身的感情に吐き気すら覚える。


 結果的にフィオとシルメリアを救えたのだろうか? 取り乱して、わめくだけのガキが、どれだけ役に立ったのだろうか。


 俺が人を殺さずにあの状況を乗り切れる方法があったのではないか?


 まどろみ朦朧もうろうとする意識の中で、俺は叫び声をあげながら飛び起きた。


 「目が覚めたか?」


 凛とした声だった。

 知的でクールな声質ながら、女性的な柔らかさが滲む声。


 「フィオは! シルメリアは!」


 飛び起きて出て行こうとする俺を、その女性が難なく押さえつける。


「動くな。私のかけたセデーション(鎮静)の呪文がまだ効いているはずだが」


 すごい力だった。だが胸が張り裂けそうなほどに、フィオとシルメリアの容態が気になってどうしようもなかった。


「安心しろ。とりあえずここで貴様が運ばれるまでのことを説明してやるから大人しくベッドで横になれ」

「——わかった」


 彼女はセラと名乗った。


 装飾の施された性能の高さが滲む軽鎧を着こみ、革製のニーハイブーツが似合っている。


 紅く燃えるような髪と、きつめだが吸い込まれそうなほど美しい翡翠色の瞳と、その美貌はしばし見惚れてしまうほどに人間離れしていた。


 事実、側頭部には二本の角が生えており、自身を魔族出身と名乗った。


 ”

 大陸西部でダンジョンの転移トラップに引っかかってしまってな、近くの街で冒険者ギルドを頼りに行動しようかと思っていた矢先だったな。


 からんでくる男どもを追っ払って外でぶらついていた時であった。


 救援信号弾が空に上がっているのを見かけてな、これはいかんと走り出したのだ。

 何人かついてきたようだが、到着早々驚いた。


 なにせ血の海地獄といった様子で、人の手足やら胴体やら頭が散乱しておって、その中心でお前が女の細腕を持って何か喚いている。


 こりゃまずいと思ってな、沈静の呪文をかけてお前の意識を奪ったのだ。


 お前が守ろうとしていた少女を見てみると二人ともかなりの重傷。銀狐族の娘は右手を切断、エルフの娘は内臓がひどく損傷している。


 放っておけば死ぬと判断したセラはな、回復呪文をかけてやったのだ。

 まあこのセラ様にかかれば、この程度の傷の治療など朝飯前だ。


 って何? 


 ああ、シルメリアの腕? ああそうだ、もちろんくっついてるから安心しろ。

 フィオ? エルフの娘もすっかり内臓が元通り。


 だがな、二人とも相当な出血をしていたので、増血回復の薬を飲ませて寝かせておる。


 目を覚ますのは二日後というところだろう


 ”


 俺は、ただ床に頭をこすりつけて感謝した。泣いた。

 二人が助かった、それだけでもう、俺は、俺は。


 「大げさだな、それよりお主の左腕はどうした? 右目の様子もおかしい」


 「え?」


 気づくと、俺の左腕は、二の腕から下の感覚が再び失われており、右目の視野が欠損していた。

 

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