地球 日本国東京②

 与党幹事長第二秘書 上川と永森はたまに酒を飲みかわす仲になっていた。


 口実としては永森一家の状況把握ではあったが、永森としてもある程度情報を流すことで真由や家族の安全を確保するためといった思惑はある。


 だがここ最近の流れは奇妙なことになってきていた。


 「あの大賢者ワグニールがそんなことになっていたとは」

「永森さん、その名前はあまり口にしないで。我々はゲストって呼んでます」

「なるほど、ゲストね。てっきり迎賓館でずっと暮らしていると思っていましたが」


 川上はお気に入りの日本酒をちびちび舐めるように飲みながら頷いた。実は弱いほうであったりする。

 「実際、外圧がすごかったんですよ。一時的に中国やロシアが軍事行動を起こす寸前まで事態が悪化したってのはここだけの話です」


 「え? ええ?」

「地球が滅ぶかもしれない事態を日本一国に任せるってのは、さすがに耐えられなかったんじゃないですかね?」

「はぁ、なんというか」


 永森はほっけの身をつまみながら、妻の作るマグロの味噌漬けが急に恋しくなった。あえて丸一日に特製ブレンドと隠し味を加えた味噌に、あまり高くないマグロを漬け込みそれを焼いただけのシンプルな料理。


 真由も気に入っていて、初めて食べた時のあの目を丸くして驚いていた表情がたまらなくかわいらしかったのを思い出す。


 そんな日常が奪われそうになっていた。

 「私たちの暮らしている日常って、薄氷の上を歩いているような脆いものだったのですね」

「まさにその通りです。ワグ、えっとゲストはそういうこともあって、今では都内の某所で隔離されています。名目上の隔離ですが」


 「本人たちは容認しているのですか?」

「名目上の隔離、なので自由はありそうですが、その……最近では官邸や関係省庁のトップの間で妙な噂が流れています」


 川上はひどく疲れている。それでも自分と酒の席を設けるというのは、何か意味があるのか、それとも吐き出さなければやっていけないほど追い込まれているのか。


「あの、川上さん、わたしはあなたと酒を飲むのは楽しいし、今後もそういう関係を続けていきたい、真由のためにもと考えていますが、その大丈夫なのですか? 私などにそのような機密を話してしまって」


「だからですよ永森さん。えっとね、政府上層部、与党もですがみんな追い込まれすぎていて、永森さんみたいな常識を備えた一般人の意見がまったく聞けないんです。機密だけにね」


 なるほど、クローズドな環境にあればこそ追い込まれやすいのか。


「まあ妙な噂というのがですね、ゲストの周辺で働く人間が既に10名以上失踪しているのです」

「10、10人?」


「行方が分かった者が数名いますが、彼らが発見されたのが……」

「し、死んでいたのですか!?」

「い、いえ生きています。生きていますが、聞いたことありません? 最近は急に勢力を伸ばしてきた新興宗教 異神教のことを」

「あっ」


 永森は今回川上が自分を呼んだ理由が繋がったことに、体がぶるっと震えた。


「永森さん、あなた最近受けた依頼にあるでしょ、異神教関連のが」

「……未成年の娘さんが教団によって拉致されたと訴える親御さんからの、脱会依頼です。難しい案件ですが話し合いでなんとか解決したいと調査を開始したばかりでした」

「悪い事は言わない。断りなさい。はっきり言いますが、あなたの経歴に傷がついてもいいから、教団関係依頼だけは絶対に受けないで」

「ど、どうして?」

「因果関係にエビデンスがあるわけではないのですが、親しい警視庁の関係者からの助言では、教団敵対者にあることが高頻度で発生しているのですよ」


 永森は自分の口の中がカラカラになっていることに気付いた。

 思わず咳き込むとウーロン茶をぐいっと飲みほした。


 川上はそんな様子の自分を優しく見守ってくれている。

「す、すいません」


「——腐り病」

「!」


 まさに絶句するしかなかった。

 ワグニールに関しては、聖人、大賢者ともてはやす声が7割を占めているが一部陰謀論を訴える人々もいた。


 家族を転移者として奪われた人たちなどはワグニールを蛇蝎の如く嫌っていたりもするが、世間一般の評判としては良い人という印象だ。たまにTVのインタビューに応じ国連大使と面会したり、先日はG7の会合にゲストとして、まさにゲストとして招かれていた。


 そのワグニールと腐り病が繋がりそうであり、しかも教団がそれを操れる可能性を示唆されたことには驚きが……


「あああ、ああ!」

「永森さん、落ち着いて! 今なら間に合います! 忙しいとか難しいとか、迷惑料払うとか言って断っていいんです! 関わっちゃだめだ。家族を守るためにも」

「だが、弁護士として、わたしは……」

「プロ意識、高い志も結構だが、家族が腐り病で死ぬ姿を見たくはないでしょう!?」


「……」


 何も反論できなかった。

 恐らく川上は相当のリスクを負って自分に忠告してくれている。想像や状況証拠の積み重ねではあるが、確実に教団はやばい。


 川上から、数枚の連絡先が書かれたメモを手渡された。

「何かあればここへ連絡してみてください」


「川上さん、なんで私たちに」

「……多分、同じ年代の娘を持つ父親だからなのかもしれません」


 そうはにかむ川上の目には涙が滲んでいた。




































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