第2章 ルシファーエフェクト

 違う時間、違う場所で二人の男が対峙していた。

 民間警備会社から派遣されていた工場警備員、迫下さこした和也かずなりはそれを目にしていた。

 迫下は中途採用の水道設備会社を定年後、たいした技術資格もなく、派遣会社の登録派遣で警備の仕事をしている。七〇に届く年齢で、荒事向けの警備などできるはずもない、夜間見回りが担当だった。

 いままでもそうだったように、その夜も何事もなく、古い工場棟の巡回を残して詰め所に戻っていた。

 工場棟は古く、機械も最近はあまり稼働していない。たまに居残る社員がいるのは知っているが、窃盗の類を気にするほどのものはここには置かれていない。警備はおもに、社屋のほうだけだ。

 いきなり火災警報が鳴ったのには仰天した。

 詰め所のヘルメットをつかみ、慌ててアルミスチールドアを開けた。警報は工場の設備からだ。二〇メートルも離れてはいない。

 駆け込んだ工場は、明かりもなく静かで、かび臭さのこもった湿った空気だった。

 天井は高く、古い木製の骨組みが四方を支え、スタッコを吹き付けた波型スレートの壁材を、細い横木が縦横に横切って押さえている。

 天井の骨組みを照らす光が見える。西側の作業場に誰かいるのだ。

 迫下は大型機械を迂回して走り、その区画に踏み入った。

 炎にゆらぐ影と、立ち上る煙が見えていた。

 木製の作業台や、埃をかぶった旋盤などが並ぶなかに、狭い空間を取り合うように並んだグレーのスチールデスクがいくつか。

 片側の壁で機械が炎につつまれており、引火した油が黒煙を吐いている。

 迫下は目をむいた。

 作業着姿で火炎を背にしたひとりは、手に

 スーツ姿のもうひとりは、スチールデスクで腰のあたりを支え、身を屈めて息を止めている。

 作業着の男は知っている。設計部で働く男で、ひどく陰気すぎてかえって名が知られている、峠ノ越とうのこえ靭一じんいちといったはずだ。もう一人はかがんでいて顔がわからない。

 峠ノ越はナイフを持つその手のみならず、腰から下半身を血で染めていた。

 その眼前でスーツの男はゆっくりと崩れ落ちる。

 迫下はそれを見て硬直していた。声を出せずにただ立っていた。

 怖かった。その作業着の男が。

 悪魔のようで。

 炎のシルエットで判然としないが、峠ノ越は微笑んでいるように見えた。



「なに言ってんだか、わからねぇよ。峠ノ越さん」

 後輩の佐倉はこちらを見ようともせず、ディスプレイのなかの図面を見たまま、俺にそう言った。

「だ、だから、えと、さっきのページ、あそこのAにつながってたでしょう。え、えと、だから、これではダメじゃないかと・・・」

「さっきのってどれ。ちゃんと言って」

「え、えと、42-5図のAにつながって、えと・・・」

 佐倉はため息を鼻で吐き出しながら、マウスを使って図面フォルダをクリックする。

 彼の机の上にはプリントアウトした過去図面と、仕様書の朱書きが積まれている。順序整理とタグ付けをしていないので、取り出すにも、選ぶにも、邪魔でも積んでおくしか使いようがないだろう。非効率だ。それは気づいているが、指摘はしない。

「で?」

「こ、この、あの、Aのリンクを見て。換気槽入口につなげてるでしょう。これだと圧がフィードバックして、ハンチングするよね・・・」

「しねぇよ」

「でも」

「しねぇったら、しねぇよ! 換気槽加減バルブ見たのかよ? 抜けるはずだろ、降下タイミングで開くんだからよ」

 佐倉は俺より二つ年下で、後輩にあたるが、敬語で接されていたのは最初の数か月だけだった。この小さな町工場のオフィスのなかで、誰もが俺に接する態度に、佐倉もすぐに順応していた。

 会社は、大手化学系プラントインテグレータ企業の下請けの、さらに孫請けで、工場の補助設備の更新や、変更を請け負う。中核都市からかなり離れた田畑の多い地域にある弱小企業だ。

 この会社での俺の仕事は、昔の古い手書きの図面をCADに起こす単純作業だ。だが、前の会社の経験で図面も見れたので、設計の手伝いをすることもある。

「そ、そう、それは分かってるんだよ。加減バルブのタイミングチャートでは、えと、降下タイミングでは遅いと思うんだ」

「だから、それ見て決めてんだってんだよ! 聞けよ!」

「そうじゃなくて、そうじゃなくて、起動側チャートしか見てないんじゃないかと・・・えと」

「停止側? 同じだろ」

 そう言いながら開いたチャート図を見て、佐倉はまたため息を吐いた。

「ええ、ああ、そうか、これか・・・、ああ」声のトーンが変わった。

 彼は間違いには気づいたはずだ。責める気はないし、気を損ねたくもない。

「だから、これを、直してもらえれば・・・」そこだけ指摘して戻ろうと考えていた。

「ああ、いいわ、分かったから!」

 佐倉は、すさまじい顔で睨みつけてきた。

「その修正だけ・・・」

「ああ? なに、何度も言わなくていいわ! 直すわ! 停止チャート固まった昨日だっただろうが、もう作りかけてあったんだよ! そのあと4パートに設計きたから押したんだよ! しかたねぇだろう」

 なぜなのか。

 なぜ、この男は苛立っているのか。

 佐倉に限らず、誰もかれも、主張が誤りであると指摘されて論破されると、明らかな苛立ちが生まれ、不快感を露わにする。だが考えてみれば、自分の考えの誤りが正されたのは歓迎こそすれ、嫌忌すべきことではないはずだ。

 そもそも話し合いや、議論とは誤りを正し合う行為のはずだ。ヘーゲルが弁証法うんぬん言う数千年もまえから、人類はそうやって正し合って問題を解決してきた。

 ところが、指摘されると、羞恥を感じ、言い知れぬ不快感に苛まれる。自分の誤りだと気づいていても、なかなかそれを受け入れられない。そうして佐倉がしたように、「実はこういうやむを得ぬ事情で誤ったのだ」と言い訳をする。言い募る。

「あんただって、こないだCパート間違ってただろ」佐倉は見下すような口調で言う。

 こんなふうに、いまの議論と全く関係のない相手の過去の誤りをあげつらうこともよくある。こういうことは、俺は何度も経験してきた。

 だが、こういう経験は俺だけではないだろう。少しでも劣っていると見られることが、どうしてそれほど恐ろしいのか。

 人間がもつ、この『優越欲求』は、俺を生涯にわたって苦しめてきた。


 俺は、ひどい醜貌で、そして矮躯だった。

 幼少時から残酷ないじめに遭っていた。

 大きな港町から内陸に入った、工業団地を中心とした小さな街は、都市から流れてきた工場労働者や、漁業閑散期の出稼ぎ漁師が支える地域経済の小さなるつぼだった。

 低所得者が多く、昼間、ふた親がともに家にいない家庭がほとんどだ。その地域で、放置同然の子供たちのコミュニティで、いじめは都市のそれとは比べ物にならない凄絶なものだった。

 叩かれたり、物を奪われたりすることは茶飯事で、髪をむしられたり、刃物で切られたり、指を折られたこともあった。栄養状態も悪かったのだろう、抵抗するだけの膂力がなく、抗えばさらにひどい仕打ちに遭うだけで、耐える以外の選択肢が俺にはなかった。

 そんな自分を最も蔑んでいたのが自分自身だ。その激しい劣等感から卑屈な、落ち着きのない、矮小な印象を与える子供に育っていた。

 俺の家は貧乏だった。

 父は季節工契約の工場労働者で、日銭を握って帰ってくるのだが、帰る途中の酒屋のカウンターで、量り売りの焼酎をひっかける。数百円足らずのその出費で、家の経済力のかなりの部分が失われていたのだから、収入の細さは言うまでもない。

 母はやはり工場労働のパートでほとんど家にいなかった。

 母は、昔はもっと裕福だったと言っていた。平屋の狭い家には、バラック作りの工場棟がついていた。かつては農協の下請けで肥料や溶剤の製造を行い、従業員も囲うほどであったのだという話を何度もされた。だが、その時代の母は、厳格で、ひどい男尊主義で、そして残虐だったという祖父に奴隷のように扱われ、まともな食事もままならなかったとも聞いている。母にしてみれば、過去のそんなわずかな幸福感の幻想にすがらねば、生きていられなかったのだろう。

 その工場で稼げていたのは死んだ祖父の時代までで、やがて山の向こうに原子力発電所ができてから、この地域の農作物の生産が激減し、その影響で工場は父の代に早々に廃業したのだ。


「千駄木さん、峠ノ越といっしょに、吉永に図面持って行ってくれんかな」

 主任の大久間の声がした。千駄木は古参の社員の名前だ。

「わかりました。いまからですかぁ?」

「ああ、ごめん。いますぐで。早くくれって吉永から電話が」吉永とは取引先の吉永土建のことだ。

 俺の都合は訊いてはこなかった。

「はい。じゃあ、峠ノ越くん、いこか」

 千駄木の禿頭が、デスクのディスプレイの向こうに立ち上がり、声を掛けられた。

 俺たちが立ち上がると、床のべニア板がたわんで、みしりと鳴った。

 社屋の裏の、資材置き場に増設された工事用バラック、会社の拡張フロアとして使用されているここは、おそらく建築法上は真っ黒だ。

 強い風が吹けば、ばきばきと軋む薄いサッシ扉を開けて、縞板を溶接した錆だらけの鉄階段を下りる。

 軽トラ、スズキキャリイの助手席に収まって、取引先に向かう。

「峠ノ越くん。出身はもともと地元だってねぇ。どこの高校?」

 千駄木は六〇を過ぎた嘱託社員で、温厚な男だった。俺にも優しい声をかけてくれる、この社内でも数少ない者のひとりだ。

「あ、ああ、野辺のべだに工業です」

「ああ、そう、工業・・・」

 それきり黙った。野辺谷工業高校はこの辺で、柄の悪さで有名な高校で、レベルの低さは折り紙付きだった。


 小学生のころ、勉強は嫌いではなかった。それは達成感を与えてくれたし、そのころの俺が、わずかながら優越を獲得できる唯一の方法だったからだ。

 だが、家の貧しさから都市の進学校には行けなかった。

 その地域の小、中学生はみな、ほぼ同じような境遇だった。家庭の経済的な理由から、エスカレータ式の地元の公立高校か、商業高校、工業高校へ入るのが定番で、大学進学を考える者がほとんどいなかった。進学に希望を抱けない子供たちが勤勉に勉強するはずもなく、荒れた学校が多かった。

 卑屈な態度を取り続ける俺は、地元の工業高校では、不良と分類される者たちの格好の餌食になっていた。茶飯事だった暴力はさらにエスカレートし、学校を休むことが多くなった。

 そのころの父親は、その地域の過疎化が進んで仕事が減り、酒の量が日増しに増え、苛立っていることが多くなっていた。あるとき酔って母を殴りつけた。それがきっかけのように、それ以来、容赦ない暴力を振るうようになっていった。母はただ、牛馬のように父の手に引き回され、要求に黙々と応じるだけで、ほとんどなにも言葉を発しなくなっていた。

 そんな自分の写し絵のように卑屈な俺を、母親もまた、疎んじるようになった。

 物を取られたり、けがを負ったりして帰る俺を、家族の誰も顧みなくなっていた。しかし、学校を休むと父の暴力が待っていたので、俺は獣の群れを避ける小動物のように、学校でも、家でも、ほかの者の視界に入らぬよう、誰かの気に障らぬよう、周囲を避ける生活をして生きながらえていた。

 工業高校を卒業後、二〇キロほど離れた街の工場で働き始めたが、長くは続かなかった。

 侮蔑と、暴力とに翻弄されて少年期を過ごした俺は、まともな人間関係を構築することができなくなっていたのだ。就職と同時期に鬱病を発症した俺は、入退院を繰り返し、地元からさらに離れたこの街の、病歴に理解のある会社に拾われた。

 だが、その会社に就職できたわけでなく、その孫請けのこの町工場に押し込まれた。そしてそれは、この零細企業にしてみれば、面倒ごとの押し付けでしかなかった。

 俺は多くの本を読んだ。

 メンタルの本や、心理学の本を図書館であさり読んだ。なにかの答えを求めていたわけではない。それは、おそらく防衛機制だろう。初歩で学ぶフロイト心理学だ。

 人間の脳はストレスに弱い。満たすことの叶わない本能の欲求にさらされると、そのストレスを回避するためにさまざまなメカニズムが働く。食べたいものとは違う別なもので我慢したり、会いたい気持ちを写真で癒したり、求めるものと似たもので代用したり、あるいは、さまざまな理屈を探して、合理的にしかたがないことと自分を納得させようとしたりする。

 俺は侮蔑の苦しみを、自らの境遇を、自分の能力の低さを、わずかにも満たしようがない優越欲求を、なんとか自分に納得させる理屈を探していたに違いない。


「ああ、こいつ、割り込みやがった。くそが」

 二車線の道路で、キャリイのまえの狭い車間に、トヨタカローラスポーツが、赤い鼻づらを押し込んで入ってきた。

「この野郎、ウィンカー出してねぇじゃねぇかよ。ぶっ殺すぞ」

 ふだん、まったく温厚なこの男が、悪態をつき、罵声を浴びせることなど聞いたことがない。車を運転しているときを除いてはだが。

 なぜ、この男はこんなに怒っているのか。

 時速六〇キロで走る車の前に一台の車が入ったとして、到着する時間に数秒の違いがあるかどうか、それに怒っているわけではないだろう。

 たとえば、駅で電車を待つ行列をしているとき、列に割り込む男がいたとき、怒りが沸き起こる。街中の歩道で肩にぶつかって、そのまま去って行こうとする相手に腹を立てることがある。だが、座れるわけでもない混んだ電車に乗り込むときに、順番の違いに憤るほどの意味があるだろうか。ケガどころか痛みもしなかった肩のぶつかりに、なぜ苛立つのか。

 損得でもなく、損害の大きい小さいでもないことで、人は苛立ち、諍い、争いあうことが多いのはなぜなのか。

 そう訊くと、ルール無視だから、マナーが悪いから、不正義だからと多くの人は言う。

 だが、自分以外の誰かが肩をぶつけている姿に腹立てたことなどない。他の車の前に割り込む車に苛ついたこともない。

 俺たち人類は、誰かに自分の権利を侵害されることに強いストレスを感じる生き物だ。猿の群れのなかでは餌を取るにも序列がある。上位の者には従順だが、同列か、下位の者が自分より先に餌を取ろうとすると、病的なほど激しく威嚇、反発する。アドラー心理学でいう『優越欲求』の現れだ。

 そして、本当に恐ろしいのは、俺たちの脳では防衛機制によって、優越欲求にさらされていることにようになっていることだ。

 だれひとり、相手が自分より優越な態度や行動をとったから嫌なのだとは言わないし、考えてもいない。誰もが、心から信じている。ルール無視だから、マナーが悪いから、不正義だからと。自分はちゃんと考えている。本能などではない、論理的に正しいことを主張している。それに怒っているだけなのだと。心から。

 俺の上司もそうだった。


 取引先で図面を渡して、説明を行い、帰社すると、罵声が待っていた。

「おい、峠ノ越! これを見ろ! なにやってた!」

 主任の大久間が、俺を罵倒することは常だった。

 あわてて主任席に駆け寄ると、資料の束を顔に投げつけられた。足元に印刷資料がばらまける。

「何度言えば解るんだ? 前も言ったよなぁ、赤出しする前に確認しろってよぉ!」

 硬い革靴のつま先で膝を蹴られた。

「あく・・・」膝に手をやる俺のこめかみを拳骨が叩く。眼頭に火花が飛ぶ。

「豚野郎が、面倒見きれねぇんだよもう。バカなのか、バカなのかぁ」

 俺はこの会社に就職したあとも残酷な嫌がらせに遭っていた。

 この会社や、主任の大久間にしてみれば、俺は親会社から押し付けられたお荷物でしかなかった。

 地方にある、建設業の親会社を持つここのような工事下請け企業は、土木建築の現場を相手にする荒くれた人間ばかりだ。都会の大企業とは世界がまったく違う。コンプライアンスなどという単語は聞いたこともない。三〇キロ離れた労基署になにを訴えても会社は変わらないし、職を失うだけの結果になる。

 狭い社屋にいる誰の耳にもやかましいほど聞こえているこの会話に、口をはさむものは誰もいない。

 大久間が間違いを指し示す設計図面は、俺が担当しているものではなかった。確認を頼まれただけで、しかも、確認したあとで誰かの修正が入ったものだった。

「あ、あう、これ・・・、これ修正入っていますから・・・」

「修正入ってたら自分のせいじゃないってのかよ。お前が頼まれたんだろ! この確認をぉ!」

「あ・・・あ」言いがかり、屁理屈だということは分かっていた。そういう揚げ足取りの嫌がらせは、これまでも数えきれないほど、この男からされてきた。しかし、反論する言葉は急には出てこない。

「頼まれたの? 頼まれてないの? どっち?」

 なにを言っても無駄なのも分かっていた。言うだけ火に油を注ぐことになるのだ。

「黙るなよ! それが一番腹立つんだよ! 黙ってちゃ分からないだろ!」

「た、頼まれました・・・」

「じゃあ、なに言いわけしてんだよ! お前のせいでどんだけ迷惑してると思ってんだよ、ああ?」

 大久間はもともと高圧的で、自己中心的な性格で、嗜虐性が強く、部下の失敗に執拗な叱責や、精神的に深く傷つける物言いをするのが常だった。俺についてはそれが倍増しで、俺を辞めさせたい意図が見えていた。

「毎回こんだけ言われてんのに、ちっともこたえやしねぇ。しっかり食うだけ食って、ぶくぶく太りやがって、豚が。もう辞めろよ。辞めろ。役たたねぇだろ、迷惑なんだよ、居てもよう」

 俺はまた黙った。なにかを言うだけ逆効果で、俺が従順な態度を示せば示すほど、彼は苛立ちをさらに強め、烈火のごとくに怒って罵倒するのが常だ。

 俺を𠮟りつけても、怒鳴りつけても、殴ったとしても、失敗や誤りが戻るわけではない。この男のように、激しく叱り、罵り、執拗に傷つける言葉で責める上司は世の中には大勢いる。彼らが求めているのは謝罪でも、反省でも、問題の解決ですらない。

 彼らは、無自覚に、そいつが悪いせいだという。だが、躾けるつもりであえて叱っているのでないことは明らかだ。思い通りにいかないとき、誰もが苛立つ、神を呪う言葉を吐く。それを俺に向けて吐き出して、優越の快楽を味わって代替する。

『いじめ』は、優越欲求を充足する最も原始的な手段だ。

「間違い、間違い、間違い、何度言えばいいんだぁ」

 仕事の誤りは俺にも何度もある。しかし佐倉などは俺などより数倍は誤りを犯しているが、大久間が叱責することはほとんどない。攻撃的な佐倉とは口論になりたくない大久間は、はけ口のように俺の誤りを細かく探している。

 大久間は、もともと親会社の社員で、出向社員だった。地方の建設業の親会社の社風は荒く、大学出の大久間は、若いときは現場ではかなりいじめられたようだと聞いたことがある。傷つけていると分かっていながら虐げることを止めない者の多くは、もともと劣等感に苛まれた経験を持つ者であることが多い。そもそも勝者の優越を持つ者は、劣る者に寛容なものなのだ。

 俺はそうやって、周囲の者たちの心理を観察していた。合理的な理由を探していた。そうすることで、俺のなかの優越欲求にわずかながらの分け前を与えていたのだ。

 だが、大久間の抱える優越欲求のストレスを看破しても、与えられる屈辱も心理のなせる技だと理解できていても、俺の痛みがなくなるわけではなかった。

 

 俺はただただ耐えた。

 こんなことは毎日のようにあったことだからだ。

 大久間がしゃべり疲れて解放されるまで、ただ待った。

「九三年度分のヤマキの図面、まだ終わってねぇんだろ。九四年のACPの図面もあるからな。ちゃんとやれよ、いいな。佐倉のヘルプもだからな」

 仕事はまた増やされた。ただでさえ、残業続きで、ほとんど休日もなく働かされているのに、だ。これで仕事が終わればまた増やされ、終わらないなら、お前のせいだ、などと叱責が待っている。

 席に戻ろうとして、つまずいた。足に震えがきていた。思わず土埃の床に左手を突く。支えようとして右手をかけたそばの椅子が倒れて、けたたましい音を立てた。

 すぐ横に座る女子社員が驚いて立ち上がる。

「あ、あ、すみません」顔が熱を帯び、汗が噴き出す感じがした。

「だいじょうぶ?」

 女子社員の苦笑い。後ろで嘲り笑う誰かの声。

 俺がよろけながら立ち上がろうとする。女子社員は汚いものに触れたくないというふうに、両手を体の両側に引きながら後ろに下がった。

 周囲のだれもが浮かべる憐憫の目と、優越の笑み。

 いまさらどうとも感じない。これまでも、ほかの社員たちにさまざまにからかわれ、弄られ、笑いものにされてきたのだ。

『いじめ』の愉楽は誰もが持っている。お笑い芸人が無様に池にはめられるのを観て、大勢が大笑している。クイズ番組でおバカタレントが出すトンチンカンな回答を観て誰もが愉快に笑う。そんな下卑たものは観ないと蔑む理性的な知識人であっても、友人や、仲間うちの間抜けな失敗を嘲笑してからかった経験は一度や二度ではないはずだ。


 俺は席に戻ると、引き出しを開け、抗不安薬レキソタンを取り出し、ペットボトルのお茶で流し込んだ。しばらくデパスを飲んでいたが、最近は効かなくなっていた。

 指が震える。

 心拍数が上がっていた。

 俺はずっと不思議に思っていた。

 いじめは辛い。蔑まれるのは苦しい。だが、どれほど蔑まれようと、貶められようと、死ぬわけではない。なにかが奪われるあるわけでなく、食えなくなるわけでもない。

 なのに、なぜこんなに苦しいのか。

 死ぬしかないと思えるほどの苦痛に苛まれるのか。

 劣等感や、境遇を悲嘆して自殺を図る者は日本だけで年間何万人もいるという。

 優越感の愉悦よりも、劣等感の苦痛のほうがはるかに大きいことは、心理学の実験でも明らかになっている。

 容姿、能力など、コンプレックスを持っていない者はほとんどいないだろう。そのストレスを感じないでいられるのは「優秀」と自他共に認める者のみということになる。従って、この世界の大多数の者は、「劣っている」ストレスのなかで、それと戦い続けなければならない宿命を負っている。古典心理学で『自己実現』と呼ばれる葛藤や、アドラー心理学で『承認欲求』と呼ばれるストレスは、「劣った」ものでないことを確認したい心理にほかならない。

 人類は二百万年も猿の群れだったあと、いきなり数万年ですさまじく進歩して、石器を使う類人猿から、いまの高度な文明の人類に成り上がった。

 優越欲求を持つことは文明の発展に強く寄与したという考え方もある。優れたいと願い、劣ることを恐れ、そのための方法、道具などを、より向上させようと望むなら、『優越欲求』を強く持つ群れは他の群れを凌駕し、駆逐し、遺伝子プールの中で多数を占めてゆくだろう。

『優劣』は自分と他者とを対比できる知能がないと成り立たない。スティーブン・マイゼンが『社会的な知能』と呼んだように、自分以外の固体を自分と対比して思考できるのは人類のみだ。従って、優越欲求は人類おいてのみ、大きな意味をもった。

 私たちを進歩させ、文明を高みに至らせたそれは「より優れたもの」への希求などではなく、「他に比べて劣りたくない」と願う猛烈な劣等感のストレスだったかもしれない。それは、より人類を優れている方向へ運び、確実に人類を前進させつづけ、向上させ続けてきただろう。

 人類の苦しみが、文明の躍進の糧になる。

 神が与えたこの底深い闇のロジックは、文明の進歩とともにあり続けてきたのだろう。あらゆる人間の行動原理のもととなって、心理、感情の裏に支配的に存在し、文明進歩や経済原理、そして戦争や貧困の根源にあり続けてきただろう。

 幼児でも成人でも、あらゆる場所で優劣は競われ、単純な会話にも現れ、議論、スポーツ、ゲームでも、競争経済で、受験戦争で、あらゆるサービスも、『優劣』の欲求がなくては存続しえない。この社会は、つねに『優劣』のストレスを抱えていなければ進歩できないし、成り立っていかない。

 そして、このシステムは、つねに格差や、落伍者を生むことを避けられない。

 この神の呪いは、俺に絶え間ない苦痛を与え続けてきた。

 弛緩する。なにもかもが弛緩し、言葉に慣れ、痛みに慣れ、傷つかなくなるのを、俺はただ待つしかなかった。

 大久間たちのいじめも、このところは慢性化して、疲れはじめていた。待ってさえいれば、耐えきれるような気がしていた。

 その日がくるまでは。


 その日、外回りから戻った大久間は、ひどく慌てた様子で席に駆け戻った。

 席に置きっぱなしの飲みかけのペットボトルの茶をおおきくあおって、席に着くと、大急ぎでマウスを操り始めた。

 ぶつぶつとなにかを呟きながら、血の気の引いた額に、薄く汗をかいていた。

 そしてしばらくして、それまでにない大音声で俺の名を呼んだ。

「峠ノ越!」

 立ち上がってそちらを見ると、大久間は赤面し、目をいからせてこちらを見ていた。

「こい! 佐倉も、ほかの奴もみんなこい!」

 大久間の席をみなで囲むと、大久間がディスプレイに表示した図面を指した。

「これはおまえが清書した図面だよな」

「え、どこの・・・」いきなり一枚見せられて、いつの、なんの図面かなど分かるわけがない。

「大日本の図面だよ! 去年のだ! おまえのサインがあるだろ!」

 確かにサインはあったが、年間に大量の図面を扱うので、一瞥していつの、どういう経緯の図面かの判別は難しい。図面を複数の人間が修正するので、サインも適当なものが多く、自分が担当したかすら定かではない。

「いや、わからな・・・」

 いきなり拳骨が飛んできた。

「ふざけんな! このやろう!」視界が吹き飛び、上下を失い、気づけば床にあお向けていた。耳に金属的な雑音がした。頬の痛みはそのあとやってきた。

「これ見ろ!」引きずりあげられた。よろめく足元に血が滴った。

 ディスプレイに表示された表は設計諸元表で、構成する設備の設計詳細が記されている。

 大久間が差す、設備基礎の鉄筋本数は見えたが、なにを言っているのか、なにが間違っているのか、それだけで判りようがない。

「あ、こ、これが、どう・・・」

 再び殴られ、腰からスチール机に叩きつけられた。大きな音と、周囲のどよめきは、今度は聞こえた。

「これがどうしただと! 桁が違ってるだろうが! 見りゃ分かるだろ! 本数が十分の一しかねぇだろうが!」設備の規模も分からないのに、本数の不足が見て判るわけもなかった。

「これ、大日本のどこですか?」千駄木の声がした。大日本とは、大日本精錬社で、日本屈指の大企業で、親会社の取引先のなかでも最重要と言える企業だった。

「奥崎の工場だよ。付帯設備だが、基礎は機械棟と共用してるんで、直すなら全部直さにゃならなくなる。この春の抜き打ち監査で出たらしい」

 それが事実なら、この会社では賠償は無理だ。親会社へ頼るしかないが、莫大な負担になることは間違いない。

「てめぇ、今度という今度は許さねぇ! 馘だぁ! ただ馘にしてたまるか! 損害賠償してやるからそう思っとけ!」

 机の足元にうずくまっていた俺の顔に、靴底が飛んできた。

 俺は朦朧とする頭で、しかし必死に考えた。

 そんなことはあるはずがない。

 その表を作った記憶はない。大手の取引では特に重点的に確認を行うし、別な人間の二重、三重チェックもやっている。もしも俺がミスしたとしても、そうそう漏れが出ることはないはずなのだ。そもそも、重要案件には携わらせてもらえないのが通常だった。

「お、俺・・・、俺じゃない・・・」

 一瞬、静かになった。そしてそう言ったことを後悔した。

 大久間の叫ぶような声は、言葉として聞き取れなかった。

 靴底が全体重を載せた踏みつけに変わり、わき腹をすさまじい痛みが叩きつけた。俺は内臓が収縮するような苦痛で体を折り曲げ、息を吐き切り、吐しゃ物を吐き散らして倒れこんだ。

 蹴りつけはさらに続き、背中をなにか金属のようなもので殴打された。

 腹筋が痙攣し、俺は息ができず、吐しゃ物のなかをのたうち回った。

 それまで以上にひどい、誰もが耳を塞ぎたくなるような悪罵が投げつけられていたそうだが、俺の耳は聞こえなくなっていた。

 暴力的になる人間は数多くいる。

 日常のストレスや、劣等感に苛まれた人間が、優越欲求でそれを穴埋めするために、自分よりも立場が低いものに、家庭で、たとえば親が子に、子供が親に、パートナーなどに暴力を振るう心理のメカニズムのひとつがこれだ。有名なスタンフォード大学の監獄実験で示されたように、地位の上位にあるものは下位のものに暴力性を発揮しやすくなるのだ。

 俺はそれ以上、反論することができなかった。

 そして俺は、俺に残された選択肢は、もう二つしか残されていないと知った。


 死か、暴力か。


 『劣等感』を最悪なレベルで感じ続け、逃れられないと知ったとき、その絶望の地獄から逃れたい本能は、自殺か、または攻撃性へと変貌する。「いじめ」と同じく、暴力で他人を制圧することは、本能の域でももっとも原始的な「優越」への近道であり、常にさらされている『優越欲求』のストレスを和らげる本能的な手段でもある。

 俺は特異者だ。

 俺は他人よりも強い『優越欲求』と、それに伴う誰よりも強い苦痛に苛まれている。

 そしてその苦しみから脱出する手段はもう、それ以外にない。


 俺はその日、病院に送られ、そのまま宿舎である独身寮へ帰った。

 鼻の骨折と、あばらのひび、数多くの打撲、背中の打撲からくる内臓の不全障害で貧血になっていたが、親会社の提携病院では、社内でのケンカとして片づけられていた。

 社内では、親会社から監査役がきて、その誤りが意図的な隠ぺいではないことを示すよう調査が求められ、詳しい報告書の提出と、再発防止策を親会社で説明するため、全社員で処理に追われていた。

 俺はそれに参加することを許されず、帰されたのだ。むろん、自分の責任でないことを調べることも許されなかった。

 二日目の夜、俺は会社の工場棟にいた。

 会社は、いまは親会社からの設備工事を主流にしているが、かつては自社製品を軸に運営していたために、古い工場棟が隣接していた。

 工場の照明は点けず、デスク照明だけで作業するのが常だった。

 グレーのスチールデスクは何年まえのものか分からない。ひどい錆で引き出しがざらつく音を立てる。それも構わない。機械油の匂いが心地よかった。埃まみれの古びた内壁が俺には暖かかった。

 俺も製品を一部担当していて、最近はあまりないが、発注があったときにはこの工場内の、専用区画で作業する。その区画は俺の聖域だった。ほとんどの社員が、油臭いこの工場区画には寄り付かない。退勤のタイムカードを抜いたあと、俺はここで夜遅くまで残業することが多かった。

 サービス残業はつらくなかった。一人になれたし、作業に没頭できた。めったに使わないが俺のためだけの工作機械もあった。それに油を指し、点検するだけでも心が落ち着いた。

 その工場の、深夜の暗がりのなかで、俺は問題の図面の履歴を探していた。工場の端末から社内のネットワークにつなげて、部門のサーバにアクセスした。画面に映し出される、昨年の設計データベースの履歴を捜査する。

 サーバの管理者画面に移ってログインする。

 ここには昨年のデータベースのバックアップがある。万一のサーバ故障から大切な設計資料を守るため、データベースは定期的にバックアップを保存する決まりになっている。それを実施しているのは設備メンテナンス担当の俺なのだ。休業日に出社して、バックアップ作業をしなければならないメンテ担当には誰もなりたがらない。

 そして異常に気付いた。

 問題となった昨年の大日本精錬社との取引前後のバックアップがなかった。

 心臓が奇妙な音を立てた。

 誰かが意図的に削除したとしか考えられない。

 俺は、立ち上がって、本社棟にあるサーバ室に向かった。メンテ担当の俺にはサーバ室の鍵が預けられていた。テープメディアとドライブユニットを抱えて工場へ戻った。

 あとで思えば、そのまま誰も入れないサーバ室で作業すればよかったのだ。だが、なにかが怖くて、聖域に戻りたかった。

 バックアップはこれも定期的に外部メディアに保存する。持ち帰ったメディアに中には、果たして削除されたバックアップが残っていた。

 問題となったその図面の前後で修正があったかを調べようとした。ところが、その図面に記載された作成者の名前は俺ではなかった。

 頭の血管が一瞬、怒張する感覚に襲われた。

 作成者は大久間だった。

 それどころか、設計から照査まで大久間で、そして大久間の専用フォルダに格納されていた。

 俺の手は震えた。

 ここまで明白だと、いかに大久間でも言い訳はできない。間違いを犯したのは大久間で、行うべきチェックルールを無視して作業し、そして、その罪を俺に押し付けたのだ。

 涙がこぼれそうになった。

 奴はそれと知りながら、俺を罵倒し、足蹴にし、貶め、辱め、そして放逐しようとしているのだ。

 悔しさに切歯した。

 そのとき、背後で音がした。

「おい、峠ノ越」

 その声に戦慄した。

 振り返るさきの工場の闇のなかに、大久間が立っていた。

 俺のデスクのデスクランプ以外の電灯は点けていない。暗闇のなかにスポットのように浮かんだ明かりのなかで俺たち二人は対峙した。

「なにやってる?」

「お、俺は・・・」

 なにか言うより早く、大久間は俺の前に駆け寄り、俺を押し飛ばした。

 右横のスチール机の脚に肩から激突し、大きな音が鳴り渡る。

 その反響が工場内に消えないうちに、大久間が言った。

「おまえ、気がついたのか?」

 俺は肩の激痛に呻きながら、涙目で大久間の顔を見上げた。うまくいかないことへの苛立ち、怒り。すべての禍々しいものを、なにもかも俺で満たさずにはおかない、そんな大久間の形相だった。

 大久間は、そのままディスプレイのほうに向きなおると、キーボードを操作し始めた。なにをしようとしているかは明らかだった。

「や、やめ・・・」言葉は出なかった。大久間が振り返るだけで、体が凍った。これまで受けた奴からの暴力が、俺の思考のおよばないところで俺の体を支配し、反駁を許さない。

「お、おお」立ち上がろうとした。這い上がった。

 あのデータが失われれば、すべてが終わってしまう。なにもかもが。

 前に出た。腕を前に出し、空をつかむようにして、奴のほうへ。

「消したぜ」

 大久間の顔に怒りはなかった。怖がっている。この男も。

 奴の拳骨が、俺の折れた鼻を押しつぶした。

「があ」膝が折れ、天をあおいだまま座り込む。

 その頬を、もう一度拳骨が叩きつけた。

「消したぜ! 消したぁ! あきらめろ、峠ノ越ぇ!」奴は叫びながら、倒れた俺に馬乗りになり、何度も拳を打ち下ろした。

 拳で顔を殴るのは、じつは拳のほうもかなり痛いので強くは殴れない。次は足が飛んでくる。

 豚だの、死ねだの、罵詈雑言が重ねられ、奴は俺の存在を全否定する言葉で俺を無惨に切り刻んだ。

 強い耳鳴りがして、奴の声が遠かった。

 涙と眼底出血で朦朧とする視界に、炎の揺らめきが映った。

「あ、ああ」声は相変わらず言葉にならなかった。

 テープメディアにライターで火をつける様子がかすかに見えた。

「会社にばらしても無駄だぜ。この日のバックアップはもう消した。メンテ担当者はお前で、サーバ室に許可なく入れるのもお前だけだ。俺の間違いの証拠がないってだけじゃない。お前が証拠を消したんだ。そういうことにしかならねぇぜ。そうだろ」

 油のしみ込んだ工場の床の、デスクランプの光の届かない足元は、まるで墨を流したプールのようだ。受けたダメージが体の神経を寸断している。まとわりつく闇が体の自由を奪う。

 闇の向こうで、炎が大きく立ち上がるのが見えた。

 俺の機械が燃えていた。大事にしていた俺の機械が。

 大久間が抛り捨てたテープメディアが油に引火したのだ。

 必死に立ち上がろうとした。

 大久間の横顔が照らされて真っ赤に浮かび上がる。

 俺の腹の底で、セラフィンのようにはかなく薄い膜のなかに溜まったどす黒い液体が、ぶつりと破れて内臓に浸潤する。

 俺は吠えた。涙を流して叫んだ。

 俺の手には、現場用の大型カッターナイフが握られていた。どこでどう手にしたのか、あるいは拾ったのか記憶になかった。

 俺はついに『そこ』に到達した。


 死ぬか、殺すか。


 この劣等の地獄から逃れる手段は自らの命を絶って消え去るか、相手を消し去ってこの地獄をないものにするかしかない。生死の選択の前で、犯罪への抵抗など意味を持たない。相手がなにを奪ったかなどすでに問題ではない。抵抗ではない、報復でもない、原始の本能の場所で、あがきながら逃れる道にすがろうとしていた。

 胸に嫌悪感が押し寄せる。ひとを傷つけることは、自らを傷つけることを思い起こさせ、禁忌のストレスが起こる。殺人は、種の保存本能が抵抗を現す。

 それを押しのけ、蹂躙して、生存本能が俺に力を与えた。

 嗚咽がのどを締め付け、沸騰した胃液が胸を灼いた。

 俺は涙し、吠えながら、大久間の首元にカッターナイフを突き刺していた。

 その薄暗い工場の壁で、炎に照らされた巨大な俺の影が、魔人のように猛々しく揺れ、埃だらけの工場の壁を揺すっているかのようだった。


 ―――そして、それから半年が経った。

 大久間は死んだ。だが、すべてを諦めていた俺の思いに反して、問われた俺の罪は軽いものだった。

 俺が使ったのは工場に置いてあったカッターナイフだったが、それはもともと大久間が使っていたものだった。大久間はおそらくは、俺を脅すつもりもあってそれを工場へ持ち込んだ。だが、使われぬまま、どこかへ置いたか、落としたかしたものを、俺が偶然手にしたのだ。

 警察の捜査で大久間が行った資料の不正は明らかとなっていた。奴はデータを削除したが、警察は削除データを復元したようだった。大久間が計画的に俺を陥れたこと、暴行におよぶひどいハラスメントを行っていたこと、俺が奴の不正の証拠を見つけた顛末も周知になっていた。

 親会社が寄越した弁護士は、大久間が俺への脅迫のために刃物を持ち出し、俺がこれの防衛として傷害に至り、意図せず死に至らしめた、と主張した。俺が鬱病であったこと、普段からの真面目な態度、柔弱な性格も斟酌されていた。

 警備員がきたときにはすでに終わっていた。行為の目撃者がいなかったため、正当防衛とは認められず、過剰防衛、過失傷害致死の罪となったが、大久間のほうに加害の意図、行為があったとされ、自己防衛の必要性も大きく考慮されて、実刑はわずか二年とされ、そして執行猶予がついた。

 そして俺は、想像もしていなかったが、仕事に復帰することができた。

 周囲の目は以前と同じではなかった。俺はあの夜、鬼気迫る形相で、血まみれで立っていた姿を警備員に目撃されていた。それは社内で噂になっていて、誰もが俺を疎み、恐れ、そして蔑んでいた。

 そのように、俺は相変わらず侮蔑を受けていたが、いじめには遭わなくなっていた。

 俺の腹の中をなにかが侵し続けていた。

 その事件は、俺の人生で経験したことのなかった支配の経験だった。暴力で勝ち取る優越の喜悦を俺は初めて知ってしまった。俺は、以前の俺ではなくなりつつあった。

 周囲は、俺の想像以上に俺を避けた。

 キレれば人も殺すような男だと思われていたかもしれない。そんな人間に、普通に接しようとする者などいないだろう。だが、そんな俺に対する周囲の畏れは、俺にそれまで得たことのない優越を与えた。

 そしてそのわずかな優越は、それと同時に与えられた激しい排斥と、嫌悪と、そして蔑視に対して、それまで感じていたものを超える劣等の苦痛をもたらす効果を与えた。

 俺の優越欲求は次第に大きくなり、抗えないものになっていった。

 嗜虐への誘惑。

 それが俺の黒々とした腹腔のなかで胎動し、そして内臓を圧して成長した。

 俺は神を呪わない。

 ほかの者を恨んでいたわけではない。この世を憎んでもいない。やさしさを向けてくれるものが誰ひとりいない世界は、やさしさを与えたい者がだれひとりいない世界と表裏であるだけなのだ。

 神が人類に与えた優越欲求の苦痛の枷、「劣等感」の激しいストレスにさらされた人間が、ごくまれに、その原始的な欲求から、計画的に弱いものを襲うという行動を起こす。競争社会アメリカでは、劣等感に苛まれた者による銃の銃乱射事件は、数百件発生しているという。銃を手にできない日本では、刃物や自動車などの凶器を頼り、抵抗しない弱者、動物、そして子供や女性を狙って殺戮するという事件が何度も起こっている。

 こうした事件で、犯人が不遇の立場であった時に、その境遇に対して共感を示す者が少なくない。だが、その共感は誤りだ。「劣等感」に苦しむことを誰もが理解できるのはむしろ当然だが、それが高じて子供の殺戮に向かうことを理解できる人間はまずいないだろう。それは極めて僅かな、特異な人間であるということを混同すべきではない。

 特異な、まれなことなのだ。

 この俺のように、だ。

 ふたたびほかの誰かを傷つけたり、殺したりすることを、俺は何度も、何度も考えた。

 だが、実行することはどうしてもできなかった。ナイフや包丁でもう一度誰かを殺すような勇気はなかった。

 怖かったのだ。

 幼少期からずっと底辺の弱者だった俺には、あの夜のような特別な力がない限り、暴力をほしいままにできる強靭さなどない。

 そして俺は、を求めるようになっていった。

 他人を殺戮する行為は禁忌で、それを犯すものは異常者だ。だが、このような異常が、あたりまえのものとして常態化する場がある。それは戦場だ。

 チンギス・ハンや、十字軍や、歴史上の戦争では残虐な殺戮は珍しくないが、なにもそのころの人類が文明的に未開だったからではない。ナチスの残虐は知れ渡っている。湾岸戦争では、陽気に笑いながら殺戮する兵士の姿や、人体の頭部をサッカーボールのように蹴って興じる米国兵士の姿が目撃されている。ウクライナでは、少女を無造作に撃ち殺す兵士や、日常的にレイプと殺戮を繰り返すロシア兵の姿が報告されている。

 人は特定の条件下で、快楽のうちに他人を傷つけ、殺戮を行うことができるというのは、社会心理学では常識だ。

 誰でも他者の人体を傷つけることや、殺人は、本能が抵抗する。しかし医師が、重ねる経験によって人体を切り刻むことへの嫌悪感を安全に失うように、戦場でも「慣れ」によって、同属殺害、残虐行為への禁忌は薄れ去る。

 それを完全に失ったあとは、純粋に、虐げるその行為と感情だけが残るのだ。

 暴力的な手段で優位に立ったあの夜の経験が、何度も思い起こされた。

 戦場の兵士のように、殺人による本能の禁忌を破ること、そして神のロジックを超越してゆくこと、それがこの世界の苦しみから逃れるただひとつの手段だとしたら。

 そして俺は、その場所を希求した。死が日常である場所、破壊と混沌のなかで暴力と死を容易にする場所。

 そのため俺は、まず俺の生まれた家に帰った。

 そのころには、父は癌で、母はコロナで亡くしていて、生家は誰にも顧みられず、荒れ放題だった。

 玄関のカギを開け、変色した土間板を土足のまま踏んで、中へ入った。

 高校までいた家だが、なぜか小さく見えた。

 電気も止まっているため、暗かった。

 台所から間続きの居間の座敷は、畳が腐っていた。柔らかく靴が沈む。

 父や母の面影はなにも感じない。

 台所側の瓦屋根が雨漏りしたと見えて、そこの屋根ごと腐って落ちて、その下の土台を崩していたため、家は傾いていた。

 便所の手前の廊下へ出た。廊下の端から二枚目の羽目板、その端を指で押した。板は片側が浮き上がって手で引けば、ぱくりと開く。それは母しか知らないはずの通帳の隠し場所だ。おそらく母自身も、知るのは自分のみと思ったまま死んだだろう。

 ほこりをかぶった巾着袋のなかから、父と母の預金通帳や、父の危険物取扱ほかのいくつかの許可証、認可証を見つけ出した。

 家の隣にある、長く使われていない工場棟に入っていった。

 勤務先の工場棟を、さらに一〇〇年古くしたようなトタン張りの工場で、錆で開いた壁穴からの光があちこちから差し込む。錆の集積物のようになった機械に、分厚く埃が堆積していた。

 かつて、農協系の下請けで肥料や化学溶剤を製造していたその工場設備の使い方は、子供のころには全く理解できなかったものだが、高校を出て化学系の工場設備会社で何年も働いたいまの俺には、それを理解できる知識の蓄積があった。

 アンモニアの生成、硝酸尿素、ニトロアミン、RDXの製造。

 ここの設備といまの知識だけでは難しいが、機械をそろえ、インターネットで知識を充足すれば、俺ならできる。あとは基本となる原料さえ入手できればよい。

 父の死亡届は出されていなかった。地元商店街の診療所の医者が書いた死亡診断書を、母は隠匿した。むろん、父の年金をタダ取りするためだ。そうして母も死に、それぞれの死亡は処理されないまま放置されていた。年金の問い合わせに応答する者がいなかったため、年金はその後、入金されてはいない。それでも、通帳にはまとまった額の金が残っていた。

 会社の法人格はすでに停止されていたが、有資格者である父は死んだことにはなっていない。父の取引実績があれば、別会社をすぐに起こせる。社屋や社員がいなくとも問題はない。

 そうして、法人としていくらか架空実績を作ってしまえば、父の名前ももう必要なくなる。日本に何百とある小企業のどれが、俺の会社なのかを探すことは、誰にも不可能に近くなるだろう。

 そうやって俺は、それまでと同じ会社生活をつづけながら、ゆっくりと準備した。

 二年を要した―――。

 会社名義や、母名義のクレジットカードを起こし、ネット輸入でさまざまな機械や原料を調達した。知識は十分に整っていた。

 ニトロメタンはラジコンの燃料としても流通があるが、プロパンと硝酸からも生成できる。これに硝酸アンモニウムを混合すれば、硝酸油剤爆薬が作れる。

 慎重に計画した。

 破壊への期待が胸を躍らせた。

 超えていける。

 そう、超えていけるはずだ。

 ここからは遠く離れた場所がいいだろう。

 そのとき、たまたま俺はテレビを見ていた。東京の大規模ショッピングモールが紹介されていた。

 できたばかりの商業施設で、大勢のひとで賑わっている。

 東京ウェストスクエア渋谷―――。

 地下三階、地上一〇階の複合商業施設が三棟と、地上四五階のマンションエリアからなる、東京有数の巨大商業区画の誕生を報じる映像だった。

 期待が膨れ上がった。

 それまでの生涯で、感じたことのない高揚感が、俺の胸を熱くしていた。

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