第3話 中隔壁 北塔





 城壁の上から見た銀鷲湾アクイラ側の状況は 凄惨せいさんだった。

 外海を遮断していた鉄鎖を破られ レムリアの《黄金の衝角号ゴールデンホーン》の侵入を許してしまっている。

 埠頭には《四つ葉の翡翠号ジェイド・クローバー》の姿が見える。

 だが 深青緑エメラルドグリーンの快速船は脱出者を大量に乗せて 喫水きっすいが下がり切っている。

 あれでは 持ち味の速力が生かせない。

 巨大旗艦ゴールデンホーンに 捕捉されてしまえば 細身の帆船ジェイド・クローバーなど ひとたまりもない。


 そして 眼下に広がる街路には 雲霞うんかごとき数のレムリア兵がひしめき 街の此方彼方あちこちから 煙が上がっている。

 勝者による略奪が始まっているのだ。


 


 呆然と立ち尽くす エリス。

 だが ユイハが 声を掛けるよりも早く 頭を数度 大きく振ると 城壁上の守備兵達をまとめ 撤退戦の準備を始める。


 エリスの前を見る力に ユイハは驚嘆きょうたん羨望せんぼうの念を禁じ得ない。

 

 東方リンディア海・西方ユーフォリア海の各地に拠点を持つ ヴィバリア共和国東西交易の女王の実質的な支配者

創業十二家アポカリプス》の1つオリゾンテ家の三女。

 無位無官市民平等が原則のヴィバリア共和国の一員ながら 東のネイマール帝国からは子爵位ヴィスコンティ 西方諸国では男爵位バロン級の扱いを認められた 名門実質上の貴族の令嬢。

 通常であれば 政略結婚の手駒として 何処いずこかの貴族の奥方にでもなるのが 宿命さだめだったエリス。


 だが 幼い頃から 剣術自慢じゃじゃ馬だったエリスは 14歳で出奔家出娘に

 海賊退治無茶な冒険で名を上げるとヴィバリアへと凱旋がいせん

 その実績を基に オリゾンテ商会に《海上軍事海賊》部門を設立。

 本国ヴィバリア商会本部オリゾンテの意向は受けるものの 自分の人生を自分で切り開く自由を手に入れた。

 どんな困難も 自分の意思で 切り抜ける自立した女性。


 自分とは なんと違うことか……。


 

 ユイハは 思う。

 

 家柄。

 血筋。

 作法。

 サムライの掟。

 女としての勤め。


 ありとあらゆるしがらみに がんじ絡めにされて 指1つ動かす自由の無い自分。

 それに引き比べて ことあるごとに いちいち自分に突っ掛かってくる ヴィバリア女エリスの自由なこと。

 好きなように怒り 大声を上げて笑い 不満があればわめき散らし そして 友や部下のために泣く。


 そして 一瞬 唇を噛んだかと思うと 次の瞬間には 行動を始めている……自分の意思と決断で。

 

 ……いや。


 もう 自分も自由なのだ。

 ユイハは 自分に言い聞かせる。

 故郷マツトキ自分ユイハを捨て 自分ユイハマツトキを捨てた。


 自分を縛るものなど もう無いのだ。

 あとは 自分の意思と決断だけ……。




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 残存のネイマール兵達の生存を賭けた脱出戦は 数多あまたの敵兵に阻まれ 部隊は 城壁北端の守備塔への撤退を余儀無くされる。

 そして 8刻を越える 籠城戦。


 戦える仲間は徐々に減っていき 塔内に残ったのは エリスとユイハを含めた13名。


 全員 疲労困憊こんばいし 立っていることさえ 厳しい。

 レムリア兵の攻撃は 現在 止まっているものの 次の総攻撃を耐えきる自信は エリスにさえ 残っていなかった。


 包囲側からは 投降の呼び掛けも 幾度か行われた。

 だが エリスとユイハは 女の身。

 気の立った 敵兵男どもの中に投降などすれば 死ぬよりも悲惨な状況になる。

 万が一 そうならなくても 奴隷として 売り払われるのだ。

 展望に大した違いは 無い。

 

 ……いや。

 自暴自棄になった 味方の兵士男達さえ 信用ならないのかも知れない。


 

 エリスは 年嵩としかさの兵士に声を掛ける。

 兵士は 小さく頷くと 周りの兵士達に 意思を伝えてくれる。

 敵の総攻撃までのわずかな休息。


 エリスはユイハと目を合わせると 視線を階段へと送り 塔の上部の部屋へといざなう。

 

 部屋へ入ると エリスは 扉に関貫かんぬきを掛け 石壁にもたれるように 腰を下ろす。

 ユイハも 隣へ座る。


 

「今度は また 随分 多いな…」


 

 壁に穿うがたれた象眼のぞきまどから 外の様子をうかがいながら ユイハが言う。


 

「次の総攻撃は 日の出と同時くらいかな?」



 エリスが答える。

 もしそうだとしたら 残された時間は 1刻ほど。



「あーあ。ホントに願いが叶うのなら 街に帰りたかったな…」


「……願い?」



 もう何十 何百合と打ち合い 幾多あまたの命を奪いながら 刃零はこぼれ1つ無い大業物おおわざものの刀身に おのが姿を映しながら エリスが答える。

 


「この片手半剣バスタード 持ち主の願いを叶えてくれるんだってさ……その代わり悲劇的な死に方するらしいけど」



 自嘲じちょうするように笑ってみせるエリス。

 怪訝けげんな表情を見せるユイハにエリスが ことの顛末てんまつを話して聞かせる。




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 1度目のエルディアナ攻防戦が終結した後 本国ヴィバリアに帰ったエリスは 業物を探していた。

 あの女サムライの〈カタナ〉と同じかそれ以上の大業物を。

 厚い板金鎧フルプレートを真っ二つにしても 刃零れ1つしない美しい異国刀。

 カタナはサムライの魂と云うらしいが あの女の生き方を表すような見事な大業物〈銘:秋水しゅうすい〉。

 折れず 曲がらず ただ直向ひたむきに研ぎ澄まされた抜き身の美しさ。


 

 あれ程の得物を手に入れることができれば 2度と あの女に遅れをとることなど無いハズなのだ。

 自分の敗北を否定するように 小さく首を振り エリスは大市場グラン・バザールを歩く。

  

 低くとおるような呼びりんの音を聞いたような気がして いつもなら 通らない路地へと足を向ける。

 その店は 細い路地の奥にただずんでいた。

 異国の文字で【七つの海渡来とらいの珍品秘宝 お取り扱い】と書かれた小さな看板。


 黒鉄くろがねでできた燕型の風呼鈴ウィンド·チャイム

 ひんやりとした空気の漂う小ぢんまりとした店内には 黒ずくめのローブを着た老婆が1人。

 ……いや。

 老婆に見えたのは 見間違いだったろうか 音もなく立ち上がる黒髪を結った妙齢の女性。

 


「何か お探しかしら? 剣士様」



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「その店主が言うにはさ 持ち主が本当に願ったことが 叶うんだってさ。……でも あたしの本当の願いって 何なんだろ? 今となっては それもわかんないや」


「私は 桜が見たい……」



 呟くように ユイハが漏らす。



「……サクラ?」


「そう。桜だ。これくらいの時期になると私の国マツトキでは 島中 桜の花が咲く。街も 山も 薄紅色に染まる。故郷くにには 何のいい思い出も無いが 桜の光景だけは もう一度見たい……」


 

 目を伏せた 端正な横顔にほのかに浮かぶ悲しみ。


 

「ユイハ。アンタは あたしが 必ず送り届ける」


「……ありがとう エリス。でも いいんだ。私が帰れば 国が乱れる。忘れてくれ。それより 貴女の国ヴィバリアの話が聞きたい。美しい街なのだろう?」

 


 エリスの望み。

 

 この女性ひと故郷くにに送り届ける。

 

 それは 自身の切なる願い。

 そして 交易を生業なりわいとしてきたヴィバリア人の誇り。


 

 エリスが 故郷の丘ヴィバリアから見る海の美しさを語り終える頃 東雲しののめ暁光ぎょうこうが 石壁の狭間さまから 射し込み始める。



「……さっきの話なんだけど あたしはアンタを 必ず 桜の見える国に送り届ける。何があっても。命尽き果てても 生まれ変わってでも…」



 決意を込め 片手半剣バスタードつかを握り騎士礼のポーズを取る。

 その決意に応えるように 刀身が陽光を受け 燦然さんぜんと輝く。

 


「ああ。私も気が変わった。貴女の街が見てみたい。例えどんなことが あってもだ…」



 ユイハは 鍔を鞘に当てて金打きんちょうし 誓いを立てる。

 朱鞘がきらめく その誓いを祝福するかのように。

  

 そして 2人は 視線を交わすと 生き延びるため ゆっくりと扉へ歩み始めたのだった……。

 

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