第2話 隔壁裏 西練武場





 ユイハとエリスは 扉に耳を当て 練武場内の様子をうかがう。


 物音は 聞こえない。

 まだ 敵兵は 西側の城壁を突破できていない様子。

 2人は 両開きの扉を開ける。

 華やかりし頃は 騎馬同士の馬上試合トーナメントさえ行われたという練武場ギムナジウム

 その広大な敷地に足を踏み入れる。



「なんで 今日まで ここに踏みとどまったの?」

 

 

 練武場の床に敷かれた 赤土を踏み エリスが問う。

 西の埠頭へと続く通路があるのは練武場の北側。

 その方角へと歩みを進めながら ユイハが答える。



「決まっている。それが君命だからだ。知っての通り 我がマツトキはネイマール帝国の一侯国として マツトキ島の領有を認められている。そのご恩に対して 命をかけけて奉公する。それがサムライの生き方。それ以上でも以下でもない」



 もちろん エリスは それが建前に過ぎないことを知っている。

 3年前 レムリア勢に エルディアナが攻囲された際 マツトキは ユイハを中心に五百人のサムライを 送ってきた。

 西方を中心に 各国のいくさに 優秀なサムライ達を派遣することを生業なりわいとする傭兵国家マツトキ。

 サムライ達は 一騎当千の強者つわものぞろいとはいえ 総兵力二十万と呼号こごうするレムリアに対しては あまりに少数の派兵。

 利の薄い戦いに精鋭を出して 兵力の損耗そんもうを出す愚を避けたのは 誰の目にも明らかだった。


 そして 今回の攻囲戦に現れたのは ユイハを含む100人に満たぬ数のサムライ達。


 エリスが聞いた噂では『マツトキのユイハ姫は 現マツトキ侯の亡き正妻の娘。側室ばらの男子を嫡子よつぎにするために うとまれている…』…と。


 その噂を聞いてエリスは ユイハの戦場いくさばでの 鬼神のような働き そして 自ら死地におもむくような危うさの理由を見たと思っていた。



「貴殿こそ なぜ残った? 『金にならないいくさは しないのがモットー』ではなかったのか?」


「アンタみたいな 手練てだれがいれば負けないと思ったのよ。同業者よそが手を出さない案件ヤマで 荒稼ぎの予定だったんだけどね」



 そう言って エリスは 肩をすくめてみせる。

 それは 半ば本当。

 そして 半ば嘘だった。


 エルディアナの大城壁の難攻不落は すでに伝説の域に達していたし この百年の間『落ち目のネイマール帝国が 今度こそ滅亡する』というのは 毎年のように各地の情報通酒場親父達が『今度こそ鉄板情報だ』と ワケ知り顔に語る 恒例行事ようになっていた。


 まさか自分が落城の当事者になるとは……というのは エリスの正直な感想だった。


 ただ 本国ヴィバリアでエルディアナへの救援を決めた時の父親と長兄の反対は いつものことだったが いざ出港の際に2人が 桟橋さんばしにまで見送りに来たことは 本国と商会オリゾンテ諜報網密偵達が掴んでいる情報の確度を 暗に伝えていた。


 だから 3週間前 皇帝が直々に 外国人傭兵及び義勇兵の退避を呼び掛けた時 副将のパーシーとの打ち合わせは『総員退避しおどきだな』で即決だった。

 マツトキの連中も 生き残っていた80名ほどは 撤退の準備を始めたようだった。

 

 女性や子どもの退避は ずいぶん前に 終わっていたが 今回の退避では 従軍していた貴族の成人した子息 あまつさえ大臣クラスの当主までもが 脱出を希望していた。 

 そんな中でも 皇帝は威厳を崩すことなく 街を離れるもの達へ温かなねぎらいいの言葉を掛けていた。

 レムリアの攻勢になすすべなく譲歩を繰り返す暗君。

 口さがない町雀まちすずめ達には 散々な評判だが 直に接した人間にとっては 皇帝は 穏やかな風貌の内に威を秘め 教養と礼節を併せ持った 理想の君主だった。


 エリスにとっても 口にこそ出さなかったが いい顧客という以上に この人と街を護るために剣を振るいたいと思わせる人物だった。



 傭兵稼業と個人的な義侠心。

 その天秤が 大きく傾いたのは マツトキのサムライ達を乗せた船が離岸し それを見送る皇帝の側に ユイハを見つけた時だった。


 パーシーに急遽 自分も街に残ることを伝え 部隊の指揮を託すことを依頼した。

 パーシーは 驚愕し 怒り 懇願し 哀願し そして最後に拒絶した。

 自分も残ると。


 信頼できる部下に 部隊を任せ 最快速の《四つ葉の翡翠号ジェイド・クローバー》だけを残し あとの2隻は 西方へと出港させた。

 残ったのは 部隊を立ち上げた頃からの50名ほど。



 その50名も 1刻ほど前に 西の埠頭へと撤退させた。

 《四つ葉の翡翠号ジェイド・クローバー》はパーシーの指揮のもと 出港準備を整え エリス達が到着するのを待っている。


 


「残った理由は もう1つ」



 エリスは 背中の片手半剣バスタードつかから 垂れ下がった粗布を右手で触りながら ポツリと呟く。



「アンタとの 決着をつけたかったの」



 ユイハが 切れ長の目を エリスへと向ける。

 互いの得物の間合いより ずっと近い距離。

 一歩跳びずさりながらの抜き打ち勝負居合いなら〈刀〉の方が圧倒的に有利。


 そのことが分からないエリスでは無い。

 ユイハは いぶかしむように エリスの瞳を見る。



「今 ここでやろうってんじゃないわよ。ただ 3年前 ここで負けた借りはいつか返す。それまでに死なれちゃ困るの。陛下に言われなくても アンタは あたしが国まで送るから」



 3年前の籠城戦。

 レムリアの攻囲が 本格化する前 大臣の戯れの一言で エリスは ユイハと立ち合った。

 皇帝の温情ある裁定で 衆人の前で恥をかく最悪の事態こそ避けられたが 自分が敗北したことは エリスが一番よく解っていた。


 その後の レムリアからの防衛戦の中でも ユイハの剣技の冴えを まざまざと見せつけられた。

 一分の無駄もない体捌き。

 氷のように底冷えする鋭い斬撃。

 分厚い金属鎧すら 羊皮紙をナイフで切るように 易々やすやすと斬る。


 負けたくない一心で エリスは 工夫を重ねた。

 騎兵盾ヒーターシールド片手剣ロングソード 板金鎖帷子チェインホバークという 貴族風の装備は より速く より強い斬撃を目指して 現在の戦技スタイルへと変化していった。

 

 だが 戦場で見る ユイハの太刀働きは 常にエリスの一歩前 半歩前にあった。 

 そして 雪辱を果たすための観察は いつしか憧憬しょうけいの眼差しへと。



「それは 私も 同じかもな。陛下の命が なかったとしても 貴殿は 船まで 我が命に代えても 送り届けよう。貴殿には 待つ人がいるのだから。私と違っ……」



 ユイハが 最後まで 言い切る前に 2人の歩みが止まる。

 練武場北端の扉の向こうから 男どもの怒声が聞こえる。

 レムリアの言葉だ。


 軋むような大きな音を立てたかと思うと 北端の扉が打ち破られる。

 その向こうから レムリア兵が その姿を見せる。


 その数 30名ほど。


 いや 29。


 敵兵が突入してくると同時に ユイハの影がはしり 先頭の1人は 血煙を上げて たおされていた。

 続けざまに3人。


 その間に エリスも2人ほふる。


 浮き足立ったところを さらに2人ずつ。

 瞬く間に 10名のレムリア兵が しかばねさらす。


 たまらず 撤退の叫び声をあげ 残りの人数は 元来た道を引き返す。

 ユイハとエリスは 打ち破られた扉を閉じ 近くに立て掛けてあった馬上槍ランスを 交差させて扉を補強し 簡易の防塞バリケードを作る。

 だが 予定していた撤退ルートから 敵兵が現れた事実は 2人に重くのし掛かっていた。



「ユイハ!こっちの階段から 城壁の上へ出よう。銀鷲湾アクイラの状況が確認できるハズだし」



 そう言うエリスの顔は 心なしか青ざめていた…。 


 


 



 

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