第6話 わたしがせんせーの生徒第一号になれると思いまして
訪れた週末。トラトライアル期間最後の日。
睦目と杏奈は机に肩を並べ座っていた。
「………」
「………」
しかし、二人の間には会話がない。その代わりにカリカリと、シャーペンが紙の上を書き走る音が満ちている。
――ピピピピピピ!
「あああ終わった――――っ‼」
「はい、お疲れ様」
ストップウォッチの終了の合図が鳴ると同時に、杏奈は思いっきり背もたれに体重を預けた。
陸目は杏奈の答案用紙を手に取る。今日は現社の確認テストを行っていたのだ。
いま習っている範囲から参考書や模試の過去問から抜粋し、問題を作成した。
しかし、あくまで復習のためのテストなので、いくら過去問とはいえ難しすぎるものは出さない。ただ少し、問い方を変えた設問を入れたくらいだ。
「じゃあ一〇分休憩ね」それに杏奈は「はーい」と気だるげに応え、机に突っ伏した。
早速赤ペンで〇と✓を付ける。休憩後、寝かけていた杏奈を起こして答案用紙を見せた。
「……えっと…………八○点。まぁまぁって感じですかね?」
「そうだね。これだけ取れてれば次の期末も大丈夫かも」
「へっへっー。そうでしょせんせー。わたしやっぱ暗記科目は得意なので」
得意げに笑う杏奈の表情は、曇天の割れ目から差し込む陽のような眩しさがある。
杏奈と授業を四回行ってある収穫があった。それは理系科目と文系科目との理解度の差だった。
確かに杏奈は文系科目――暗記科目だけは成績がいい。暇な時間さえあれば、移動中でも、台本を読む感覚で目を通すようにしているらしい。どうやら本人曰く、『頭の中でストーリーが想像しやしすいものはすぐに覚える』と言っていた。
解答・解説を行う前にまだ休憩時間もあるので、話しをすることにした。
「あのさ、瀬ノさん」
「だから瀬ノでいいですって。なんですか?」
「瀬ノさんは文系と理系どっちに進む?」
「どっち、と言われても……まぁできる範囲で言っちゃえば文系ですよね……」
「まぁそうだよね」
「せんせーは文系と理系どっちに進んだんです?」
「俺は……文系を選んだかな」
「へーそうだったんですか。なんか意外です」
「? 意外? どうして?」
「だってせんせー数学教えるの上手いじゃないですか。てっきり、理系だと思いました」
杏奈は所々勘が鋭い場面がある。本当に、彼女の前ではどんな嘘でも見抜かされてしまいそうだ。
「あー……別に理数科目が苦手って訳じゃなかったし、高二まで理系にしようとは思ってた」
「えっそうなんですか!」
杏奈は開いた口に手をやって、露骨に驚く。信じられない、という反応だ。
「そんなびっくりすること?」
「えっとじゃあ、なんで理系に進まなかったんです?」
そんなに興味があるのか、杏奈は前のめりになって距離が近づく。鼻を撫でるライムの香りが濃くなった。それは杏奈にとって純粋な疑問だったのだろう。
「それは……」答えようとして、やめた。口の中にどろりと苦味が溶けてくるような、不快な感触を覚える。脳裏にあの影がちらついて、思わず唇を噛み締めた。
「せんせー?」
「……え、えっと文系の方が自分の進む道に近いからかな」
「………………へーそうなんですね。進む道ってなんですか? 教師、とか」
「一応、国語教師目指しているつもり」
「でも理系の先生にもなれますよね。なんでまた?」
「……国語が好きだから……」
自分の口から「国語が好き」と出る日が来るとはついぞ思わなかった。
「ふーん。わたしも国語好きですから、気持ちわかります。それよりせんせー」
「なに?」
「せんせーは他に生徒はいるんですか?」
「ぶ……なんで、そんなこと気になるの?」
ド直球な質問に、思わず噎せそうになった。
家庭教師になれば自然と生徒が増えていくものだと思っていたのに。
すると杏奈は、
「もしわたしが初めてなら、わたしがせんせーの生徒第一号になれると思いまして」
と、ニカッと満面の笑みを浮かばせる。その一言が妙に照れくさって、
「……じゃあ後半……はじめよっか」
授業が終わるまで、まともに杏奈を見ることが出来なかった。
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