後編 二人の俺から、一人の君へ

「う……え……? な……」

 突然の衝撃に加え、目の前に広がる光景に真面な言葉が出てこない。超常的な現象に、体が震え、口が塞がらない。

 ふと、隣へ目をやる。瞳孔が開き、口が半開きのまま完全停止している。数秒前まで笑顔で溢れていた彼女の表情は驚愕に支配されている。俺と同様に、現実を理解できていない様子だ。

 再び顔の方向を戻すと、強く目を擦り、目の前の景色が見間違いでないかを確認する。

 その時、俺達の目の前に広がっていたのは所々が破損していた古臭い神社ではなく、綺麗に清掃されている、傷一つ付いていない神社だった。

 十数秒前まで苔が生い茂っていた箇所には苔がない上に、汚れ一つとして付いていない。軽く周囲を見渡すが、そこは十数秒前の神社とは全く違う。今でも多くの人が訪れているであろう、何度も手入れされているであろう神社へと変わってしまっていた。

 突然変化した神社。数十秒前の行動と衝撃。以前、彼女が話していた彼女の世界の神社。現在の状況と今までの記憶を合わせた結果、導き出される答えは一つしかない。

「俺達は……並行世界に……鈴鹿の元いた世界に来たのか」

 間違いない。それ以外考えられない。鳥居を潜るとう行動に、変化した神社。何より、隣で衝撃を受けている彼女の表情がその事実を証明している。

 様々な感情が溢れ出しそうになる中、喜びという感情が最も大きく膨れ上がった。

 数日前。彼女を元の世界へと戻すべく実験を行い、結果的に失敗し、彼女を戻す事に失敗した。彼女を落胆させ、微かな希望を潰す事となってしまった。あれから俺は後悔し、自らの非力さに絶望していた。

 それが今日。思わぬ形で彼女を元の世界へ戻す事に成功したのだ。

 突然な上、未だ方法は理解できていない。しかし、彼女を戻す事に、彼女の願いを叶えることに成功したのだ。抑えようとしても、体が勝手に喜びを露わにしてしまう。

「鈴鹿……鈴鹿! やったな、お前の世界に戻ってこれたんだよ! なあ、ここは鈴鹿の世界で間違いないんだよな? おい、鈴鹿!」

 暫く呆然としていた彼女だったが、肩を揺らす事によって目を覚まし、素早い動きで周囲を見渡す。境内の中を隈なく観察したのちに、道路へと飛び出し、更に隈なく周囲を観察する。

 数十秒間観察を繰り返すと、彼女は目の前に戻り、ニッコリと笑って口を開いた。

「うん……間違いないと思う。ここはあたしのいた世界だよ。あたし、戻ってきちゃったんだ。やった……やったよ、尚也!」

 元の世界に戻れたことに対し、笑顔で喜びをあらわにする彼女。

 その時だった。一瞬彼女の表情にどこか違和感を感じた。本心からの笑顔ではなく、作り笑顔の様に。不思議と彼女が喜んでいないように感じたのだ。

 目標を達成し、自らの元いた世界へと戻れた。喜ばないはずがない。それなのにも関わらず、彼女が本心から喜んでいるようには思えない。

 様々な考察を脳内で開始しようとする。しかし、即座に俺は考えるのを止めた。

 よく考えなくても、この状況で彼女が喜ばないわけがない。恐らくは、俺の勘違いだろう。作り笑顔ではなく、本心からの笑顔のはずだ。

 違和感を感じながらも、勘違いだと自らに言い聞かせ、俺は笑顔で彼女と話しを続けた。

「……とは言っても、まだ確定したわけじゃないしな。取りあえず、一回探索でもしてみる? 並行世界ってのを俺も見てみたいし」

「そ、そうだね。それじゃあ……一回家にでも行ってみる?」

「おう!」

 軽く話すと、鳥居を潜り、見慣れた道路を一歩ずつ歩き始める。高まる鼓動を抑えながら、冷静を装いつつ、周囲を見渡す。何度か通った神社から自宅への帰路。見た目は俺の世界の道と変わらない。以前の彼女の発言通り、俺の世界と彼女の世界とでは大した差はないようだ。

 ここまで見て違った建造物は例の神社のみ。やはり、あの神社には何か秘密があるのかもしれない。俺達がいくら考えても分からないような、神様が関わってくるような秘密が。

 脳内で軽く考察しながらも、周囲に少しでも違った箇所がないかを観察しながら、見覚えしかない道を歩き続ける事、十数分。深く見覚えのある自販機が目に留まり、俺達は足を止めた。

 毎年、夏になると幼馴染たちと頻繁に買いに来る、アイスの自販機。夏の始まりや、神社での実験後にも訪れた馴染みの自販機。

 未だ収まらない胸の鼓動を抑えるべく、一度休憩を取る事に決め、この場でアイスを購入する事に決めた。

 財布を手に取ると、なけなしの小銭を取り出し、自販機と向かい合う。俺の世界と全く変わらず画質の悪い写真を数秒見つめたのちに、普段と同様の箇所に配置されているボタンを深く押す。ガコンッと聞き覚えのある音を耳にすると、ボロボロの取り出し口から前回食べたのと同一のアイスを手に取る。素早く紙を剥がすと、大きく口を開け、アイスに噛り付く。アイスが舌に転がると同時。一瞬にして最高峰の甘みが口内を支配し始めた。

 チョコレートの優しい甘さ、ほんのりと感じる軽い苦み。普段以上に美味しく感じるアイスに、自然と口角が上がっていく。

 隣の彼女はと言うと、普段とは違う苺味のアイスを小さい口で食べ進めている。彼女はどこか遠い目をしており、真夏の暑さの中味わうアイスを深く堪能しているように見える。

 次に自販機でアイスを購入する際は、苺味にしようと心に決めていると、ふと一つの疑問が上がった。

「……なあ、そう言えばなんだけどさ。本当にここが鈴鹿の世界だとしたら、俺の知ってる鈴鹿とこの世界の俺は……この世界にいるのかな? それとも、もう一つの世界にいるのかな?」

「あ……確かに。よく考えたらどうなってるんだろ」

 世界を移動する事によって、鈴鹿を元の世界へ戻すことは出来た。これによって、世界にどのような出来事が起こったのか。可能性として挙げられる出来事は二つ。

 一つ目は、鈴鹿がこの世界に来る際、入れ替わりでもう一人の鈴鹿が俺達のいた世界へと移動した。

 二つ目は、入れ替わりが起きず、もう一人の鈴鹿もこの世界に存在し、この世界に二人の鈴鹿が存在することとなった。

 仮に鈴鹿が世界を移動すると同時に、もう一人の鈴鹿も強制的に世界を移動させられるのなら、鈴鹿が入れ替わったという問題は解決したことになる。しかし、その代わりに、俺自身が別世界の俺と入れ替わったという問題が発生してしまう。もし、入れ替わりが起こらなかった場合、鈴鹿がこの世界に二人存在するだけでなく、俺も二人存在することとなる。

 こう考えてみれば、この世界に俺が来てしまったというのは全体で見れば良くない出来事だったのかもしれない。

 一瞬、この世界に来てしまったことに後悔を覚えながらも、突然な上、何故起こったのか理解が出来なかったという事を考慮し、今回の出来事は仕方がなかったと考える事にした。

 大切なのはこの後どうするか。全ての状況を整理した上で考えると、最初に取った家に行くと言う選択肢が最も適切なのかもしれない。家に行けば、今現在疑問に思っている事の大抵は理解できる。解決できない問題と言えば、どのようにして世界を移動したかのみだ。

 脳内で現在の状況を整理し終えると、残りのアイスを口に放り込み、残ったゴミをゴミ箱へと放り込む。軽く背を伸ばし、軽く襲い掛かってきていた眠気を弾き飛ばすと、スマホの電源を入れ、時間を確認する。

 五時十二分。夕方と夜の中間辺りの時間帯である。今後の予定も考えると、急ぎ目で家へ帰った方が良さそうだ。

 彼女に時間を伝えるべく振り向くと、彼女は口を大きく開け、アホ面ともいえる表情で固まっていた。突然の表情に強い疑問を浮かべていると、彼女は食べかけのアイスを地面に落とし、ゆっくりと右手で何かを指さした。何も理解出来ぬまま、彼女の指の先へと目をやる。

 その直後。

 俺は彼女同様にアホ面になりながら、完全停止した。

その時、俺達の眼前に立ち尽くしていたのは、カッコ良くはない、何とも言えない顔つきで、俺が毎日確実に目にしてきた人物。

 そして、その人物の古くからの友人であり、俺自身も鈴鹿と同様に仲良く接してきた人物。

 そこにいたのは、我らが幼馴染の高弘。そして、俺自身。つまり、高橋尚也だった。

 彼らは信じられないものを見たかのように、俺たち同様のアホ面でこちらを眺めていた。

それから暫くの間、俺達の間には静寂が続くのだった。



 時間にして二分は経過しただろうか。

 突然現れた二人組に、俺達は一言も発することが出来ず、その上動揺を隠せずにいた。いや、正確には二人組のうちの一人。高橋尚也に動揺していたのだ。

 数分前まで、十分あり得るとは考えていた。二つの世界の人物が入れ替わる事無く、片方の世界から人が移動するのみで一つの世界に二人の同様の人物が存在する。可能性としては十分にありうる。脳内では理解していたつもりだった。しかし、実際に自分と瓜二つの人間と遭遇すると、人間と言うのは身動きを一切取れなくなる。

 そうして、現実とは思えない現実に誰一人として行動を取れずにいると、この中で最も現在の状況に関係ないであろう男が大きく口を開いた。

「いや……いやいやいや。どういうことだよ、なんで尚也が二人! なんで鈴鹿がここに! だって……え? 尚也お前……姉弟いたのか?」

「いや、いない事はお前もよく知ってるだろ。……いや、どういうことだよ。だって……俺? ……もしかして、ドッペルゲンガー?」

「待て、俺。俺はドッペルゲンガーじゃない。俺は……高橋尚也。俺は……俺だ」

「いや、意味が分かんないって。俺は俺って……俺が高橋尚也だぞ。だって……どういうことだよ。まじで」

「いや、だから……どういう事なんだろうな」

 混沌と化した状況。考えてみれば、こうなるのは当然だったのかもしれない。

 目の前に自分と完全に同じ姿の人間が現れた時、俺は驚愕を露わにし、その場で騒ぎ立てるだろう。俺がそう言った行動を取るのならば、別世界の俺である彼も同一の行動を取るのは当然。その横で最も騒いでいる彼も、幼馴染が突然二人に増えれば、声を荒げてしまうのも分からなくはない。

 しかし、この状況は悪状況と言える。このまま話がまとまらず、騒いでいる所を第三者に見つかれば、必ず状況は悪化する。最悪、俺達を知っている第三者を巻き込むことになる可能性もある。そうなれば、様々な最悪な状況へとまっしぐらだ。そうなる前に、打開策を練らなくてはならないが、この状況で俺が何を言おうとも、状況は悪化するだけ。

 隣の彼女も同様の事を察したのか、一歩前に出ると、大きく口を開いた。

「みんな静かに! ここは、この中で一番みんなの事と状況を知ってるあたしから話すよ」

「いや、鈴鹿お前も……」

「静かに。お願い……聞いて」

 真直ぐな瞳で彼らを見つめながら、優しい声で放たれた彼女の願い。

 真剣そのものの彼女の様子を目にすると、前方の二人組は口を閉じ、話を聞く姿勢に入った。

 それを確認すると、彼女は少し考える仕草をとったのちに、子供に読み聞かせるように話し始めた。

 彼女が最初に話したのは、彼女が鳥居を潜った際の出来事。それから、俺が彼女の正体に気づき、協力を始めた際の出来事。この世界と並行世界との差を交えながら、実験失敗までの出来事を話し、最後にこの世界に来る際の出来事を分かりやすく説明した。

 彼女にしては珍しく、説明が分かりやすく、自然と話に聞き入ることが出来た。

 しかし、改めて発端から話を聞くと、現実の出来事とは思えない。俺達は本当に現実離れの出来事を現在進行形で経験しているのだと、再認識させられた。

 問題はこの現実離れの話を彼らが素直に理解してくれるかどうかだが……。

「なるほど。ハッキリ言って信じられないな。……本当にこれドッキリとかじゃないよな」

「本当だって! 実際、尚也も二人いるでしょ! お願い……信じてよ」

「……一応、確認を取りたい。おい、俺。二人で話せないか? 俺なら、俺しか分からない事を言えるだろ?」

「なるほど。良いよ、ちょっと来い」

 軽く話すと、俺達は幼馴染二人から距離を取り、緊張しながらも、精一杯秘密を伝え合う。

 初恋の相手や、誰にも話していない趣味。密かに頑張っている事や、最近気にしている出来事。更には、確実に俺一人しか知らない事まで、事細かく伝えた。

 暫く口を閉じていた彼だったが、俺一人の秘密を暴露していくと、途中で俺の口を抑え、もう分かったと、一言放った。その表情から察するに、彼は俺が俺であるという事を理解してくれたらしい。

 話を終え、二人の所へと戻ると、彼の方から口を開いた。

「完璧には信じられないけど……間違いない、こいつは俺だ。話し方とか、俺しか知らない秘密知ってる事とか、そこら辺から分かる。間違いなく俺だわ」

「分かってくれたんだ! さっすが尚也! 後は高弘だけど……」

「……それなら俺も信じるよ。てか、尚也が二人いる時点で信じるしかないやん。現実離れの出来事過ぎてごちゃごちゃではあるけどな」

「良かったー。取りあえずは一安心かな?」

「だな。色々あったけど、取りあえず全体的な状況が見えてきたな」

 彼らと出会ったことによって、発覚した事がある。俺達は別世界の俺達と入れ替わりでこの世界に来たのではなく、俺達のみが世界を移動し、この世界にやって来たという事だ。

 これにより、今後解決すべき問題が見えてきた。俺達が解決すべき問題は、俺と本当の幼馴染の鈴鹿を元の世界に戻すと言うものだけだ。難解ではあるが、単純になった上、相談可能な人物も増えた。以前と比べると、状況は多少良くなったと言えるのかもしれない。

「色々言いたい事はあるけど、取りあえず脳死で行くわ。……まず、もう一人の俺と鈴鹿はこれからどうするんだ? 二人とも行くところないだろ」

「あー、それは確かにそうかもな。家に帰ろうにも、俺が居たら俺が二人になるし問題になっちゃうよな」

「あ、一つ良い場所があるで。中島さん家なんてどうよ。あの人の所なら大丈夫やろ!」

 彼の口から出てきた予想外の人物に、思わず反射的に答える。

「中島さん? えっと……中島さんって、神主の?」

「お、そっちの尚也も知ってるのか。なら、話は早いな!」

 否定しない事から考えるに、神主の中島さんで間違いないようだ。

 以前、彼女を元の世界へと戻すための方法を模索していた時期がある。その際に訪れ、多少ではあるが力になってもらったのが中島さん。失踪事件や神隠しについて覚えている事を聞き出し、事態の解決には何をすれば良いかを調べるのに一役買ってもらった。

 最終的に大きな進歩は得られなかったが、様々な考え方を教えてもらい、それなりに勉強になった。

 しかし、お願いしたとして、数日間泊めてくれるだろうか。悪い人ではないというのは当時の言動で理解出来たが、数日間二人の高校生を泊めるとなると話は別になるだろう。

 そもそもとして、彼が住処にしていた家は古い木造建築。建物に付属している庭には大量の雑草が生え茂っており、外観から察するに、相当昔に建築されたであろう建物だ。決して広いとは言えない上に、地震一つで壊れてもおかしくない家。そんな所に更に二人が住み着くことが可能であるとは考えづらい。

「んー、あの家に俺らが住めるとは思わないけどな。てか、そもそもとして、泊めてくれるか?」

「大丈夫やって。良いから行くだけ行ってみようぜ。良い人だから泊めてくれるやろし、あの人ニュースとか見ないから、鈴鹿も大丈夫だと思うぞ!」

「……まあ、高弘がそこまで言うなら行ってみるか」

 俺達は一先ず神主の元を訪れる事に決め、来た道を戻る形で歩いて行く。

 いつの間にか眩く輝いていた太陽は姿を消し、空は黒く変わりつつあった。真夏の猛暑も消え去り、少し蒸し暑い、夏夜特有の暑さへと変わっていた。

 時間が経過したのもあってか、その時には冷静さを完全に取り戻しており、俺と彼女は普段通りの状態へと戻りつつあった。まだ騒ぎ続けているのは、もう一人の幼馴染くらいである。

 彼は興味本位からか、この世界と俺の世界との違いや、鳥居を潜った際の衝撃。その他、俺達の経験した事を聞き出すべく、質問を繰り返す。

 元より騒がしく、理性が薄い彼だが、余りにも現実離れの出来事に出会うと、ここまで止まらなくなるのか……と考えながら、仕方が無く彼の質問に逐一答えていく。

 この時、一つの疑問が脳裏を過ぎった。彼の口を押えるようにして質問を止めると、過ぎった疑問を口に出す。

 疑問とは、俺の本当の幼馴染である鈴鹿の事。もう一人の彼女が俺の世界で上手くやれていた事を考えると、恐らく彼女も上手くやれている事だろう。しかし、それでも心配ではある。念を持って、一番彼女の事を知っているであろう彼らに聞くのが良いだろう。

 彼は少し動揺を見せると、止まる事を見せなかった口を閉じ、少し黙り込む。

 その後、何かを決めたかの様な表情を見せると、質問に答えるべく口を開く。

それと同時。今度はもう一人の俺が彼の口を覆い、彼の言葉を封じた。

 何事かと思っていると、代わりにもう一人の俺が口を開いた。

「鈴鹿も上手くやってるよ。ただ、今あいつインフルエンザにかかっててさ。体調悪くしてるんだ。だから、この場に呼ぶってのは難しいかもな」

「あー、インフルか。それは大変だな。まあ、上手くやれてたなら良かったわ。じゃあ、あいつも交えて話すのはインフル治った後だな」

 病気に罹りながらも、彼らが気づかない程度には上手くやれていたのであれば安心だ。

 心配が一つ消えたことに安心しながら、再び始まった彼の質問攻めに答えながら、目的地へと歩みを進めていく。



「だ……え……ええ……」

 目的地に到着すると同時。俺は目を大きく見開き、目の前に存在する建物に唖然としていた。

 他の三人は不思議そうにその様子を見ながら、軽い話を続けている。

その時、俺の目の前にそびえ立っていたのは、傷一つない綺麗な木造建築。外見から察するに、建築されてから数年も経過していない新築。付属している庭は綺麗に手入れされており、奥には小さな家庭菜園が見える。

 以前、俺達が訪れた建物とはかけ離れた外見に、動揺が止まらない。

 暫く唖然とした後に、冷静を取り戻すと、何事もない様に話していた幼馴染へと口を開く。

「おい、鈴鹿。これ……だって……どういうことだよ。なんでこんなに綺麗なんだよ。…俺の世界の方は……もっとぼろかったじゃん!」

「あ、言ってなかったっけ。なんでか分かんないんだけど、中島さんの家だけ、尚也のいた世界とこの世界とでは見た目が違うんだよねー」

「お前……それ早く言えよ……」

 平然と衝撃の発言を放つ彼女に呆れながらも、過ぎた事はどうしようもないと割り切り、目の前の現実に向き合う。

それを確認すると、もう一人の俺は明日に会いに来ることを約束した後に、その場を後にした。

 実の所を言うならば、もう少しもう一人の自分と話してみたい気持ちもあった。しかし、見た目が同一の人物が二人いるとなると、流石に問題になるのは目に見えている。その為、事前に神主の自宅にはもう一人の俺を除いた三人で訪れる事に決めていたのだ。

 もう一人の俺が完全に見えなくなったのを確認すると、神主と最も親密であろう彼女がインターホンを鳴らし、彼を呼ぶ。

 インターホン越しに待つように伝えられてから数秒。勢い良く玄関の扉が開いたかと思うと、見覚えのない男性が中から出てきた。

 数世代前の男性が身に着けているような紺色の羽織を身に纏い、文才が被っているような特徴的な帽子を軽く被った黒髪の男性。顔付などから察するに、歳は五十代後半。

 雰囲気が神主に似ている事から、恐らくは神主の息子だろう。

「おー! 久しぶりじゃないか、鈴鹿君に高弘君!最近見ないから心配してたんだよ!」

「久しぶりです、中島さん! 最近忙しかったんですよー。……あ、一人知らないやつがいると思うんですけど……」

「あ、待って、当てるわ! ……うん。君が尚也君だね。二人から君の話は何度も聞いたからね、正解だろ。俺? 俺は中島さん。御年五十六歳で独身の神主だ!」

「あ……中島さん、よろしくお願いします。…………ん? ……え、神主さん? ……神主さん⁉」

 想定外の正体に思わず声を荒げてしまった。

 建物の外見が大きく変化していた事から、神主本人にも何かしら変化した点が見られる可能性は考慮していた。しかし、想像の域を超えている。

 俺の世界で訪れた際の風貌とは似つかわしくないその姿。以前、俺達が目にしたのは白髪で丸眼鏡をかけた、見るからに八十代の男性。それが五十代後半の黒髪男性へと変貌していた。思わず声も出てしまうものである。

 驚愕を露わにしていると、彼女達は変な物でも見たかのような表情を浮かべたのちに、普段通りに話を進めていく。

「それで、今日は何の様で来たんだい?」

「あ……実は、中島さんにお願いがあるんですけど……」

「……ふむ。雰囲気から察するに、長くなるんだろう! どうだ、取りあえずうちに上がっていきな!」

 彼はそう言いながら俺達を建物内へと招き入れた。

 こちらとしては願ったり叶ったりだった為、言われるがままに靴を脱ぎ、彼の後をついて行く。

 以前、彼の家に入った際は、建物内へ入ると同時に、懐かしさを感じる、お爺さんの家で嗅げるような独特な匂いを感じていたが、今現在はその様な匂いは一切しない。その代わりに、正反対のアロマの香りが廊下中を充満しているのが感じ取れた。廊下は一切汚れておらず、何歩足を進めようとも、不安を煽るような音は一切聞こえない。

全くと言っていいほどに違う建物内に更に動揺しながらも足を進めると、彼は一つの戸の前で足を止めた。

戸の先には以前話をした際に利用した、広々とした畳の部屋が広がっていた。見覚えのある景色に安心しながらも、軽い警戒心を持ちながら部屋へと足を踏み入れる。促されるままに、机の傍に正座していると、彼はコーヒーと紅茶を二つずつ机上に置き、好きな物を取る様に促した。

 俺と高弘がコーヒー、鈴鹿が紅茶を取ると、彼は残った紅茶を手に取り、口に付けた。続くように俺達も手に取ったカップを口へと近づける。

 コーヒーは深い苦みがありながらも、ほんのりと砂糖の甘さが感じ取れ、中々に美味しいものになっている。紅茶も同様に美味しかったのか、彼女も相当幸せそうな顔をしている。

 それからコーヒーの味を楽しみながら、世間話に花を咲かせていると、神主の方から本題を聞いてきた。俺達は動揺しながらも、ゆっくりと本題に入って行く。

「実は……俺と鈴鹿は……家出したんです!」

「家出? それはまた珍しいな。何でそんな事をしたんだ?」

「その……しょうもない事なんですけど、親に小言を言われるのが嫌になったり、後は少し喧嘩したり。……だけど、俺達は高校生ですし、行くところがないんです。それで……」

「それで、うちに泊めてほしいって感じか?」

「……はい」

 これは道中で四人の知恵を結集させて作成した設定。

 十数分前、流石に別の世界から来たと直接話すのはどうかという話になり、俺達は納得のいく、泊めてほしい理由を考える事に決めた。そして、生み出されたのが家出設定。

 家出ならば、家に帰らない理由になる上、泊まる場所を探している理由にもなる。家出理由について深く聞かれる事もないだろうし、泊めてほしい理由としては持って来いである。

 問題はこの理由で彼が俺達を泊めてくれるかだが……。

「うーん……良いぞ。泊めてやろう!」

「難しいのは分かって……え、良いんですか?」

「勿論だ。困っている子供に手を貸すのは神主にとって当然の事。幸い、ここは空き部屋もある。数日間であれば、自由に寝泊まりして良いぞ!」

「中島さん……ありがとうございます!」

 俺達は深く頭を下げると同時に、心の奥底で大きくガッツポーズを掲げる。

 想像以上に簡単かつ素早く了承してもらえた。これは良い意味で想定外だ。一先ず、これで数日間は安心して眠りにつくことが出来る寝床を入手することが出来た。俺達が元の世界へ戻るまでの間、身の安全を確保できたのは大きい。お陰で、深い不安を抱える事無く、問題の解決のみに尽力を注ぐことが出来る。

「よし、泊まるという事はご飯も食べるよな。今日は神主特製特別晩御飯を作ってやろう! そうだな……鈴鹿君はこの部屋のほぼ目の前。尚也君は玄関横の部屋を自由に使いたまえ。ご飯が出来るまでゆっくりしてるよ良いぞ!」

 彼はそれだけ告げると、晩御飯を作成するべく部屋を後にした。

 俺達は数分間、改めて現状を整理すると、明日話し合う事を約束し、畳の部屋を出た。泊まる予定のない高弘を見送ると、彼女と軽い会話を交わしたのちに、それぞれの部屋へと向かう。指示通りの玄関横の部屋の前に立つと、軽く深呼吸をした後に静かに戸を開く。

一歩踏み込むと同時に、畳特有の独特の匂いが鼻を襲い、懐かしいような感情を呼び起こされる。数分前まで居座っていた部屋の畳と比べ、多少の柔らかい感触の畳に違和感を覚えながらも、異常な物がないかを確認しつつ、部屋に存在する物を把握する。一通り確認した所、特に異常な物は存在せず、ある物と言えば古びれた机に、謎の掛け軸。それに加え、長い事使用されていないと思われる、押し入れの中に保管されている敷布団のみ。変哲のない、昔ながらの部屋に安心感を覚えると、荷物を放り投げ、壁に寄りかかる様に座り込む。体に合う寄りかかり方を模索し終えると、体の力を抜き去り、瞼を軽く落とす。

 周囲から聞こえるのは夏を象徴するアブラゼミの鳴く声のみ。五月蠅くも静かな室内に、深く落ち着きながら一日を振り返る。

 何の変哲もない学校の修了式。ただ楽しいだけの幼馴染との水族館。普通に生活を送っていたはずが、突如として訪れた世界の移動。俺の世界と大部分が同じ世界で出会った幼馴染ともう一人の自分。そして、大部分が同じはずの世界で何故か大きな違いがあった神主の周囲。

 一日で生じた様々な事象に、頭の理解がようやく追いつき始めた。

 そもそもとして、何故俺達は世界を移動する事が出来たのだろうか。彼女が入れ替わった際の状況とは大部分が違う。同じ箇所は恐らく鳥居を潜った点のみ。入れ替わったのではなく、俺達のみが世界を移動したという点から、彼女の時と違っても深く驚愕する事はない。しかし、それならば何が入れ替わりと移動との違いの要因となっているのか。また、何が世界を移動する為の鍵となる行動なのか。解決すべき物事は多いのにも関わらず、大半が理解できていない。最初は進歩したと考えていたが、考えように乗っては状況を悪化させた可能性もあるのではないか。

 一人で脳を働かせると、勝手に嫌な方へと考えを持って行ってしまう。

 いくら脳を働かせて嫌な考えを働かせても意味がないと悟ると、深く考えるのをやめ、良い事のみを考える。

 様々な事があったが、一つ確実に良かった事がある。本物の鈴鹿。俺が元から知っている彼女の身の安全を把握できた事である。

 最初に高弘やもう一人の自分と出会った際、彼らは夢でも見ているかのように動揺していた。あの状態から察するに、彼女が別世界の彼女である事を把握していなかったのは本当だろう。彼らが把握していないとなると、他の人物も把握できていないと考えるのが妥当。彼らの証言的にも普通の生活を送っている様子。 病気が心配だが、元気ハツラツな彼女ならば大丈夫だろう。本当に、彼女が無事で良かった。

 深く安心しながら、晩御飯まで多少の余裕があるであろう事を考え、瞼を上げる事なく、その場で深い眠りについた。



 時間は昼過ぎ。外からはアブラゼミの鳴き声に加え、小学生の騒ぎ声が小さく聞こえる。

神主家から少し行った先には小学生が溜まり場にしている公園がある為、そこ周辺で遊んでいるのだろう。

 対して大人になりつつある俺達は扇風機一つの室内で、扇風機の周りに集まりながら堕落している。

 俺達を弄ぶように涼しげな風を放つ方向を変える夏の神器。少しでも多く風を浴びようと、自らのテリトリー内で極限まで神器について行く俺達。傍から見たら、餌を与える飼い主とペットの関係にも見えるかもしれない。しかし、それでもこの神器から離れようとは思わない。涼しく、気持ちが良い風が作り出す、最高の空間。この風をゆったりと浴びている時間は、私服の時間といえるだろう。

この時間が永遠に続けばいいのにと考え始めていると、俺と同一の見た目を持った男が口を開いた。

「……いや、何やってるんだ俺ら。俺らは作戦会議するために集まったんじゃないのかよ」

「だってしょうがないじゃんー。扇風機涼しいんだもーん。」

「鈴鹿お前なあ……おい、もう一人の俺。集めたのはお前なんだから、お前から話し進めろよ」

「えー……分かったよ……」

 面倒くさく思いながらも、動きたがらない体を動かし、古びれた机の横に座る。続くようにもう一人の俺が移動すると、確実に嫌な表情を浮かべながら幼馴染二人も移動する。扇風機から受ける風が少なくなったのを感じ、神主から授かった団扇を取り出すと、軽い力で自らを扇ぎながら、会議開始の宣言を行う。

 他三人はだらしない声で反応しながら、それぞれ持参の資料を広げた。

 最初に改めて状況を整理するべく、今後の目標を絡めながら全体状況を説明する。

 今後の巨大目標は一つ。俺と鈴鹿を元の世界へと戻す事。その為には自らの意思で世界を移動可能になる必要がある。問題点はどのようにして世界を移動するか。

 現状判明している、世界移動に関わる情報は一つのみ。鳥居を潜るという行動が世界を移動する鍵となる行動であるという事。様々な調査を行い、実験を行うまで至ったが、それ以外は何一つ判明していない。正直な話、状況は決して良いとは言えない。

 大体の説明を終えると、今後の行動について話し合い始める。

 まず、必ず取らなくてはならない行動が一つある。それは神主である中島さんの調査。

 話始めると同時に、一人の女が声を上げた。

「え、何で? だって、中島さんは良い人だよ?」

 その純粋無垢な瞳から察するに本心からの発言だろう。

 彼女は基本的に人を疑わない。それは彼女の良い所とも言える。しかし、今回ばかりはそれが裏目に出てしまっている。

 軽くため息をつくと、子供に説明するような優しい声色で説明を行う。

「良いか、鈴鹿。よく考えてみろ。二つの世界で神社の綺麗さが違うのは、今回の事件に深く関わってるし、分かる。だけどさ、他の物はほぼ同じなのに、神主の家と本人がここまで違うのはおかしいだろ。何か関わってるとしか考えられない」

「えー、でもさ、前聞いた時は何も知らないって言ってたじゃん」

「いや、隠して言わなかった可能性もあるだろ。それに、この世界の神主が知ってる可能性もある」

 簡単に説明したつもりだったが、それでも彼女は納得していない様子。

 頬を膨らませながら、何か言いたげな顔でこちらを見ている。

 様々な事を言いたくなりながらも、その気持ちを抑え、状況が理解できている他二人と話を進める。

 問題は神主の調査を進める方法。

 彼が全ての状況を把握していたとして、素直に世界移動の全貌を説明するとは考えづらい。当然、俺達が探りを入れたとしても、警戒し、情報を一切漏らさない可能性も高い。彼から情報を聞き出すというのは容易ではない事は明らか。しかし、彼が問題を解決するための鍵となる人物であるのは変えようもない事実。今現在の最善策を講じ、何とか情報を引き出さなくてはならない。

 素直に聞き出すのが難しいとなると、秘密裏に情報探り取るか、ボロが出るように誘導するなどして、自然な流れで情報を聞き出すのが良いだろう。秘密裏に情報を抜き取るのは、寝泊まり出来ている俺達が行うとして、問題は本人から情報を得る方法だ。

 彼が俺達が世界を移動したことを認知済みだとすると、俺や鈴鹿が変に聞き出そうとすると、怪しまれ、逆にガードが固くなる可能性が高い。そうなれば、家から追い出され、路頭に迷う可能性もあるし、何をされるかも分からない。

 様々な情報を整理すると、神主に近づき、情報を聞き出すのに適任者は一人しかいない。

 俺ともう一人の俺は一瞬目を合わせると、一人の男へと顔を向けた。

「……なるほど、俺か。まあ、そりゃそうか!」

「俺と鈴鹿はリスクも高いし厳しいし、もう一人の俺が行くのも問題あるからな。ここは高弘しかいないわ。頼めるか?」

「しゃーないなー……任せろ。大船に乗った気持ちでいてくれよな」

 彼は自信ありげに言いながら、ドンッと胸を叩いた。

 こういう状況での彼は信頼できる。普段はバカな事をしているが、予想以上に頭が切れ、冷静さを持ち合わせている。コミュニケーション能力も高いため、上手くいけば神主から情報を聞きだす事も出来るかもしれない。

 情報を聞きだす事は彼に一任し、神主と距離が近い俺と鈴鹿はボロを出さないよう注意ながら生活を送りつつ、家中で異常な物が無いかを探索する。

神主に関わる問題は一先ずはこれで大丈夫だろう。

「他に取れる行動だけど……神主が何も知らなかった時の事考えて、俺達自身で世界を移動する方法を考えないとだよな。とりま、情報纏めながら考えてみるか」

 もう一人の自分の指示に従いながら、情報を纏めていく。

 今現在、世界移動について判明している情報は一つのみ。世界を移動する鍵となる行動は例の神社の鳥居を潜る事であるという情報。二度の世界移動において、鳥居を潜ったという点のみは共通しているという所から察するに、世界を移動する為には鳥居を潜らなくてはならないという条件がある事は確定して良いだろう。

 他に、以前調べ上げ、この世界で確定した事実として、二日前の俺の世界の天候がこの世界の天候となっている事や、基本的な歴史は同一であることなどがあげられるが、実験などから察するに、世界移動にはそこまで影響はないだろう。

 彼女のみに起きた世界移動と新たに発生した世界移動で共通する箇所を考えていくが、残りの共通する箇所と言えば時間帯が夕方周辺である事のみ。それ以外に共通する箇所は考えられない。

 情報を纏めたのちに、現実とは思えない現状の問題を解決するべく、四人の頭脳を結集させる。三人寄れば文殊の知恵とよく言うが、問題が難解過ぎる場合、三人どころか四人集まろうと、解決できない事もあるようだ。

 数分間無言で考え込むが、誰一人として真面なアイデアを発言しない。

現実離れ過ぎるのもあるが、情報が少なすぎるのが問題だろう。今現在確定している有益な情報が一つのみというのは余りにも少なすぎる。このまま考え続けて、良いアイデアが出るとは考えられない。

 俺達は軽く話し合った末、一先ず情報収集を優先する事で決定した。

 高弘は神主から情報を得る為に、親密度を上げるべく神主のいる神社。鈴鹿は家中で不審な物がないか探索しながら、インターネット上の情報を探るため、神主の家。俺ともう一人の俺は図書館で情報を得る為、街一番の図書館。一度この場を離れ、それぞれの場所で合理的に情報収集を行う。

「……って、何で俺ら二人でいくんだ? 同じ奴が二人いるって問題になるだろ」

「いやさ、よく考えてみたんだけど、同じ顔の奴が二人で歩いてたとして、同一人物だと思うか? 普通は双子とかだと考えると思うんだ」

「まあ……確かにそれはそうかもな。いや、だけど不思議に思う奴もいるだろ。何でわざわざリスクがある俺らが二人なんだ?」

「……まあ、それは後で話すよ。取りあえず、今は行動あるのみだろ。時間も限られてるだろうしさ」

「……まあ、そうか」

 頭上に大量のはてなマークを浮かべながらも、彼に考えがある事を信じて、それぞれの情報収集場所に形上は納得する。他二人が一言も反対の言葉を発すること無く同意すると、俺達は軽く話したのちに、荷物を纏め、それぞれ活動場所へ向かうべく、一時解散した。

 俺達が向かう図書館は現在地から徒歩十分。普段ならば何気なく会話を交わしていると、気付いた時には到着しているほどの距離。今回も同様に簡単に到着すると踏んでいたが、その往路は想像上に苦痛の時間であった。

 距離は問題ではない。問題は眩しく輝く太陽。太陽から放たれる熱。圧倒的な猛暑。

 数十歩足を動かしただけなのにも関わらず、異常なほどに汗が流れ落ちていく。ペットボトルが手から離れず、数十秒に一回の頻度で水を口へと運んでしまう。室内にいた際は気にならなかったセミの鳴き声も、猛暑の影響もあってか五月蠅く、非常に不快に感じ、軽く苛立ちが湧いてくる。それに加え、二人の間に流れる無言の時間も心を蝕んで行く。

 別世界の自分と、初めての二人きり。冷静に二人になると、何から話して良いのか。この世界の俺は一体どんな人物像なのか。考えれば考える程、最初の一言が出てこない。

 誰しも一度は考えたことがあるかもしれない。もしも、自分と同じ見た目の人物が、自分がもう一人現れたらどうなるのか。交代で学校へ行ったり、様々な出来事を手分けして行ったりと、多種多様なことが出来るのではないか。好みが完全に一致しているもう一人自分が目の前にいるのだ、趣味などの話で盛り上がり、一番の親友になれるのではないか。妄想に妄想を重ねたことがあるかもしれない。

 実際の現実がこれである。何から話せばいいのか分からず、気まずい空間が周囲を支配している。

 俺が話し出せないのだ、もう一人の自分も話し出さないに決まっている。

 何とか話を切り出そうと、一言目を模索するが、これと言った言葉は思い浮かばない。暑さによって次第に頭も茫然としていき、一層考えが纏まらなくなってくる。

 その時。何かを潰す感覚がすると同時に、グシャッという嫌な音が真下から聞こえた。瞬間的に嫌な予感が脳裏を過ぎり、俺達は互いの顔を見合わす。何とも言えない感覚と、聞き覚えのあるような嫌な音。そして、周囲を包み込む虫の鳴き声。

 足元を見ていないため、正確には分からない。しかし、状況から察するに、足の裏にある物が鳴き声の主である可能性が非常に高い。

 想像すると同時に顔は青ざめていき、下を向く気が消え去っていく。それでも、現実を見ないわけにはいかない。

 俺達は互いに落ち着くように言うと、息を合わせて顔を下げる。俺達の目の前にあった物は……ポテトチップスのゴミ。

 俺達は再び顔を見合わせると、冷や汗を飛ばしながら同時に笑みを零した。 

「……いやー、びっくりした! セミ踏んじゃったかと思ったわ!」

「俺も思ったわ! 音的に絶対そうだと思った!」

「いやー、マジで良かったー。セミ踏んでたらメンタル壊れてたわ。マジセミ無理」

「分かる。俺セミっていうか、虫全般が無理だからさ。俺だったら死んでるわ」

「同じく。ってか、同一人物なんだから、それはそうだろ」

 一気に拍子抜けしたからか、数秒前の重苦しい空気は吹き飛び、古くからの友と話すように軽口で言葉を発する。そこから緊張も解けていき、互いの趣味を確認しながら会話を重ねる。

 当然と言えば当然だが、互いの趣味は同じ。好みや苦手なものも同じで、文字通り自分自身と話しているようだ。自然と話は弾み、自分同士でのみ話せる事を話していく。

友人に対して考えている事や、誰にも話していない夢についての話。最近感じている体の違和感など、多種多様な話。

それによって会話が盛り上がり、互いに一切の遠慮がなくなった頃。彼は少し口を閉ざしたかと思うと、神妙な面持ちで口を開いた。

「何て言うか、ありがとうな。鈴鹿を助けてくれて」

「え、何だよ急に。そりゃあ、幼馴染が困ってたら助けるだろ。お前だってそうだろ」

「……そうかもな。……なあ、俺達こうやって話してるけどさ、全く同じ人間なんだよな。今この場には、俺が二人いるってことなんだよな」

「まあ、そう……なのか?」

 彼の言葉で、軽く考えを巡らす。

 実際、この場に存在する高橋尚也は同一人物なのだろうか。念密に調査した訳ではないため、確実とは言い切れないが、見た目や数分前までの会話から察するに、外的要素は同一。鈴鹿達からの証言や会話から察するに、性格も同一。相違している点と言えば、記憶や経験のみ。大部分は同一だが、経験してきた事は多少違う。問題は身体や思考が同一ならば、記憶や経験が相違していようと、完全な同一人物と言えるかどうか。

 実際の所、それに関しては個々の考えによって変化するだろう。身体の状態が完全に同一であれば同一人物とする者がいれば、経験してきた状況や感情の記憶が同一であれば同一人物と考える者もいる。個々の考えによって答えが異なる場合、一概にこれと言うことは出来ない。

 結局、俺が目の前の彼を同一人物とするかどうかだが……。

「……うん。正直分かんないわ。目の前にいるのは確かに俺ではあると思う。だけど、完全に同じ奴だとは言い切れない感じもする。何とも言えない。……急にどうした?」

「いやさ。最近色んなことが起き過ぎて、良く分からなくなっててさ。……もし、俺とお前を別人とするならさ。鈴鹿達も別人になるよな」

「まあ、そう考えるならそうだな」

「そうだよな。……あー、駄目だ。考えれば考える程、今何が起きてるのか分からなくなってくるわ。……まあ、取りあえずは出来る事やるのが一番か。丁度見えてきたしな」

 彼の言葉を耳にすると、正面へと目をやる。

別世界にて何度か訪れ、その都度必要としている情報を入手する手助けをしてくれた図書館。その見た目は別世界の物と変わらず、一切の変化は見られない。

 その状態に多少安心すると、猛暑から逃げるように、駆け足で館内へと入って行く。

 館内には冷房器具が大量に設置されており、猛暑によって熱された体が一瞬のうちに冷やされていく。冷気に癒されながらも、目的を思い出し、簡単に行動を振り分ける。

 俺は元より調べる予定のあった書物の収集。彼は神社に関する書物の収集。

 現在時刻を確認し、時計の針が半周するまでに集まる事を約束すると、それぞれが本を収集するべく館内を歩き始めた。



「んー、誰ー?」

 仮宿に帰宅すると同時に、やる気のなさそうな声を出しながら玄関前へと現れたのは綺麗な橙色のアイスを口に銜えた女幼馴染。彼女は帰宅したのが俺達だった事に気づくと、特に何かを言う事もなく、どこかへと走って行った。

 俺達は猛暑の中、徒歩で長距離を移動してきたのにも関わらず、彼女は冷気に包まれた部屋でアイスを頬張っていた。その現実に軽く苛立ちを覚えながらも、重い書物を抱えながら彼女の出てきた部屋へと入室する。

 荷物を放り投げると、限界状態の足を動かし、涼しい風を放つ神器の前へと座り込む。神器から放たれる風を全身に浴び、少しずつ体力を回復させていると、どこかへと消えて行った幼馴染が姿を現し、俺達の手元へと何かを放り投げた。手元を確認すると、そこにあったのは紫一色のアイス。状況から察するに、彼女は限界状態の俺達を目にし、体を癒せるようにとアイスを取りに行ってくれていたようだ。

 彼女へ少しでも苛立ちを覚えた自らを恥ずかしく思いながら、軽く感謝を伝えると、アイスを口で包み込む。

グレープ風味の甘いアイスが口いっぱいに広がり、一気に体力が回復していく。

 猛暑の中、図書館まで向かい、必要最低限の図書を入手。その後、軽く内容を確認し、話し合いは帰宅後に行う事に決め、猛暑の中帰宅。真夏の日差しの力もあり、普段以上に体力を消費する事となった。これならば、多少移動費が掛かろうと、バスを利用するべきだったかもしれない。

 想像以上の疲労に、一言たりとも発することが出来ず、話し合いを始めたのは数分後。

 俺達は互いにノートを広げると、鈴鹿、もう一人の俺、俺の順で成果を発表する事に決め、話し合いを開始する。

 最初に鈴鹿の成果。彼女の任務は家中の探索。そして、インターネットを利用した情報収集。

今現在は絶賛インターネット社会。案外インターネットにも有益な情報が載っている可能性もある。

 約二時間。彼女は途中に家中探索を交えながら、神社や並行世界。神隠しなど、関連しているありとあらゆる物事について調べ上げた。流石はインターネット社会と言える。関連する情報は大量に散らばっていたらしい。

しかしながら、実際に現在の情報を解決するに至る情報や、正確性のある情報は入手できなかった。載っている情報は誰かが考えた妄想や、明らかに虚言であると理解出来るような薄っぺらい情報のみ。家中も全部屋巡ったが、怪しいものは一切入手できず。

 結果として、彼女は一つの成果も得られなかった。

 残念ではあるが、よく考えてみれば、当然と言えば当然ともいえる。

 もし、インターネットに世界を移動する方法が載っていたとすれば、特大ニュースとなり、世界中で世界を移動する者が出現しているはずだ。実際にその様な事態が起こっていないのだから、載っていなくて当然でもある。神主の方に関しても、俺達を躊躇せず受け入れたという事は、家中に情報にあたるものを残していない可能性もある。

 気を取り直すように言いながら、続いてもう一人の俺の成果へと移行する。

 彼は神社に纏わる書物を借り出し、神社の秘密などについて調べ上げた。

 図書館であれば、古い物から新しい物まで、専門的な情報を入手できると考えたからだ。

 しかし、彼が大半の書物で得た情報は、以前俺と鈴鹿で調べた際に得た情報と大差なく、新たな情報と言えば神社の都市伝説など。

その都市伝説も神隠しや世界移動に関係するものではなく、動く狛犬や増える階段などの心霊的な物ばかり。

 最終的な結果として、彼もそこまでの成果を上げることが出来なかった。

 肩を落とす二人を励ましながら、自信ありげに口を開く。

 「まあ、二人の代わりに俺が成果を上げたから心配するな。二人とも、これを見ろ!」

 見覚えのある、一冊の古びれた書物を机上に開くと、二人は指示通りに書物へと目を向ける。

数年以上前から貸し出されているからか、ページの至る所には飲料が零された跡や、鉛筆で落書きの跡が残されている。そこには神社とはどのような施設であり、神社内には何が配置されているかなど、神社の詳細が記載されている。

 二人がページ内の文章を書見し終えたのを確認すると、続く言葉を見せるべくページを捲る。

 しかし、次ページは何者かによって破かれており、続く文章を確認するのは不可能になっている。

「なあ、鈴鹿。お前、これに見覚えないか?」

「え? ……うーん…………あ……ないね!」

「ないのかよ……。実はさ、これと同じ本が俺の世界の図書館にもあったんだよ。それでさ、俺の世界の本では、破かれてるページは破られていない代わりに、ペンで真っ黒に塗られてるんだ。……おかしいと思わないか?」

「なるほど。確かに怪しいな」

 その表情から察するに、もう一人の俺は理解してくれたようだ。その隣へと顔を向けるが、彼女は理解しているようには見えない。

 仕方が無くノートを利用しながら、彼女に理解させるべく、詳しい説明を始める。

 以前、図書館で調査を行っていた時。この書物と同一の物であろう書物を発見した。

 そこには同様の内容の文章が記載されており、この書物と同様に、ページの至る所には飲料が零された跡や、鉛筆で落書きの跡が残されていた。そして、肝心の続くページは破かれておらず、代わりにペンで真っ黒に塗り潰されていた。

 世界を移動していない以前の状態ならば、悪戯だと決めつけ、特に深く考える事はなかっただろう。しかし、世界を移動した今なら理解できる。このページには何かがあると。

 二つの世界は非常に酷似している。存在する人物や物は同一。二つの世界で状態が大きく変化した物と言えば、今回の件に大きく関係しているであろう神社と神主の家のみ。つまり、二つの世界において、物は基本的に変化しない。変化するものと言えば、事件に大きく関係している物のみ。

 これらの事から考えるに、ペンで塗り潰されているのではなく、ページを破かれているという点で変化している本は深く関係している可能性がある。

 当然、本当に誰かの悪戯で、偶然変化が起こったという可能性も捨てることは出来ない。しかし、塗り潰す、破くと、ページの内容を把握させないように行動しているのは明らか。恐らく……確実にこの本には何かがある。

「……って訳だけど。どう思う? 悪戯って線も捨てきれないけど、恐らくは何かがあると思う」

「そういうことか。……うん、確かに何かあると思う!」

「同じく。状態から考えるに、誰かがやってるとしか考えられない。それで、その正体に関して何がわ分かってるんだ?」

「え、何も分かってないけど?」

「いや、そういうの良いってー。本当はー?」

「いや、マジでこれ以外は分からない」

 二人はその言葉を耳にすると、二人顔を見合わせながら深くため息をついた。

自信ありげに発言していた事から、正体まで辿り着いたのだと考えていたようだ。

 期待した自分達が悪かったと言わんばかりの表情に苛立ちを覚えながら、時間が無かったのを言い訳に反論するが、彼女は聞く耳を持たない。一度殴ろうかと考え始めた時、もう一人の自分が口を開いた。

「ともかくだ。状況から考えるに、もう一人の俺が持ってきた本のページを破いた奴の正体。俺達はこの正体を探るのに尽力しよう」

「だな。それ以外はまだ分かんないし。高弘が神主。俺達が悪戯野郎の正体って感じか。……よし、今後の予定も決まったし、やる気出していくか!」

「だね!」

 今後の行動を確定させ、一部の肩の荷が下りた俺達は一先ず休憩を始めた。

 その時。玄関の鍵が開く音がすると同時に、聞き覚えのある声が耳に入った。

 どうやら、神主の仕事を終えた中島さんが帰宅したようだ。流石に彼に俺が二人存在するのを目撃されるわけにはいかない。

 すぐさま立ち上がると、部屋の網戸を開け、もう一人の自分を外へと追い出した。突然の追い出しに動揺する彼だったが、状況を察したのか、一言たりとも発すること無く、その場を後にしていった。

速やかな行動により、神主は彼に気づくことはなく、俺達に夕飯のメニューを伝えたのちに二階へと消え去った。軽く安心しながら、広げた資料を纏め上げると、俺達は明日から頑張る事に決め、その場で解散するのだった。



 翌日。翌々日。更にその翌日。その翌々日。アブラゼミの屍骸は増えていき、気温は数年で最高気温を叩き出していた。毎年恒例の夏祭りも近づきつつあり、夏が過行く事を感じさせられる頃。

 ページを破った者の正体を探るべく、俺達は必死に行動を繰り返した。

 ある時は図書館へ向かい、書物を借り出した者の特定を行おうとしたり。ある時はインターネットらを利用し、書物自体の内容を確認しようとしたり。ある時は付近の本屋を回り、同様の書物が販売されていないかを確認したり。

 問題解決に直結する行動を繰り返してきた。

 しかし、数日たった現在。未だ、ページの続きや、破った者の正体を確認できずにいる。

 楽な道のりではない事は、何となく理解していた。それでも、三人の能力を使用すれば、数日以内には新たな情報を入手できると、楽観的に考えていた。

 それが現在。一つの情報も入手出来ずにいる。高弘からの新たな情報もなし。正直な話、心が折れかけている。

 自然と気分も沈み、無駄な事ばかり考え始める。

 俺達が消え去った、元から俺がいた世界はどうなっているのだろうか。俺が突如として消えた事により、みんなは心配しているだろうか。こんな事になるのなら、両親や高弘にも一言伝えておくべきだったかもしれない。行動を繰り返してはいるが、実際問題、俺達は元の世界へと戻れるのだろうか。戻れなければ、一生隠れながら生活しなくてはならないのだろうか。

 そう言えば、本物の鈴鹿は元気だろうか。インフルエンザも流石に治っているであろう頃。久しぶりに会いたくなってくる。

 考え始めれば、もう止まらない。突然、世界を移動して数日が経ち、冷静さを真の意味で取り戻したからというのもあるだろうか。心の奥底で不安に考えていた事が、一気に溢れ出してくる。

 そんな自分に鞭を打ちながら、横たわった体を起こす。軽い落書きが描かれたノートを閉じると、数日前に図書館から借り出した書物をその上へと開く。そして、書物の内容を確認するように、一ページ目から読み直していく。

 一日に一回は行っている書物の読み直し。一件意味のないような行為にも思えるが、読み直す事により、新たな発見をする可能性もある。


 神社の入り口にある鳥居は、神域と呼ばれる神社の内側の神聖な場所と、俗界と呼ばれる外側の人間の暮らす場所との境界を表している。

 鳥居は神社へ通じる門や、神社のシンボルといった役割のほか、神社の中に不浄なものが入る事を防ぐ、結界としての役割もあると語られている。

 神の世界と人間の世界を繋ぐことから、鳥居には……。


 恐らく、この文章において、今回の現象に多少なりとも関わっている可能性があるのは最後の三行。

鳥居には神社の中に不浄なものが入る事を防ぐ役割や、神の世界と人間の世界を繋ぐ役割がある。ただの伝説的な話に聞こえるが、俺達の身に発生した出来事が現実離れしてることを考えると、この文章も事実である可能性が高い。

 とは考えた物の、これを言葉の通りに受け取ることは出来ない。

神と人間の世界を繋ぐと書かれているが、実際に鳥居を潜り、繋がったのは元の世界と非常に似た人間の住む世界。所謂、並行世界の様なもの。神の世界とは到底考えられない。

不浄なものを防ぐというのに関しては一切理解できない。関係しているかどうかだけでなく、言葉の真意も理解出来ない。不浄なものを防ぐってどういう事なのだろうか。

 見返して、改めて続きのページを発見することの重要性が見えてくる。

「……まあ、改めて分かっても、犯人もページの内容も分からないんじゃなー」

「思い悩んでいるみたいですねー」

 ふと、背後から聞こえた聞き覚えのある声に反応し、振り返る。そこには可愛らしい私服で身を包んだ幼馴染が、のぞき込むようにこちらを見ていた。

普段とは違う姿の彼女に軽く驚きながらも、冷静に言葉を放つ。

「その服どうしたんだ? 服は世界移動するときに着てた制服と、中島さんから借りたパジャマしかなかったはずだろ」

「ふっふっふっ……あたしだって女の子だよ? ずっと制服か、古い男服じゃ嫌だからね。尚也にお願いして、私服を持って来てもらったのよ。どうよ、久しぶりに見た私服のあたしに、何か言う事はない?」

「あー、とても似合ってて可愛いですー」

「心が籠ってなさそうだけど……まあ、よし!」

 望んでいた言葉を得られたからか、彼女は鼻歌を交えながら、部屋のカーテンを開いた。同時に、眩い光が室内へと入り込む。数時間、光を抑えた室内で作業していたからか、光を異常に明るく感じ、身体の体力を削って言っているのが感じ取れた。

身の危険を感じ、再びカーテンを閉めようとするが、容易く阻止され、その流れで引きずられながら部屋の外へと連れていかれた。

「暗い部屋の中にいても良いアイデアはでないよ。たまには外出て、空気を入れ替えよう!」

「はあ、こんな状況で何を言って……」

 制止する俺の言葉を完全に無視すると、部活動で鍛えた筋力で俺を抑えつけながら、軽々と室外へと踏み出した。

 猛暑の上に直射日光。想像以上に体温を奪うコンボに、一瞬にして体からやる気が、水分が消えていく。何とか室内へ戻ろうとするが、帰宅部員が運動部部長に勝てる訳もなく、引っ張られながら外を歩かされる。

 抵抗が無意味な事を悟り、仕方が無く彼女について行くことに決めた。

 時間は昼過ぎ。太陽は頂点を過ぎたとはいえ、未だ頂点に近い位置に存在している。一直線に降り注ぐ陽光に、自然と汗が流れだしていく。

 満身創痍で手放さずに持ってきた団扇を仰ぐが、顔にかかるのは熱風のみ。涼しくなる所か、逆に体温を上昇させてしまう。

 無意味な事を悟り、団扇を動かす手を止めると、ふと隣へ目をやる。 

汗はかいているものの、彼女の表情は余裕その物。

 暑さに慣れているからか、何か対策を取ったからかは分からないが、この猛暑で辛い表情を一切しないというのは凄いと言える。

 彼女の余裕に軽く尊敬の目を当てていると、彼女は何かに気づき、明るく言葉を発する。

「あ! 尚也見て、あれ覚えてる?」

「ん……あれは……」

 彼女が指さした方に見えたのは、一つの公園。存在する遊具は鉄棒とジャングルジムのみ。遊具に塗られたペンキは落ちつつあり、公園の看板は錆び、名前を認識することすら困難である。

 考えてみれば、当然ともいえる。この公園は俺達が幼稚園児だった頃から存在した、非常に古い公園なのだ。

小学生低学年の頃は頻繁に訪れ、鬼ごっこやボール遊びなど、多種多様な子供遊びを行っていた。ボロボロで、今では訪れない公園ではあるが、俺たちにとっては思い出深い公園だ。

「久しぶりに来たけど、相変わらずボロボロだねー」

「そりゃあ、ずっとある公園だからな。懐かしいな、昔はここでよく遊んだよな」

「だね。ほんとに懐かしいよ……サッカーしたり、鬼ごっこしたり。あ、尚也が顔にボール当たって、泣いたのもこの公園だっけか」

「は、何言ってんだよ。俺はそんなの知らないぞ。俺の世界ではそんな事なかった」

「いやいや、誤魔化しても無駄よ。どっちの世界でもあったに決まってるでしょ。だって、尚也だし」

「いや、小学生でもそれくらいじゃ泣かないわ」

「本当かねー。……いやー、なんかさ、思い返してみると、色々あったよね」

 当時の思い出を振り返りながら、再び俺達は一歩踏み出した。思い出を幼馴染と語るとなると、話は止まらなくなる。

 幼稚園児から高校生まで、彼女と過ごし、手にした思い出は数知れない。お泊り会をした事。帰り道に寄り道をした事。幼馴染旅行へ行った事。思い返してみると、俺達にも様々な出来事があった。学校が同じとはいえ、ここまで長く関係が続いているのは、ある意味奇跡でもあるのかもしれない。このまま、三人の関係は変わらず、大人になっても集まれるような仲で入れれば良いな。

 そんな事を考えながら、思い耽っていた時。ふと、いつも変わらない、アイスの自販機が見えてきた。軽く顔を見合わせると、互いの意見が合致したのを確認し、太陽から逃げるように自販機へと駆け出す。

 普段通りの方法でアイスを入手し、付近に腰を下ろすと、猛暑で疲れ果てていた体を癒すように、無言でアイスを舐め続ける。

 深い事は考えず、熱いとか、時が過ぎるのは早いとか、夏も終わるとかを考え始め、アイスの残りが半分になった頃。真剣な雰囲気を纏った彼女が、ゆっくりと口を開いた。

「……ねえ、少し変なこと聞くけどいい? ……何で尚也はあたしの事助けてくれたの?」

「なんだよ急に……そりゃあ、幼馴染なんだから、助けるのは当然だろ」

「幼馴染だからか……けどさ、あたしは本当の幼馴染じゃないんだよ。尚也の知ってる鈴鹿と、あたしは全くの別物」

「いや、全くの別物じゃ……」

「別物は別物なの! ……あたしは、尚也の知ってる鈴鹿じゃないんだよ」

 彼女の神妙な面持ちと声色に、思わず言葉に詰まってしまう。誤魔化すように残りのアイスを口に放り込むと、目をそらし、彼女の言葉に対する言葉を考える。

 何度か考えてはいた。この間、もう一人の俺と話した時も、考えてはいたのだ。彼女は本当に俺の幼馴染と言って良いのか。見た目は同一。性格も同様だろう。違う点と言えば記憶や経験が少しだけ。しかし、その記憶や経験が問題なのだろう。

 実際に、俺が一緒に遊びや勉強を経験したのはもう一人の鈴鹿。

 今、目の前にいる鈴鹿とは一緒に深い何かを経験したという事はないし、幼馴染としての友情も、偽物と言えるのかもしれない。

「……ねえ、尚也。幼馴染じゃないあたしを、何で助けたの? なんか……ごめん、あたし言葉で表すの苦手だからさ。そりゃあ、もう一人のあたしを助けるためだよね。けど、それならあたしを助ける必要はなかったでしょ」

「いや……だって、お前だって元の世界に戻りたかったろ。それに、二人が入れ替わったなら、二人を入れ替えるのが簡単だし……てか、さっきから何なんだよ。一体どうしたんだ?」

「……ごめん。最後だからいろいろ言いたくなっちゃったのかも。……ねえ、尚也は気づいてた? あたしさ、この世界に戻る前、元に戻るのに全然協力してなかったんだよ。部活を言い訳にしてさ」

 彼女の言葉で、ふと記憶を呼び覚ます。

 思い返してみれば、世界移動を行うために、様々な調査を行っていたのは基本的には俺だった。関係している情報を見つけ、二つの世界の共通点を発見したのも。実験の内容を考え、実験をどのように行うのか考えたのも俺だった。確かに、彼女が積極的に参加し、重要な情報を発見したことは一度もない。そう言えば、大きく関わっている可能性がある、中島さんやその家が二つの世界で変化している事も、伝えてはくれなかった。しかし……。

「いや……それは本当に部活で忙しかったからだろ。中島さんの件とかも、覚えてなかっただけだろうし。さっきから、何言ってるか分かんないぞ」

「全く……バカだなー、尚也は。認めたくないからって、そんな事さ。……いろいろ言ったけど、あたしを助けてくれようとしたこと、嬉しかったよ。もう一人の尚也と高弘によろしく伝えといて。もう一人のあたしには……最低でごめんって、謝っといて」

「いや、何言って……」

 彼女の言葉を理解できず、近づこうと一歩踏み出した直後。数人が駆けてくるような足音に、反射的に振り返る。振り返った先にいたのは複数の警官と思わしき人物達。

 何事かと考えていると、彼らは俺を通り過ぎると、鈴鹿の元へと集まった。そして、彼女の手に何かをはめ込み、口を開いた。


「……秋元鈴鹿だな。殺人容疑及び、留置所からの逃走の容疑で逮捕する」 


「………………へ……逮捕って……」

「君、大丈夫か、何もされなかったかい? もう大丈夫だよ」

「いや、大丈夫って……ど、どういうことですか?」

 突然の事に動揺しながらも、咄嗟に丸眼鏡を掛けた茶髪の警官に質問を投げかける。彼は他の警官と軽く言葉を交わしたのちに、説明口調で言葉を発する。

「……彼女は、殺人を起こした上、逃走を図った犯罪者なんだよ。大丈夫。僕たちが来たからには、もう安心だよ」

「おいバカ、犯罪者とか言うのはやめろっていったろ!」

「あ、先輩、すみません」

 警察官二人が軽口で話しているが、会話の内容が頭に入ってこない。

 突然、警察が現れ、鈴鹿を逮捕した。殺人を、鈴鹿がしたと言っていた。

彼らの言葉が脳内で木霊し続けているが、一切内容を理解することが出来ない。

 理解が出来ず、一切動けずにいると、彼女が警官に連れていかれるのが見えた。

 状況は理解不能。それでも、彼女の顔が目に映り、体が勝手に動いていた。ただ、彼女を取り返すべく、警官を振りほどき、彼女へと向かって行く。

しかし、予想外の出来事に動揺しながらも、慣れた動きで対応した警官に軽々と取り押さえられた。

 その時、ふとこちらを見る、悲しそうな彼女の表情を最後に、俺の意識は消え去った。


 次に目が覚めたのは周囲が闇に包まれた夜。もう一人の鈴鹿と共に、古びた神社の前で目を覚ました。



「……あっつ」

炎天下の中、鉄板の様に熱くなった道路の上。麦茶入りの水筒を右手から離す事なく、一人で小さく呟いた。周囲は静寂で包まれており、時折子供の遊び声が微かに聞こえるのみ。一人で何もせずに立っていると、嫌でも数日前の出来事を思い出させられる。

 数日前。俺達は元の世界へと戻って来た。戻った方法も、何が起きたのかも、未だに全く理解は出来ていない。気が付いた頃には、例の神社の前に倒れこんでいた。

 当時は状況を一切把握できず、訳も分からない状態。ただ一つ、鈴鹿から話を聞かなくてはならないという考えの元から、朦朧としながら鳥居の元を潜り続けた。

 その様子を周辺の住民が見かけ、警察に通報したことにより、俺達は警察のお世話になる事となった。

 その後、警察の連絡を受け、俺達はそれぞれの両親に迎えられることになったのだが……それはもう鬼の形相で怒られた。

 当然と言えば当然なのかもしれない。俺達がもう一つの世界に行っている間、この世界には俺と鈴鹿が存在しなかったのだ。数日間、言葉一つも残すことなく、高校生が姿を消した。問題にならない訳がない。

 結果。俺達は数日間、自宅で強制待機させられることになった。

 そして、今日。両親から許可を貰ったのちに、俺は家を出た。

 外出目的は鈴鹿に会い、もう一つの世界で何があったのかを知るためというもの。

もう一つの世界での最後の記憶。そして、目が覚めた時にはポケットの中に入っていた、入れた覚えのない、もう一つの世界の地域新聞。これらの情報から、大体の状況は把握しているつもりだ。しかし、確かな情報が欲しい。今はただ、確かな情報が。

「ごめん尚也、待たせた? どうぞ入って!」

 想像以上の暑さに朦朧とし始めた頃。勢い良く開いた扉の先から、普段通りの幼馴染が現れた。適当に言葉を返すと、通いなれた彼女の家へと足を踏み入れる。 

 彼女の自宅には何度か入った事があったが、最後の訪問から大きな変化は見当たらない。アロマの良い香りが漂っており、不思議と落ち着いた気分になる廊下。小さい頃から何度も上がり降りを繰り返した、木製の階段。そして、階段を上がった先にある彼女の部屋。

 彼女の部屋には女子らしいぬいぐるみや、数々の写真が飾られており、その横には数々の大会で手に入れたトロフィーが飾られている。まさに、彼女らしい部屋だ。

 彼女は俺にお茶を差し出した後、ベッドの上に腰を下ろすと、ゆっくりと口を開いた。

「なんか、久しぶりだね。本当に」

「ああ……色々あったもんな。本当に、いろいろ」

「うん。……なんて、今更そんな話は良いか。早速、話をしようか……もう一人のあたしについて。さあ、何でも聞き給え!」

「ああ、そうだな。悪いけど、色々と教えてくれ。……まず最初に、この新聞の内容が確かなものなのかを知りたい」

 険しい顔つきで鞄から一枚の新聞を取り出すと、付近の卓上に大きく広げる。その新聞には「女子高生、面識のない老人を殺害」と見出しを付けられており、その横には見覚えのある字で「女子高生=鈴鹿」と書き込まれていた。

 新聞の内容を纏めると以下のような内容。

 数週間前の平日。並行世界のこの街にて、殺人事件が発生した。

 時間は夕方。買い物に行くべく、住宅街を歩いていた老人が鉢で殴打され、死亡した。

 犯人は同じ街で暮らす女子高生。老人の死亡を確認したのちに、現場を逃走。

 偶然現場に居合わせた住宅街に暮らす主婦の通報により事件が発覚し、警察による決死の捜索の末、犯人を逮捕するに至った。

 この内容と、書き込まれた情報を組み合わせると、並行世界の鈴鹿が老人を殺した。その後、老人が死んだのを確認してから、その場を逃げた。

 まさしく突然の出来事過ぎて、今もなお状況を理解することが出来ていない。突然、鈴鹿が思いを伝え始めたかと思えば、警察が現れ、彼女は逮捕され、俺達は元の世界へと戻って来た。新聞などを通して状況は分かっても、本質的には全くもって理解できない。

 彼女がなぜあんな行動に至ったのか分からないし、そもそもとして、この事件自体が信じられるものなのかも分からない。

 新聞ではそれっぽく書かれてはいるが、彼女がそんな事をするはずがない事を俺は知っている。しかし、実際に新聞に取り上げられてるというのも事実。並行世界の最後、彼女が警察に囲まれていたのも事実。情けないが、俺一人では真実が何なのかを決めることが出来ない。

「だから、お前にこれが本当なのか知りたい。鈴鹿なら少しは分かるんじゃないか?」

「そうだね。……この事件は事実だけど、事実じゃないってのが正解かな」

「……どゆこと?」

「並行世界では実際にこの事件が起きた。そして、その犯人として、入れ替わったあたしが逮捕された。……まあ、他人の空似って事で、もう一人のあたしが逮捕された後に解放されたけどね! ……それでね、あたしは逮捕されたけど、もう一人のあたしは殺してないと思うの」

「証拠はあるのか?」

「証拠はないけど、根拠はあります! ……珍しく、あたしなりに頭使って、考えてみたんだ。これ見てよ」

 話しながら彼女が取り出したのは、一枚の地域新聞。

 その内容というのは、この街に住まう主婦が、近所に住む老人を殺害したというもの。殺害理由は毎朝早くに起きるのがうるさかったかららしい。

 日付を見てみると、並行世界の新聞と同じ日付。事件が起きた時間帯も同一のようである。

「尚也なら察してるだろうけど、これで死んだ老人は同じ人。それでもって、殺した主婦と通報した主婦も同じ人。多分だけど、もう一人のあたしは主婦さんに罪をなすりつけられたんだと思う」

「なるほどな……」

 確かに、彼女の言っている事は正しい可能性が高い。

 状況から考えるに、もう一つの世界で老人を殺害したのも老人。

 となれば、彼女の発言通り、もう一人の鈴鹿は罪を擦り付けられた可能性がある。

冤罪で逮捕され、今現在も苦しんでいるのかもしれない。

「それに、何となくだけど分かるんだよね。あたしはやってないって」

「何となく……?」

「うん。並行世界でも、あたしはあたしだからかな。あたしは絶対にやってない!」

「そうか……それじゃあ、これからどうする。無実だってんなら、助けるか? 犯人分かってるし、上手くいけば……」

「うーん、どうだろ。実際の所、高校生が何か言おうと、特に変わらないんじゃないかな。普通に考えて、高校生が事件の犯人は別人だって言っても、聞き入れてもらえないんじゃないかな。あたしが出て話すっていう選択もあるけど、それもそれで問題になりそうだしさ!」

「じゃあ、どうする?」

「そうだなー」

 彼女は少し考えるように俯くと、数十秒黙り込んだ。そして、答えを決めたのか、真っ直ぐこちらを向くと、一言。

「尚也が決めて」

「……え?」

「尚也は優しいからさ。あたしがどうしたいっていったら、あたしがしたいようにするでしょ」

「だけど、今回の事は他人がどうだからって理由で、動いていい問題じゃないと思うの。だから、自分の考えで決めてほしいの。あたしの考えじゃなくてさ」

「俺は……」

 自らの考えを話そうとするが、ギリギリの所で言葉は止まった。まだ、どうすればいいか、どうするべきなのかという考えが纏まっていなかったのだ。

 何とか考えを纏め、自分の意思で考えを話そうとするが、言葉が出てこない。必死に脳を働かせるか、どうするのが正解なのかが分からない。

 言い淀み、下を向いている俺を見た彼女は卓上の書類を纏めながら、優しい声を発する。

「まあ、時間はないけどさ、ゆっくり考えて良いと思うよ。どうしようと、あたしは尚也の考えを尊重するよ。……あ、あたしはあたしの考えを尊重するから、そこまで尚也に協力できないからね! それだけよろしく!」

 彼女はそれだけ告げると、母親が帰宅する事を理由に、半強制的に俺を追い出した。

 暫くの間、玄関前で立ち尽くしたのちに、脳を最大限に回転させながら行く当てもなく歩き始める。

 ……彼女は最後、助けに来ないでと言っていた。それに、自ら警察に捕まった。正直、何故彼女があんな行動を取ったのかは未だに理解できない。それでも、彼女の意見を尊重するのなら、助けないというのも一つの選択だろう。

しかし、実際に彼女がやっていないというのならば、彼女を助けないのは良くないのではないだろうか。

 真犯人であろう人物が分かっているのであれば、その正体を警察に伝え、真犯人を捕まえてもらうのが彼女だけでなく、被害者の家族の為でもあるのではないだろうか。とはいえ、鈴鹿が言っていた通り、一般高校生のただの意見を警察が聞くとは思えない。証拠を出せと言われれば、そこまでなのかもしれない。

 そもそもとして、並行世界とこちらの世界は違う。ここで並行世界の結果を変えるのは、良くないのではないだろうか。非常に似ている世界であるとはいえ、二つの世界は別物である。彼女が捕まるのが、並行世界にとって本当の歴史だとすれば、並行世界の歴史を捻じ曲げる事となる。ハッキリとは分からないが、これは非常に問題のある行為である可能性がある。

 というか、世界が違うのならば、彼女は鈴鹿と言えるのだろうか。

……考えれば考える程、どうすれば良いのか分からなくなる。俺はどうしたいのか。助けたいという気持ちもあるし、このままの方が良いのではないかと言う気持ちもある。俺はどうすれば……もう一人の俺なら、どうするのだろうか。もう一人の俺なら助けるのだろうか。それともこのままを選ぶのか。

「………………あ」

 答えが見えず、ふと顔を上げた。すると、俺の目の前には行きつけのラーメン屋が建っていた。毎週のように見てきたラーメン星と言う看板に、店内から漂う食欲を誘う匂い。思わず腹の虫が鳴り、唾液も分泌されていくのを感じた。早めの夕飯にラーメンを食べていくことに決めると、スライド式のドアをゆっくりと開く。普段とは違い、カウンター席に腰を下ろすとメニュー表を手に取る。少し考えると、店員に声をかけ、ラーメンを注文する。

 ラーメンが来るのを待つ間、楽しい事を考えようとするが、考えとは裏腹に、自然と現状の問題について考え始めてしまう。

 自分が今、すべき事。自分が今、したい事。彼女が今、何をしてほしいのか。

 考え、意見を出しては、それで良いのかと考え直す。

 考え、意見を出し、否定し、考える。

 永遠に無駄とも思える考えを脳内で繰り返していると、良い匂いを漂わせるラーメンがカウンターに置かれた。

 置かれたラーメンは塩ラーメン。普段ならば特製とんこつを選ぶところだが、気が付けば普段とは違うものを頼んでいた。

 考えるのを一時停止すると、割り箸を割り、ラーメンに口をつける。さっぱり塩味が効いており、シンプルなのにも関わらず旨味が詰まっているのを感じる。想像以上の美味しさに、自然と箸が進んでいく。

 半分以上食べ進め、少しずつ腹が膨らんできた頃。

ふと、「確かに、ここまで美味しいのであれば、鈴鹿が毎回頼んでいたのにも納得だ。」と考えてしまった。考え始めてしまえば、もう止まらない。ラーメンの事で忘れていた、彼女の事を再び考え始めてしまう。

 思わず箸が止まり、先程まで至福の美味さだったラーメンに、どこか変な味を感じ始めた時、カウンターに一つのお椀が置かれた。そこに入っていたのは特製とんこつラーメンが少し。

 一体誰が置いたのかと顔を上げると、そこには一人の中年男性が立っていた。

 名札へ目をやると、店長星と書かれていた。

 来店時、ほぼ毎回働いているとは思っていたが、店長であるというのは初めて知った。新たな事実に多少驚きながらも、カウンターに置かれたラーメンについて尋ねる。

「あの……頼んでないと思うんですけど」

「ああ、ただのサービスだよ。毎回それ頼んでるだろ?」

「はい……え、毎回って……覚えてるんですか?」

「そりゃあ、お前、毎週のように食べに来てくれる常連さんだからな。勝手に顔と注文は覚えるよ。確か、毎回三人で来てたよな。今日は一人かい」

「あ、はい。まあ、そうですね」

 疾しい事はないのにも関わらず、自然と顔が下を向いてしまう。

 そんな俺に何かを感じ取ったのか、優し気な笑顔で言葉を発した。

「なるほど。お嬢ちゃんの方と何かあったんだな。それも、結構でけえことだな」

「え、何でそれを……」

「これでも人生経験豊富でな。三回転職して、平社員、店長、バイトといろいろ経験してるんだ。それくらいの事見ればわかるさ。まあ、分かった所でって感じではあるがな」

 彼は軽く笑うと、テーブル席の客に炒飯を置いた。そして、再び目の前に戻ってくると、ハイボールと書かれた缶を手に取り、慣れた動きで口へ運び、喉を潤す。美味しいのか、幸せそうな顔をしながら声を零すと、こちらに顔を向け、懐かしい思い出を語るように、一つの話を始めた。

「まあ、ただの店主の俺が、今日初めて話すあんたに良い話は出来ないけどな、経験に基づいて導き出した、一つの答えを伝える事は出来る。高校生の少年、自分の心に従えよ」

「自分の心に?」

「俺は転職を繰り返してラーメン屋になった訳だがな、親に言われた会社に入ったり、評判の良い会社に入ったり、適当に入ったり、色々な理由でやって来た訳よ。けど、全部上手くいかなかった」

 少し悲しそうな顔をしたかと思うと、再びハイボールを口に入れ、喉を潤し始める。そして、一瞬のうちに空になった缶を音を立てて握り潰すと、再び笑顔を浮かべ、口を開く。その表情はどこか楽しそうで、どこか優しさがあるように感じる。

「全部だめでどうしようかとなった時、俺は自分の心従ったんだよ。結果、俺は成功して、今にいたる! ……まあ、長々と話したけど、他人の意見に従うのも大切だが、結局の所、自分の心に従うのが一番って事さ。兄弟や、親友がいようが、お前の事を分かるのはお前だけ。お前は全世界でお前だけなんだからな」

「俺は俺だけ……全世界で、何があろうと俺は俺しかいない……。なんとなく、分かりました」

「そうかい。それなら、良かった! 今度は、三人。それか、五人で食べに来な! 嘘一つない状態でな」

 今日一番の笑顔でそう言うと、女性店員の平手打ちが彼に直撃した。どうやら、仕事中に酒を飲んだことに気づき、怒っているようだ。

 ふと、彼女の胸元へと目をやる。そこについている名札に書かれている名は星。見た目から察するに、店主の娘というのが妥当だろう。

 彼は平謝りを続けながら、空き缶を捨てると、再び仕事へと戻る。

 俺は塩ラーメンを食べ切ると、サービスで貰ったラーメンに手を着ける。塩も美味しかったが、やはり一番は特製とんこつだ。食べなれたこの味が溜まらない。

 数分前以上に箸が進み、気が付けばスープまで飲み切っていた。全てのラーメンを食べ切ると、会計を済ませ、店主に軽く礼を言い残し、店を出た。

 美味しかった。やはり、ここのラーメンは格別だ。それに、店主のお陰で何となくではあるが、自分の事が分かって来た。自分という存在が、自分の大切にしないといけない事が、

 しかし、未だ分からない事がある。彼女がどうしてほしいのか。そして、俺はどうするのか。

  どれだけ考えようが、俺一人では答えを導き出すことが出来ない。それならば……俺達の事を最も知る者の力を借りるのが、一番良いのかもしれない。

俺は考えを巡らせた後に、ポケットから携帯機器を取り出し、連絡アプリを起動する。

早まる鼓動を抑えながら、覚悟を決め、親友へ連絡を入れた。

 彼に全てを打ち明けるために。



 時間は夕暮れ前。陽が傾きつつあり、少しずつ空色が橙色に染まりつつある頃。俺は一人、古びれたベンチに腰を下ろしていた。そのベンチがあるのは夏の間、毎日の様に世話になっていたアイス自販機の隣。他人に話の内容を聞かれづらく、長く話を出来る場所として、馴染みであるこの場所を選んだ。

 幼馴染との待ち合わせ時刻までは数分ある。団扇で風を起こしながら、ふと空を仰いでみる。空には数える程の雲しかなく、誰がどう見ても晴天と言える。それなのにも関わらず、数日前と比べ、体を襲う熱はそこまで高くない。数日前からアブラゼミの鳴き声も小さくなり始め、真夏と比べると、数分の一程までに減っている気がする。自然と夏が終わりつつある事を実感し、寂しく、何とも言えない気持ちになる。

「……そう言えば、まだ夏祭り行ってないな」

「確かに、今年はまだやなー。来週あたりに行くか!」

 ポツリと呟いた言葉に、聞き覚えのある声が反応してきた。仰ぐのをやめ、顔を元の位置へと戻すと、約束した幼馴染が一人立っていた。彼は徐に財布を取り出すと、慣れた手つきで自販機を動かし、一つのアイスを入手した。彼に促される形で俺も自販機を動かすと、普段と同様のチョコレートアイスを手に取った。これまた普段と同様に慣れた手つきで紙を剥がすと、小さくアイスに噛り付く。数日前と比べて気温が低くなったからか、以前に比べてそこまでの美味しさは感じ取れない。

 それでも少しずつ食べ進めていき、アイスが半分程になった頃。

 本題に入るべく、長く続いていた日常会話を止め、重い口を開こうとする。しかし、開かない。今まで秘密にしてきたことを話す。それも、話したところで信じてもらえない可能性が高い話。心の中で話そうと決心しても、体が素直に従ってはくれないのだ。

 そんな時、意外にも彼の方から話が切り出された。

「……そう言えばさ、お前ら少し前行方不明になってたじゃんか。お前ら何やってたん?」

「……え、まあ、いろいろとな」

「家出してたってお前の親からは聞いたけど、本当は違う理由じゃな いのか? お前らが家出なんて、するわけないだろ。……夏休み前から様子おかしかったけどさ、何か関係あるのか?」

「…………」

 怒涛の質問攻めに、思わず言葉に詰まる。やはり、彼は勘が良い。もしかしたら、俺達が思っていた以上に、現状を理解しているのかもしれない。

 彼の真直ぐな言葉に返す言葉を探すが、何から話せばいいのか、今一考えが纏まらない。

「俺もここ数日でいろいろ考えたんだよ。お前らが何してんのかとか、俺はどうすれば良いのかとか。けど、分かんなかったんよ。……だからさ、何が起きてるか教えてくれよ。俺達の仲だろ?ずっと一緒にいるだろ。なあ、俺の事を少しは頼ってくれよ」

「高弘……」

俺達が悩んでいたのと同時に、彼も悩んでいたのだろう。恐らく、彼は内心で気づいていた。俺と鈴鹿が何かを隠し、裏で動いているという事を。それについて、自分にだけ言ってくれない事に悩み、何をしているのか考えていたのだろう。

 俺達は彼が大切だからこそ、巻き込みたくないと考え、話さずにいた。しかし、逆にそれが彼にとっては悩みの種になってしまっていたのだ。

 それに気づかないとは、幼馴染失格なのかもしれない。

 俺は一度大きく深呼吸をすると、彼の目を見る。真剣な彼の眼差しに鼓動を高めながらも、こちらも真剣な眼差しで言葉を放つ。

「……今から、俺達が体験したことを全部伝えるけど、信じてくれるか?あと、そこまで驚かないでくれるか?」

「信じるに決まってんだろ。この状況で嘘をつかない事くらい分かるわ。それに、驚きもしねえよ。大体は想像できてるからな」

 彼の言葉を聞き、軽く胸をなで下ろすと、ゆっくりと説明を始める。

 この夏、俺達が体験してきたことを、今起こっている事を、子供に読み聞かせるときの様にゆっくりと、分かりやすく伝えていく。

 鈴鹿の異変に気付き、鈴鹿が別の鈴鹿であると知った時の事。

 並行世界や神隠しについて調べ、神主と出会った時の事。

 別の鈴鹿との騒がしくも楽しかった思い出の事。

 失敗はしたが、少しは進むことが出来た実験の事。

 突然世界を移動し、別世界の自分達と出会った事。

 そして、彼女たちの身に起きた真実を知った時の事。

 全て、包み隠さずに伝えた。

 全てを伝え終えたその時。目の前の彼は、共に過ごした十数年間の中で一度も見た事がないような驚愕に満ちた顔になっていた。開いた口は塞がっておらず、両目は限界まで開いており、手足は小刻みに震えている。これが数分前、驚かないと言っていた者の顔には見えない。

 数十秒間の沈黙が続いた末に、彼は自らの頬を全力でビンタした。その後、独り言を呟きながら周辺を歩き回ったかと思うと、目の前で止まり、一言。

「……ガチ?」

「ガチだよ。嘘つかない事くらい分かるんじゃないのかよ」

「いや……マジか……マジなんだよな。ドラマとかの話じゃないんよな。うん……ええ……うううううんんん……」

 彼は考えるような仕草をしながら、再び周辺を歩き始めた。一、二分間歩き続けたかと思うと、またしても目の前で止まり、言葉を絞り出した。

「……分かった。信じるわ。並行世界の事も、鈴鹿の事も。信じられないけど信じる事にするわ」

「やっとかよ。お前驚きすぎだわ」


「そりゃあ、驚くに決まってる。最初からお前らを怪しんでなかったら、普通に信じてないわ。……まあ、分かったは分かった。それで、今の問題はもう一人の鈴鹿を助けるかどうかって話だろ」

「適応早いな。まあ、そうだな。お前はどうすれば良いと思う?」

「……いや、それ俺に聞くのか? 話してくれたの嬉しいけど、話聞いた感じ、お前自身が決めるべきなんじゃないん?」

「……それはそうなんだけどさ」

 自分で決めなくてはならないという事は分かっている。

鈴鹿から話を聞き、現状を把握した。どうするべきか一人で考え、行動を起こした場合、どのような結果になるのかも想像した。俺がどの選択を取るのが、もう一人の鈴鹿や並行世界にとって良い事なのかも考えた。

 考えて、考えて、考えた結果。どうするべきか分からなくなった。俺自身、自分がすべきことを理解することが出来ずにいるのだ。

 暫く黙り込んでしまった俺を見かねて、再び彼の方から言葉を放った。

「なあ、聞いてて思ったんだけどさ、もう一つの世界の鈴鹿って、鈴鹿って言えるのか?」

「……え」

「いや、見た目とか、記憶が同じなのは分かるよ。けどさ、お前らが別の世界にいた時、同じ世界に二人の鈴鹿がいたって事だろ。それおかしくね? 二人同じ人間がいるなんてことあるのか? ……いや、並行世界だからあるのか。訳わからんくなって来たわ」

「……いや、お前の言いたいことは分かるよ。てか、似たような事を何度か考えてきた」

 もう一人の鈴鹿は鈴鹿と言えるのだろうか。

 いや、鈴鹿だけじゃない。並行世界で出会ったもう一人の俺の事を、もう一人の俺であると決めつけていた。しかし、本当に彼は俺と言って良いのだろうか。

 見た目は同じ。大体の記憶は同じ。秘密や、思っている事も同じ。ただ、それでも本当に自分と同じであるといえるのだろうか。恐らく、これを考えていたのは俺だけではない。もう一人の俺や、もう一人の鈴鹿。もしかしたら、本当の鈴鹿も考えていたのかもしれない。

 ずっと、ずっと、ずっと考えてはいたのだ。俺達は同一人物なのか。並行世界の幼馴染は、幼馴染と呼べるのか。全く同じ人間が二人いるなんてことがあって良いのか。

 ずっと、ずっと、考えてはいた。それでも、知らないふりをしてきていた。深く考えないようにしてきた。深く考え、答えを出してしまえば、何かが変わってしまう気がしていたから。しかし、ついに考えなくてはならない時が来た。

 もう一人の鈴鹿は、俺の幼馴染と言って良いのだろうか。

俺の友達と言って良いのだろうか。

鈴鹿と言って良いのだろうか。

「……なあ、そもそもとしてさ、一人の人間を一個人として判断する上で、一番大切な事は何だと思う?」

「え、何そのむずい質問。……やっぱ一瞬で判断できるし顔じゃね? ……いや、性格も……いやけど……お前はどう思う、尚也。お前は何が大切だと思う?」

「そうだな。俺は……」

  俺は……どう思う?

 一目で判断できることを考えると、顔が一番大切。いや、大切と言えば内面。性格が一番ではないのだろうか。いやいや、欠かせないのは記憶。記憶が無ければ、その人は構築されないのではないだろうか。

 顔、性格、記憶。簡単に思いつくものと言えばこの辺り。だとすれば、並行世界の俺と俺は同一人物と言える。

 顔は同じ。性格も変わらない。記憶も大部分が同一。それならば、俺も、高弘も、鈴鹿も、並行世界と同様の人物であると言える。顔、性格、記憶のいずれかが最も大切ならばだが。

 本当にそれらが最も大切なのだろうか。本当に、それらが最も人を人たらしめる要因なのだろうか。

 俺は……本当にそう思っているのか。


 ……いや、違う。


 もしそう思っているのなら、並行世界の自分と俺が別人であるなんて考えないはずだ。

 俺はどう思ってるんだ……俺は……俺は……。

 様々な思考を重ね、この夏を振り返り、難しい考えをすべて捨て去り、言葉を放つ。

「なあ、高弘。今年の年始に羽根つきしたの覚えてるか?あれ楽しかったよな」

「え、ああ、そうだな」

「今回の数学の宿題難しくね?終わる気がしないわ」

「え、まあ、分かるわ。けど、それがどうしたんだよ」

「先に言っておくけど、これは俺の勝手な考えだ。……人間を一個人とする上で一番大切なのは……経験だ。顔や性格じゃない。記憶ってのともちょっと違う。ここまでの、生きてきた道筋的な奴だ」

「道筋?」

「ああ……」

 これまでの道筋。それが俺の出した結論だ。

 並行世界の俺と出会って分かった。確かにもう一人の俺は顔が同じで、性格も、記憶も同じだ。しかし、完璧に同じだとは思わない。上手く言葉で表すことは出来ないが、確実に違うのだ。

 馴染みの店でラーメンを食べた記憶。水族館で遊んだ記憶。悩み、考え続けた記憶。確かに、出来事に関する記憶については同じかもしれない。しかし、そこで感じた何かはそこで得た何かは確実に違うはずだ。そこで得た、小さな経験と言うのは確実に違うはずだ。

 一つ一つの小さな経験。ほとんど変わらないかもしれない、小さな経験。

 大したことはない物かもしれない。ほとんど同じかもしれない。しかし、間違いなく俺だけが経験した、小さな経験。そんな小さな経験が集まってできた俺の人生。

 俺のこれまでの道筋。それは俺だけの物。いくら俺と似ていたって、そいつは俺とは別の道を歩いてきたはずだ。

俺達は歩いてきた道が、道筋が。そして、経験が違うんだ。

「……それが俺の答えだ」

「なるほど。……良く分かんなけど、良い感じにまとまったなら良かったよ」

「良かった……のかな」

 俺ともう一人の俺は違う。この結果に至ったという事は、この世界の鈴鹿ともう一人の鈴鹿も違うという事になる。

 つまり、彼女は俺にとって幼馴染ではない。それどころか、友達でもないのかもしれない。深く関わった事のない、人物なのだ。

「……で、どうするんだ?」

「どうするって?」

「鈴鹿の事だよ。助けるのか?」

「……結果的に、もう一人の鈴鹿は俺の知ってる鈴鹿とは違った人間なんだ。幼馴染でも、古くからの友人でもない。助ける義理も、そこまでする理由もなくなったんだよ」

「確かに、まあ、最近知り合っただけの他人になるかもな。それで、お前はどうしたいん?」

「俺は……俺は……」

 改めて、思考を巡らせる。自らの考え方を纏めた上で、改めて考える。

そして、考えが纏まる前に、一つの感情が、口を突いて出ていた。

「……助けたい。俺は助けたいよ。……もう一人の鈴鹿は幼馴染じゃない。古くから知ってるわけでもないし、鈴鹿の偽物なのかもしれない。だけど……あいつと過ごした日々は本物だった。あいつと過ごして得た経験は無くならない! 深い関係がないからって、見捨てられない。あいつももう、大切な存在になってるんだ。俺は助けたいんだよ!」

 様々な感情が入り交じる中、心の底から出た本音。

 考えに考えを繰り返し、自らを証明する上で最も大切な者を導き出した。

 その上で、結論として出した、心の底からの言葉。

「……ったく、半泣きで叫びやがって。そりゃあ、そうだろうなー。お前は誰よりも優しいんだから、そうするに決まってる。……じゃあ、助けよう! もう一人の鈴鹿を! 秋元鈴鹿を!」

「ああ……ああ!」

 自らの考えをすべてさらけ出した。そして、一つの答えを出した。

 幼馴染であろうが、無かろうが。鈴鹿であろうが、無かろうが、俺は彼女を助ける。これが心の底からの本音。

 溶けつつある残りのアイスを一気に口へと放り込むと、目を擦ったのちに、覚悟を決めた。その時のアイスは非常に甘く、何とも言えない最高の味だった。



「……とは言ったもののだ。どうやって、鈴鹿を助けるんだよ。そもそもとして、もう一つに行く方法すら分からないんやろ?」

「それなんだが……向こうの世界で気を失う前。ギリギリの所で方法を知ってるかもしれない人を見つけたんだ」

「知ってるかもしれない人? それって例の神主か?」

「いや、違う人だ。お前も少しは知ってる人だよ。時間的にも今ならいるかもだし、今から会いに行くか」

「今からって、もう夕方だぞ。腹減ったし、今日は飯行って、明日じゃ駄目なん?」

「そうしたいのは山々だけど、向こうの状況が分からないし、出来るだけ急ぎたいんだよ。とりあえず行くぞ」

 それだけ告げると、秘密を知っている可能性がある人物の元へと向かい始める。

 その人物が怪しいと思ったきっかけは、並行世界での最後の出来事。その人物は、この世界では教師をしている。少し変な所もあるが、大部分は普通などこにでもいる一般教師。毎日眠くなるような授業を行い、テスト期間では多少勉強すれば高得点を取れるような問題を出題する一般教師。

 

 二つの世界の共通点から考えれば、並行世界でも一般教師でなくてはならない。 しかし、彼は並行世界において、教師と言う職業についていなかった。

 彼が並行世界でついていた職業は……警察官。

そう、並行世界で俺を取り押さえた警官の一人に、例の教師と全く同じ見た目の人物が混じっていたのだ。

 ハッキリ言って、違う職業についていると分かったのは偶然。奇跡ともいえるかもしれない。どちらにせよ、ラッキーだ。今日、彼と話、知っている事をすべて聞き出す。そして、彼女を救い出す。

 急ぎ足で向かったからか、日が暮れる前に目的地である学校に到着した。未だ、例の人物を断定できずにいる彼を連れながら、歩きなれた廊下を歩き、普段と変わらない階段を駆け上がる。そして、二階扉をノックしたのちに、彼がいるであろう職員室へと入室する。軽く職員室を見渡し、彼が作業をしているのを確認すると、クラス及び氏名を発言したのちに、彼を呼び出す。

「現代文教師の……稲葉先生はいらっしゃいますか?」

 自らの名を呼ばれたことに気づくと、作業を中断し、俺達の元へと向かって来る。

 夏なのにも関わらず、長袖スーツを身に着けた丸眼鏡が特徴的な男性教師。俺達には様々な物語を通し、現代文を教えている。何の変哲もない、一般教師。

 彼は目の前まで来ると、一切表情を崩すことなく口を開く。

「はい。何か用かな?」

「えっと……夏休み前にやってた現代文の内容で分からない所がありまして……」

「夏休み前の事を今? ……まあ、分かった。どこが分からないんだ?」

「あ、資料も交えて考えたいんですけど、図書室までついて来てくれませんか?」

「……仕方がない。分かった、ついて行こう」

 彼が快く同意したのを確認すると、後ろに彼と動揺を隠せていない隣の幼馴染を連れ、図書室へと歩き始める。その間、俺達に一切の会話はなく、何とも言えない気まずい空気が周囲を覆いつくしている。そんな状況からか、緊張からかは分からないが冷や汗を掻きながらも、横目で彼の顔付を確認する。

 間違いない。近距離で確認し、確信に変わった。並行世界で最後に目にした警官は間違いなく稲葉先生と同一人物だ。こうなれば、彼が何かを知っている可能性も十分にある。

 問題はどうやって、彼から情報を引き出すかだ。正直に聞いて、彼が協力してくれるとは言い切れない。悪い人でない事は分かってはいるが、裏がないとも言い切れない。

 彼から情報を聞き出す方法を考えていると、あっという間に図書室に到着した。緊張しながら扉を開けると、体を癒す涼しい風が中から漏れ出してきた。その涼しさに幸せを感じながらも、すぐさま冷静を取り戻し、室内へと入って行く。

室内には図書室の管理者が二名いるだけで、一般生徒は一人としていない。夏休み真最中であるため当然と言えば当然だが、人がいない図書室には何とも言えない感情を抱いていると、無言でついて来ていた彼から口を開いた。

「して、聞きたい所とはどこだ?」

「あ……えっとですね……」

「あ、先に俺から良いっすか? ここの神隠しに会ったヒロインと出会った時の主人公の気持ちなんすけど……」

 質問内容を考えていなかった俺を助けるように、高弘の方から質問を切り出した。心の中で彼にお礼を言いながら、彼から情報を聞き出す方法を考える。

 真正面から聞く。いや、もしも彼自身が情報を伝えたくなかった場合、その時点で彼から情報を聞き出すのが不可能になってしまう。

 それならば、それとなく聞き出す。簡単に言うが、一体どのようにそれとなく聞き出すというんだ。

 頭をフル回転させるが、良い案は降りてこない。ふと、顔を上げると、高弘が質問を出し切り、焦り始めているのが目に映った。それと同時に、現代文の教科書が目に映り、直近の授業の内容を思い出した。

「あの、稲葉先生。俺からも一つ良いですか?」

「なんだ、どこが気になる?」

「……この話で、ヒロインは神隠しに会って、神の世界に行ってますよね。もしも、本当に神隠しで神の世界に行くとしたら、どんな方法で神の世界に行くと思いますか?」

「世界を移動する方法か……」

 急遽考えたにしては、中々に良い質問だと思う。

 授業で扱ったのは、神隠しに纏わる小説。神隠しにあったヒロインを主人公が探し出すという物語。

 小説ではヒロインが神の世界へ移動していたのだが、世界を移動しているという点においては俺達の現状と少し似ている。二つの共通点を利用した、良い質問。

 彼は少し悩む様な仕草をとると、深くため息をついた。そして、予想外の言葉を放つ。

「……回りくどいな。図書館の本のページを破ったのは俺だ」

「……え」

 突然の告白に、思わず呆然としてしまった。

 まさに急展開。図書館の本のページと言うのは、二つの世界にて、別方法でページが消えていた、例の本の事だろう。その本のページを破ったのが自分であるという告白。

 つまり、二つの世界の事を知っていて、詳しい秘密も知っているという事。

彼が秘密を知っている人物であるという事実と、俺達が本の事を理解していた事を知っていたという謎。予想外の事態に、言葉が見つからない。

「……中島さんから、何となくの話は聞いた」

「中島さんって……神主の?」

「ああ……悪いが、俺は何も話すつもりはない」

「え……いや、ちょっと待ってください。……あの、察するに全部知ってるんですよね。だったら、世界を移動する方法を教えてください。お願いします!」

「……何故、そんな事を聞きたい?」

「……大切な幼馴染が、もう一つの世界で大変な目に合ってるんです。……彼女を助けたい。だから、お願いします」

 彼は再び深くため息をつくと、付近の席に腰を下ろした。

 軽く頭を掻くと、足を組み、俺達へと冷たい目を向けてきた。

「……くだらないな。友情か、恋心かは知らないが、そんなもののために動いた所で物事は良い方には転がない。高校生一人に何が出来るというんだ」

「いやいや、高校生でも出来る事はあるやろ。尚也だって、ここまで色々頑張って来たんすよ。なんも知らないくせに……」

「何も知らないのは君の方だろ。中島さんの話では、世界移動に君は関わってないはずだ。何故関わってくる」

「そりゃあ、そうっすけど、俺は二人の友達だ。関わらないわけにはいかないでしょ」

「友情か? しょうもないな。……一つ、話をしよう」

 彼はそう言うと、一つの話を始めた。

 それは、二人の高校生の物語。

 二人は非常に仲の良い、中学生からの友人だった。片方は友達思いの心優しき女子高生。もう片方は行動力のある男子高生。

 二人は親友以上恋人未満の関係であり、毎日の様に言葉を交わし、毎週のように遊びに出かけていたそうだ。彼らは騒がしくも楽しい、そんな学園生活を送っていた。

 そんな時。彼らの目の前に、女子高生と全く同じ見た目の女子高生が彼らの目の前に現れた。

 話を聞いた所、彼女は並行世界から来たらしく、並行世界の女子高生との事。何でも、並行世界で鳥居を潜った次の瞬間。気が付けばこの世界にいたらしい。

 心優しき女子高生は、同じ見た目の彼女を助けるべく、元の世界へ戻る方法を探し始めた。男子高生は女子高生に協力する事で、間接的にもう一人の彼女を助けようとした。

 様々な文献を通し、調べ上げた結果。世界を移動する方法を見つけだす事に成功した。すぐさま、行動に移し、男子高生を含めた三人は並行世界へと移動する事に成功した。その後、本当にその世界が女子高生のいた世界なのか、確かめるために多少世界を調査した。

 その時、一つの事件が起きた。女子高生ともう一人の女子高生が一緒にいる所を両親に見つかったのだ。当然、誤魔化すように嘘をつくが、数日間行方不明になっていた彼女の嘘を両親は信じる事はない。

彼女の両親は世間でいう毒親だったらしい。このまま女子高生の正体がばれた場合、ただで済むとは考えにくかった。

 彼女達はその場から逃亡した。雷雨の中、男子高生達は神社へと駆け出した。

 次第に雨は強くなっていき、十数メートル先の景色は全く見えない程になっていく。

 足元も悪くなり、思うように進むことが出来ない。そして、それは車も同じだった。

 事故だった。雨でスリップした車に撥ねられ、男子高生の友達である女子高生が死んだ。

 そして、女子高生を並行世界に連れてくる原因となった、もう一人の女子高生は責任を感じ、自殺した。

 結果。女子高生二人はこの世から姿を消す事になり、男子高生は一人、後悔しながら元の世界で暮らす事になった。

 数分かけた話が終わると、周囲は静寂に支配された。彼は丸眼鏡を取ると、眼鏡拭きで軽く汚れを取る。再び眼鏡を付けたかと思うと、呟くように話を続ける。

「……情で動いた所で、物事が変わるかは分からない。それどころか、全てが悪い方に行く事もある。それでも本当に助けたいと思うか?本当に力になりたいと思うか?」

 彼の疑問への答えが出ず、思わず口を噤む。隣の幼馴染も同じなのか、彼も黙り込んでしまっている。 

 恐らく、今の話は先生本人の話。

彼は女子高生を救うべく、動き、真実まで辿り着いた。しかし、その結果二人の女子高生を失う事になり、全てが無駄になった。それ所か、大切な者を失った。俺に置き換えれば、二人の鈴鹿を失う。考えたくもない。最悪の気持ちだっただろう。

 ……彼の発言は事実なのかもしれない。俺が動いた所で、何も変わらないかもしれない。良い方に向かわず、逆に最悪な結果を迎えるかもしれないその可能性を完全に否定をすることは出来ない。

 しかし、それでもだ。それでも動かなくてはならない。心の奥底で決心したのだ。自分の気持ちに従うと決めたのだから、ここで折れるわけにはいかない。

「確かに、俺が動いた所で、良い方向に動くとは限らないし、最悪の結果を迎えるかもしれない。……それでも、俺は助けたい。ここで諦めて、鈴鹿の事を見捨てることは出来ない」

「……そのせいで、お前の救いたい奴らが死ぬとしてもか?」

「いや、死なせない。絶対に、何があろうと死なせない。誰一人として、不幸にはさせない。そのために、俺が動くんだ。目指すは全員が幸せな世界だけだ」

「高校生如きに、それが出来るとでも?」

「……俺一人じゃ無理かもしれないです。だけど、俺には他の人達が付いてます。もう一人の俺や、二人の高弘。もし、稲葉先生が協力してくれるのなら、先生だってついてることになる。そうなれば、絶対に出来ます!」

「そうっすよ。何を言われようが、俺は尚也に協力します。ただの情でね! 何たって、俺達は親友だからな!」

「……くだらないな。後悔する事になるぞ」

「……後悔はもうしました。これ以上……後悔はしません!」

 そうだ。後悔は既にした。

 鈴鹿の気持ちに気づけなかった事。

 高弘の事を最初から頼らなかった事。

 鈴鹿の事を助けられなかった事。

 後悔はするだけした。これ以上の後悔はない。

 後はただ進むだけだ。

 強い気持ちを胸に持ち、彼の事を強く見つめる。そして、再び深く頭を下げる。心の底から言葉を放ち、秘密を教えてくれるよう懇願する。只管、二人でお願いを繰り返す。

 彼は深くため息をつくと、徐に立ち上がり、椅子を元に戻した。神妙な趣をしたかと思うと、小さく呟いた。

「……人はそう簡単には変われないな」

「……え?」

「悪いが、中島さんとの約束があるんだ。教えることは出来ない」

「そんな……」

「……全くもって、無駄に時間を使わされたな。おい、無駄に時間を使ってやったんだ。俺の代わりにこのゴミでも捨てておけ」

 彼はそう言いながら丸められた一枚の紙を放り投げた。独特な触り心地の髪を開くと、そこには例の書物の続きのページと思わしき内容が書き綴られていた。

 俺と幼馴染は顔を見合わせると、前を向き、深く頭を下げた。

「本当に……ありがとうございます!」

「何がだ。……もう日が暮れる時間だ。生徒はさっさと帰るんだな」

「はい! ありがとうございました!」

 俺達は全力で答えると、図書室を飛び出し、廊下を駆けだした。情報を手にした事による嬉しさで、思わず足の速度も上がっていく。

 ついに……ついに手にした。

 稲葉先生の言動から察するに、ここに書かれている内容を読み取れば、並行世界への行き方が分かるはずだ。これで世界を移動できる。これで鈴鹿を助けに行ける。心は踊り、自然と感情が高ぶっていく。

「尚也やったな、これで……」

「ああ、これで助けに行ける。やるぞ……やるぞ、高弘!」

 俺達は喜びを分かち合いながら、階段を駆け下りていく。



 床に置かれた愛用バックを手に取ると、慣れた手つきで中身を確認する。充電器、ノート、護身用の棒など、確認を終えると、暫く帰らない事を親に伝え、玄関へと足を運ぶ。

 履きなれたスニーカーの紐を結ぶと、いってきますと一言残し、家を出た。外は未だ暑さが残るが、数日前と比べると数倍過ごしやすい気温に落ち着いている。軽く伸びをした後に、何度も通った道を歩き始める。

 数分間足を動かすと、見覚えのある女子高生が見えてきた。彼女は俺と目が合うと、優し気な笑顔を浮かべ、こっちへ駆け寄って来た。

「おはよ、尚也! ……今日、行くんだよね?」

「ああ、まあな」

 俺は今日、再び並行世界へ行く。もう一人の鈴鹿を助けるため、鳥居を潜り、並行世界へ行く。稲葉先生から貰った紙を解読する事により、並行世界への移動方法は判明した。鈴鹿に冤罪が掛かった事件の真実も調べ上げた。後は……並行世界へ行き、彼女を助けるだけである。

「悪いな急に呼んで。……一応伝えとこうと思ってさ。俺は自分の意思で鈴鹿を助けに行く。俺自身が助けたいからだ」

「うん。尚也がそうしたいなら、良いと思う!……本当の所、あたしも助けに行きたいけど、あたしが行ったらいろいろまずいだろうしなー。……尚也、もう一人のあたしをお願いね!あたしを……助けてね!」

「おう、任せろ! それじゃあ……行ってくる!」

「うん、行ってらっしゃい!」

 彼女場満面の笑みを浮かべながら、俺の背中を強く押した。俺は笑顔で答えると、前を向き、神社へと歩き始めた。

 歩きなれた住宅街。見慣れた景色。不思議と、今日は普段とは違うように感じる。全てが見当たらしく、全てが俺の背中を押してくれているように感じる。気分は上がり、自信も沸いてくる。

 そして、数分歩いたのちに神社に到着した。周囲を見渡すが、そこに高弘の姿はない。時間を確認し、少し早く来すぎた事を把握すると、一先ずは涼しい所に腰を下ろそうと木陰へと足を動かす。

 その時、聞き覚えのある声がした。そこにいたのは、一度だけ直接会ったことがある老人。この神社の神主である、中島さんだった。

「……久しぶりですね。高橋さんですよね? 少し……話をしませんか?」

「中島さん……良いですよ。話をしましょう」

 軽く答えると、俺は彼に連れて行かれる形で、彼の家へと向かった。

 大量の雑草が生え茂っている庭が付属している古い木造建築。以前と何一つとして変わらない彼の家。

 一言の会話もないまま、彼の家に到着すると、以前に訪れた時と同様の部屋に案内された。 彼は以前と同様に緑茶を一杯差し出してきた。

「新しく仕入れた緑茶です。どうぞ」

「どうも。…………なんとなく、来る気はしてました。それで、一体何の用ですか?」

「……時が過ぎるのは早いですね。稲葉君と知り合ってから、ここまでの時間が経っていたとは。……単刀直入に聞きます。君は今日、世界を跨ぎ、移動しようと考えていますね」

「……はい。やっぱり……知っていたんですね」

 やはり、俺達の予想は当たっていたようだ。彼は二つの世界について知っている。言い方から察するに、相当前からだ。

「そうですか。……一つ聞いても良いですかな、何故、君は並行世界へ行こうとするのですか?二人の秋元さんはそれぞれの世界に戻った。最初の目的は達成できたはずでしょう」

「……確かにそうです。だけど、目的が変わったんです。もう一人の鈴鹿を助けたい。だから……」

「何故です? 秋元さんはあなたのすぐそばにいるでしょ。あなたが共に時間を過ごしてきた幼馴染は戻って来た。すぐそばにいるのですよ。それなのに、もう一人の秋元さんを助ける必要なんてありますか? 秋元さんは一人で十分でしょう」

「俺は……幼馴染の鈴鹿と、もう一人の鈴鹿は別人だと思うんです。確かに見た目とかは同じです。だけど、鈴鹿自身が経験してきたものは……その道筋ってのは二人で違う。その時々に感じた感情は少しかもしれないけど、違うと思うんです」

 これは俺の導き出した答え。高弘と話し、見つけ出した、俺の心の底からの本心。

 二人の鈴鹿も、二人の俺も、二人の高弘も、全員が別人。見た目や記憶が同じでも、その時に経験した感情が違う。それまで歩いてきた道筋が違う。

 だから、並行世界だろうが、何だろうが、俺達は全員違う、一人の人間だ。

「……なるほど。それも一つの考え方なのかもしれませんね。しかし、それならば尚更です。幼馴染でないのなら、出会って数週間しか立っていない秋元さんを助ける筋合いはないはずですよね」

「確かに幼馴染ではありません。それでも……彼女と一緒に培ってきた時間は本物なんです。彼女と過ごし、仲良くなって、このまま見捨てられないと思った。だから、助けるんです」

「理解出来ませんね。……それでは、もしその行動によって、並行世界が良くない方向へ向かってもですか?」

「……え?」

 突然の想定外な言葉に、思わず動きを止める。そんな俺を一切気にすることなく、続けて言葉を放つ。

「考えても見てください。ここであなたが秋元さんを助ければ、並行世界の事実というのが変わってしまうのです。秋元さんが警察に捕まり、そのまま少年院へいく。これが並行世界での現実なのですよ。真犯人が捕まるのはこの世界の現実。分かりますか?あなたが何をしようとしているのかが」

「…………」

 何となく、彼の言いたいことが理解できた。この世界と並行世界は非常に似ている。しかし、並行世界は並行世界。二つの世界は似て非なるものなのだ。

 この世界では例の事件で老人を殺したのは主婦であるというのが事実。

 しかし、並行世界では老人を殺したのは女子高生であるというのが事実。

 それぞれの世界の事実は異なっており、その事実がそれぞれの世界の歴史となっている。

 これに俺が干渉し、鈴鹿を助け、事件の真相を暴く。これはつまり、並行世界の事実を、その歴史を破壊する事になる。考えようによっては、並行世界を壊す事になってしまう。

 正直な話、学生である俺にはどれだけ大変な事なのか、何となくでしか理解できない。ただ、世界規模で見た場合、俺が良くない事をしようとしているという事だけは、明確に理解できた。

 一人の友達を助けて、一つの事件を解決するために、異なる世界に深く干渉する。その結果、何が起こるのか分からないのにも関らずだ。世界規模で考えれば、絶対に良い行動とは言えないだろう。それでも……。

「……それでも、俺は助けます」

「……理解していないようですが、今あなたが世界に与える影響は、あなたが思っている以上に大きいのですよ」

「それでもです。正直、いきなり壮大過ぎて詳しくは分かりません。ただ、俺が動いたら世界が変わってしまい、結構大変な事になる事は理解出来ました。それでも……それでも俺は助けますよ」

「高橋さん。あなたは……」

「中島さん。俺は良い人じゃないんですよ。皆の為とか、優しい心とか、そう言うんじゃ俺はないんです。俺はただ、大切な友達を助けたいから助けるだけなんです。ただ、俺の自己満のために動くだけなんですよ。どちらかと言えば、自分のために動く悪い奴なんです。だから……俺は好きなように鈴鹿を助ける。世界なんて、知った事じゃない!」

「……正気とは思えませんね」

「そうかもですね。認めたくないのなら、認めなくて良いですよ。俺はただ……俺がしたいようにするだけです。分かり合えないのなら、邪魔されようが、無理矢理にでも助けるだけです!」

 自分でも、相当異常発言である事は理解している。簡単に言えば、一つの世界の安定と一人の友達を天秤にかけた結果、友達を選ぶような物だ。普通に考えて、頭のおかしい行動だろう。

 しかし、知った事ではない。俺の中では世界よりも友達一人の方が大切だ。

 これが俺の今までの道の中で見つけた、俺の考え方だ。何を言われようが、この考えは変わらない。

「……それじゃあ、俺は行きます。邪魔しても良いですけと、乗り越えていきますからね」

「全くもって……」

 俺は彼の言葉を最後まで聞くことなく、立ち上がり、緑茶のお礼を告げたのちに部屋を飛び出した。スニーカーを急いで履くと、急ぎ足で家を出る。腕時計に目をやると、時計の針は十八時を指している。想像以上に時間を使ってしまったことに焦り、神社へ行こうと一歩踏み出したところで、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると、そこには自転車に乗った高弘が全速力で俺の元へと向かって来ていた。

「お前、こんな所にいたんか! 何やってるんや、時間は限られてるんやぞ!」

「悪い高弘、いろいろと話してたら時間忘れてた」

「……ったく、後ろに乗れ。神社まで連れてくぞ」

 彼に促されるままに後ろに乗ると、彼は勢い良くペダルを漕ぎ始めた。

 流石は学年屈指の運動能力の高さ。自転車は高速で動き始め、神社へと一直線に向かって行く。

 陽は次第に落ちていき、空は橙色に染まっていく。時間が迫りつつあることに焦りながらも、彼を信じ、出来る限りの準備を整える。

 稲葉先生からの紙を読み取り、今現在判明している世界を移動する方法は三つある事を知った。

 一つ目の方法は、二つの世界の同一人物が、別の世界に行きたいという強い気持ちを持った状態で、同時に例の神社の鳥居を潜る。そうする事により、二人は入れ替わり、それぞれの世界へと移動する事になる。鈴鹿達が世界を移動するに至った原因はこれだ。

 当時、この世界の鈴鹿は部活の大会へのプレッシャーに少しではあるが悩んでおり、別の世界へ行き、プレッシャーから解放されたいと考えていたらしい。もう一人の鈴鹿は別世界に行き、警察や罪から逃げたいと考えていた。

 そして、偶然そんな二人が鳥居に触れたのだ。

 二つ目の方法と言うのは、特殊な人物が世界を渡る扉を開ける。

特殊な人物。書物では神の世界を守るものと書かれていた。その内容から察するに、恐らくは神主の事。中島さんが二つの世界の事を知ってる事を考えると、確定で良いだろう。

 そして、三つ目の方法は……空が橙色に染まった頃、二つの世界の同一人物のうち、片方が世界を移動したいと願い、もう片方がこの世界に来てほしいと願い、同時に鳥居に触れる。そうすることにより、移動したいと願った者はもう一つの世界へと移動する。

 今回利用するのは、三つ目の方法。

 この三つ以外にも方法はあるのかもしれないが、新たな方法を見つけるよりも、判明している方法を利用する方が、世界を移動できる可能性が高いと考え、三つ目の方法を選んだのだ。

 問題があるとすれば、もう一人の自分と意思疎通を図れないという点。

 もう一人の俺が世界を移動する方法に気づいているのか。そもそもとして、俺の事を着てほしいと願っているのか。正直、もう一人の俺の現状が分からない以上、客観的に見れば失敗する可能性は大いにある。

 しかし、不思議と俺自身は大丈夫な気がしてならない。

 何か理論に基づいていたり、証拠があって思っている訳ではない。ただ、俺ならばやってくれると思っている。一応ではあるが同一人物でもある、俺だからこそ分かる事である。

 俺ならきっと、もう一人の俺なら大丈夫なはずだ。

「おい……つ、ついたぞ……」

 思い耽っているうちに、俺達は神社に到着したようだ。

自転車を漕いでいた彼は全力で漕ぎ続けていたからか、額からは大量の汗が流れ落ち、呼吸も荒いように感じる。そんな彼を心配しながらも、既に陽が沈みつつある事を考え、荷物を身に纏いつつ、自転車を降りる。そして、彼に深く礼を言うと、鳥居へと一歩踏み出した。

 その時、後ろの彼から心配するような言葉が放たれた。

「ちょ……待てよ。尚也、お前ちゃんと事件の資料は持ったんだろうな?」

「ああ、ちゃんとバックに入ってるよ。それじゃあ……」

「あ、尚也待てって、稲葉先生から貰った紙は持ったか?」

「持ったから大丈夫だよ。それじゃあ、時間も限られてるだろし……」

「……尚也!」

「今度は何だ!」

「……鈴鹿を頼む」

 振り返ると、彼は真剣な表情で、言葉を放った。

 今日まで長年一緒に過ごしてきたが、ここまでの表情は初めて見た。

 俺はしっかりと彼の目を見ると、軽く笑って、心の底から答えた。

「…………おう! 任せろ、絶対助けて帰って来る!」

 俺達は最後に強く拳を合わせた。そして、振り返ると、再び鳥居へと一歩を踏み出す。一歩、また一歩と階段を駆け上がると、強く地面を蹴る。右手を伸ばし、勢いよく鳥居を潜っていく。

 次の瞬間。覚えのある強烈な衝撃が頭を襲った。以前と同様に思わず目を閉じ、衝撃が消えた所でゆっくりと目を開ける。

 その時、俺の目の前には見覚えのある男が一人立っていた。軽く笑みを零すと、様々な感情を胸に持ちながら、言葉を発した。

「よう、信じてたぜ、俺」

「それはこっちのセリフだよ、俺」

 そして、俺達は目一杯の笑顔で、深い握手を交わした。



「……まさか本当に来てくれるなんてな」

「そりゃあ、来るよ。てか、お前も世界の移動方法について知ってたんだな」

「まあな。お前らが元の世界に帰った時に知ったんだよ。それで、俺ならきっと来てくれるって信じて、俺はお前をこの世界に呼ぶべく、お前を呼んでたんだ。……って、順番が違うか」

 暫く再会を喜ぶと、彼は真剣な眼差しになり、深く頭を下げた。そして、周囲に響き渡る声で謝罪の言葉を放った。

 突然の出来事に唖然としていると、彼は再び言葉を紡いだ。

「……鈴鹿の事だ。事件の事とか、鈴鹿の現状とか、全部隠しててごめん。鈴鹿に言わないでほしいって言われて、それを素直に聞いてたんだ。本当はお前も知るべき事だったと思う。それなのに、隠しててごめん」

「な……なんだよ、そんな事か。別にいいよ。多分俺でも同じことをしてただろうしな。俺達の仲?なんだから、そんな事で謝んなよ。それよりも、今はすべきことがあるだろ」

「……そうだな。ここに来たってことは、鈴鹿を助けるために来たんだろ。聞いときたいんだが、お前はどこまで知ってるんだ?」

「鈴鹿が冤罪で捕まったって事までかな。この世界での最後の記憶は、警官に抑えられるところまでだ」

「なるほど。それなら、鈴鹿が捕まった辺りからの出来事を話そうか」

 そう言うと、彼は知っている事を話し始めた。

 あの日、鈴鹿が警官に捕まった日。あの時、あの場に警官が現れたのは偶然ではなかったらしい。俺達が家を出る前、鈴鹿が自ら通報し、警官を付近へと呼び寄せたらしいのだ。

 この世界に戻って来た頃から、鈴鹿はもう一人の自分に罪を擦り付けた事、俺に嘘をついている事に深い罪悪感を思っていた。このままでは駄目だと日に日に強く感じていた彼女は、最後に俺と話したのちに、自ら警官に捕まろうと決めたのだ。

 そして、俺も知っている通り、彼女は警官に捕まった。鈴鹿は連行され、今現在は留置所に拘留されているらしい。

 一方、警官に確保され、気を失った俺。気絶した俺は事情聴取のためにも警官に連れて行かれそうになったらしいのだが、とある人物が協力してくれたことにより、神主の家へと連れ帰ることが出来たらしい。

 その後、誤認逮捕であったため、一時解放された鈴鹿と俺は、俺を助けてくれたとある人物の手によって、元の世界へと戻されることになった。

 その結果、俺は元の世界で目を覚ました。その後の行動は、俺自身が理解している通り。

「……なるほどな。警官は鈴鹿が呼んでたのか。……というか、俺を助けてくれた人って?」

「ああ、それは……」

「それは私だ!」

 背後からの声に振り替える。そこには、着物を身に纏った五十代後半の黒髪男性が仁王立ちでこちらを見ていた。数日間ではあるが一緒に暮らしていたのだ、顔を見れば一瞬で誰なのか理解できた。そこにいたのは中島さん。この神社の神主だ。

 久しぶりの再会に言葉を交わそうとするが、十数分前の事が脳裏によぎり、反射的に一歩後退りする。

 数日間で、良い人であるという事は良く理解できた。しかし、俺の世界での事がある。

 俺の世界の彼は世界移動を行おうとしていた俺を認めず、邪魔しようと行動していた。

話し合いはしたが、互いが納得する結果は得られず、無理矢理この世界へと移動してきた。もし、彼が俺の世界の彼と同一の考え方の場合、強制的に元の世界へと戻される可能性がある。

 彼の本心が分かるまで、警戒を続け……。

「いや、警戒し過ぎだろ! 私は地球外生命体か!?」

「……はい?」

「いや……凄い警戒してたから……地球外生命体を見た時みたいにさ……いや、なんかごめん。これは私が悪かったです」

「あ、いや、こちらこそすみません」

「……いや、二人とも何やってんすか。数日間一緒に生活してたんだから、気まずい間柄じゃないでしょうに。……まあ、良いや。おい、俺。お前の事を助けてくれた人ってのは、他でもない中島さんなんだよ。俺が世界移動の方法を知ったのも、彼のお陰だ」

「え、中島さんが?」

 想定外の人物だったため、顔に出して驚いてしまった。

 正直な話、敵対し、俺達の邪魔をすることはあっても、友好的な行動するとは微塵も思っていなかった。良くて、不介入。協力しない代わりに、敵対もしないというのが最善だろうと考えていた。

 それがまさか、知らぬ間に助けて貰っていたとは。しかも、もう一人の俺に世界を移動する方法について伝授していたのも彼だったとは。

ハッキリ言って、理解が追い付かない。想定外の連続だ。

「でも……なんで俺を助けてくれたんですか。それに、もう一人の俺に秘密を教えたのも、どうして……」

「まあ、それは……いや、そんな話をする前に場所を変えないか?暗くなってきたし、いつまでもここにいる訳にはいかないだろう。お前の事を待っている奴もいるしな!」

 それだけ言い残すと、彼は神社を出発した。続くようにもう一人の俺が動くのを確認すると、念のため警戒を怠る事無く、彼らの後ろについて行く。

 時は宵の口。周囲は暗闇に支配され始め、心の中に小さな不安が生まれ始めた頃。

 俺達は見覚えのある建物に到着した。そこは、数日前に俺達が居候していた、神主の自宅。

 相も変わらず、傷一つない綺麗な木造建築で、俺の世界の神主家との違いを感じる。

 神主は扉を開くと、俺達を中へと招待した。一切遠慮することなく入って行くもう一人の俺に続いていく形で、俺も建物内へと一歩を踏み出す。

 建物内も以前訪れた時と大きな変化はない。変化があるとすれば、以前より少し綺麗になったように感じる。

 案内されるがままに廊下を進んで行くと、彼らは一つの戸の前で足を止めた。軽く中の様子を確認したかと思うと、勢いよく戸を開け、室内へと足を踏み入れた。後に続くと、そこでは鈴鹿とは別の幼馴染がコーヒー片手に寛いでいた。

彼は俺と目が合ったかと思うと、突如として立ち上がり、声を上げた。

「尚也……お前、尚也か! マジで来たのか、待ってたんだぞ!」

「おお、数日ぶりだな、高弘。……中島さんの言ってた、俺を待ってる奴って、お前の事だったのか」

「そう言う事よ。ほら、そこに座布団あるから、そこに二人とも座りな!今、コーヒーを出すからな!」

 促されるままその場に腰を下ろすと、久しぶりに訪れた室内を観察する。

 以前来た時とと比べ、差ほど変化のない畳の敷き詰められた部屋。変化した点と言えば、古びれたテレビが追加されたくらいである。室内にはアロマの香りが漂っており、自然と警戒が解け、落ち着きを取り戻していく。

 寛いでいた彼と軽く話をしていると、部屋を出ていた神主がお盆を片手に戻って来た。俺達に出来たてのコーヒーを手渡すと、古びれたテレビの電源を入れた。その流れで、テレビで流れている番組の話をしながら、緊張を解きほぐしていく。

 少しずつ空気が和らいでいき、約十分ほどの時間が立った頃、神主から口を開いた。

「……さて、和んで来た所で、そろそろ本題に入ろうか。まずは別世界の尚也君。先に、何か聞きたいことはあるかい?」

「そうですね……聞きたい事だらけですよ。まず、神主さんは一体何者なんですか?あの神社は何なんですか?なんで、俺の事を助けてくれたんですか? なんで俺達に協力的なんですか?」

「怒涛の質問攻めだな! ……まあ、良いだろう。今日は時間もあるし、ゆっくり話そうか!」

 そう言うと、彼は子供に読み聞かせを行う時の様に、優しく答え始めた。

 彼は代々、例の神社の神主を務めてきた、歴史的一族の一人らしい。例の神社が二つの世界を繋ぐ存在になったのは、今から数百年も前。正確な年は分からないらしいが、恐らくは建造された直後から役割を持っていたと考えられている。

 それが神による力なのか、奇跡的に出来た現象なのかは全く分からないとの事。

 彼の一族は神社の神主として、神社を管理すると同時に、類似する二つの世界に巨大な変化が起こらないように監視するという役割も持っていた。

 その役割に従い、彼は今日まで二つの世界を見守って来た。

 そして、その役割の一環として、俺の世界の神主同様、彼も俺達以外に様々な人間が二つの世界を行き来するのを見てきた。

 彼らの役割は飽くまで監視。自ら二つの世界を行き来している者達に関わりに行くことはしなかった。

しかし、二人の神主は根が優しい人間なのだ。その者達から協力を求められた場合は、自らの気持ちに従い、何度もその者達に協力し、最善の結果になる様に彼は行動してきた。


 しかし、その結果は一度として良い方向には進まなかった。


 必ず誰かは不幸になり、満面の笑みで良かったと言える結果にはならない。

 ある時は誰かが死に、ある時は誰かが絶望し、ある時は誰かが壊れる。二つの世界に関わった者達は必ず何かを失ってしまう。

 これは偶然なのか、それとも神による力なのかは分からない。しかし、何度もそんな結果を見てくると、人と言うのは変わってしまうのだ。

「……大体の状況は理解している。そっちの世界で、そっちの私に邪魔されたんだろ」

「え……まあ……はい」

「……やっぱりか。悪かったな。私もきっと悪意があった訳じゃないんだよ。私達は多くの人達が二つの世界に関わり、悲惨な現状に抗った結果、絶望してきたのを見てきたんだ。絶望する者達を見続けた結果、神は人間の事を何とも思っていない。俺達が何かをしても、神は暇潰しの様にそれを無意味にする。だから……何もしないというのが一番良い選択であると、もう一人の私は考えるようになってな。その考えに則って、尚也君を止めようとしたんだろう。分からないかもしれないが、色々見てきたからな。仕方ない所もある」

「………………」

何も言う事が出来ない。確かに、現実に抗い続けた結果、最終的に絶望する人達を何人も目にしてきたのならば、抗うのを止めてしまうのだろう。そんな経験をしていない俺には彼らの気持ちを完璧には理解できない。それでも、彼の表情から察するに、想像を絶する経験であった事は理解できる。

「……正直な話さ、私もあいつの気持ちは分かる。見てきたからな。分かるが……俺はあいつと違って、簡単には変われなかった」

「……え、変われなかったって……」

「最初はあいつと同じように、本当に何もしない。するとしたら多少邪魔をくらいにしようと考えた。だけどな、お前らを見てて、考えを変えた。友のために、必死に努力する高弘君。そして、二人の尚也君。皆を見て、もう一度だけ、人間の底力を信じてみようと思った。だから、私はお前らに協力する!」

 それだけ言うと、彼はニッコリと笑った。その表情から、全ては彼の本心であると悟ると、彼同様に笑顔で答える。

「なるほど……良く分かりました。中島さんの事も、もう一人の中島さんの事も。……中島さん、俺はあなたを信じます。お願いします、一緒に鈴鹿を助けてください!」

「ああ、任せなさい! そもそもとして、冤罪で知り合いが捕まるのを見過ごすわけにもいかないからな!」

「ありがとうございます! それじゃあ、大体の事は分かったんですけど、問題はどうやって鈴鹿を助けるかですよね」

「一応、とっておきの作戦が俺達にある! まず最初にだな……」

 そう言い始めて、彼らは十数分かけて、作戦の説明を開始した。

 何でも、俺が元の世界へと戻った直後、彼らは本心で語り合い、鈴鹿を助ける事に決めたらしい。そして、それから毎日のように話し合い、彼女を助けるための作戦を考えて行った。

 そんな、長い時間を掛けて考え付いた作戦。時間を掛けただけあって、その内容は中々にいい作戦だった。警察内の協力者の力を借り、鈴鹿を外に出す。その後、俺達が全員協力し、完璧に警官から逃れる。

 聞いた感じでは七割……いや、八割の確率で成功し、鈴鹿を助けられる可能性がある。

「……どうだ、俺達の作戦!」

「凄い。確かにこれなら、上手くいけば鈴鹿を助け出せる!」

「だろー。後の問題は、どうやって鈴鹿の冤罪を解くかだ。真犯人がやった証拠があれば良いんだが……」

「あ、それなら良い物がある」

 自信満々に答えながら、持って来ておいたバックを探り始める。パンパンに膨らんだバックを数秒間探った後に、一冊のノートを見つけると、全員に見えるようにそれを広げた。

 そこには事件情報ノートと書かれており、中には最近の新聞の内容や、事前に調べ上げた事件に関する内容が記されている。

 「多分ですけど、二つの世界で真犯人が被害者を殺した方法は大差ないと思うんです。なので、前の世界の事件について調べたこのノートを使えば、真犯人の証拠を見つけやすいと思います」

「これまじかよ、めっちゃ調べられてるじゃん。流石は俺だな」

「まあ、高弘たちにも協力してもらったからな。だけど、俺達が調べても、それを真面に取り合ってくれるかだ。所詮は高校生と神主だし……」

「それなら問題ない。一応ではあるが、作戦に協力してくれる彼に伝えれば、何とかやってくれるだろう」

「それなら、安心ですね。後は……作戦を使い、鈴鹿を助けるだけ。作戦の実行日はいつになりそうですか?」

「明日だ」

「……え、明日⁉」

 予想外の早さに、驚きを隠せなかった。

鈴鹿が留置所にいる期間を考えると、急がなくてはならない事は理解していた。しかし、明日とは流石に想定外だ。多少ではあるが時間があるものだと思っていた。

 脳をフル回転させ、改めて作戦の内容を考える。聞いた作戦ならば、恐らくは鈴鹿を助け出すことは出来る。

 しかし、実際に練習もせず、ぶっつけ本番で成功するのだろうか。

 ……いや、成功させるしかない。明日を逃した結果、留置所から移動し、助けられなくなる可能性もある。明日、確実に成功させる。失敗はない。

 大丈夫。今の俺には高弘に中島さん。そして、もう一人の俺もいるんだ。

 明日、俺達は鈴鹿を助けるんだ。

「……分かりました。明日、鈴鹿を助けましょう!」

「良く言った! さて、それじゃあ……っと、もう八時か。どうだ、明日の事もあるし、今日はみんな泊っていくかい?」

「まじすか! それじゃあ、有難く泊まらせてもらいます。あ、それだったら、親に連絡だけしてきます!」

 それだけ告げると、高弘は電話をするためか和室を後にした。それに続く形で、夕飯を作ると言い残し、中島さんも部屋を後にする。

 二人残された俺達は広げた資料を集めながら、他愛もない話を交えて時間を潰し始める。

 元の世界へ戻った後、一体何をしていたのか。もう一人の鈴鹿は何を言っていたか。最近発売のゲームはどうだったか。この夏何をしたのか。深い話から、薄い話まで、多種多様な話を繰り返していく。

 そうしていると、やはり信じられない程に話が合う事を実感する。流石は、半分ではあるがもう一人の俺である男。

 そんな事を考えていると、彼は突然口を閉じたかと思うと、重い口を開くようにゆっくりと話し始めた。

「ごめん、マジで滅茶苦茶突然なんだけどさ。前に言ったこと覚えてるか、俺とお前は同一人物なのかって話」

「あー、一応覚えてはいるな」

 それは数日前。図書館へ向かう際中。俺達は同一人物なのか。鈴鹿達は同一人物なのか。二つの世界の人物はそれぞれ同一人物なのかという話。

 当時、俺は同一人物なのか、そうでないのか分からず、結局曖昧な答えを出していた。

「……俺にはまだ分からないんだ。だけど、それでもいいと思ったんだ。俺達は同一人物であり、別人なんだと思う。上手く言えないけど、そんな混沌とした関係が俺らなんだと思うんだ。それが俺の答えって奴なんだ。そして、俺なりの答えを決めて、今疑問に思ってることがある。……なあ、お前は何で鈴鹿を助けに来たんだ?」

「何でって……」

「聞いておきたいんだ。今回の一件は相当やばいと思う。お前は俺であると同時に、もう半分は別世界の奴なんだし、わざわざリスクを冒してまで、別世界の鈴鹿を助ける必要はあるのか?もし、本当は関わりたくないのなら……」

「はー……仮にも俺がそんなこと言うなよ。お前の考えに従うのなら、お前は俺でもあるんだから分かるだろ。俺は助けたくて、ここまでやって来たんだから、今更やめるはないよ」

「だけど……何でそこまでしてくれるんだよ」

「……深い理由なんかないよ。ただ、俺の為だ。俺が助けたいと思った。俺の本心から思った。今回ばかりは、俺自身の心に従おうって決めたんだ。だから、助けるんだよ。後、しいて言えばだけど……鈴鹿とまだできてない事があってな。その約束のために、俺は動くんだよ」

「……ったく、かっけえな、お前。いや、俺か。……変なこと言って悪かったな。一応、聞いておきたかったんだ。お前がそう思うのなら、俺は止めないよ。一緒に、鈴鹿を助けよう」

「……おう。気張って行こうぜ、俺!」

「ああ……俺!」

 俺と俺は、俺と尚也は言葉を交わすと、再び握手を交わした。

 最も大切なのは道筋と考え、結局は俺達は別人と考えた俺。

 全てが同じだが、少し違う。そんな俺達は同一人物であり、別人である。

 この混沌とした関係性が俺達であると考えたもう一人の俺。

 異なる二つの考えを手にした、並行世界の俺達は一人の友を助けるべく、手を取り合った。



 荷物を肩にかけ、履きなれたスニーカーを足に装着する。立てかけられた鏡で前髪を確認すると、軽く頬を叩き、気合を入れる。

「よし……行くか」

 覚悟を決め、小さく呟くと勢い良く扉を開ける。

 時間は夕暮れ時。街からは子供が消え始め、騒音が聞こえなくなり始めているのが感じ取れる。夏も終わりに近いからか、涼しげなかぜが周囲に吹いており、数週間前の様に輝かしい汗は一切流れてこない。

 緊張からか、既に体が強張り始めているのを感じる。そんな自分の体に鞭を打ちながら歩き進んでいると、一足遅れて例の神社に到着した。

 そこには既に中島さん、尚也が集まっており、準備は整っているようだ。急ぎ足で彼らに近づくと、普段とは違い、斎服で体を覆っている彼へと言葉を掛ける。

「すみません、遅れました! ……中島さん、思ってた以上に正装似合いますね」

「お、だろ。一応は神主だからな。それっぽい服も似合うんだ。……後は高弘君だけだよな」

「あ、高弘は準備があるらしいんで、先にやってて大丈夫だそうです!」

「お、そうか! それじゃあ、先に最後の確認をしようか!」

 彼を中心に、最後の作戦の確認を始める。

 今回の作戦は至ってシンプルなものだ。

 まず、警察側の協力者によって、一時的に鈴鹿を外へと連れ出す。

 連れ出された鈴鹿と俺が合流し、彼女を連れて中島さんの待機する神社へと移動する。

 神社に到着すると同時に、中島さんが二つの世界を繋ぐ扉を開き、俺と鈴鹿はもう一つの世界へと逃走する。そのまま、暫くの間はもう一つの世界で鈴鹿に暮らしてもらい、その間に出来る事ならば真犯人を逮捕してもらう。

 高弘と尚也には俺達が逃げるサポートをしてもらう。

 これが、今回の作戦となっている。

 単純だが、上手く噛み合えば成功する可能性が十分にある。勿論失敗する可能性もあるし、誰かしらが逮捕される可能性だってあるかもしれない。

 しかし、今考えられる中で最も可能性がある作戦。これを行う以外に選択肢はない。

「……よし。作戦は完璧といえば完璧。後は……助けるだけだね。二人とも、準備は大丈夫かい?」

『はい、大丈夫です!』

「よし! それじゃあ、最後に……何か意気込み的な物を、別の世界の尚也君頼めるかい?」

「え、俺ですか? そうですね……いや、ここはもう一人の俺、頼む。この世界の事なんだ。お前がやるべきだと俺は思う」

「え……そうだな……」

 彼は戸惑いながらも、考えるような素振りをする。その数秒後、彼は突然拳を前に出した。その意味を瞬時に悟ると、それに合わせるように拳を出す。真似をするように中島さんも拳を合わせると、一度目を合わせた後に、強く声を出した。

「それじゃあ……一人の無実の女子高生を助けるため! 別の世界も関係なく、全員で協力して、全員で……全てを助けるぞ! 全力で……気張ってこう!」

『おー!』

 俺達は声を揃えて反応すると、全員同時に拳を天へと上げた。そして、気合を入れ終えると同時に、各自が作戦実行のための位置に着く。

 中島さんはこの場に待機し、何時でも扉を開けるように準備を行う。尚也は俺達をサポートするべく、高弘と合流する。俺は鈴鹿と合流するために、警官との約束場所へと駆け出す。

 待ち合わせ時間に遅れないようにと、全速力で駆けていく。駆け出した直後なのにも関わらず、鼓動が早くなり、息遣いも荒くなっているのが分かる。恐らくこれは体力の減少から来るものだけでなく、緊張から来るものが大きいのだろう。

 本当に助けられるのか、本当に作戦は上手くいくのか。失敗してしまうのではないか。誰かが捕まってしまうのではないか。全てが最悪な方向へと向かってしまうのではないか。

 様々な不安が襲ってくるのが分かる。それでも、足を止める事無く、只管に駆けていく。

 恐怖はある。最悪のシナリオを想像し、体中が震えてしまう。それでも、不思議と大丈夫であるとも感じる。

もし、俺が一人で鈴鹿を救おうとしているのならば、恐怖で支配され、最悪の状態で駆けていただろう。しかし、俺は一人ではない。

 もう一人の俺……尚也。二人の高弘に、中島さん。それに加えて稲葉先生。

 沢山の人が、俺と一緒に動いてくれている。そう考えると、不思議に力が湧いてくる。勇気が溢れてくる。俺達ならば……きっと、大丈夫だ。

 気付けば、体の震えは止まっていた。強張る体は元に戻り、熱く燃え上がっている。足の速度は上がっていき、やる気も一気に溢れていく。それからは、ただ駆けていた。

 そして、数分後。俺の目の前には見覚えのある二人の人物が此方を向いて立っていた。

警官の服装に身を包んだ男性は優しい笑顔で此方を見つめている。

 もう片方の女子高生は、状況が理解できないといった表情で、此方を見つめている。

 様々な感情が入り交じる中、俺は一言放った。

「……助けに来たで良いのかな? 鈴鹿」

「……なんで…………どうして……」

「そりゃあ、お前との約束を果たしてなかったからな。……夏祭り、まだ行ってなかったろ!」

 想定外の言葉だったのか、更に理解できないと言った表情になると、警官の方へと目をやる。

 警官は笑顔のまま、行けと言わんばかりの動作を取る。

彼には頼れないと悟ると、彼女は絶望に近い表情で、強く言葉を放つ。

「意味分かんない……別世界の尚也だよね……何で……助けに来ないでって言ったじゃん!」

「ああ、でも助けに来た。そもそもとして、今回の事件、鈴鹿はやってないんだろう。冤罪なら、摑まるのはおかしいだろ」

「そういう問題じゃないの。あたしは……もう限界なの。もう一人の鈴鹿に罪を擦り付けて、みんなを巻き込んで、逃げ回った。尚也だって騙したでしょ。あたしは……自分のやった最低な行動を許せないの! だから……あたしは……」

「けどさ、それだったら、真犯人は罪を償わなくなるわけだろ。それもそれで、被害者とかにもさ……」

「それはあたしが罪を償った後で償わせればいいよ。とにかくあたしは……もう無理なの。だから……」

 彼女はそう言いながら、瞳から涙を零した。

 予想外の現実と、彼女の置かれている現状。彼女の心を支配している罪と罪悪感。 恐らく彼女は、あれからずっと苦しめられてきたのだろう。自らの犯してしまった罪に、周囲に及ぼした影響に。

 俺達からすれば、そこまで罪悪感を持つ必要があるのかと思う。しかし、本人からすれば俺達が想像できない程に大きく、どうしようもない問題なのだろう。

 そんな彼女に、今の俺が行ってあげられる言葉。今、俺が彼女のために言える一言。

「……いや、知るかよ」

「……え?」

「いや、ごめんだけどさ。考えたけど、俺はお前を救うような言葉は分からん。……今回、俺はもう一つの世界でいろんな奴に出会って、色んなことを経験して分かったんだ。自分の事を理解して、自分のために色んなことをしてあげられるのは自分だけなんだって。だからさ……俺は本当の意味でお前の事は分からんし、お前のための言葉は掛けられない」

「だったら……帰ってよ!」

「いや、帰らないね。俺はお前の事を助けたくて来たんだ。俺が助けたいから、助けるよ」

「意味分かんないって……なんで、そこまでして助けたがるの? あたしはさ……あたしは尚也の知ってる鈴鹿じゃないんだよ! 幼馴染でも何でもない……ただの赤の他人なの! 鈴鹿とは別人なの……それが分かんないの!」

「いや……分かるよ」

 鈴鹿は鈴鹿ではない。その言葉の意味は十分に理解できる。俺自身、今回の一件で、同じ様な考えに至った。

 人間を一個人として見る上で、最も大切なのは道筋。その人が何をし、何を経験してきたか、何を考えたのか、そのすべてを集めた道筋なのだ。その考えに則ると、彼女も鈴鹿であって鈴鹿ではない。

 そう、俺の認知している鈴鹿とは別物なのだ。幼馴染でもないし、沢山の思い出があるという訳でもない。

 しかし……それでも……。

「それでもだよ。幼馴染じゃないかもだし、沢山の思い出がある訳じゃないのかもしれない。それでも……それでも、俺は鈴鹿を助ける。幼馴染とかじゃない。ただ、大切な友達だからだよ」

「友達って……」

「長い間一緒にいたわけじゃないのかもしれない。別人かもしれない。それでも、お前と一緒にいた数週間は鈴鹿との本物の時間だったんだ。楽しくて、ハチャメチャで、最高の時間だったんだよ。そんな時間を過ごした鈴鹿を、幼馴染じゃない、鈴鹿としての鈴鹿を助けたいんだよ」

「でも……あたしは……幼馴染の鈴鹿じゃないんだよ……」

「それでもだよ。……さて、俺も本心を言ったんだ。お前も本心を言ってくれよ。本当はどうしたいんだ?」

 様々な感情が入り交じっているのか、彼女は涙を流しながら、その場にへたり込んでしまった。そして、数秒間黙り込んだ末、絞り出すように言葉を零した。

「……けて……助けてほしいよ。……こんなのおかしいもん。あたし何もしてないのに捕まってさ。……けど……みんなに迷惑かけたし……あたしも悪かったし……これ以上迷惑をかけたくないの。……だけど、助けてほしいよ」

「そっか……分かった。じゃあ、助けるよ。大丈夫だ、俺だけじゃないんだ。高弘や尚也。そんでもって、もう一人の鈴鹿だって、お前の事を待ってんだ。一緒に逃げよう!」

 今日一番の笑顔でそう答えると、彼女は更に涙を流した。本心をさらけ出し、力なくへたり込む彼女の傍によると、俺は何も言わずに彼女を支え始めた。

 暫く。数分間の間、彼女を支えていると、彼女は泣くのをやめ、もう大丈夫と、小さな笑顔で答えた。

 心の中では心配しながらも、彼女の小さくも強い笑顔を目にし、彼女の事を信じる事に決めると、ゆっくりと立ち上がり、一人の警官の方へと目をやる。

「すみません、結構待たせちゃいましたよね」

「いやいや、何言ってんの。若者の思い出作りに時間は必要不可欠だろ。気にすんな!」

「ありがとうございます。……そうだとは思ってましたけど、協力者って、稲葉先生だったんですね」

「先生……? あ、そっちの俺は教師になったんだっけな。まあ、そう言う事だ。この間はお前の事抑えちゃって悪かったな」

「いやいや、あの時は俺もすみませんでした」

 軽く言葉を交わしながらも、バックに手を入れると、一冊のノートを取り出す。

 そこには【完成版】事件情報ノートと書かれており、その中には例の事件について、俺達が調べ上げた全てが書き記されている。今日のために準備した、大切なノート。

 俺達の努力の結晶を、しっかりと握りしめると、彼に目を合わせ、差し出すように前に出す。

「これは例の事件に関する情報を纏めたノートです。俺の世界とこの世界の二つの情報を綺麗にまとめてあります。これを使えば、きっと真犯人を捕まえられます。なので……お願いします!」

「……いや、これ俺に渡して良いのか? ……多分だけど、もう一人の俺、お前らに悪い事とかしただろ。なんとなく、一応は俺だから分かるんだよ」

「まあ、最初の印象は良くありませんでした。……けど、先生の過去を聞いて。考え方を聞いて、思ったんです。先生と、もう一人の先生になら、信じて託せるって。俺も何となく分かりますから、先生方の気持ちが」

「そうか。……じゃあ、遠慮なく受け取るよ。真犯人の確保は任せろ! ……ってか、こんな長話してる場合じゃないぞ。お嬢ちゃんを連れだすとき、結構無理矢理だったからな。もう既に、お嬢ちゃんが逃げ出したのには気づいてるはずだ。出来るだけ時間は稼ぐから、さっさと逃げな!」

「あ……分かりました。ありがとうございます!」

 それだけ答えると、彼女の手を引き、足を動かす。そして、神社へと駆け出し始めた時、最後に彼の叫び声が聞こえた。

「あ、最後に一つだけ! ……高橋尚也! お前は絶体……その子を助けろよ!」

「…………はい!」

 強く答えると、再び勢い良く駆け出した。

 思う事は色々ある。それでも、振り返る事無く駆けていく。

ただ、彼女を助けるという目的の為だけに。

 時間は有限。稲葉さんの話からして、警察が追って来てもおかしくはない。今、俺達がするべきことは急いで神社に到着する事。そして、神社で世界を移動し、この世界自体から逃走を図る事。

 そのために、今は深い事は考えず、全力で逃げるだけだ。走って、走って、走りまくるだけだ。

「……いや、遅い! 時間ないっぽいし、もっと急いで!」

 彼女はそう言うと、逆に俺の手を引っ張る様に駆け出した。

 彼女の顔に目をやると、既に普段通りの表情を取り戻しているのが分かった。そんな彼女に軽く安心しながらも、負けじと足を動かし、彼女の隣を駆けていく。

 それから数分後。周囲でパトカーのサイレンが聞こえてきた頃。後ろから俺達を追うように、数人が駆けてきているのが分かった。

 恐る恐る、バレない様に振り向いてみる。そこには、複数の警官が追ってきているのが見て取れた。振り返ったのがバレたのか、警官は止まる様に声を出すと、さらに速度を上げて迫ってくる。

 焦りながらも、逃げやすいであろう路地に駆け込み、迷路のような道を進んで行く。

 最初は振り切れると考えたが、流石は警官。距離はあるが確実に追ってきているのが分かる。

 状況を確認するべく、再度後ろを向くと、十数メートル先から複数の警官が追ってきていた。その圧力に嫌な汗を流しながらも、再び前を向き、速度を上げようとする。

 その直後。十数メートル先の路地から、一人の警官が現れた。瞬時に、しくじったという事を理解し、その場で足を止める。

 どうやら、気付かぬうちに警官は二手に分かれ、挟み撃ちしようと考えていたようだ。前後から迫りくる警官の魔の手に、取れる選択肢が消え去っていく。

 その時、突如として、前方から迫っていた警官が倒れこんだ。

 何事かとよく見ると、見覚えのある二人が警官を抑え込んでいた。

「何やってんだ、早く走れ!」

 その声に我に返ると、一直線に駆け出す。走りながらも前方の二人を凝視する。

片方は俺と全く同じ服装をしており、もう片方は鈴鹿と似たような服装をしている。それに加え、鈴鹿の髪形と似たようなカツラを被り、メイクまで施している。

 彼が神社に遅れた理由に納得しながらも、警官を通り越し、彼らと共に路地から飛び出す。

「無事に鈴鹿を助けられたんやな、良かった!」

「……え、尚也に高弘まで……来てくれたの?」

「当たり前だろ。幼馴染が助け求めてたら、助けに来るに決まってんだろ。……おい、俺。何となく、俺らがしようとしてる事、分かるよな?」

「……ああ、その恰好を見たらな!」

「よし……俺、鈴鹿。何があっても、振り返らずに、全速力で神社に向かえよ! ……俺、鈴鹿を頼むぞ。鈴鹿……またな!」

「……え、何言って……」

 彼女の言葉を最後まで聞くことなく、彼らは振り返り、警官の元へと突っ込んで行く。警官はその見た目から、俺達と彼らを見間違え、全員で彼らへと向かって行く。

 彼女は彼らの行動を目にし、すぐさま後を追いかけようとするが、無理矢理手を引き、神社へと駆け出す。

「ちょ……待って! 尚也たちがまだ……」

「良いから、走るぞ!」

「でも……」

「あいつらなら大丈夫だ。俺を……あいつらを信じろ!」

 彼女は涙ぐみながらも、黙って頷いた。それを確認すると、さらに速度を上げ、人混みを掻きわけていく。

 そのまま、数分間かけ、大通りを抜けると、見覚えのある道にたどり着いた。

 俺達は目を合わせ、頷くと、何度も通ったその道を駆けだした。

 時には楽しく、時には悲しく、時には熱く歩き続けたこの道。不思議と今は、この道を掛けるだけで思い出深いものを感じる。

 そんな事を考え始めた時。背後から聞き覚えのある声で、すぐさま止まる様に命令が聞こえた。

その声が警官の物である事に気づくと、残った体力を絞り出し、全力で駆け出した。背後から聞こえる迫りくる足音に、焦りが増しつつあると、前方に例の神社と、中島さんが見えてきた。大きく手を振る彼に安心感を覚えながも、さらに速度を上げ、ラストスパートに入る。

「二人とも、扉は開いている! 後は二人で潜るんだ! ここは……私に任せなさい!」

 そう言うと、彼は盛大に格好を付けながら、迫りくる警官へと体当たりしていった。

 大声で礼を言うと同時に、俺達は鳥居の前へと到着した。俺達は強く手を握り、目を合わす。

「いくぞ、鈴鹿!」

「……うん!」

 二人で同時に駆け出し、勢いよく鳥居を潜る。何度も経験した、あの衝撃が体中を襲う。

 次の瞬間。俺達の眼前には、見覚えのある景色が広がっていた。

 至る所が苔に覆われており、色褪せた鳥居が特徴的な古びれた神社。

 周囲を見渡し、何度も訪れた、俺の世界の神社である事を悟ると、一気に全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

 足元に目をやると、足が小刻みに震えているのが見て取れた。十数分全力で走り続けていたんだ。当然と言えば当然かもしれない。

 ふと、隣に目をやると、彼女も同様にその場にへたり込んでいた。顔を覆いながら、涙を流している。

「尚也……あたし……」

「……分かるよ、言うな」

 彼女はその言葉を聞くと、小さく頷いた。

 そして、数分間、様々な感情を感じながら、その場に座りこんだのちに、彼女は涙を拭き取り、勢い良く立ち上がった。

 何事かと思い、続くように立ち上がると、彼女は俺と目を合わせ、言葉を放った。

「……尚也、ありがとう……助けてくれて!」

 彼女はそう言うと、満面の笑みを浮かべた。

 その表情に、様々な事を思い、思わず涙を零しながら、強く答えた。

「……気にすんな、友達だろ!」

 俺はそう答えると、強く笑顔を返した。

 

 こうして、俺ともう一人の自分。

 そして、二人の幼馴染ともう二人の幼馴染の一夏の物語は幕を閉じた。


 この物語の結末が、最高と言えるものだったのかは分からない。

 世界規模でいれば、全くもって正しいと言える行動ではなかったのかもしれない。

 しかし、正しかったとしても、間違っていたとしても、俺達に後悔はない。


 だから、きっと俺達は……最高の友とのこの夏を忘れる事はないだろう。




「あっついなー」

「……だなー」

 ネクタイを緩めながらそう答えると、愛用のタンブラーを口に運ぶ。自宅で準備してきた麦茶によって、一気に喉を潤すが、それでも汗は止めどなく流れ始める。

 地球温暖化の影響で平均気温が上がっていると、インターネットに書いてあったが、ここまで暑くなるのは想定外だ。数年前と比べると、最高気温は天と地ほどの差がある。このまま行けば、夏の最高気温は五十度を超えてしまうのではないだろうか。

 朦朧とする意識の中でそんな事を考えながらも、一歩ずつ足を進めていく。

 あの日から……約八年が経過した。

 あの日、この世界から鈴鹿が姿を消した日。それは俺達の運命を大きく変える一日だったのかもしれない。

俺と高弘は、鈴鹿の逃亡の手助けをした事によって、警察に逮捕された。鈴鹿達を手助けする際、周辺を歩いていた一般人に影響を及ぼした事や、確保された後で黙秘を貫いたことが大きかったらしい。

 俺達は約一年もの間、少年院に入れられ、そこで生活する事になったのだ。本来ならば、より長い期間少年院に入っているはずだったが、同時に逮捕された中島さんが実行犯であると言い張り、俺達の分まで多く罪を被ってくれた。

 本当に、中島さんには感謝してもしきれない。

 稲葉さんはと言うと、奇跡的に鈴鹿を逃がした犯人であるという事はバレず、何とか警察官のままでいられたらしい。そして、警察官として、例の事件の真犯人を逮捕するべく、もう一人の俺が持ってきたノートを利用し、捜査を続けて行った。死に物狂いで捜査を続けた甲斐があり、俺達は出所した二年後、真犯人を逮捕するに至ったのだ。

 そのお陰で、世間的に俺達の罪は軽く見られ、中島さんも出所時期が早まる事になった。

 その後、俺は大学に入学し、高弘は専門学校へ入学。稲葉さんは昇格し、中島さんは普段通りの神主に戻った。

 様々な出来事があったが、それぞれが新たな日常に慣れていき、普通と言える生活に戻り始めた。

 しかし、その生活の中に、鈴鹿の姿はなかった。

 何故、彼女はこの世界へと戻ってこなかったのか。その理由は、実際に彼女から聞いたわけではないため、正確な理由は分からない。ただ、恐らくは彼女はもう一つの世界で生きる道を選んだのだろう。

 中島さんを通して、彼女達が無事に楽しく生活できているのは聞いている。彼女は無事で、楽しく生活できている。それならば、無理にこの世界へと連れ戻す必要はない。彼女がそれで良いのならば、俺達もそれで十分だ。俺達は俺達で、楽しく生活していこう。

 そう考え、俺達は俺達で、そこから数年間も仲良くやって来た。時より意見の違いから喧嘩をしたりもあったが、最後にはラーメンを食べて仲直りをし、より中を深めていった。

 大学を卒業し、社会人になってからも、俺達が親友であるという事は変わらなかった。定期的に必ず集まり、近況を報告し合う。今日も、近況を報告するべく、集まったのだ。

「……だけど、驚いたよなー。まさか、ラーメン星が東京一のラーメン店になるなんてな」

「確かにな。ずっと通ってた身からすると、マジで驚いたわ。まあ、当然と言えば当然だけどな」

「まあ、滅茶苦茶美味いしな! ……よし、星さんも頑張ってたし、俺も頑張ろうかなー!」

「いや、お前は十分にやってるだろ。三ツ星ホテルのホテルマンだろ?エリートじゃんか」

 隣の彼は現在、ホテルマンとして、都内の三ツ星ホテルで働いている。体力の使う業務に悲鳴を上げながらも、必死に体を動かし、昇格するために努力しているらしい。

 中島さんから聞いた話によると、並行世界の彼も同様にホテルマンになったようだ。

 彼とは別の三ツ星ホテルに就職したのだが、そちらも非常に体力をすり減らすため、毎日限界を超えて働いてるのだとか。エリートである事は間違いないのだから、彼らには体調に気を使いながら、頑張ってほしいと思う。

 ちなみにだが、俺はというと大学卒業以降、都内のIT企業で働いている。

 彼らの職場程ではないが、それなりに有名で、他の企業と比べると給料も高い。飛び切り楽しい事がある訳ではないが、それなりに良い生活を送っていると思う。平凡と言えば、平凡な生活なのかもしれない。それでも、俺にとっては十分な生活だ。

「……あ、やべ、もうすぐ六時やん。流石に夜勤始まるまでに昼寝しときたいから、俺は今日は帰るわ。久しぶりに話せて楽しかったぜ! お前は、毎年恒例のいつもの所に行くんだろ?」

「ああ、まあな。習慣みたいなもんだしな」

「そっか。じゃあ、もしあいつと会えたら一言言っといてくれよな。流石に、少しは会いに来たって良いだろってさ! ……それじゃあ、次は夏祭りでかな!」

「ああ、多分そうだな。それじゃあ、また今度」

 別れの言葉を交わすと、彼は自宅方向へと歩き始めた。軽く見送ると、それとは逆方向へと足を向ける。

 俺が向かう先は決まっている。この時期になると、毎年のように訪れる思い出の場所である。

 友達とはしゃぎながら帰路につく小学生や、時期を終えつつあるアブラゼミの鳴き声。それに加え、夕方を知らせるカラスの声など。

 特に何も考える事無く、周囲の音に耳を澄ませ、ボーっとしながら橙色に染まった空を仰ぎながら、一歩ずつ足を動かしていくと、数分で目的地に到着した。

 そこは、あの夏の思い出の発端である、例の神社。

 あの夏を軽く思い出しながらも、バックとスーツを階段に置いた後に、勢い良く階段に腰を下ろす。

去年と比べ、一層座りずらくなった階段部分に、自らの成長を感じながらも、残った麦茶をすべて消費し、喉を一気に潤していく。タンブラーが空になったのを確認すると、バックの中深くにしまい込む。そして、再び空を仰ぎ、様々な感情を胸に持つ。

 毎年、特定の日付の前後にこの神社で時間を過ごすようになったのは、少年院から出所した年からだ。

 あの夏の事を振り返り、中島さんから聞いた話を元に、今現在のみんなの様子を想像する。

 中島さんから聞いた話によると、並行世界の俺と鈴鹿は教師になったらしい。並行世界の稲葉さんに影響されたのも大きいらしいのだが、他にも自分の体験して得た知識を伝えたいという思いがあったらしい。

 俺の知ってる鈴鹿はと言うと、小説家として成功したらしい。彼女の想像力は他と一線を画すものがあるらしく、書いては売れ、書いては売れを繰り返しているようだ。

 そして、みんなの情報を伝えてくれている中島さんはと言うと、結婚した。神社に参拝客として訪れた女性に一目惚れし、猛アタックした結果、結婚するまで至ったらしい。今では会うたびに嫁の事を自慢してくる、楽しそうな新婚さんになったという訳だ。

 並行世界の中島さんはと言うと、結婚はしてないものの、少しずつ明るくなってきてるらしい。俺は会った事がないため分からないが、多くの人が絶望する表情を見てきたことにより、数年前まで相当病んでたらしい。しかし、あの夏の出来事で、もう一人の俺が絶望することなく、全てを助け出した事をきっかけに、少しずつ元の中島さんへと戻りつつあるようだ。今の趣味はアニメで、声優になろうかと考えているらしい。

 暫くは中島さんから話を聞いていないが、きっとみんな大丈夫だろう。楽しく、ハチャメチャな人生を送っているに違いない。

 俺が楽しい人生を送っているのだ。他の奴らはそれ以上に最高に人生を送っているに決まっている。

「……きっと、みんななら大丈夫だよな。……俺も、結構良い人生歩んでるし」

 良い人生を歩んでいる。

 ふと、口から出した言葉だが、その言葉が本心でなかったことは自分でも理解できた。

 確かに、俺は平凡だが楽しく、十分に良い生活を送れている。それは自分でも分かっている。だが……それでも足りないものがある。これが無くては生きていけないという訳ではない。もし、死ぬまでに敵わなかったとしても、深い後悔はしないだろう。ただ……それでも、心の奥底で、思ってしまうのだ。


 もう一度、鈴鹿に会いたい。


 別に、彼女に恋をしているわけではない。何か特別な感情がある訳ではない。

 ただ……大切な幼馴染として。大切な友達として。大切な存在として。

 また、彼女に会いたい。そして、出来る事ならば話したい。

 あれから何があったのかを。これから何をするのかを。

 直接、彼女に会って、伝えたいのだ。

俺達の思いというのを。

「……やっぱ寂しいしな。……会いたいよ、鈴鹿」


 その時、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。


「全く、尚也は……どれだけあたしのこと好きなのよ」

「……え。…………何で」

「そりゃあ、約束したでしょ! またねって!」

 彼女はそう言うと、満面の笑みを浮かべた。

 一瞬にして、脳内に様々な記憶がよみがえり、様々な感情が胸に発生する。

鼓動は早くなり、自然と涙が流れていくのを感じる。意思を伝えようにも、体が震え、喉から言葉が出ない。

それでも、力を振り絞り、俺は笑顔で、一言だけ返した。



おかえりと。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完成版】二人の俺から、一人の君へ GIN @GIN0701

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ