第12話 学生時代の夢を見ると、朝からグロッキーになる。


私は、あまり夢を見ない人間です。


現実主義とかそっちの話ではなく、ガチ寝のときに見る夢の話です。




ですが、小説を頑張って書いている期間は、すごくすごく夢を見るようになります。


特に、学生時代の夢を見る。

ずっと会ってないあの人とか、名前も忘れたあの人とかが、ポンポン出演する。


すごい、誰にも共感されない「あの人は今」みたいな世界になります。




理由は、よくわかりません。


小説の舞台が学生時代になりがちな私は、執筆時に学生時代のことをよく記憶の戸棚から引っ張り出すことになりがちなんですが、


そのせいで、引っ張り出してない戸棚までガチャガチャ開けては夢に見てしまっているのかもしれません。


睡眠中にみる夢ってのは、記憶整理のためだとか言われてますから。ほんとか?




別にそれ自体はいいんですけど、


困るのは、それのおかげで朝起きたときの気持ちがハッピーだったり、グロッキーだったりになってしまうことです。


ハッピーの場合は起きたくなくなるし、グロッキーの場合は起きたくなくなります。




別に、私が生きていた学生生活って、そんなにいいものではありませんでした。

別に悪くもなく、普通です。ちょー普通。


本当に、平凡に、仲の良い人と一緒にいつつ、陽キャの意味の分からないノリと距離感と絡みに困惑する。


そういう生活です。




覚えがありますよね?ね?ね?ね?




そういう感じなので、特別学生時代に戻りたいと願うことは生活上はないんですが、


夢に見てしまうと、困るのです。


大人の社会があまりに乾燥していることに気づいてしまうから。




学生時代は、当たり前のように同世代がいて、当たり前のように、毎日毎時間友達と顔を合わせていました。


それが、離れてみるとなによりすばらしいことだったのだと、あの環境とは普通のものではなかったのだと、


夢から覚めた段階で、実感するのです。




学生時代と違い、社会人は根底が孤独です。


何人規模の会社にいたって、孤独です。


周りを見ていると、皆、それをなんとか薄める努力をしているような気がします。




キモい話をします。




私は、小学生高学年頃になっても、お風呂が男女に別れている理由が得心できませんでした。


理由は、わかるのです。一緒にしたらヤバいってことは。


ただ、なんとなく腹落ちしない(とんでもないところで出てくる社会人言葉)



多分、いつまでも幼稚園児のような心持ちだったのでしょう。


周りより、よく言えば少し純粋で、悪く言えば少し大人になれていなかったのです。




学生時代の夢を見てグロッキーになるのも、結局は同じなのかもしれない。

そう思ったりします。




私は、まだ卒業できてないのです。子供時代を。


まだ入学できていないのです。大人時代に。




そう考えると、小説なんか書いているのも、その子供時代を引きずっている証のような気もしてきますね。


結局、現実がどうも面白くない、フィクションのほうがずっと良くね、というモチベーションですから、


子供じみている感が否めません。




それなのに、


現実から逃げるために創作をして、


そのせいで、学生時代の夢を見てグロッキーになるとは。



皮肉すぎる……


諦めて現実に向き合ったほうが、ずっと楽なのかもしれません。




15分です。




アマチュア小説家は学生時代の夢を見たくありません。


そんなものより、今書いてる小説の素晴らしい展開が見たいです。





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