彼女が病を撒く理由

掛川計

第1話

 僕の街には、不思議な骨董品屋がある。中学校から少し歩いた駅前の商店街。その路地裏だ。


 陰気な音のドアベルを鳴らすと、チビの僕には開けられないような重たい木のドアが、ひとりでに開く。そして、夏でも真っ黒いコートとシルクハットで身を固めた店主が、薄暗いカウンターの奥で猫なで声で言うのだ。


「彗星百貨店にようこそいらっしゃいました。ドアベルを鳴らせるのは、あなたがた彗星の子供たちだけ。本日は何をお求めですか?」


 棚では見たこともないような骨董品が埃を被っているけれど、僕の目当てはちがう。

 手に取ったのは「風疹。三万円」と手描きされたラベルの貼られた小瓶。


「先月お買い求めいただいた、おたふく風邪はいかがでしたか?」

「うん.凄い良かった。パパもママも優しくしてくれたし、プールの授業も休めたし。でもこれは高すぎるなあ」

「お役に立てて光栄です。人の欲とは不思議なもの。それを埋めるのが当店の役目でございますから」

 店主の表情は、陰ってよく見えない。


 棚に並んだ病の小瓶の数々は、どれも見覚えがあった。売れ行きが良いようには見えない。そもそも僕以外に病気を欲しがる人なんて居るんだろうか?

 ほこりっぽい店内は、うっそうとしてさみしい。そのうち潰れないか、僕はちょっと気になった。


 からんからーんと、陰気なベルが鳴った。びっくりして、僕は危うく小瓶をおっこどしそうになる。瓶を開けたり割ったりしたら、たちまちその病気になってしまう。


 ドアがひとりでにぎいと開く。自動ドアでもないのに不思議だ。僕は商品を物色するフリをしながら、ちらちらとそっちを見る。


 姿を現したのは、僕と同じ中学の制服を着た女の子だった。帽子とマスクで顔を隠していたけれど、目と目が合ってわかった。無造作にカットした黒髪を、無造作にひとつ結びにしている。


「――森園、さん」


 小学校からの同級生で、最近は不登校だった。気の強い女の子で、友達じゃないけれど、誕生日が同じだから良く覚えていた。

 僕らの生まれた日、大きな彗星が来た。そうか、森園さんも彗星の子なんだ。


 森園さんが、ゲホゲホ咳き込む。

「お待ちしていましたよ」

 店主が手招きをする。彼女は僕からさっと目をそらすと、店主ともども奥に姿を消したのだった。

 


 すっかりオレンジの空で、カラスがないている。


 僕はとぼとぼと帰り道を歩く。お店の外で森園さんを待ったけれど、結局出てこなかった。


 ポケットでスマホが鳴った。

 『今日も遅くなります。晩ご飯は冷蔵庫にあるよ』とママのメッセージ。OKと笑うクマのスタンプを、おざなりに返信した。晩ご飯は一人だ。


 駅から離れたこの辺りは人影もまばらだ。チャイルドシートに子供を乗せた女の人が、僕を追い越していった。


 そんなわけだったから、家まであとちょっとのところで、向こうからやってくる人影を見てとっさに電柱の影に隠れてしまった。

 森園さんだった。手には、弁当の入ったコンビニ袋。


 彼女が足を止めたのは、廃墟じみた木賃アパートの前だった。僕はドキドキした。その草ぼうぼうのボロアパートは、ちょっとした肝試しスポットだったから。三年前に誰かが割った二階の窓ガラスは、そのままだった。

 森園さんは、誰も住んでいないはずのそのアパートに入っていった。僕はこっそり後を追う。


 空き缶が散乱し、錆びだらけの自転車が放置された廊下の一番奥。うんともすんとも言わない室外機の陰に隠れる僕。森園さんはポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。


「うわっ、ネズミ!」

 足下をちょろちょろ駆け回るネズミに、思わず叫んでしまった。そいつは、壁の穴に姿を消した。


「尾川、くん? どうしてここに居るわけ?」


 森園さんが隠れた僕に気付いて、びっくりするくらい冷たい声を出した。

 逃げようとして、尻餅をついた。

「えっと、その、近所に住んでるんだな、と思って」

「最低」

 じっと僕を睨む森園さん。


 腰を浮かせて逃げようとする僕をとめたのは、ドアから姿を現した小さな女の子だった。

「お姉ちゃん、お友達を連れてきてくれたの?」


 その子は、森園さんとちっとも似ていなかった。サイズの合わないパジャマの上に、これまたオーバーサイズのフリースを羽織っている。袖から覗く血色の悪い手。

 優しそうな雰囲気を漂わせたその子は、けほん、と咳をした。



「ここに住んでるんだ」

 僕は、電源オフのこたつに足を突っ込んで、狭い四畳半を見回す。ぼろっちい外観と違って、部屋は意外と綺麗だった。すり切れたカーテンの隙間から、西日が差し込んでいる。


「嫌味?」

「違うよ。近所なんだな、と思って」


 僕の家から一軒挟んだ裏手がこのアパートだった。森園さんの妹は布団に寝っ転がりながら、僕のスマホで動画サイトをあさっていた。

「りさ、あんまり動画見ちゃ駄目よ。お姉ちゃんのスマホみたいに、ギガがなくなっちゃう」

「大丈夫だよ。僕んちのワイファイ繋がってるし。森園さんのも繋ぐ?」

「私の気でも引きたいの?」

「ちがうよ。スマホ使えないと不便じゃない?」


 正直、僕は面食らっていた。森園さんがこんな貧乏暮らしをしていたことに。冷蔵庫もなければ、電子レンジもない。

 こたつの上に置かれた三十円引きのコンビニ弁当が湯気を上げていた。


 森園さんは、しばらく迷ってから、言った。


「お礼なんて言わないからね」

 差し出された型落ちのスマホに、僕は十二桁のパスワードをそらで入力する。妹さんが目当ての動画を見つけたのか、人気配信者の明るいジングルが流れた。

 動画の騒がしい声を聞きながら、僕はおずおずと口を開いた。


「それで、森園さんも、病気を買いに来てたの?」

「今の私が病気に見える?」

「見えない」


 お店では派手に咳をしていた森園さんは、今では元気そのものだ。不思議だな、と僕は首をひねった。


「病気を売ってきたの。中学生じゃバイトもできないし」

「買い取りもやってるんだ」

 あの不思議な店主のことだからと、僕は納得した。


「パパもママも居なくなっちゃって、お姉ちゃんが頑張ってくれてるの」

 妹さんは動画を見ながらコンビニの生姜焼き弁当を開ける。芳ばしい香りで、きゅうっとおなかが空いてくる。


「それにしても、尾川君って馬鹿ね」

「そりゃ僕は勉強も苦手だけどさ」

 むっとなって僕は言い返す。


「病気になりたいなら、病院の待合にでも行けばいいじゃない。一日も居れば、すぐ伝染るわよ。あんな店で高いお金を出して買う必要ないわ」


 その通りだと、思った。しばらく何も言い返せなかった。

「――森園さんって、賢いね」

「褒めても何も出ないわよ」

 ふんと森園さんが鼻を鳴らす。


 げほげほっとりさちゃんがむせた。森園さんは妹さんの口の周りを優しく拭って、こたつの上に散らばったご飯粒をさっと片付けた。


「ごめんね。この子、肺が弱いの」

「喘息?」

 僕はスマホについた生姜焼きのかけらを拭いながら聞く。


「わかんないわ。病院に連れて行ってもらったことないから」

 僕はがあんとなってしまって、またまた黙ってしまった。おたふくになった僕を、パパは仕事を休んで病院に連れて行ってくれた。ママは仕事をリモートに切り替えて看病してくれたし、東京で一人暮らしのお姉ちゃんも励ましのメッセージをくれた。


「――買い取ってもらったら?」


 だから、僕の口からこぼれた言葉に驚いたのは、森園さんだけではなかった。

 僕は、まるで言ってはいけないことを言ってしまった気がして、思わず口を覆った。


「無理よ。あの店に入れるのは私たち『彗星の子供』だけ。そんな馬鹿なルールがあるから繁盛しないのにね」


「ドアベルを鳴らせるのは、だよね」

 自慢じゃないけれど、僕はまあまあ記憶力が良い。間違いなく、店主はそういう言い方をしていた。


「つまり、あたしがドアベルを鳴らして、りさを入れれば良いって事?」

 自信はないけれど、僕は頷いた。


「名案、かも」


 森園さんはそう言って黙り込むのだった。



 それから一週間後。僕と森園さん、りさちゃんは彗星百貨店の前にいた。

「尾川君はいるだけでいいから」

 僕はこくこくと頷く。


「終わったらみんなでハンバーガー食べようね」

 りさちゃんが言う。


 その言葉に背を押されたみたいに、森園さんはドアベルの紐を引いた。りさちゃんには、ベルは見えないみたいだった。

 からんからーんと陰気な音。

 数秒の沈黙ののち、ドアがぎいと開いた。


 僕と森園さんは顔を見合わせて、りさちゃんの手を引いて店に踏み込んだ。


「――困りますね。その女の子は、彗星の子ではありませんね」

 店主が立ち上がるのを、初めて見た。天井に届きそうな長身。顔は陰って見えない。

 首筋がぞくりと冷たくなって、僕はひっと悲鳴を上げる。山奥でうち捨てられた神社を見つけてしまったときと、同じ冷たさだった。


「でも、あなたのルールは守っているわ」

 りさちゃんをかばうみたいに踏み出した森園さんが言う。

「――どうぞお引き取りを」


 店主と森園さんがにらみあう。りさちゃんが不安げに森園さんに抱きつく。


「取引があるの。この寂れた店を繁盛させる方法を教えてあげる。その代わりにりさを治して」

 店主は微動だにしない。構わず続ける森園さん。


「考えてみて。病気を買いたいなんて馬鹿な客、尾川君以外に居ると思う?」

「馬鹿って――」


「はてさて。人間の欲とは摩訶不思議なものです。そういう欲を持つ人間も――」

「もっとシンプルな欲を狙うべきよ。ここから先はコンサル料をもらうわ」

 森園さんは、自信満々に言う。

 やった、と思った。店主が興味深げに首をかしげたのだ。



 僕の街には、不思議な骨董品屋がある。もし病気を治したいなら、もしくは金が欲しいなら、駅前の商店街で黒髪の女の子に話しかければ良い。


 彼女が案内する先は彗星百貨店。


 よくよく悩んで欲しい。

 大金を払って病を治すか、それとも病むのと引き換えに大金を得るか。それはきみの自由なんだから。

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